報道しない『アンネの日記』破損事件の背景 2014/3/9(日)
「アンネの日記」はおっちゃんが書いた小説 2012/1/20(金)
ホロコーストはなかった。
ナチの収容所のガス室で殺されたユダヤ人の数は、600万人ではなく、0人。
ガス室自体が無かった。ガス室と称する部屋はシラミ駆除用のもの。
ガス室は戦後に新築されたものであるとポーランド政府が認めている。
「アンネの日記」は少女アンネ・フランクが書いたものではなく、ユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン(男性)がアンネ、又はアメリカの少女の誰かの日記を参考にし、捏造して創作した小説。
依頼者は、アンネの父、ユダヤ系ドイツ人、オットー・ハインリヒ・フランク。
このアンネの父親のオットー・フランクは5万ドルという大金(現在の貨幣価値で約2億円)を払ってまで、ゴーストライターに娘の名前で小説を書かせた。
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(参考)
『アンネの日記』は、シェックスピア戯曲『ヴェニスの商人』のホロコースト版。
戯曲『ヴェニスの商人』はイスラエル建国のための戯曲。
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(参考)広瀬隆氏は著書『赤い楯』より。 このような説もあるのですね。
パレスチナ問題の根源は、“ヨーロッパ人”によるユダヤ人迫害にあった。
このヨーロッパ人の責任が、アラブ人から土地を奪取することによって中東に転嫁されたことに源がありながら、そのヨーロッパ人が口をつぐんでいるのは、不思議な沈黙である。
イスラエルを建国することは、ユダヤ人を追い出したいと思うヨーロッパの、多年の願望だったのである。イスラエルはユダヤ人の国ではなく、ヨーロッパによって創られた国であった。
「イスラム教とユダヤ教の対立、あるいはアラブ民族とユダヤ民族の死闘、これはそのあとに生まれた結果であり、中東紛争の原因ではない。
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アンネの日記が世界的に売れるようになると、この版権をめぐって依頼者であるアンネの父親オットー・フランクとゴーストライターのユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン(男性)が裁判で争う。
この最高裁の判決の書類2241-1956は、ニューヨークの地方事務所にあるはずなのだが、このファイルは消えてしまっている。都合の悪い輩が抜き取った?
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《何故アンネも含むユダヤ人は強制収容所で死んだのか?》
アンネ・フランクは1945年3月上旬、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で発疹チフスを患って亡くなった。もし治療を受けていたら、もしかすると彼女は助かっていたかもしれない。
しかしユダヤ教に入り込んだ悪魔の法典タルムードの「偶像礼拝者や異教徒からの医療的な助けは避けなければならない」(Pesachim 25a) という邪義がそれを許さなかった。タルムードを信ずるユダヤ人達に、非ユダヤ人の治療を受ける選択肢は無い。アンネ・フランクも、他のユダヤ人も治療を受けずに亡くなった。
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1980年ドイツでひとつの裁判が行われた。ドイツの雑誌、デア・シュピーゲルによると、「アンネの日記は偽書である」と主張するエルンスト・ロエマーをアンネの父、オットーが訴えた。
ドイツの捜査当局、BKA(FBIに相当)は訴えを受けて、アンネの日記の科学的分析を行った。その結果、第四章がボールペンで書かれていると判明した。
ボールペンは、1951年に発明されたものであり、アンネの生きている間には存在しない。この最後の部分が偽書であるのなら、アンネの日記全体の真贋が問題となる。なぜならば、この第四章の筆跡が、第三章までと同じだったから。
尚、1980年10月9日付の「ニューヨーク・ポスト」には、エルンスト・ロエマーが、この『アンネの日記』は真実ではなく、小説である事を追及し続けて裁判に持込んだ事が書かれている。二度目の裁判でこのロエマーの申出は正当と認められた。
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捏造された歴史を叫び続ける醜態 2012/1/18(水)
戦前のヨーロッパに在住していたユダヤ人は650万人。
その9割の600万人をナチスが殺したとすればどうなる?
『ワールド・アルマナック』 (The World Almanac世界データ事典)より
世界のユダヤ人の人口:戦前(1940年) 15,319,359人
世界のユダヤ人の人口:戦後(1948年) 15,713,638人
他の資料でも
戦後の世界のユダヤ人数、1659万人。
戦後の世界のユダヤ人数、1500万人~1800万人。
ユダヤ人600万人が殺されたら、戦後の世界のユダヤ人は1000万人前後に減少していなければ勘定が合わない。
然し、戦前と戦後のユダヤ人の人口には、大きな変化は見受けられない。
尚、アウシュイビッツで死んだユダヤ人は 僅かに3万数千人であり、その大半は発疹チフスにかかり死亡した。
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換言すれば、第二次世界大戦で死んだユダヤ人は少なく、ドイツ人や非ユダヤ系ポーランド人が大量に死んだと言える。大半のユダヤ人はアメリカなどに逃げたのである。
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(参考)
杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日) 日本の官僚、外交官。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。
外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。
その避難民の多くが、ユダヤ系であった。海外では、「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。
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結論から言えば、第二次世界大戦はユダヤ人国家『イスラエル』(1948年独立宣言)を創るための茶番劇だったので、それを隠すために歴史が捏造された。
つまり、ユダヤ国家『イスラエル』を創る為に、欧州のユダヤ人を欧州から追い出し、パレスチナに移住させ、『イスラエル』の国民にするのが目的であった。
(注)第二次世界大戦を演じたヒットラー(独)、チャーチル(英)、ルーズベルト(米)、レーニン(露)もユダヤ人。
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(参考)
1880年から1925年の間に、アメリカへ移住したユダヤ人400万人に対し、パレスチナへの移住者はたった15万人しかいなかった。
当時、西欧や東欧のシオニストたちが提唱するようなユダヤ国家建設に興味を示すユダヤ人は少数グループであった。
ユダヤ人の大半は、ユダヤ国家建設など、あまりにも現実離れしすぎた妄想的計画だとみなしていた。それよりも自分たちが住む国家社会に「同化」することのほうが大事だと思っていた。
(注)シオニズム、シオニストとは
(ヘブライ語: ציונות, Zionism)民族の居住の地を追われ、離散と流浪をしいられて2千年ちかく。ユダヤ人が、民族としての再結集と、故郷への帰還をもとめる運動は、シオニズムとよばれる。シオン、つまり栄光のエルサレムを奪回すること。
シオニズム運動の象徴 – イスラエルの「ダビデの星」。国旗は、このダビデの星と呼ばれる、6芒星。
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欧州からユダヤ人を追い出し、パレスチナへ移住させる使命でユダヤ系国際金融資本から資金援助を受け悪役を演じたのが、ユダヤ・ロスチャイルド卿の孫である『アヅルフ・ヒットラー』。
『アヅルフ・ヒットラー』は、イスラエル建国の使命を果たした後、南米で余生を送り20年前まで生きていた?
(注)イスラエル建国の父ヒットラーの精子は冷凍保存されている。
(参考)
ヒトラー側近のナンバーワンで金庫番だったマルチン・ボルマンは英特殊部隊による『JB作戦』で戦火のベルリンから拉致(救出?)され、英国に連行された。(中略)
後、ボルマンは整形手術を受け、イギリス滞在中にブラジルやアルゼンチンなどの南米諸国や他の地域に行っていた。その後ボルマンは1959年2月に南米パラグアイで死んだ。
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(参考)
「ナチ党」の正式名称は、「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」である。
但し、「ナチ(NAZI)」という語は、ヘブライ語で、ユダヤ人らの言葉であり、ドイツ語ではない。
民族主義の気運をドイツ国内に作り出したのはユダヤ系ドイツ人らであった。(中略)
しかし、別の裏情報によると、「ナチ(NAZI)」の本当の意味は、「国際シオニスト連盟 (National Association of Zionist International)」 だという。
(引用先)ベラスコの告白
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc107.html
(参考)
麻生副総裁の発言の真意は? 2013/8/2(金)
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《『アンネの日記』原本と称する日記》
下記のURLをクリックすると見ることができます。(↓クリック)
(見方の説明)
手順は画像に記入している①からクリックして下さい。
13歳になった誕生日から亡くなる15歳までの一部の日記を見ることができます。
13歳の日記では日記をペンで書いたから字の太さや色が日によって違ったりするが、15歳の日記ではボールペンで書いているから常に一定。お確かめ下さい。
(注)上記12歳の日記では、日によって、或いは記入する時間が異なると字の色が異なる。以降、恐らくペンでは都度インクを付けなきゃならなく面倒なので、ボールペンを使ったものと思われる。
13歳の日記を見終わったら、次に、14歳の褐色の表紙の日記をクリックして下さい。以降、手順は同じです。
(参考・引用先)
第2次世界大戦の真実④ アンネの日記の真相
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/2011-06.html