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日韓併合:日本国の犯罪

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先日、百田尚樹氏の記事を読んで、成る程と笑ってしまいました。

韓国には『糞(トン)にまみれた犬が、ヌカをつけた犬を叱る』という諺がある。まあ、『糞(ふん)まみれの犬が自分のことは棚に上げて、相手の汚れを誹謗する』、転じて『我が身について、全く自分は反省せずに、相手の欠点ばかり嘲(あざけ)る。』という当に糞が大好きな(註1)韓国人にとっては泣いて喜ぶ諺(ことわざ)と言える。

(註1)
日本に糞文化を植え付けたいの? 2012/12/11(火) 

百田氏の記事を深く理解する為の参考となる資料点検。
日韓併合(1910年)前の李氏朝鮮時代を記録した文献より一部抜粋。

イサベラ・バード(Isabella L. Bird)著『朝鮮奥地紀行』(朴尚得訳)平凡社, 1993年.


イサベラ・バード女史(註2)は1894年から1897年の間に李朝末期の朝鮮を四度訪問している。以下、その一部抜粋を以下に掲載する。

朝鮮人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎない、と私は感じた。そして若しロシアの手中に握られ、その統治の下で、軽い税金同様勤勉の利得が保証されない限り、千二百万人若しくは千四百万人の朝鮮人に希望は一つも無い、と感じていた。(2巻, 186頁)

狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、女性を本質的に蔑む評価などが朝鮮教育制度の産物と思われる。(2巻, 269頁)

朝鮮の大きくて普遍的な災難は大勢の強壮な男たちが、少しましな暮らしをしている親類か友人に頼るか「たかり」に耽る習慣である。それを恥としないし、非難する世論も無い。(2巻, 351頁)

一八九七年の明確に逆行する動きにも拘わらず、私はこの国の人びとの将来に希望が無いとは決して思わない。だが、次の二つの事が非常に重要である。

(一)、朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、外部から改革されねばならない事。(二)、君主の権力は、厳しくて永続的な憲法上の抑制の下に置かねばならない事。(2巻, 359頁)

(註2)イサベラ・バード女史(Isabella L. Bird, aka Mrs. J. F. Bishop, 1831~1904) はイギリスの旅行家・探検家で、世界各地を旅して数多くの旅行記を残した。
日韓併合(1910年明治43年)の13~16年前の朝鮮の生活状況は、下記URL記事に抜粋記入している。
『歴史を知らなければ分からない昨今の朝鮮問題』 2012/1/30(月)


W・F・サンズ著『極東回想記』(Undiplomatic Memories: The Far East 1896-1904) 1930年出版

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W. F. 샌즈 지음, 신복룡 역주, 조선비망록, 집문당, 1999.
 
著者サンズは米国の外交官。東京での勤務を経て1898年にソウルの米国公使館に赴任。1900年に公使館を辞任し、高宗の顧問として朝鮮の改革に努力したがこれといった成果を出せず、日露戦争の開戦(1904年)とともに帰国。

왜 이 나라가 이토록 황폐한가에 대한 이곳 사람들의 설명은 참으로 한국적이다. 말에 의하면 가능한 한 외국 사람들을 낙담시키기 연안은 황폐하게 되었으며 내륙에는 호랑이를 몰아내기 위해 숲을 불살랐고 언덕은 그 정상에 있는 토양이 씻겨 내려오도록 있었다. (pp. 41-42)

なぜこの国がこれほど荒廃しているのかに対するここの人々の説明は、実に朝鮮的である。彼らの言葉によると、できるだけ外国人を落胆させるために沿岸部は荒廃させ、内陸では虎を追い出すために森を焼き払い、山はその頂上にある土壌が流れて来るように崩したのだそうだ。

집은 옹기종기 붙어 있고 개천과 골목을 따라 모여 있다. 홍수의 계절을 제외하고 푸른 찌꺼기 투성이의 바닥을 따라 스며 나와 장티푸스, 천연두, 콜레라를 옮긴다. 이런 우물에서 여자들은 즐겁게 빨래를 하고 날마다 음식을 씻는다. 배수로 표면에서 악취가 나는 이 얕은 우물보다 더 나쁜 곳은 없다. 지저분한 하층민의 집에는 토속 반찬인 김치의 시큼한 냄새가 난다. (p. 50)

家はぎっしりと固まって建っており、小川と路地に沿って集まっている。洪水の季節を除いて、青いごみだらけの下水は床に沿って染み出し、腸チフス・天然痘・コレラを伝染させる。こんな井戸で女たちは楽しげに洗濯をし、毎日食物を洗う。排水路の表面から悪臭がするこの浅い井戸よりひどいものはない。汚い下層民の家からは、土俗の食品であるキムチのすっぱい臭いがする。

조선의 하인들인 중국인이나 일본인처럼 유능하지도 않고 사회적 신분도 같지 않았다. 수위(守衛), 가마꾼, 경비원은 끝없이 갈등의 원인이 되었다. 여자 하인을 두고 있는 일본과는 달리 조선에서는 보통 남자 하인을 두고 있었고 모든 계층이 만성적인 도박꾼들이었다. 일본인들과 중국인들은 가끔 자기들끼리 모여 기분 전환을 하는 일이 있지만 말썽을 일으키는 경우란 거의 없었다. 그러나 조선의 하인들은 그들끼리만 남겨 둘 수가 없었다. 그들은 지배를 받아야만 했다. (pp. 111-112)

朝鮮人の下人は、中国人や日本人のように有能でもなく、社会的身分も同じでなかった。守衛、駕籠かき、警備員は絶え間なく悶着の原因になった。女中を置いている日本とは異なり、朝鮮ではふつう下男しかおらず、あらゆる階層が慢性的な賭博依存症だった。日本人や中国人はときどき自分たちだけで集まって気分転換をすることはあっても、面倒を起こすことはほとんどなかった。しかし朝鮮人の下人たちは彼らどうしで放っておくことができなかった。彼らは支配を受けなければならなかった。

조선을 위해 조선인들이 저지른 최악의 일은 이토를 암살하고 나의 후임자인 스티븐스 (Durham W. Stevens) 를 죽인 것이다. 내가 조선의 뛰어난 인물들과 민영환과 같은 열렬한 애국자들 그리고 황제와 그의 수다스런 내시들로부터 들은 것들을 종합햐 보면, 일본 천황이 용인한 이토 경의 제안은 일본, 중국, 조선 간에 긴밀한 동맹 관계를 맺도록 하는 방향임을 보여 주었다. (p. 234)

朝鮮人が朝鮮のためにやらかした最悪のことは、伊藤博文(註3)を暗殺し、私の後任者であるスティーヴンス (Durham W. Stevens) を殺したことである。私が朝鮮の際立った人物たちと閔泳煥(註4)のような熱烈な愛国者たち、そして皇帝とそのお喋りな内待たちから聞いたことを総合すると、日本の天皇が容認した伊藤卿の提案とは、日本・中国・朝鮮間に緊密な同盟関係を結ぶ方向だったことを示していた。

(註3)伊藤博文
天保12年(1841年)-明治42年(1909年)
幕末・明治期の政治家で、初代内閣総理大臣を始めとする要職を歴任。 明治28年(1895年)の下関講和会議では、日本側の全権として日清講和条約に調印。初代韓国統監等を歴任。明治42年(1909)ハルビン駅頭で韓国の独立運動家安重根(註5)により暗殺される。

尚、当時、軍部出身者を中心とする日韓併合賛成派に対し、伊藤博文は保護国化して一時的に統治するだけで十分として、併合には反対していた。韓国を成長させたうえで、韓国人による自立した国家をつくろうとしていた。韓国併合方針は伊藤博文暗殺事件前の日本閣議で決まっていたが、朝鮮人・安重根による暗殺が韓国併合を加速させることになる。

(註4)閔泳煥(ミン・ヨンファン、1861-1905)
1905年11月17日の乙巳(ウルサ)条約によって、朝鮮(チョソン、1392-1910)は形だけ残った国になった。 同月30日、忠正公・閔泳煥(ミン・ヨンファン)は王朝の没落に責任を取り、自決で贖罪(しょくざい)した。同氏が残した遺書は、読む人の胸に大きく響く。
『韓日併合の責任取った閔泳煥、現代政治家は見習うべき』
2009年04月16日 ⓒ 中央日報

イメージ 5
(註5)韓国民族の英雄「安重根」(アン・ジュングン안중근)は、「初代内閣総理大臣」前韓国統監の「伊藤博文」を、1909年10月26日に満州のロシア権益のハルビン駅構内で襲撃して殺害した暗殺者である。韓国では抗日運動の英雄としてソウル市中心部の南にある南山(ナムサン)公園中腹に「安重根義士記念館」を建立。切手(1982年)まで発行した。



更に2014年には朴槿恵大統領は中国の習近主席に頼んで中国のハルピン駅内に「安重根記念館」まで造った。
『安重根纪念馆今落成 百年前刺杀伊藤博文』
100年前に伊藤博文を殺害した「安重根」の記念館が今日落成した
新华社  2014-01-19  新華社通信2014年1月19日
場所は中国東北部黒竜江省のハルビン駅内
イメージ 3
ショウルーム新設資金は、ハルビン市政府と鉄道部門が提供した。

だが、実は韓国民族の英雄「安重根」は「天皇陛下崇拝主義者」で親日派だった。さてさて、韓国の教科書まで載っており、国民のほとんどが知っている英雄を今後どう扱うのか楽しみなこと。

「日本のために伊藤博文を撃った」…安重根義士の親筆発見(1)
2011年07月07日10時27分  [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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1910年2月22日付の大阪毎日新聞7面に報道された安重根の親筆

【安重根】反日の英雄などではなく「天皇陛下崇拝主義者」で親日派だった!

さて、本文

百田尚樹氏「今こそ、韓国に謝ろう」の真意語る 裏切られ続けた日本
NEWSポストセブン 2017.7.5 

作家の百田尚樹氏が、意外な主張をし始めて話題になっている。「今こそ、韓国に謝ろう」--6月中旬、同名の著書を上梓した百田氏。韓国に対し、何を謝罪すべきなのか。日本が、朝鮮半島に対して行った“悪行”の数々とは。百田氏が語る。
(中略)

そうした「歴史の真実」は、書店に並ぶ多くの本で明らかにされています。“慰安婦は強制連行された”“日帝は韓国からあらゆるものを奪った”といった韓国の主張を疑問に思う人たちは、それらの本などから「真実」を知っています。しかし、そもそも「日本は韓国に酷いことをしたのだ」と考えている人たちは、そうした本は「嫌韓だ」と決めつけて、真実を知ろうともしません。

 国と国との約束を守らず「反日」を掲げる韓国に対して日本がきちんと対峙するには、我々がアプローチを変えなければならないと思うのです

   ✩   ✩   ✩

『今こそ、韓国に謝ろう』は、これまでになかった視点から日韓併合時代を論じた本です。私はこの本を書いて、我々日本人は、とんでもない思い違いをしていたのではないかということに気付いたのです。

 それは一口で言うと、「余計なお節介」です。頼まれもしないことを無理矢理にやってしまったのです。

■経済成長させた“罪”

 さて、当時の日本がどんな酷いことをしたのか。そのひとつは、朝鮮半島各地にたくさんの小学校を作ったことです。1905年頃にはわずか40校ほどだった小学校を、1910年の併合後に凄まじい勢いで増やし、1943年までに4271校も開校しました

 日本はこれに巨額の国家予算を投入しました。併合当時には10%未満だったと言われる識字率は、1936年で60%近くに高まりました

 これまで日本人は韓国に対し「教育を施してあげた」と考えていましたが、よく考えてみれば子供は遊びたい盛りで、勉強なんかしたくありません。いわば子供の“遊ぶ自由”を奪ったのです。

 驚くことに、日本は朝鮮に京城帝国大学まで作りました。しかも、京城帝国大学の図書館の予算は、東京帝国大学の10倍もありました。朝鮮の人々からすれば、「人を馬鹿だと思っているのか!」と怒りたくもなるでしょう。

 教育だけではありません。日本は朝鮮半島の自然まで変貌させてしまいました。焼き畑農業でほとんど禿げ山になっていた朝鮮半島の山々に植林し、緑豊かな風景に変えてしまったのです

 さらに、至るところに鉄道網を敷いて、併合前はわずか100kmしかなかった鉄道を総延長6000kmにまで延ばしました。美しい野山に醜い鉄道網を敷きまくったというわけです。

 ダムも建設しました。鴨緑江に作った水豊ダムは当時世界最大級で、電力の最大出力はあの黒部ダムの2倍もありました。発電所を建設し、送電線を張りめぐらせ、村々に電気を行き渡らせたのですが、これは日本の勝手な振る舞いです。もちろん、お金を出したのは日本です。明らかに生活レベルは向上したのですが、そう考えるのは日本人のエゴなのかもしれません。

 日本は韓国に“産業革命”も起こしました。李氏朝鮮時代の朝鮮は農林水産業の生産が全産業の約80%、工業生産は約18%という第一次産業国家でしたところが併合以降、農林水産業の比率は約43%に減り、工業生産は約41%に増えたのです

 その結果、併合の翌年の1911年から1938年までの間、朝鮮の経済は平均3.8%という驚異的な成長率を遂げました。これだけの長期間にわたって高成長が続いた例はほとんどありません。

 雇用が増え、経済が成長するのはいいことだと考えるのは、日本の勝手な論理です。それまで農業や漁業に携わっていた人々が、急に工場などで慣れない仕事をすることになったと想像すると、本当に申し訳なく思います。

■モラルを教えなかった

 日本は、朝鮮の“伝統文化”も破壊しました。併合前の朝鮮には、20世紀初頭とは思えないほどの厳しい身分制度がありました。王族及びその縁戚などと特権階級の「両班」(ヤンバン)が支配階級で、その下に官僚機構で実務を担っていた「中人」(チュンイン)がありましたが、両班からは激しく差別されていました。

 その下が「常民」(サンミン)で、多くが小作農であり、「常奴」(サンノム)の蔑称で呼ばれていました。

 さらにその下には高麗王朝時代から「七賤」と呼ばれる賤民がいました。なかでも「白丁」(パクチョン)と呼ばれる人々は戸籍もなく姓もなく、厳しい差別にさらされていました。

 朝鮮半島に長く根づいていた伝統的な身分制度を日本は破壊し王族を除くすべての人を平等に扱いました。こうした差別は許されることではないと、日本人が考えたからです。しかし、これは独善的な考えです。特権を奪われた両班が日本を恨むのは当然です

 もちろん両班は朝鮮人全体のごく一部でしたが、不思議なことに現代の韓国人のほぼすべてが「自分のルーツは両班だった」と主張します。韓国人の多くが日本を恨む理由は、もしかするとここにあるのかもしれません。

 それ以上に日本が猛省し、朝鮮半島の人々に謝罪しなければならないことがあります。それはせっせと学校を建てて教育を施しながら、一番大事な「モラル」を教えなかったことです

 いわゆる「ウリジナル」も、モラルの問題として捉えることができます。茶道、華道、歌舞伎といった日本文化はことごとく「韓国がルーツだ」と言い出していますが、いずれも何の根拠もありません。

 しかし、こうしたこともすべて、併合時代にモラルを教えなかった日本に責任があると言えます。

■日本は「原状回復」を

 今からでも遅くはありません。日本国は深い反省に基づいて謝罪し、朝鮮半島に植林した木々を伐採して禿げ山に戻し、学校や鉄道、港やダムを壊すなど「原状回復」して韓国に返すべきだと思います。土地を借りた場合、原状復帰が原則です。

 冒頭で触れたように、文在寅政権は日韓合意を破棄し、慰安婦問題を蒸し返そうとしています。これは、「モラル」と同様に、日本が「近代的法概念」を教えなかったからです。併合時代、大学を作り、法律家を目指す朝鮮の若者たちに憲法や刑法、商法、民法などを教えました。しかし、なんということか、最も大切な「法概念」を教えることを忘れていたのです韓国は条約や合意を反故にすることで世界から批判されましたが、その罪は日本人が背負わなければならないのです

 私が想像するに、日本は韓国を発展させるのを急ぎすぎたのです。300年くらいかかって発展すべきところを、30年でやってしまったのです。現代の韓国社会のひずみの原因は、そこにあると思われます。もちろん日本のせいです。

 このように日本が日韓併合時代にどんな“悪行”を働いていたかを知ると、韓国人がなぜ今に至るまで日本人を恨み、批判し続けてきたかがわかると思います。

 詳細は近著『今こそ、韓国に謝ろう』に記しましたが、こうしたアプローチで韓国との関係を考えることは、見ようによっては「反日的」と捉えられてしまうかもしれません。

 よく知られているように、日本は台湾を統治していた時代にも現地で教育を施し、鉄道を敷き、道路を作り、東洋一とも言われるダムも建設しました台湾は今でも、当時の日本によるインフラ整備に感謝してくれています台湾が親日的なのはそのためでしょう

 日本は韓国に対しても同じことをしたのに、なぜ韓国人は感謝もせずに日本を批判するのか。それは、本誌・SAPIO6月号で対談したケント・ギルバートさんが語っていたとおり「儒教」の影響が大きいのだと思います。

 韓国では、中国が世界の中心で、それに近い韓国は優れた国であり、中国からより遠い日本は「格下」と考えられています。「下」の日本が「上」の韓国のために学校を建てるなどして「貢ぐ」のは、上下関係を大事にする儒教の考え方では“当たり前”のことであるから、感謝するものではないのです。「鉄道を敷くなんて、頼んでもないんだけどな~」と思っているのではないでしょうか。

 それでも私はここで、韓国の皆さんにきちんとお詫び申し上げます。そのことが日韓関係を新たな段階に進めることにつながると思うからです。




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