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国会は安倍マリオ首相の茶番劇場

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今の国会は、茶番劇。

「法的安定性は関係ない」との磯崎補佐官の発言は安倍マリオの本音を代弁し、国会を紛糾させ、肝心なことから目を逸らさす目的。

安倍マリオ首相は『国際金融資本の戦略国際問題研究所(CSIS)』の指示通り動く単なる操り人形。

日本国憲法などはどうでもいいこと。CSISの指示通り、自衛隊を海外で戦争をできるようにすることが目的。

戦略国際問題研究所(CSIS)ジョセフ・ナイ著「対日超党派報告書」にちゃんと書いてある。

― Bipartisan report concerning Japan ―

『中国と日本を戦争させるために、日本の自衛隊が自由に海外で「軍事活動」が出来るような状況を形成しておく事が必要である。』 と。

イメージ 1
(※)画像はお借りして手を加えました。

(参考)私のブログ記事
安倍マリオ人形操者ジョセフ・ナイ氏 2015/7/22(水)


(私見)
自衛隊の軍備力増強は賛成である。

他方、自衛隊を海外に派兵したいのだったら、国民に賛否を問い、国民の賛同を得てから憲法9条を変えたらいい。

安倍マリオ首相が憲法違反の『集団的自衛権』を急ぐのは、片山虎之助議員が今日の国会で述べているような憲法9条を変える自信がないのではなく、CSISの命令である。

つまり、来年、米国大統領に中国と密着しているヒラリー・クリントンが就任し、ヒラリー・クリントンが引導し中国と日本を戦争させるのだが、日本で憲法9条を変えてからではいつになるのか分からないからである。



下記28日の産経新聞の記事は茶番劇を推進する内容で、一種の感情論。レベルが低すぎるが敢えて掲載し、私見を述べる。

『朝日・毎日への反論(16)安保法案、反対ありきの「違憲論」では議論が深まるはずがない』
●朝日、毎日両紙の主張は突き詰めると反対の根拠は「憲法違反だ」ということに絞られます。民主主義なので議論は自由ですが、いつまで冷戦時代以来の「違憲」か「合憲」かという二者択一の議論に埋没し続けるつもりなのでしょうか。

(私見)安保関連法案の場合、真っ先に議論しなければならないのは、『違憲』か『合憲』かの二者択一であって、この択一無くして他の議論をしても時間の浪費である。

尚、法理論上では、自民党が国会に呼んだ憲法学者が『違憲』と述べているように『違憲』であり、政治的に『合憲』と翻すのは、『三権分立』の国体を破壊するものであり、ここでも違憲を重ねることになる。

●安保関連法案の今国会での成立についても「反対」が「賛成」を大きく上回っています。反対派はこの結果を「錦の御旗」のように扱っていますが、私は「国民が安保関連法案の内容に対して反対している」とは思いません。

「何となく問題がありそうだから、まだ成立させなくてもいいのではないか」という感情が、まだ国民の中に強いからではないかと、私は分析します。つまり、法案の議論が深まっていないことに対する不満なのだと思います。

(私見)法案の議論が深まっていないから圧倒的に『反対』が多いと解するならば、産経新聞は『安保関連法案を今国会で成立を謀るのは時期尚早』と叫ぶべきである。

●しかし、そこで「違憲」と主張する代表的な人々として挙げている憲法学者や弁護士、内閣法制局長官OBは、私からすれば「憲法の条文だけを見て国のあり方は考えようとしない人々」の典型で、「だから違憲なのだ」と決めつけて法案に反対する根拠にはそぐわないと思います。

(私見)憲法の各条文には我が国の在り方が述べられている。拠って憲法の各条文への法案の『合憲』『違憲』を論じるのは正しい。

我が国の在り方を変えたいならば、先ずは『憲法改正』から始めるべきである。

●そこには冷戦構造の崩壊や、複雑化した国際社会の安全保障環境、日本を取り巻く脅威の拡大といったことへの検証がありません。つまり、「これまで日本は何もせずに平和だったから、これからも平和であり続けられる」という「平和ボケ」の主張にすぎないと思います。

(私見)大多数の日本国民を平和ボケに洗脳した責任の一端として、産経新聞・フジテレビも一役かっていたではありませんか。産経が先ずすべきことは『平和ボケの極楽とんぼの国民を覚醒させること』ではありませんか。

●このコラムでは何度も説明してきたので繰り返しませんが、安倍政権は集団的自衛権を行使するうえでの「新3要件」など、合憲の理由をきちんと説明しています。

(私見)安倍マリオ首相の唱える『助け合うこと』が『強盗から身を守る手段』という意味では説明になっているが、それで合憲であるとの説明にはならない。

●「集団的自衛権行使を容認する理由として挙げる『安全保障環境の変化』についても、肝心の中身の議論を深めようとしない」というだけの批判でした。詳細に批判をしなかったのは、毎日新聞自身が「安全保障環境の変化」を分かっているからだと思います。

(私見)『安全保障環境の変化』は時の流れと共に変化するのは当然であり、これを分かっているとか無視しているとかの問題ではない。

『安全保障環境の変化』については、過去・現在の事実と将来起こりうるリスクについて述べれば済むことで、いたずらに議論しても無意味である。


(参考)産経 2015.7.29
「半島有事なら数十万人が日本へ避難」“ヒゲ隊長”質疑詳報

参院平和安全法制特別委員会で質問に立つ自民党の佐藤正久氏=28日午前、国会・参院第1委員会室




●安倍マリオ首相の唱える集団的自衛権を使う根拠

安倍首相、中国名指しし安保法案の必要性強調

「我が国を取り巻く安全保障環境はますます厳しさを増しております。東シナ海においては、中国が公船による領海侵入を繰り返しています。南シナ海においては、中国が活動を活発化し、大規模かつ急速な埋め立てや施設の建設を一方的に強行しています」(安倍晋三総理大臣)



●礒崎陽輔首相補佐官、目立ちたいから本音を言った!
それとも、安倍マリオ首相が陰で話していることを代弁した!

この紛糾で数日間、本論から外れた内容で国会を無意味な論議に費やすことが出来る。

(磯崎氏のHPに掲載されている図)
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首相、磯崎氏に苦言「疑念持たれる発言は…」
2015年07月28日  読売新聞

 首相はまた、礒崎陽輔首相補佐官が安保関連法案に関して「法的安定性は関係ない」などと発言したことについて、「法的安定性の確保は当然のこと。疑念を持たれる発言は慎まなければならない」と苦言を呈した。

(※)↑ゼスチャー



(参考)
9.11の如く世界は騙された 2015/2/7(土)

グランプリ投稿画像
ISIS Crappy Collage Grand Prix
ISISくだらないコラージュ・グランプリ

安倍マリオ首相は、中東諸国に金をばらまき、在日の近藤・湯川を使って国内世論を戦争に向かわせようとしたが、見事に失敗。

たった一つの貢献は、萌えキャラ「ISISちゃん(アイシスちゃん)」が世界的に有名になったことぐらいかな?



☆☆☆ヽ(;▽;)ノ☆☆☆

産経デジタル
イスラム国と戦う“武器” 日本発の萌えキャラに世界が注目

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「ISISちゃん」、BBC報道で注目を集める・アノニマスが日本発の萌えキャラ「ISISちゃん」を利用との報道

英BBC(電子版)は7月21日、ハッカー集団「アノニマス」が、「イスラム国」(IS)支援者と思われる750以上のSNSアカウントのリストを作成し、日本発の萌えキャラ「ISISちゃん(アイシスちゃん)」の画像を大量に送りつけ、多くのアカウントが休止や退会に追い込まれたと報じた。

「『アノニマス』がツイッター上で『イスラム国』支持者への攻撃を強化」(BBCツイッター)

英国BBC
Anonymous targets IS sympathisers on Twitter
21 July 2015
Hacktivist group Anonymous is ramping up efforts to tackle sympathisers of the Islamic State group on Twitter.

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萌えキャラ「ISISちゃん(アイシスちゃん)」
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世界のオタクが使う“武器”「ISISちゃん」とは?
日本人拘束事件を受けて誕生した擬人化キャラ





中国も戦争準備で、「国家安全法」を制定

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産経新聞の断言する『ノー天気な日本国民』の皆様、『沈黙は金』とか『知らぬが仏』などと馬耳東風にあられましたら、間違いなく、安倍マリオ首相は中国との戦争に突入しますよ。

                 ★★★

安倍マリオ首相は、今夏の国会で、国際金融資本の戦略国際問題研究所(CSIS)の指示通り自衛隊海外派兵の戦争法案の成立を期す。

他方、中国でもこの7月、新たな戦争法を成立させた。

今夏、これで日中、共に国内法上、外国と戦争が出来ることになる。つまり、ここ数年以内に東シナ海、もしくは南シナ海で第三次世界大戦の緒が日中で、或は米国の引導で切られることになる。



NewsWeek  2015年7月21日(火)

領土問題
中国の国家安全法は戦争法か
Beijing's National Security Law Could Create New Tensions

領有権と同じく法律も拡大解釈しそうな気配
ミシェル・フロルクルス

中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は先週、「国家安全法」を制定した。適用範囲はネット空間から宇宙、深海、極地までにわたるが、緊張の高まる南シナ海も含まれる。

 中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は先週、「国家安全法」を制定した。適用範囲はネット空間から宇宙、深海、極地までにわたるが、緊張の高まる南シナ海も含まれる。

 同法の成立により、当局はすべての国家安全分野で「組織的、効率的」な危機管理体制を構築する権限を得る。

鄭淑娜(チョン・シューナ)全人代常務委法制工作委員会副主任は同法を「政権、主権、統一、領土保全、福祉、経済社会の持続的発展の条件」となると述べた上で、強調したのは物理的空間での国家安全の重要性――すなわち南シナ海における領有権の確立だ。

 今の中国にとって、南シナ海における軍事力の強化は国防の要だ。同海域ではベトナムやブルネイ、マレーシア、フィリピンなども一部の領有権を主張しているが、単独では中国に対抗できず、アメリカや日本の軍事的支援に頼ろうとしている。

それでも中国は、堂々と岩礁を埋め立てて人工島に変え、軍の施設や民間施設を築いている。

 この法律を根拠に、中国はさらなる冒険主義に走りそうだ。「新法を南シナ海での活動の正当化に利用するだろう」と、米戦略国際問題研究所の上級研究員ボニー・グレーザーは言う。

今までの中国は、もっぱら大昔の地図を根拠に南シナ海の領有権を主張してきた。その主張に合わせて官製地図を刷り直し、領海線を広げてもきた。南方に延びた最新の「縦長地図」は、以前の地図より露骨に南シナ海の領有権を強調している。

 だが周辺諸国は、そんな地図では納得しない。フィリピン政府は1136年にさかのぼる古地図を何枚も持ち出して、スプラトリー(南沙)諸島などに対する中国の主張に反論している。

 国家安全法の適用対象は広範かつ漠然としており、「国家安全を脅かす行為」を認定する際にいくらでも拡大解釈できる。

「国民と国家安全の利益を盾に、あらゆる活動を行う法的根拠を持っていると主張しかねない」とグレーザーは懸念する。

 中国側はそうした批判を一蹴する。「いかなる政府も、その核心的利益は毅然として守り、議論や妥協、干渉の余地を残さない」と、鄭は言った。「中国も例外ではない」

[2015年7月14日号掲載]



NewsWeek 2015年7月28日(火)

中国の動きをにらみインドが海軍増強
India Navy Warships

インドの軍拡は「インド洋は渡さない」という決意表明
シェル・フロルクルス

インドが海軍力の飛躍的な増強を打ち出した。保有する艦艇数を27年までに200隻も増やすという。現状は137隻だから、実に2倍以上になる。

P・ムルゲサン海軍中将は地元紙に対し「新たな原子力潜水艦6隻の導入には、既に政府の許可が出た」と語り、3つの艦隊に各1隻ずつの空母を追加する計画も明らかにした。

 現在、インド国内の造船所が建造できる軍艦は年に4~5隻程度だ。自力で200隻の目標を達成するのは不可能に近い。

そうであれば外国から調達するしかなく、南アジアの大国インドが、遠からず世界屈指の武器輸入国となるのは必至だ。

かつてのインドはもっぱらロシアから武器を買っていたが、近年ではアメリカもインドへの武器輸出を増やしている。

 なぜインドは海軍力の増強を急ぐのか。急速に軍備を拡大している中国に対抗するため、というのが大方の見方だ。

南シナ海で強引に制海権を握ろうとする中国に対しては周辺諸国が神経をとがらせているが、インドにも大国の意地がある。原潜も空母も「インド洋は渡さない」という決意表明だ。

[2015年7月28日号掲載]




(私のブログ記事)
第三次世界大戦の法的準備今夏終了 2015/7/3(金)
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/63258056.html
海自機、南シナ海を飛行開始 フィリピン軍と共同訓練
2015/06/23 12:04   【共同通信】




(参考)下記は昨年のことでしたね。

中国に逆らい日本を支持したフィリピンの思惑
Manila Gives Thumbs-Up to Japan's Defense Reforms

アキノ大統領が東南アジア諸国で初めて「侵略国」日本の集団的自衛権を積極支持
NewsWeek 2014年7月11日(金)12時32分
シャノン・ティエジー


先週行われた日本の安倍晋三首相との会談で、フィリピンのアキノ大統領は集団的自衛権行使を容認する日本国憲法の解釈変更に支持を表明した。

安倍率いる与党・自民党は憲法9条の解釈変更の閣議決定を目指しており、これによって有事の際に日本が同盟国を援護することが可能となる。

 アキノは安全保障における日本の役割強化を歓迎。「日本国民もそれを望んでいる」ことを前提に「国際的義務を果たす日本の能力が強化され、両国の共通目標である平和、安定、相互繁栄という目標達成に近づくならば、フィリピンは日本国憲法を見直すいかなる提案にも警戒の念は抱かない」と、記者団に語った。

「日本政府が他国を助ける力を得れば、善意の国家にとっては恩恵あるのみだ」とも。

 両国ともアメリカの同盟国。日本がアジアで軍事力を強化すればフィリピンの国益にもなるとの考えを明らかにしたものだ。

 首脳会談後には広島市で行われたミンダナオ和平会議に出席。アキノは演説で、3月に調印したフィリピン政府と南部ミンダナオ島の反政府武装勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)との間の和平合意に対する日本の積極的支援に謝意を表した。

 特に、日本が仲介して日本で行ったアキノとムラド・エブラヒムMILF議長との交渉が和平への転換点になったとして、日本の貢献の重要性を強調した。

 「過去のとりこになるな」

日本政府は、歴史問題を乗り越えてアジア太平洋地域の平和と安定に貢献する用意ができている──こうしたアメリカの見方をフィリピンも共有していることは明らかだ。

演説の締めくくりとして、アキノは日本人に「過去のとりこにならない」ように呼び掛けた。これは、第二次大戦の歴史を蒸し返しては日本への警戒心をあおる中国政府への当てこすりかもしれない。

 安倍は、アジア太平洋の環境が「ますます厳しい」なか、日本とフィリピンは連携を強化していると言った。

両首脳は法の支配による海洋紛争解決の重要性を強調。南シナ海と東シナ海における挑発と違法行為で非難を浴びる中国政府を暗に牽制する形となった。(以下省略)






ベトナム戦争と南シナ海海底資源

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過去、南シナ海では、こういう戦争目的もあったという内容です。
中国が、領海の拡大や島創りの目的には、南シナ海の海底に眠る石油資源にも狙いがあるのでしょうね。

中国の海底石油採掘に投資をしている米国籍の企業が確かあったはずですが。CFRとCSISのシナリオ通り・・・。



以下は、スタンダード・オイル社が、南シナ海の海底油田埋蔵量調査のために、国際金融資本ロックフェラーは米政府を動かし、ホーチミンに戦闘武器を供給し、ベトナム戦争を勃発させ、海中で爆破振動を起こしたというもの。

(※)現在、イスラム国(ISIS)へも米軍は戦闘武器を供給している。

この海底調査費用は、米海軍を通じて、米国民の税金で支払ったことになり、スタンダード・オイル社のコストは僅か5セント。

(※)3.11で、米海軍は水爆3発を海底爆破し地震と大津波を引き起こした。この時も、日本海溝全域の海底地下資源調査をしたかも。


以下、本文の一部を抜粋

The Vietnam Standard Oil War!!

The Rockefeller controlled Pentagon used the excuse of the war to drop bombs in the water and listen to the echo in order to locate the underwater oilfields.

ベトナム・スタンダード・オイル戦争!!

ロックフェラーにコントロールされたペンタゴンは、水の中に爆弾を落として、エコー(反響音)を聞いて海底油田を見つけるための戦争であると弁解した。

Herbert Hoover, later to become President of the United States did a study that showed that one of the world's largest oil fields ran along the coast of the South China Sea right off French Indo-China, now known as Vietnam.

後にアメリカ合衆国大統領になるハーバード・フーバーは、世界最大の油田層の1つが現在ベトナムとして知られているフランス領インドシナの側近の南シナ海の海岸に沿って走っていることを示したのは典型的なことであった。

This was before offshore drilling had been invented and before a man named George Herbert Walker Bush was to become the CEO of a world-wide offshore drilling company.

これは、沖合掘削が発明される前に、そして、George Herbert Walker Bush と命名された世界的な沖合掘削会社のCEOに彼が就任する前のことであった。

In 1945, Vietnam was still a colony of the French.

Laurence Rockefeller, it appears, had given the extensive store of weapons to Ho Chi Minh with the hope that Vietnam would drive out the French so that Standard Oil would be able to take over the as yet undeveloped offshore fields.

1945年に、ベトナムはまだフランスの植民地であった。

ロレンス・ロックフェラーが現れ、ベトナムがフランスを追い出し、スタンダード・オイルが未開発の沖合フィールドを取って変わることができるように、ホー・チミンへ武器の貯蔵庫を与えた。

But in 1954, Vietnamese General Giap finally defeated and drove out the French at Dien Bien Phu with weaponry provided by the US Ho Chi Minh reneged on the deal since he could read too, and he was well aware of the Hoover resource report and knew there was a vast supply of oil off the Vietnamese coast.

しかし、1954年、ベトナムのGiap将軍は、US Ho Chi Minh(米国ホー・チミン)の兵器を使い、ディエンビエンフー(地名)でフランスをようやく破ってベトナムから追い払った。そして、彼は『フーバー資源リポート』に十分に気づいていた し、ベトナムの海岸沖に大きな油層があるということを知っていた。

In 1964, after Vietnam was divided into North and South, and the contrived Gulf of Tonkin incident, several US aircraft carriers were stationed offshore of Vietnam and the 'war' was started.

1964年に、ベトナムが南北に分離され、演出されたトンキン湾事件が起きた後、何隻かの米国の航空母艦がベトナム沖合に配置され、『戦争』が始まった。

Every day jet planes would take off from the carriers, bomb locations in North and South Vietnam, and then using normal military procedure when returning would dump their unsafe or unused bombs in the ocean before landing back on the carriers.

毎日、ジェット機は航空母艦から離陸し、北ベトナムや南ベトナムに爆弾を投下する。そして、帰還し空母に着艦する前に危険なものは落とし、或は未使用の爆弾を海に投げ捨て、通常の軍の着艦手順に従う。

Safe ordnance drop zones were designated for this purpose away from the carriers

砲の廃棄安全投下地帯は、この目的の為に航空母艦から離れた位置に示された

Even close-up observers would only notice many small explosions occurring daily in the waters of the South China Sea and thought it was only part of the 'war.'

至近距離の監視者でさえ、毎日南シナ海の海流で起きている多くの小さな爆発に気づき それが『戦争』の一部だけであると思うだけ。

The US Navy carriers had begun Operation Linebacker One, and Standard Oil had begun its ten year oil survey of the seabed off of Vietnam.

米海軍航空母艦はラインバッカー作戦1を開始した、そして、スタンダード・オイルはベトナム沖の海底の10年の油層調査を開始した。

And the Vietnamese, Chinese and everybody else around, including the Americans, were none the wiser

そして、ベトナム人、中国人、そして周囲の他の誰も、アメリカ国民を含み、皆、賢明な方ではなかった。

The oil survey hardly cost Standard Oil a nickel, the US taxpayers paid for it.

スタンダードオイルにとって海底油田調査費用は5セント白銅貨一枚ほどでほとんどかからず、米国納税者は、その調査費用を支払った。

                   ヽ(;▽;)ノ





大歓迎ですよ。次女カテリーナさんの来日。

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Я спрашиваю президента Путина. Пожалуйста, приезжайте в Японию с Катериной Вашего ребенка.

今秋、プーチン大統領は次女『カテリーナ』さんと是非一緒に来日して欲しいものです。カテリーナさんと国境を決めましょう。ヽ(´▽`)/

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1986年生まれ
サンクトペテルブルグ大学 日本史を専攻
日本には4~5度来ていたようです。



プーチン大統領、安倍首相との会談に意欲 北方領土巡り
サンクトペテルブルク=駒木明義2015年6月20日

ロシアのプーチン大統領は20日未明、サンクトペテルブルクで世界の主要通信社の代表らと会見。北方領土問題について「どんな問題でも解決することは可能だ。そのためには対話が必要だ」と述べ、安倍晋三首相との会談に意欲を示した。会見に出席した共同通信の報道をロシアのタス通信が伝えた。

 北方領土問題についてプーチン氏は「ロシアだけでは何もすることができない。日本側からの行動を待っている」と述べ、日本側からなんらかの打開案を示す必要があるという考えを示唆。

さらに「ロシアと日本の関係が冷え込んでいる責任は日本にある」とも指摘した。ウクライナ問題を機に日本が対ロ制裁に踏み切ったことへの批判だ。(以下省略)

秘密のベールに包まれたプーチンの娘を追え!
Kremlin Critic Says Putin's Daughter Gets Plum Job at University
名門モスクワ大学であり得ないほど数々の特権を享受する28歳の女性が怪しい、と反体制派は言う
2015年7月22日ダミアン・シャルコフ




●南シナ海は、国際金融資本の外交問題評議会(CFR)のシナリオ通りの展開。

NEWS WEEK
フィリピン、中国との領有権争いの切り札は
Philippines to Revive Former US Naval Base Near South China Sea

南シナ海に面した要衝、スービック湾にある元米軍基地の利用再開を急ぐ 2015年7月31日(金)

 フィリピンが来年早々にも、スービック湾にある旧米海軍基地の再利用を開始する。

7月中旬、フィリピン国防省のピーター・ガルベス報道官は、スービック湾にフィリピン軍の戦闘機と艦艇を配備すると発表。米国外で最大級だった米海軍基地が92年に返還されて以来、初となる基地利用の再開だ。

 スービック湾への配備は、間違いなくフィリピン軍の存在感を高めることになる。スービック湾は領有権問題に揺れる南シナ海に面し、フィリピンが中国と領有権を争うスカボロー礁からは270キロほどの距離だ。

 スカボロー礁をめぐってフィリピンは13年、オランダ・ハーグにある仲裁裁判所に提訴。国連海洋法条約に基づく仲裁を求める一方で、軍事力強化も進めている。その一環として、米軍にスービック湾の再度の利用を認めることもありそうだ。

 米軍は00年から、スービック湾への艦船の定期寄港を再開しているが、目的は修理や補給に限られている。昨年署名された両国間の新軍事協定に基づき、今後は米軍による利用が大幅に拡大される可能性があると、フィリピン国防省の幹部はロイターの記事で語っている(新軍事協定は憲法違反だとの訴えを受け、現在最高裁で審理中)。

 大切なのは計画を確実に、そして早期に実行できるかだ。スービック湾の基地利用再開は、「アジア最弱」と言われるフィリピン軍の現代化を急務とする政府にとって強い味方になる。それでも、中国をはじめとする近隣国の軍事力に追い付くには、長い時間がかかるだろう。

 タイミングも重要だ。中国は南シナ海での人工島建設を「完成」させており、仲裁裁判所による手続きを拒否している。

中国が軍事力にものをいわせてフィリピンを脅かしている事実も考えれば、中国が自国に都合のいい方向へ、現状を急変更しようとしているのは明らかだ。

 フィリピンには、ぼやぼやしている暇はない。

[2015年8月 4日号掲載]



メディアが伝えない大東亜戦争①

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8月15日終戦の日が近づいたから、日本のマスメディアは外国のプロパガンダ(政治的宣伝)の如く、戦争番組を組み、ニセの情報をがなり立てている。



日本の侵略戦争を打ち砕くために米国ルーズベルト大統領が画策し、ABCD包囲網で日本への石油や鉄などのストップし、地下資源の無い日本を窮鼠のように追い込んだことに端を発したように報道されているが、果たしてそうであったろうか。

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(※)「ABCD」とは、制限を行っていたアメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)と、対戦国であった中華民国(China)の頭文字を並べたもの



大ざっぱに述べると、

日本では共産主義の近衛文麿首相が、日本軍による中華民国内部の共産主義勢力の破滅を防ぐためにソ連と画策し、日本と米国とが戦争せざるを得ない状況にしてから首相を退任し、後任の首相となる貧乏くじは東条英機が引いた。

(注)近衛文麿は、息子をソ連に留学させていた。

他方、ルーズベルト大統領も共産主義であり、米国政府内部には約300人のソ連スパイが要職を占めていた。

大東亜戦争開戦(1941年)の数年前から、ルーズベルトは中華民国軍に戦闘機や爆撃機などを与え、日本を空爆させるが、中華民国空軍の操縦技術の未熟さで日本空軍に撃墜される。

そこでルーズベルトは、米軍パイロットを現役復帰を条件に一時的に退役させ、高給で義勇兵として雇用し、中華民国空軍として日本空軍と交戦させていた。

これが大東亜戦争の始まる一年前の状況で、日本と米国は既に戦争状態にあったのである。

戦争をしないことを掲げて大統領に当選したルーズベルトは、何としても米国が日本に戦闘を挑まれ、やむを得なく日本と開戦するという口実が必要であった。

そこで白羽の矢が立ったのが日本帝国海軍山本五十六であった。
彼はかって米国に留学しており、米国に心服していた。

故に、日本の情報は悉く山本五十六配下の帝国海軍経由でルーズベルト大統領に入っていた。

真珠湾奇襲作戦は、そもそも米国が考えたもので、日本軍にとって真珠湾を攻撃する価値はそれほどでも無いものであった。

ルーズベルトと山本五十六の事前打ち合わせ通り、真珠湾には空母などはいなく、老朽化した軍艦などしか駐留していなかった。

更に、真珠湾攻撃の時の第二波は、燃料タンクと戦艦などの補修基地などへの攻撃であったが突如禁止された。

燃料タンクを爆破したなら、米海軍は半年以上身動き出来なかったのであり、この爆破の方が遥かに価値があったのである。

更に、真珠湾はそもそもが浅瀬。日本軍が撃沈した軍艦などは、簡単に引き上げ、無傷の補修基地で修復し、改めて出航・参戦している。


以下は、日本のマスメディアが報道しない大東亜戦争の証言。


ルーズベルト大統領への提言。

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アルフレッド・マハン

西ヨーロッパと極東地域にアメリカに対抗できる勢力を絶対に許さない
即ち、我々は、ドイツと日本の台頭を、決して容認してはならない。



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チャーチル英首相は、米国がナチスとの戦い(第二次世界大戦)に参戦するよう要請するも、ルーズベルトは口実が無いので参戦できないが、日本との交戦が始まったら、第二次世界大戦に参戦できる旨伝える。

ルーズベルト 「いかにしたら日本が先に米国に攻撃を仕掛けるかを、今、思案しているところです」




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真珠湾攻撃前夜のルーズベルト 
 
「明日、戦争が始まる」
「私は戦争を遂行するが、宣戦布告はしない」




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ハーバート・フーヴァー

「真珠湾は、アメリカがドイツと戦争をするために危狂い男(F・ルーズベルト大統領)が企てた陰謀だった」




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ハミルトン・フィッシュ

「アメリカ人は私が発見したこの事実をを知ったら、ショックを受けるだろう」

「ハルノートを書いたハリー・デクスター・ホワイトは、ソビエトのスパイだった」

「こんな挑発的な通告が、必死に和平交渉を求める日本に送られていたことを、米国議会の誰もが知らなかった。外交評議委員であった私にでさえ知らされていなかったのである。」

「このハルノートにより、日本は戦うか、餓死するかの選択を迫られたのだ」




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ダグラス・マッカーサー元帥

(日本には)石油がない、錫がない、綿がない、ゴムもない。その供給を全て絶たれたら、どんな小国でも戦争を決断する。

日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。 それ故に、日本が第二次世界大戦(大東亜戦争の誤り)に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。

☆☆☆

(※)私のブログ記事

自虐史観からの脱却 2014/8/4(月)
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/62755986.html

マッカーサーの証言の全文と原文を掲載しています。


米国戦略爆撃調査団

日本の指導部が、国家の存亡に関わる利益の為にと固く信じて、(今次の)戦争を始めた事は明らかである。

これに対して、アメリカ合衆国は、単に自分達の経済的優位と主義主張を押し付けようとしたのであって、国家の存亡に関わる安全保障の為に戦ったのでは無いと、アメリカ合衆国人は信じていた。

米国戦略爆撃調査団団長ニッツからトルーマン米国大統領に提出された報告書、1946年7月




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チャールズ・ウイロビー

「東京裁判は史上最悪の偽善だ。」
「もし米国が同じ立場だったら日本と同じように戦っただろう」
「日本は自存自衛のために戦ったのだ。」



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ルイス・マウントパッテン伯爵




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シャルル・ド・ゴール


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オーウェン・ラティモア



アーノルド・トインビー

「アジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうでなかったことを、人類の面前で証明した。


これはまさに歴史的な偉業であった。…日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったのである。」(英オブザーバー紙、1956年10月28日)



(※)上記画像並びに記事の抜粋先
日本の大東亜戦争
【日本に誇りを】大東亜戦争(太平洋戦争)の名言



このユーチューブもご覧下さい。




                       つづく

ヒトラーはイスラエル建国の貢献者

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私のブログ記事「広島・長崎に投下された原爆の秘密① 2014/8/18(月)」の序文を加筆修正しました。


 以下、修正の序文を掲載します。            


『ベラスコの告白 広島原爆はナチス製だった』 
── 高橋レポート ──
 
このレポートを理解するためには、シオニスト(シオニズム)を理解する必要があります。先ずはそれに関することから書いていこうと思います。
 
(※)シオニストとは世界各地に散らばったユダヤ系の人々が「約束の地」(今のイスラエル)に帰還、及びユダヤ国家を再建しようとする運動する人達の事。



●生前、ハビブ・シーバーは次のように語ったという。

「反ユダヤなどというものは、この世界のどこにもない。反ユダヤはシオニストたちが自分たちの都合のためにつくり出す騒ぎなのである。」

「私たち民族の弱点は調子に乗ってやりすぎることである。自分の力を過信する。そして振り返ったとき、すでに味方する者はなく敵ばかりとなる。やりすぎることが滅びの前兆なのである。いつも私はこのことを心配している。」

                  ☆

(例)日本では全く同じ手法で、結果、『ヘイトスピーチ』禁止法案が審議される。
実は、『ヘイトスピーチ』と称する輩の大半は、右翼や暴力団と同じく、在日コリアンや帰化人で、自分たちに有利な差別されている状況を作り出すために『自ら朝鮮人を日本から追い出せと騒いでいる』のである。

2015年8月3日(月)
<人種差別>禁止法案、審議へ 「ヘイトスピーチ」受けて
◇野党が議員提案 4日からに参議院で



◆◆◆ 私のかってのブログ記事 ◆◆◆

●戯曲『ヴェニスの商人』とTPP  2013/3/22(金)

不思議なことに、当初、この戯曲をユダヤ人を狡猾と看做し卑下した差別的なものと思っていましたが、そう考えると、何故に継続して上演されてきたのか?

彼等の富と政治力からすると、この戯曲の上演を禁止することぐらい朝飯前ではないか? それが映画にもなっている。では一体何故?


●捏造された歴史を叫び続ける醜態  2012/1/18(水)

第二次世界大戦はユダヤ人国家『イスラエル』(1948年独立宣言)を創るための茶番劇だったので、それを隠すために歴史が捏造された。
 改めて言いますと「ナチスによるユダヤ人600万人大虐殺はなかった!」が正解。

●「アンネの日記」はおっちゃんが書いた小説  2012/1/20(金)

「アンネの日記」は少女アンネ・フランクが書いたものではなく、ユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン(男性)がアンネ、又はアメリカの少女の誰かの日記を参考にし、捏造して創作した小説。
 
依頼者は、アンネの父、ユダヤ系ドイツ人、オットー・ハインリヒ・フランク。小説だから当然内容もフィクションで実際には無かったのです。

ガス室の多くは戦後にわざわざ公に見せるために建設されたものでポーランド政府もこの事を認めています。




◆◆◆ ヒトラーはユダヤ・ロスチャイルド卿の孫 ◆◆◆
(※)英国王室はゴールドスミスの血であり、ロスチャイルドの血。

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●ヒトラーがドイツの権力の座についた理由、そして第二次世界大戦の本当の目的は、⇒

⇒ ユダヤ人が彼らの祖国であるパレスチナに帰るように追放し、ユダヤ国家(イスラエル)の建設(シオニズム運動)に必要な国民を集めることにあった。
 
◇◇◇

(※)1929年と1931年にヒトラーのナチ党の前身「ドイツ社会労働党」は、アメリカの国際資本家グループから、それぞれ1000万、1300万の米ドル献金を受けている。

これらナチスに献金した国際金融資本とは、アヴェレル・ハリマン、プレスコット・ブッシュ、J・P・モルガン、ウォーバーグ兄弟、シュローダー兄弟など、ウォール街とシティの国際銀行家達。また国際決済銀行もナチスの財源確保に加担した。

ナチ党が主導権を握った1933年には700万米ドルの献金を同一グループから受けていた(UPI報道)こともあるという。

アメリカにかぎらずドイツ国内や英国、フランス、オランダなどの国際資本家グループの資金もいったんナチ党の金庫に収納された。

(※)J・F・ケネディの父親もナチ党に献金した。

(※)ブッシュ閥がナチ党に化学製品を売り込んで莫大な利益をあげたように、国際金融資本グループは、献金の何倍もの利益をあげた。

(※)創設当初のナチ党に100万マルク支援した2人のユダヤ人、オッペンハイマーとウォーバーグたちは、ナチ党崩壊と同時に西ドイツ政府から賠償金20億ドルを逆払いさせている。

◇◇◇

その目的のために、700万人以上のドイツ人が殺されました。この数はユダヤ人やポーランド人の死亡数どころではありません。

ヒトラーはユダヤ人絶滅命令を一回として出してはいないのです。彼が部下に命じたのはユダヤ人をドイツから追放することのみです。

もう一度言うなら、

『ヒトラーに殺されたのはユダヤ人等ではなく、ドイツ人である』。

『イスラエル国家建国のためには国民が必要であり、その国民要員としてユダヤ人を集め収容したが、多くの人が栄養失調とペストで死んだ』

★★★

ヒトラーはユダヤ問題解決のため、アメリカやイギリスと極秘のうちに話し合いを進めていました。
 
(※)その時の連絡係を果たしたのがアイヒマン。役目上彼は国際ユダヤ組織のトップたちと何度となく話し合っている。そして彼らの考えを克明に記録に残した。

ワイツマンはユダヤ人たちが迫害され、あるいは殺されることによってそれがイスラエル建国のバネとなり、また戦争後のユダヤ人たちが世界にアピールしていくときのバネになると、彼ははっきり答えています。

ヒトラーの犠牲になった大半はドイツ人だが、一部犠牲になったユダヤ人のほとんどはシオニストではありませんでした。特にポーランドのユダヤ人の場合、大多数がシオニズムと縁を切っていました。

このシオニストではないポーランドのユダヤ人は、ユダヤ人の悲劇を演じるために殺されたのです。

多くのユダヤ人が殺されれば殺されるほど、全世界の同情はユダヤ人に集まり、シオニストによるユダヤ国家建設が正当化されたのです。

自分たちの目的達成のためには同胞さえも見捨てる。それがシオニスト・ユダヤ人たちの本性だったのです。

(※)『アンネの日記』は世界の同情をかうために、事実を歪曲して創作されたものです。

(※)イスラエルの国の建国を目指すユダヤ人(シオニスト)は、積極的にナチスに協力しました。

シオニストの目的は、あくまで「シオンの地」パレスチナでの国家建設にあり(「シオニズムはすべてに優先する」)、結果として彼らは、1878年以来、ロスチャイルド家が土地買収を続けてきたパレスチナに、ユダヤ国家を建設することに成功したのです。

 (※)1939年 第二次世界大戦勃発。
 
ナチスドイツはソ連と不可侵条約、翌年にはドイツ・ソ連通商協定を結び、ヒトラーは「賎しいユダヤ人」「呪うべき共産主義者」と攻撃していたはずの共産主義ソ連と手を組んで、石油・貴金属・穀物の供給を受けた。

(注)ヒトラーが呪うべきと共産主義者を攻撃したのは、共産主義とは、市民の奴隷化であり家畜化であるという理由からでもあった。

 
ドイツは日本と同じで石油が出ないので、ドイツに戦争をやめさせたければ石油の供給を止めればよいのである。

しかし、ドイツにソ連のバクー油田から石油を供給したのみならず資金を提供し戦争を継続させたのは、ロスチャイルド=ノーベル財閥の石油会社シェル(敵国である英国籍)であった。

(※)ユダヤ人定義
ナチス時代は簡単に言えば、祖父母のうち一人でもユダヤ人ならユダヤ人。イスラエルの現在採用しているユダヤ人定義は『母親がユダヤ人か、あるいはユダヤ教徒』。

開戦から9ヶ月後、1940年6月7日に、ナチス政府は次のように公表した。「ソ連とルーマニアからの大量の石油輸入によって、わが国のガソリンは確保されているのである!」

この石油を運んだのが、ほかならぬイギリス・ロスチャイルドの会社「シェル」であった。

5月23日、ヒトラーがロシア油田の共同開発をソ連に申し入れた時、今度は、盟友であるはずのスターリンが拒否する態度に出たのである。

ソ連はドイツにバクーなどの石油を輸出するどころか、いまや国内の石油が不足しはじめ、11月にはモロトフがヒトラーに中東の石油を要求するほど事態は深刻になっていた。

ロシア国内は石油不足で この時点では、すでに両人とも相手がどれほど危険な人物であるかに気づいていた。独裁者と独裁者の対決が、こうして石油取り引きのために決定的な事態を迎えた。

それからわずか1ヶ月後、ドイツ軍がロシアに侵入する姿を、全世界は目にすることになった──バルバロッサ作戦。石油は魔物である。



●ここで、英国首相のチャーチルについて詳細はさておいて、チャーチルの要点だけ書いておきます。
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チャーチルはイギリスの軍需産業に火を付け、そのためヒトラーとナチズムを生み出した戦争の挑発者、

特にナチズムに対するドイツ国民の共感を誘発した男、第二次大戦の要因を自らの手で生み出した男、それがチャーチルの過去であった。

そして自分で蒔いた種は、自分で刈り取らねばならなかった。その男の出番が到来したのである。

“チャーチル首相の閨閥”を系図でみると、従兄のチャールズ・チャーチルが、19世紀全米一の富豪で鉄道王ヴァンダービルトの娘と結婚していたため、首相は一文無しのような顔をしながら、一族には金がうなっていた。

従姉リリアン・チャーチルは、イングランド銀行総裁とモルガン・グレンフェル創業者のグレンフェル一族と結婚し、これまたロスチャイルド家とモルガン家という世界二大富豪を掌中にしていた。

チャーチル本人はマルボロ(モルバラ)公爵家に属する最高位の貴族ファミリーで、1953年にガーター勲章を授けられて、サーの称号で呼ばれるようになり、チャーチル夫人は、“レディー”と呼ばれるようになった。

ロスチャイルド家の誠実な代理人で好戦家、これがチャーチルの隠された最大の特質であった。

ロスチャイルド財閥のメンバーとして、この男が首相の座についた瞬間、イギリス国内の反ユダヤ勢力は一掃され、上流社会の動揺は遂に鎮静された。ロスチャイルド財閥は崩壊していなかったのである。

(※)チャーチルがルーズベルト米国大統領に第二次世界大戦への参戦を願い出たことは、今日の初回のブログ記事に書いてあります。



(今日一回目のブログ記事)

メディアが伝えない大東亜戦争①





GHQが恐れた大和心

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戦後日本に上陸したGHQが最も恐れた一つに、日本人の理性と聡明さがある。
16世紀以降、日本に渡来したヨーロッパの宣教師たちや幕末以降渡来した欧米人は口を揃えて日本人を絶賛している。

日本人は表情を顔に出さず然も礼儀正しく正直で忍耐強く誠実であり勤勉である。この国民性は他に類を見ない高度なものだと。

このような日本の国民性を表した具体的なものの中の一つとして幕末のハリスの日記がある。

安政3年(1856)、下田に来航したアメリカの初代駐日公使ハリスは、『日本駐剳日記』に、開国後の日本の姿について、「日本の国民にその器用さと勤勉さを行使することを許しさえすれば、日本はやがて偉大な、強力な国家となるであろう」と記載している。

日本人を恐れたGHQは、日教組を組織させ、自虐史観教育を徹底。
他方、報道規制30項目を発布。
その13番目に「ナショナリズムの宣伝の禁止」がある。

分かり易く言えば、自虐史観教育と同様、「終戦までの日本、並びに大和民族を高評価する内容の報道の禁止」である。

その禁止された内容に、下記の逸話も含むことは当然であった。

下記は、『国際派日本人養成講座』に記載されたものである。

ポーランドと言うと、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原千畝(すぎはら ちうね)が1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)をポーランド系ユダヤ人に発給したことで著名ですが、それ以前に下記のようなことがポーランドとの間にあったのです。



地球史探訪: 大和心とポーランド魂
        
20世紀初頭、765名の孤児をシベリアから救出 した日本の恩をポーランド人は今も忘れない
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■1.ポーランドからのメッセージ■

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平成11年8月に、ポーランドから「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合唱団」が来日した。合唱団はヘンリク・サドスキさん(88)からの次のようなメッセージを携えてきた。
    
20世紀の初め、孤児が日本政府によって救われました。

シベリアにいたポーランドの子供は、さまざまな劣悪な条件にありました。その恐ろしいところから日本に連れて行き、その後、祖国に送り届けてくれました。親切にしてく
れたことを忘れません。……(合唱団は)私たちの感謝に満ちた思いを運んでくれるでしょう。日本のみなさん、ありがとう。

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サドスキさんはさらに「一番大事にしている物を皇室に渡して」と救出当時の写真を託した。「孤児収容所を慰問した皇后陛下(貞明皇后)に抱き締めてもらったことが忘れられない」と話したという。
    
20世紀の初めの孤児救出とは、どのような出来事だったのだろうか?
    
■2.せめてこの子供達だけでも生かして祖国に送り届けたい■

シベリアは長い間、祖国独立を夢見て反乱を企てては捕らえられたポーランド愛国者の流刑の地だった。1919年、ポーランドがロシアからようやく独立した頃、ロシア国内は革命、反革命勢力が争う内戦状態にあり、極東地域には政治犯の家族や、混乱を逃れて東に逃避した難民を含めて、十数万人のポーランド人がいたといわれる。
    
その人々は飢餓と疫病の中で、苦しい生活を送っていた。とくに親を失った子供たちは極めて悲惨な状態に置かれていた。せめてこの子供達だけでも生かして祖国に送り届けたいとの願いから、1919年9月ウラジオストク在住のポーランド人によて、「ポーランド救済委員会」が組織された。
    
しかし翌20年春にはポーランドとソビエト・ロシアとの間に戦争が始まり、孤児たちをシベリア鉄道で送り返すことは不可能となった。救済委員会は欧米諸国に援助を求めたが、ことごとく拒否され、窮余の一策として日本政府に援助を要請することを決定した。

■3.日本赤十字社の決断■

救済委員会会長のビエルキエヴィッチ女史は20年6月に来日 し、外務省を訪れてシベリア孤児の惨状を訴えて、援助を懇請した。
    
女史の嘆願は外務省を通じて日本赤十字社にもたらされ、わずか17日後には、シベリア孤児救済が決定された。独立間もないポーランドとは、まだ外交官の交換もしていない事を考えれば、驚くべき即断であった。
    
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日赤の救済活動は、シベリア出兵中の帝国陸軍の支援も得て、決定のわずか2週間後には、56名の孤児第一陣がウラジオストクを発って、敦賀経由で東京に到着した。

それから、翌21年7月まで5回にわたり、孤児375名が来日。さらに22年夏には第2次救済事業として、3回にわけて、390名の児童が来日した。
    
合計765名に及ぶポーランド孤児たちは、日本で病気治療や休養した後、第一次はアメリカ経由で、第2次は日本船により直接祖国ポーランドに送り返された。

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習慣や言葉が違う孤児たちを世話するには、ポーランド人の付添人をつけのがよいと考え、日赤は孤児10名に1人の割合で合計65人のポーランド人の大人を一緒に招くという手厚い配慮までしている。

■4.手厚い保護■

日本に到着したポーランド孤児たちは、日赤の手厚い保護を受けた。孤児たちの回想では、特に印象に残っていることとして以下を挙げている。
    
ウラジオストックから敦賀に到着すると、衣服はすべて熱湯消毒されたこと、支給された浴衣の袖に飴や菓子類をたっぷ入れて貰って感激したこと、特別に痩せていた女の子は、日本人の医者が心配して、毎日一錠飲むようにと特別に栄養剤をくれたが、大変おいしかったので一晩で仲間に全部食べられてしまって悔しかったこと、、、

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到着したポーランド孤児たちは、日本国民の多大な関心と同情を集めた。無料で歯科治療や理髪を申し出る人たち、学生音楽会は慰問に訪れ、仏教婦人会や慈善協会は子供達を慰安会に招待。慰問品を持ち寄る人々、寄贈金を申し出る人々は、後を絶たなかった。
    
腸チフスにかかっていた子供を必死に看病していた日本の若い看護婦は、病の伝染から殉職している。
    
1921(大正10)年4月6日には、赤十字活動を熱心に後援されてきた貞明皇后(大正天皇のお后)も日赤本社病院で孤児たちを親しく接見され、その中で最も可憐な3歳の女の子、ギエノヴェファ・ボグダノヴィッチをお傍に召されて、その頭を幾度も撫でながら、健やかに育つように、と話された。

■5.「アリガトウ」と「君が代」斉唱■

このような手厚い保護により、到着時には顔面蒼白で見るも哀れに痩せこけていたシベリア孤児たちは、急速に元気を取り戻した。

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日本出発前には各自に洋服が新調され、さらに航海中の寒さも考慮されて毛糸のチョッキが支給された。この時も多くの人々が、衣類やおもちゃの贈り物をした。
    
横浜港から、祖国へ向けて出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、乗船することを泣いて嫌がった。埠頭の孤児たちは、「アリガトウ」を繰り返し、「君が代」を斉唱して、幼い感謝の気持ちを表した。
    
神戸港からの出発も同様で、児童一人ひとりにバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送りの人たちは子供たちの幸せを祈りながら、涙ながらに船が見えなくなるまで手を振っていた。
    
子どもたちを故国に送り届けた日本船の船長は、毎晩、ベッドを見て回り、1人ひとり毛布を首まで掛けては、子供たちの頭を撫でて、熱が出ていないかどうかを確かめていたという。その手の温かさを忘れない、と一人の孤児は回想している。

■7.日本大使館が庇護したレジスタンス活動■

1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻の報に接するや、イエジ青年は、極東青年会幹部を緊急招集し、レジスタンス運動参加を決定した。イエジ会長の名から、この部隊はイエジキ部隊と愛称された。
    
そして本来のシベリア孤児のほか、彼らが面倒を見てきた孤児たち、さらには今回の戦禍で親を失った戦災孤児たちも参加し、やがて1万数千名を数える大きな組織に膨れあがった。
    
ワルシャワでの地下レジスタンス運動が激しくなるにつれ、イエジキ部隊にもナチス当局の監視の目が光り始めた。イエジキ部隊が、隠れみのとして使っていた孤児院に、ある時、多数のドイツ兵が押し入り強制捜査を始めた。
    
急報を受けて駆けつけた日本大使館の書記官は、この孤児院は日本帝国大使館が保護していることを強調し、孤児院院長を兼ねていたイエジ部隊長に向かって、「君たちこのドイツ人たちに、日本の歌を聞かせてやってくれないか」と頼んだ。
    
イエジたちが、日本語で「君が代」や「愛国行進曲」などを大合唱すると、ドイツ兵たちは呆気にとられ、「大変失礼しました」といって直ちに引き上げた。
    
当時日本とドイツは三国同盟下にあり、ナチスといえども日本大使館には一目も二目も置かざるを得ない。日本大使館は、この三国同盟を最大限に活用して、イエジキ部隊を幾度となく庇護したのである。

■8.長年の感謝の気持ちをお伝えできれば■

95年10月、兵藤長雄ポーランド大使は、8名の孤児を公邸に招待した。皆80歳以上の高齢で、一人のご婦人は体の衰弱が激しく、お孫さんに付き添われてやっとのことで公邸にたどりついた。
    
私は生きている間にもう一度日本に行くことが生涯の夢でした。そして日本の方々に直接お礼を言いたかった。しかしもうそれは叶えられません。
        
しかし、大使から公邸にお招きいただいたと聞いたとき、這ってでも、伺いたいと思いました。何故って、ここは小さな日本の領土だって聞きましたもの。今日、日本の方に
私の長年の感謝の気持ちをお伝えできれば、もう思い残すことはありません。
        
と、その老婦人は感涙に咽んだ。孤児たちは70年前以上の日本での出来事をよく覚えていて、別の一人は、日本の絵はがきを貼ったアルバムと、見知らぬ日本人から送られた扇を、今まで肌身離さずに持っていた、と大使に見せた。
    
同様に離日時に送られた布地の帽子、聖母マリア像の描かれたお守り札など、それぞれが大切な宝物としているものを見せあった。

■9.われわれは何時までも恩を忘れない国民である■

シベリア孤児救済の話は、ポーランド国内ではかなり広く紹介され、政府や関係者からたくさんの感謝状が届けられている。そのひとつ、極東委員会の当時の副会長ヤクブケヴィッチ氏は、「ポーランド国民の感激、われらは日本の恩を忘れない」と題した礼状の中で次のように述べている。
    
日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。しかも、わが不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。・・・
        
われわれの児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までもとってポーランドの子供たちに与えようとした。こんなことは一度や二度ではない。しばしばあった。・・・
        

ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、われわれは何時までも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。日本人がポーランドの児童のために尽くしてくれたことは、ポーランドはもとより米国でも広く知られている。・・・
        
ここに、ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、最も深い感銘、最も深い感恩、最も温かき友情、愛情を持っていることを伝えしたい。
        
■10.大和心とポーランド魂■

「何時までも恩を忘れない国民である」との言葉は、阪神大震災の後に、実証された。96年夏に被災児30名がポーランドに招かれ、3週間、各地で歓待を受けた。
    
世話をした一人のポーランド夫人が語った所では、一人の男の子が片時もリュックを背から離さないのを見て、理由を聞くと、震災で一瞬のうちに親も兄弟も亡くし、家も丸焼けになってしまったという。焼け跡から見つかった家族の遺品をリュックにつめ、片時も手放さないのだと知った時には、この婦人は不憫で涙が止まらなかった、という。
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震災孤児が帰国するお別れパーティには、4名のシベリア孤児が出席した。歩行もままならない高齢者ばかりであるが、「75年前の自分たちを思い出させる可哀想な日本の子どもたちがポーランドに来たからには、是非、彼らにシベリア孤児救済の話を聞かせたい」と無理をおして、やってこられた。
    
4名のシベリア孤児が涙ながらに薔薇の花を、震災孤児一人一人に手渡した時には、会場は万雷の拍手に包まれた。75年前の我々の父祖が「地球の反対側」から来たシベリア孤児たちを慈しんだ大和心に、恩を決して忘れないポーランド魂がお返しをしたのである。



(※)この実話は両国共同で映画化された
『ワルシャワの秋』

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(画像借用先)
○ 和気藹々 ほっとひといきブログ
シベリアのポーランド孤児765名の救出(日本人なら知っておくべき実話)
○ 道徳「大和心とポーランド魂」2-(6)感謝の心
「大和心とポーランド魂~恩を忘れない」国際社会の友情
○ 日本はどんなによい国か7 ポーランドとの秘められた関係7


日本の近代史とは 目次(1)

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日本の近代史とは 目次(1)
〈期間 2011/12/3 ~ 2013/12/3〉



愛される日本人①報道されないイラクの自衛隊 2011/12/3(土)
○ 大東亜戦争(太平洋戦争)で日本は広島・長崎に原爆二発落とされ敗戦。インドから祖国に引き上げる日本兵の安全と無事を祈るインドの歌。
○ イラクから引き上げる自衛隊に引き上げずに駐留するように要請するイラク原住民の感謝デモ隊。


反日洗脳番組を放映するNHKは何処の国の放送局なのか? 
2011/12/4(日) 
またまた繰り返されるNHKの反日洗脳番組。
かって台湾で日本軍は大量虐殺をした故に反日だらけと放映したNHK。今回も、東南アジアでは、日本軍の虐殺行為により反日だらけと放映している。

日本の台湾統治が「NHKスペシャル」で描かれたようなひどいものであったならば、台湾映画「海角七号」がこんなにも台湾の人たちに受け入れられるわけがない。台湾の老人が、「NHKの後ろには中共がついているんだろう」と一喝。


今日こそ改めて見直さなければならないこと 2011/12/23(金) 
東京裁判で絞首刑になったのは七名であるが、内、六名は帝国陸軍であり、残る一名は政治家であった。米国と通じて帝国海軍を殲滅させた山本五十六を代表とする帝国海軍の絞首刑者は一人もいない。


私達が知らなければならない日本の近代史 2011/12/26(月) 
ヘレン・ミアーズ著 『アメリカの鏡・日本』
大東亜戦争(太平洋戦争)は植民地解放と人種差別撤廃に貢献した。


外国人が撮った明治時代の日本の写真 2012/6/10(日) 


米国のポチと池の赤い鯉との違い 2012/6/13(水) 
日本国憲法とは、ドイツのワイマール憲法のイデオロギーをコピーしたもの。ワイマール憲法を作ったのは、ドイツ国内のユダヤ人ブロイス達。

ワイマール憲法の最大の目的はユダヤ人にとって自己の中世以来の差別を撤廃し、平等権を確立することであった。ドイツでは、その目的を達したのでとっくにワイマール憲法を捨てたが、日本は「憲法の理想」にはまってしまった。


世界から絶賛された武士道を再認識 2012/9/13(木) 
第一次世界大戦でのドイツ捕虜との実話です。
武士の情け、捕虜を人道的に扱った松江豊寿(第一次世界大戦)


『誓いのコイン』で知る日本の心 2012/9/23(日)
堀之内公園整備工事の最中に採取された残土から1枚の帝政ロシア時代の金貨が発見さた。時のロシア皇帝・ニコライ2世の肖像が刻印されたそのコインには、片仮名で2人の人物名が彫られていた。1人はロシア名で、「コステンコ・ミハイル」。もう1人は日本名「タケバナカ」。赤十字の看護婦。

子供達に読み聞かせたいポーランドからのメッセ-ジ(1) 2012/9/27(木) 

子供達に読み聞かせたいポーランドからのメッセ-ジ(2) 2012/9/27(木) 


鳴霞(めいか)女史から学ぶ近代史 2012/11/3(土)
当時使用した中国の中学・高校の歴史教科書には「南京大虐殺」などの記述は一切無い。

1984年頃から朝日新聞の旧日本軍「南京大虐殺」の大々的に報道の教典とされた英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員ティンパーリの「戦争とは何かー1938年ーが国民党の宣伝文書で嘘であったことが国民党の公式史料で判明。

朝日新聞の記事は祖父母から聞かされた日本軍と全く異なる。朝日はむしろ「人民日報」より反日的。


『日本植民地化の序 明治維新』 2013/3/17(日) 
無一文の坂本龍馬、伊藤博文、陸奥宗光。操っていたのはロスチャイルド・フリーメーソン一味。グラバー、フルベッキ、アーネスト・サトウ。明治維新の本質はイギリス貴族による日本支配だった。今、これから起きる政変も彼らの長期作戦の一部だ。


夏目漱石の言う明治維新 2013/4/2(火) 
『天皇破壊史』太田龍著
なぜ天皇が殺されたのか。神国日本に襲いかかる外来勢力、巨大謀略の暗黒史。戦後教科書によって「真実の歴史」を奪い取られ、西洋社会が「従順、勤勉、管理しやすい民族」と嘲笑する「日本人」に覚醒をうながす全十二章。

『明治維新の極秘計画:』「堀川政略」と「ウラ天皇」 著者 落合莞爾
隠しきれなくなった歴史の真実――明治天皇すり替え説、決定版


日露戦争とロスチャイルド 2013/4/2(火) 
日露戦争はロスチャイルド家が日本に戦費を貸し付け、自分たちの会社の武器を買わせ、ロシアと戦わせ、ロシアを叩いた上で日本からも巨額の利子を取り上げるという構図。

注)開戦時には外貨準備高が僅か5000万円しかなかった。この戦争で日本の戦死者9万人、戦費国家予算の6年分以上の18・3億円。


古代イスラエル人と日本人 2013/4/21(日) 
京都市右京区の地名・『太秦(うずまさ)』の意味は『光の賜物』。伏見のお稲荷さんは、秦氏(古代イスラエル人)の建てたもの。赤穂の製塩技術や雅楽も秦氏が伝えたもの。日本の古式は古代イスラエル人が持ち込んだ。


昭和初期、娘が売られた時代の記録 2013/6/18(火) 
昭和の初めと戦後の秋田県の状況の記録です。
冷夏の年は悲惨なものでした。


大東亜戦争時代の学童疎開 2013/6/20(木) 
ユーチューブ
『絵物語・学童疎開〜うちに帰りたい!〜 』


辛かったことを話せない理由 2013/6/28(金) 
確か私が九歳の時、人影の無い山の神社の軒下の板の間に、兵隊上がりの痩せた農家の男二人がいつも放心したように腰掛けていていました。私たちは、彼らに戦争中の話を聞かせてとお願いしました。一度目は、南方のジャングルでの戦いの苦しさについてでした。二度目は・・・


歪められた日本をただすべき 2013/8/6(火) 
「ダグラス・マッカーサー証言」の議事録と訳文
マッカーサーは、資源の無い日本は、米国により資源を遮断されが故に、日本国を維持するための自衛の戦争であったと証言しています。


洗脳された自虐史観からの脱却 2013/8/10(土) 
 『アムステルダムの光芒』
あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。

あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救いだす、人類最高の良いことをしたのです。本当は私たち白人が悪いのです。100年も200年も前から、競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。


戦前~戦後、スパイだらけの日本 2013/8/12(月)
戦前・戦中、ソ連のスパイが、日本政府とアメリカ政府の要職に就き、実質的にそれぞれの国を動かしていた。日本での代表例は、大東亜戦争(太平洋戦争)直前までの共産主義近衛内閣(1937年6月~1941年10月)のブレーンだった尾崎秀実はソ連のスパイ。

他方、アメリカでは、当時のアメリカ政府の要職に、ソ連のスパイが200人もおり、その代表的なスパイが、ハルノートで有名な国務長官ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)。

冷戦時代の日本についての報告書は1982年12月に作成されており、共産圏のスパイ人数について「ソ連100人、その他の国60人、中国60人」と記述。「政党では社会党が東側の情報活動の主な標的(スパイ)」「日本社会では欧米のような機密保持の概念がほとんどない」とも指摘していた。


政治はスパイに主導権有り! 2013/8/30(金)
ソビエト連邦成立とほぼ同時期にソ連主導で成立した国際共産主義連合、それがコミンテルンである。コミンテルンは共産主義の世界的流布と共産主義国家の大国化を目指した組織である。別名第三インターナショナル。

コミンテルンが日本・アメリカ・ドイツ・イギリス・中国などといった第2次世界大戦の主要参戦国に大量のスパイを送り込み、これらの国の政治を裏で操作し、第2次世界大戦へと誘導したのである。

盧溝橋で始まる日中戦争(支那事変)は、コミンテルンのスパイが中国国民党の弱体化を狙い起こしたもの。、、真珠湾攻撃は共産主義者のルーズベルト大統領の陰謀であるが、実は、コミンテルンこそが黒幕だったのだ。


イギリス人が感銘した武士道 2013/11/17(日) 

自虐史観に洗脳された者達にとって、嫌悪する言葉『武士道精神』とは?下記は世界が絶賛する『武士道精神』の一つの実例です。

『My Lucky Life: In War, Revolution, Peace and Diplomacy 』Sir Roger Carrick and Sam Falle (1996)

『私の幸運な人生:戦争、革命、平和および外交で』
『敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』 


日本国民よ目覚めよ!とアジア諸国は言う 2013/12/3(火)
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/62292939.html

『私達が知らなければならない日本の近代史』 2011.12.26
ヘレン・ミアーズ著 『アメリカの鏡・日本』
大東亜戦争(太平洋戦争)は植民地解放と人種差別撤廃に貢献した。

太平洋憲章によれば、大東亜共栄圏の目的は西洋の支配から自由を勝ちとり、世界の平和と繁栄のため、文化、経済の両面での発展を図るというものだった。

日本に協カしたのは、ほとんどの場合、それぞれの国を代表する人たちだった。彼らは(ナチスの協力者とは違って)、対日協力の動機は純粋に愛国心であると胸を張っていえた。なぜなら、戦争は日本と現地政府の間ではなく、日本とヨーロッパの異民族支配者の問で戦われていたからである。

『かつて侵略されたアジアの国々が日本の再軍備を歓迎することは意外―英紙』
Record China 11月30日(土)11時42分配信

2013年11月29日、環球時報(電子版)によると、英紙フィナンシャル・タイムズは、かつて日本に侵略された歴史を持つアジアの多くの国が日本の再軍備を歓迎していることは意外であると伝えた。

フィナンシャル・タイムズ・アジア版のデビッド・ピリング編集長は、フィリピンやインドネシアなどの日本の再軍備に対する態度は意外だと話す。

フィリピンのアルバート・デルロサリオ外相はかつて「フィリピンは日本が平和憲法を改正し、再軍備することを歓迎する」と表明したという。

また、インドネシアの外相も同様の態度を示したと指摘している。(以下省略)

今もインドで歌われる日本兵を讃える歌』
広島に原爆を落とされ、インドから撤退する日本軍の無事を祈る歌。

日本の兵隊さんは本当に素晴らしかった」

 『日本とパラオ ~歴史を越えた友情~』





ノーテンキな我らに戦後は続いている

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戦後以降、下記の『GHQが定めた30項目の報道規制』は、もう消滅したかのように見えるが、依然と続いているのが現実であろう。

昨日も今日も下記のような規制をかけられた報道や教育により、何の疑問も抱かず、戦前~戦中の自国日本は悪で米国は正義と洗脳され続けている『ノー天気国民』の次なる呼称は『奴隷国民』しかないのではなかろうか。



GHQが定めた30項目の報道規制

①連合国軍最高司令官もしくは総司令部に対する批判
②極東国際軍事裁判批判 
③GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
④検閲制度への言及
⑤アメリカ合衆国への批判
⑥ロシア(ソ連邦)への批判
⑦英国への批判
⑧朝鮮人への批判
⑨中国への批判
⑩その他連合国への批判 
⑪連合国一般への批判
⑫満州における日本人の取り扱いについての批判 
⑬連合国の戦前の政策に対する批判
⑭第三次世界大戦への言及
⑮冷戦に関する言及
⑯戦争擁護の宣伝
⑰神国日本の宣伝
⑱軍国主義の宣伝
⑲ナショナリズムの宣伝 
⑳大東亜共栄圏の宣伝
㉑その他の宣伝
㉒戦争犯罪人の正当化および擁護
㉓占領軍兵士と日本女性との交渉
㉔闇市の状況
㉕占領軍軍隊に対する批判
㉖飢餓の誇張
㉗暴力と不穏の行動の扇動
㉘虚偽の報道
㉙GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
㉚解禁されていない報道の公表



●以下は、分かり易くまとめて書かれていたzeke skylordの投稿したコメントより一部抜粋。

━━<占領政策の着手>━━

まず前段階として、不都合な日本人を追放し、不都合な情報は全て封殺する必要がありました。

GHQ占領軍のケーディス大佐や占領軍GHQ民間情報教育局(CIE)は、、公職追放令を発し日本の愛国者を追放しました。

そしてプレスコードを告知し、占領軍に都合の悪い情報発信を禁じ、教科書の中身は全て黒塗りにさせ、戦前・全中に発行された愛国的な一般書籍や、アメリカに不都合な書籍は全て全て焚書にしました。

━━<日本の再編成>━━

アメリカGHQ占領軍が真っ先にしたことは、公職追放令を発し愛国者を追放し、そこへ共産党の徳田球一らの政治犯三千人を刑務所から開放し、教育界、公務員、マスコミ業界へと編入させたのです。 

彼らは、共産主義者や社会主義者でした。共産主義者や社会主義者は戦前から存在していましたが、国家転覆を企てるので治安維持法で投獄されていたわけです。

釈放された彼らは燎原の火の如く日本国内に拡散し活動の場を築いていったのです。

━━<再編成の目的は?>━━

日本国民を弱体化させるために用いたのが「捏造の歴史」です。 
いわゆる自虐史観と呼ばれるものです。

日本人に、あらぬ贖罪を背負わせ委縮させ、国家観や愛国心を喪失させるためにです。日本人が再びアメリカに刃向わない様にと。

つまり、「日本軍=侵略=残虐非道」、「アメリカ軍=正義」という国家的な洗脳です。
日本は軍国主義の悪玉、アメリカは民主主義の善玉、というわけです。

普通の日本人なら、GHQ占領軍が直接その様な捏造された自虐史観を世間に広めたら、その真偽を疑います。

そこでGHQ占領軍は、【日本人が日本人を貶める】政策を立案したのです。

つまり、その為に恰好な人材が共産主義者や社会主義者でした。そして日本社会で、彼らを合法化する仕組みを作りました。 それが赤旗の労働組合です。

━━<労働組合>━━

労働組合には、日本自治体労働組合総連合(自治労連または連合)と、全国自治団体労働組合連合(全労連)と2つに大別されます。 

子供でもわかる言い方をすれば、「連合は民主党の系列」で、「全労連は共産党の系列」です。さらに、全国労働組合連絡協議会(全労協)というのもあります、社民党系です。

公務員(警察官・国家Ⅰ種・消防などを除く)になると、大体が自治労もしくは自治労連のいずれかの労働組合に所属しなければなりません。 

各地域の自治体の組合基盤で決まって行きます。地方公務員や国家公務員は労働組合に所属しなければ職場での居場所がなくなります。

思想より職場の居場所を確保するために組合活動に入るというのが正解です。

連合(民主党系)は、産別産業別全国組合(単産)のみを加盟単位として認めているのに対し、全労連(共産党系)は単産に加え都道府県別組合(地方組織)も加盟単位と位置づけています。

この点について、全労連(共産党系)の行動は「産業別と地域の闘いを結合した全国展開の組織構成」です。

自民党→【全日教連】約2万人
民主党・社民党→【連合】役680万人(自治労・自治労連・国交連合・日教組)など。
共産党→【全労連】約119万人(自治労連・全教祖・国交労連)など。
おおむね公務員組合は、左派系が殆どといって良いです。

<教育界>
・日教組は、過激な活動が問題視される民主党や社民党を支持する労働組合。
・全教は、全労連系ですから共産党を支持する労働組合です。
・全日本教職員連盟(全日教連)は、保守系・自民党支持です。

━━<洗脳開始>━━

敗戦国の日本では、日本人を弱体化させる為に、様々なトリックが仕掛けられてきました。洗脳の研究は既に、1922年にイギリスのタヴィストック人間関係研究所で開発に着手されています。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム (War Guilt Information Program)は、その延長線上です。

洗脳はアメリカだけではなく、中国や世界中で利用され第五列として相手側に送り込み、人々を特定の方向へと扇動させてゆく政治手法の一つとして利用されている現実に気付いてください。 日本はその成功例です。

国家観の破壊!

アメリカは戦争に勝つことで物理的に日本を支配することが出来ました、しかし精神的な支配はこれからでした。

つまり、日本が再び興隆してアメリカに刃向わない様にと、日本人の国家観や愛国心を破壊(日本を弱体化)することでした。

アメリカGHQ占領軍が真っ先にしたことは人材確保、共産党の徳田球一らの政治犯三千人を刑務所から開放することでした。

そして占領軍は、アメリカの思惑に沿った日本民主化の名のもとに、盛んに労働運動を奨励したのです。

全国で一番始めに学校の先生の組合を結成したのは京都府でした。日教組のことです。

━━<日教組・高教組>━━

かつて、志賀義雄(日本共産党)は、「革命は教育で達成できる。共産党が教科書を書き、日教組教師が教育すれば数十年後の日本人は皆、共産主義に近づく」と豪語しました。 民主党の輿石東はその流れです。

ちなみに、日教組のシンクタンク(国民教育文化総合研究所)のホームページをみたら、 早寝・早起き・朝ご飯は憲法違反だと書いてあります。 また「日の丸の赤は血の色、白地は骨の色」と生徒に教える日教組・高教組。

・・・こんなキチガイを私達は公金で養い、全てを任せているのです。

アメリカは占領当初は、共産党の活動が盛んになることを歓迎し奨励したのです。 現体制の破壊をし始めるからです。70万人の日教組、これを赤く染めれば。居ながらにして日本は革命できるというわけです。

━━<洗脳教育>━━

占領政策として、ケーディス大佐や占領軍GHQ民間情報教育局(CIE)は、戦時中に国家転覆を企てた政治犯として投獄されていた共産主義者を釈放し、彼らを主軸に編成したのが「日教組の創設の歴史」です。

そしてGHQ占領軍は、赤旗の教職員に地位や利権を与える代わりに、捏造の歴史を国民に植え付ける様に命じたのです。

最高学府である 日本全国の大学にも抜かりなく、コミンテルン教授を配置しました。
※注)・・・コミンテルンとは、各国の革命運動(共産主義)を支援する人々のことです。

それからはまさに燎原の火の様に物凄いスピードで、全都道府県の中に教師の労働組合が次々と結成されてゆきました。その組合の「四分の一は社会党系」、「四分の三は共産党系」でした。

また、赤い思想の定着を一所懸命に手伝ったのが、大学の教授であり文化人でした。コミンテルン教授たちのことです。

中でも特に熱心だった60数名は、日教組のお抱え講師団に雇われ、小中学校の教員の思想教育に全国を飛び回りました。

またそのなかの数人が懸命に考えて作ったのが、「教師の倫理綱領」です。

つまり、「学校教育は共産主義社会をつくるための戦闘員を養成することだ」というのです。これを書いたのは、柳田謙十郎、宗像誠也、宮原誠一、周郷博、清水幾太郎等々と、まあ錚々たる極左の学者達でした。

GHQ占領軍は、こうして徹底的に「日本人弱体化」をしていったのです。 日本人が再び刃向わない様にと。

━━<信頼されるはずの人々>━━

本来ならば信頼されるはずの、学者・教育者・マスコミですが、実は戦後の日本では・・・。

GHQ占領政策により利権や地位を貰う代わりに「日本軍=侵略=残虐非道」という捏造の歴史の論文を書き、教授の地位を築いて来た学者たちは、今になって歴史の真実が明らかになれば、彼らの名誉も立場も利権までもが危うくなるわけです。

今の学会では、日本軍=侵略=残虐非道という結論ありきを前提として論文を書かないと学位が得られない世界です。

御存知ですか? 朝日新聞は中国の新華社と、NHK労組は中国中央電視台CCTVを自社内に招き入れて互いに気脈を通じる仲になり、日本を弑する報道に専念する様になりました。・・・この現実を知らない人々が余りに多すぎます。

彼らの素顔を知らず、彼らが与える情報を鵜呑みにすることは極めて危険です。日本国民の最大の悲劇であり危機とは、占領軍が主導した「捏造の歴史」を学び信じさせられて来たことです。

日本が独立した後も、アメリカの圧力による監視下で、このGHQ占領体制 (国家規模の洗脳教育)は維持されました。

日本弱体化という点で、GHQの占領政策と、赤い思想を受け継ぐ現代の人々の思惑が一致したからです。


              今回はここまで つづく


メディアが伝えない大東亜戦争②自衛戦争

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『メディアが伝えない大東亜戦争①』の続建です。

東京裁判でのコミンテルン(共産主義者)の批判や追求は禁止されていました。それもそうです。米国政府要職には、二百数十名の、更に一般職にも三百数十名のソ連スパイがいたのです。

無論、ルーズベルトも、その後のトルーマンも共産主義者なのです。
世界は、コミンテルンによって動かされていたと言えます。

★★★

今回は、東京裁判でのウィリアム・ローガン弁護人の陳述を掲載する。



(注目)

『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(原題:Mao: The Unknown Story)
ユン・チアン、ジョン・ハリデイ夫妻が2005年-06年に、世界各国でほぼ同時に刊行した毛沢東の伝記。夫婦で10年の歳月をかけ調査した。

内容
毛沢東の出生から死に至るまで当時の社会情勢と共に描いたノンフィクションである。毛について「青年時代に国民党に入党し、共産党に入ってからは卑劣な手を使って党を乗っ取り、アヘンを密売し、長征では軍を壊滅状態に追いやり、抗日戦争にはほとんど参加しようとせず、中国を征服すると7000万人を死に追いやった、自己中心的な良心のない人間だった」と記している。また、随所に従来の通説と異なる主張(「孫文の妻、宋慶齢は共産党のスパイだった」「張作霖爆殺事件はソ連の謀略によるものだった」など)を展開している。

この調査での特記事項

※『張作霖爆破は、スターリンの指示を受けたナウム・エイティンゴンが計画し 日本軍の仕業に見せかけるものだった。』

この裏付けは英国への当時の電報でも明らかである。
この爆破が日本の関東軍の仕業とされたことから、東京裁判では、この事件を日本の侵略戦争の起点としたが、これで日本は侵略戦争でなかったことが証明された。

※『中国共産党の秘密党員であった張治中がスターリンの指示により、蒋介石の方針に反して、日中を全面戦争に引きずり込むべく、第二次上海事件を引き起こした。』



東京裁判 弁護側資料 【ウィリアム・ローガン弁護人冒頭陳述】
『東京裁判 日本の弁明[却下未提出弁護側資料]』小堀桂一郎氏編より引用

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【ウィリアム・ローガン弁護人冒頭陳述】

◆◆◆ 昭和22年2月25日 ◆◆◆

世界諸列強による日本包囲

・・・・・日本は生存上大量の輸入を必要とする国であり、従ってその外国貿易は昭和七年に於ける「英帝国優先」なるオタワ会議(註1)の決定によって、特に損害を蒙った。

(註1)オタワ会議
11932(昭和7)カナダのオタワで大英帝国関税会議が開かれた。会議の主な目的は世界不況を生き残るために特恵関税を設けることだった。イギリス連邦内、イギリス本国と植民地の間の貿易において関税をゼロあるいは優遇的に安くし、それ以外の国には高率の関税を課すもので、要するにブロック経済化を決定した。

その対象となる国は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、アイルランド、インド、ニューファウンドランド、南アフリカ連邦、南ローデシア、ビルマ、マレー半島、シンガポール、香港、エジプトにまで及び、世界の四分の一を占めていたので世界貿易に与える影響は甚大だった。現在のEU(欧州連合)をしのぐ経済グループが、国際経済から離脱したのだ。

ブロック内の国にとっては朗報だったが、ブロック外の国にとっては災難だった。

太平洋戦争以前の日本の対外貿易が8割まで聨合王国、オランダ、及び合衆国を相手としていたが、ABCDブロックの輸出禁止令及び資産凍結令が、日本の経済に対し甚大なる打撃を与えた。

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殊にそれは、日本が中国に降服せざるを得ない程の差迫った脅威を伴っていた。

侵略戦争と主張せられた戦争遂行の為の日本の予備的経済侵略及び同じく日本の共同謀議は無かった。

日本が世界の諸列強により経済的且つ領土的に漸次包囲せられ、
日本の存続が危機に直面した。。即ち日本は純然たる必要に迫られていた。



◆◆◆ 昭和22年8月4日 ◆◆◆

日本に対する聨合国の圧迫

先ず欧米諸国は、日本の権利を完全に無視して無謀な経済的立法を行う事、又、真珠湾に先立つ数年間、右の諸国は、故意に、計画的に、而して共謀的に、日本に対して経済的軍事的圧力を加え、しかも、その結果が戦争となることは充分に承知であり、
そう言明しながら、彼等が右の行動をとったという事実

即ち、情勢はいよいよ切迫し、益々耐え難くなったので遂に日本は、欧米諸国の思う壷にはまり、日本から先ず手を出すようにと彼等が予期し、希望した通り、日本は自己の生存そのもののために、戦争の決意をせざるを得なくなった。

●日本を遮二無二戦争に駆り立てるために用いられた手段。

1911(明治44)年以来日米両国間に結ばれて来た通商航海条約は
1939(昭和14)年米国側が廃棄。1940(昭和15)年1月を以て失効。

対日物資輸出禁止は米国の政策の一つとして採用され、月を経る毎に益々多くの品目がこの禁輸リストに付加された。

1941(昭和16)年7月26日の最後的対日経済制裁を米国大統領が真剣に検討していた時、ルーズベルトはかかる措置の当否について軍部首脳の意見を求めた。

これに対する軍部の答申は断然「対日貿易はこの際禁止すべからず、もし禁輸を行えば、恐らく極めて近い将来に於て日本はマレー及びオランダ領東インド諸島を攻撃するに至り、而して恐らく米国を近い将来に太平洋戦争の渦中に投ずることとなるであろうから」というのであった。

「現実主義的権威筋が殆どこぞって」、
日本に対し「徹底的経済制裁を加える」ことは
「重大なる戦争の危険を意味」することを主張した

1941年(昭和16年)7月26日、遂に凍結令が発せられるや
英帝国及び蘭領印度もまた時を逸せずこれに倣う。
彼等は条約上の義務に反して即時同様の手段を採った。

これ等の凍結令は直ちに日本に対し恐るべき衝撃を与えた。かかる状態がある程度継続するならば日本の経済は不具状態に陥ることは明らかであった。

かかる「輸出禁止」及び凍結令は日本の全経済を麻痺せしめうる能力を持っていた。これ等の手段は生産能力及び原料の徹底的な消耗により日本が支那に於て屈服してしまわねばならない様に目論まれたもの。

日本に致命的打撃を与える主要物資の一の石油も輸出禁止令や凍結令を出し、日本の国内経済も、全ての国家的安全性も圧殺する。これは日本の生存権を拒否するに等しい。

即ちこれと同時に列強の軍事当局も「オレンジ」(日本)に対し戦争を目論んでいた。

すでに早くも1938年後半、合衆国及び英国海軍の巨頭はロンドンに於て秘密会談を催し、日本に対し太平洋に於て相互に協力し作戦すべきことを討議し立案した。

これらの計画は1941年初頭にワシントンで開催された秘密会談に於て討議され、更に具体的なものとされた。

と並行愛、アメリカは中国に対する全面的援助を行う。(註2)

(註2)アメリカの対日先制爆撃計画① 2013/8/13(火) 
米国は大東亜戦争が始まる以前から中国を使って日本を爆撃していた。
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中国へ即時借款を提供するとともに、米国飛行士が米国機によって中国のために対日空中戦に従事する事実を巧妙に官辺が黙認し暗に奨励したこと、或は蒋介石に対する経済、軍事顧問の派遣、戦争資材、食糧の提供等を為した。

この期間、太平洋上に於てもは増援軍を絶えずフィリピンに送り、比島周辺海面への機雷の敷設、シンガポールの要塞化、遠距離基地の急速なる改良等が着々進行していた。



◆◆◆ 昭和23年3月10日、最終弁論 ◆◆◆

日本は徴発挑戦されて自衛のために決起した。

その審議の進行中、ケロッグ長官は「国家が攻撃されるのではなくって―経済封鎖を受けるとしたら――?」という質問を受けた。

ケロッグ長官は「戦争しないで封鎖などということはありません」と答えた。
その時一上院議員が「そういう事は戦争行為です」と云いますと、ケロッグ長官は「断然戦争行為です」と云ってこれに同意しました。

3:同じ会議中、ケロッグ長官は上院議員一同に対して次の如く述べた。

「先にご説明申上げました通り、私は今日、或る国家にとって回避することの出来ない問題である、[自衛]若しくは[侵略者]という語についてこれを論じ定義する事は、
地上の何人と云えども恐らく出来ないであろうと思うのであります。

そこで私は次の結論に達したのであります。

即唯一の安全な方法は、どの国家も、自国が受けた攻撃は不当なりや否や、自国が自衛の権利を有するや否やを自国の主権に於て自ら判断することであって、ただこれに就いては、その国家は世界の輿論に答えなければならないという事であります」

5:バリ条約の草案者自身がかかる経済干渉(日本への経済封鎖)を以て断然戦争行為であると見做して居た事実を、本法廷に対して指摘する為に、我々はこの偉大にして博識なるアメリカ人が、一国家がその実際に遭遇している状勢に立脚しての自国の自衛権の有無を判断するのは、国家としての当然の権利であるということを、極めて率直に容認した事実を簡単且つ明瞭に示す為に、そのケロッグ長官自身の言葉をここに引用した。

6:次に戦争の開始1941年12月8日以前の状況に於いて次の諸問題を提出す。

日本は自国の経済維持の源泉として依存して来た諸強国に対し、これを打破し且つ支配することを、その唯一の目的とする野望的計画の実現化として、欧米列強に対する侵略戦争を教唆し遂行したのであろうか。

それとも日本は日本存立を脅威する諸外国の侵害に対して、国際上承認せられた自衛権――即、如何なる筋に於ても、これを彼等の主権に属する処として異議を差しはさむことのないものであるが――これの行使を試みたものであったろうか。

7:戦争の道具は多種多様で。

一国からその国民の生存に必要な物資を剥奪することは、確かに、爆薬や武力を用い強硬手段に訴えて人命を奪うのと変るところの無い戦争方法である。

そしてこの方法は、緩慢なる餓死という手段でおもむろに全国民の士気と福祉を減耗する事を目的とするものであるから、物理的な力によって人命を爆破し去る方法よりも、一層劇烈な性質ものであるという事が出来る。

8:検事側は、連合国は日本に対して専ら軍用品供給の削減を目的とする経済封鎖を行ったと申立てて居るが、証拠はこの経済封鎖が、日本民間のあらゆる種類の物品や貿易、更に食物にまで影響していた事実を物語って居る。

9:即それは経済的に有力、且つ非常に優越せる諸強国が、その存立並びに経済を世界貿易に依存する一箇の島国に対して採った行動であった。

10:アメリカが採った行動は、日本の対中国侵略を抑制する手段であるとして正当化しようとする検事側の理論に対して、

日本側は、欧米諸国が東洋に於ける実状を理解することを拒んだのであるという声明を以て、断乎これに答えて居る。

証拠としての実際の価値は次の事実にのみ存する。
即ち、日本と欧米諸国との間に正当な論争点が存立したという事だが、

即国家主義的な考え方からであろうとも、
そうでない考え方からであろうとも、

何れにしても日本が欧米諸国から脅迫威圧せられていたという結論に到達せしめうる事象が実際に存立した事を示すことに証拠の価値はある。

もしこの敗戦国(日本)政府の指導者達が、日本は脅威せられて居るという概念を抱いた事に対し、その当時、正当な根拠があったのならば、一国家が危殆に置かれた場合は、自衛の為の決定権を有するという諸国家一致せる国際的発言に従って、侵略という要素は消散する。

11:日本は、聨合国が行った経済封鎖に対して、日本に対する戦争行為に外ならないものであると断定する権利をもっていた。

が、それにも拘らず日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みた。

処が経済封鎖は強化され、軍事的包囲の脅威と相俟って、遂に日本は自国の存立の為には、最後的手段として戦争に訴えざるを得ないとの考えに至った。

日本がこの聨合国の経済封鎖を以て直ちに聨合国の日本に対する宣戦布告に等しきものなりと解釈する事なく、忍耐強く平和的解決を交渉をし続けた事は、永遠に日本の名誉である。

更に我々が見逃すことが出来ない事は、この期間中、聨合国は軍事的活動をしていなかったのではなく、逆に中立国の合法的行動としては認められない軍事行動を計画通り推進していた。

日本はこれらの行動を明瞭に敵対行為であると認め、これに対する反対行動を起したものである。

日本は長年の間、東洋の諸問題に関与してきたのであり、西半球に於ける出来事、特にアメリカの事柄に干渉していたのではなかったということを永久に忘れてはならない。

地球の向側の世界(東洋)に対し強いて干渉を行ったのは欧米諸国であった。

12:検事側は侵略戦争の何たるかを論じたる冒頭陳述に於て、侵略という語を左の如く定義している。

即ち「最初に挑発せられずして行える攻撃乃至戦闘行為、最初の加害行為、もしくは戦争乃至紛議を惹起せしめる最初の行為、襲撃、又侵略戦争の場合の如き攻撃乃至侵略の実施」。

13:「紛争の解決に当り、調停を為すこと又は調停を受けること、もしくは其他の平和的手段を受諾することを拒否し、武力の行使もしくは戦争行為に訴えようとする国家」という定義である。

14:本法廷に既に提出された申立の事実により、太平洋戦争は日本による侵略戦争ではなかった事が検事側自体の下した定義に於て既に示されている、ということが明確に立証されている。

其れは米国の不当な挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であった。

136:日本が挑発されて、又事実、自衛の為め昭和16年12月7日に行動を起したのだという主張は、後から考えたものではない。

是までに述べて来た事柄は、昭和13年(1938年)に始った日本に対する経済封鎖、並に軍事的包囲に対して、日本の責任ある代表者により、其の都度記録された抗議に関して書かれた数多くの文書の内容に帰着する。

枚挙し得ない程の頁数に亙る証言が多くの証人に依て数多くの閣議や連絡会議や重臣会議や枢密院会議、並に軍事会議に就いて為されている。

日本が事態を緩和すべき何等かの手段を採らなければ、将来も経済封鎖や軍事的脅威は続く。

日本は其の手段を辛抱強く外交交渉に依て試みたが失敗に終った。

輸入禁止は最初日本を憤激させたが、漸次頻発及び範囲を拡大するに従い、日本は苦慮の状態に陥らされ、遂に日本は外交交渉で経済封鎖など解除する希望を絶たれたことを自覚。

つまり、自尊心を持つ他の如何なる国民も採るに相異なかった行動に出でざるを得なかった様に仕向けられた。

其の発生の都度記録せられ、充分に立証されているこれ等の事実は、昭和16年12月8日に発した開戦の詔勅に要約され、日本が自衛のために採った行動なることが示されている。

137:当時責任的指導者であった被告が、日本の国家的存立が経済封鎖や軍事的包囲の為に危機に陥ったと衷心から思ったことは、アメリカの責任ある指導者達は当時これを承知していた筈である。

もしこれに対し反対の結論をなすならば、それは全然事実を無視するものである。

武力の誇示を伴った経済封鎖が、これ程大規模に用意周到な計画的な統一的な正確さを以て遂行され、その目的、即ち日本をして最初の一撃を行わしめんとする明白な期待と希望とを挑発する目的が首尾よく貫徹されたことは、歴史上未だ他に其の例を見ない。

日本を刺激して日米開戦の緒を切らせようとの米国の公言した目的が達成されたのだから、この日本の攻撃が自衛手段でないと記録することは実に歴史に一汚点を残すものである。

138、英国内閣閣僚オリヴァー・リトルトン氏、及び合衆国前大統領ハーバート・フーヴァー氏の熟慮された言説――

直接報道された言説は恐らく最も適切に全般的状勢を説明している。

即ち両氏はそれぞれ、

「アメリカが強いられて日本と戦ったと云うならば、これは歴史上の笑草であろう」

「もし吾々が日本人を挑発しなかったならば決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう」と言っている。

139、ABCD諸国は完全なる軍事的及び経済的包囲を二つとも作っていたので、我々は最初の打撃は真珠湾で打たれたのではないと思う。

其れは真珠湾より遥か以前に経済戦争が発足した時に打たれたと思う。

経済戦争は頑強に不断に圧縮され、更に又それ以上効果的に且つ蹂躙的に。

それは日本の存在さえも脅かされ、もしそれが続けられたなら日本を滅亡させたかも知れない。

これらの人々は是を知り、それを信じ、それを信ずる理由を有し、そして彼等のために行動した。これらの人々は日本人である。

彼等は米国人でも又は大英聯邦国民の人々でもない。或は又オランダ人でも、ロシア人でもフランス人でもない。

彼等は日本国を愛した。そして彼等の決定は祖国にとって生きるか死ぬかの決定であった。

彼等は祖国を愛した。そして決定をしなければならぬ地位にあった。

我々はこの裁判をされる方に、一寸彼等の立場になって考えて下さいとお願いする。その立場に立ったら愛国者として貴方達は他の決議をすることが出来るだろうか。

その決定をすべき地位にあり、然も公正な信念及びその信念を
裏づける十分な理由があってなされた決定が善いか悪いか、
又それは犯罪者の信念であって愛国者の信念ではない等と称することが出来るであろうか。

もしその決定が犯罪的意図からではなく、決定された方法が祖国を護持して行くことに絶対必要であるという強い信念と愛国心の動機からなされたならば、我々はそれが犯罪であると法廷で裁きを行うべきでない。




(参考)

歴史的音源 開戦の詔勅 ユーチューブ(3分42秒)
昭和天皇による「太平洋戦争 開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」を代読録音したもので、昭和16年(1941年)12月8日には正午と午後7時に放送された。



(参考)毎日新聞
有識者懇:「満州事変以後、侵略拡大」70年談話へ報告書
毎日新聞 2015年08月06日
http://mainichi.jp/select/news/20150807k0000m010098000c.html

(参考) 読売新聞
70年談話懇報告 首相も「侵略」を明確に認めよ 2015年08月07日
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150806-OYT1T50109.html

(参考)日経
70年談話、首相がバランスに腐心 公明は「侵略」明記求める 
2015/8/8 
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE07H0U_X00C15A8PP8000/



B29を体当たりで撃墜した若者と、撃墜を禁止した日本のトップ

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先日の8月5日午後6時15分、偶々、TBSのTV番組、『千の証言、B29体当たり撃墜の真実』を視ました。

(記事)
(ユーチューブ)

以下は、その番組の概要です。


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B29は、東京を空襲するためにサイパンから飛び立つ。


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対して日本空軍は松戸より飛び、上野原で遭遇。

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迎え撃つ日本の戦闘機は『屠龍』(とりゅう)

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学徒兵広瀬少尉は、B29の第一波への攻撃で一機を撃破するも、弾丸が切れる。然し、更に別の編隊のB29が現れる。

そこで広瀬少尉は『体当たり』と叫び急降下し、B29に激突。

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その様子を地上から見ていたのが奈良木六さん、

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双方の機体は上野原の山林に墜落。

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B29の火を噴きながらの墜落を目撃したのが降矢量男さん。

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この墜落でB29の乗務員の大半は死亡したが、パラシュートで脱出を試みた乗務員もいた。

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その兵士のパラシュートは八王子市に落ちたが、既に死亡していた。

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近くにいた当時10歳の女性の証言、

あるお母さんが、米兵の遺体の前で集まってきて罵言・暴言を吐く衆の前に立ちはだかった。

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この実話は二つの点で感動しましたね。

一つは、若者・広瀬少尉の日本国土を、日本国民を、家族を、躊躇なく守ろうとしたこと。

もう一つは、生死にかかわらず、民族の垣根を越えた人間の尊重ですね。



他方、この時、私は思いました。

1945年8月6日朝、広島で戦闘機隊に出撃命令を出していたなら・・・。
戦闘機『紫電改』の搭乗員が、出撃命令さえあればB29を撃墜出来たと証言していましたからね。

広島の上空に飛来したB29は『エノラゲイ号』。
それよりやや先行して飛んでいたのがB29『グレート・アーチスト』 
広島市南方で待機していたB29が『ネセサリー・エヴィル号』

日本軍は、原爆を積んだB29『エラノゲイ』が広島に飛んでくることを知っており、然も8月6日の朝、その『エノラゲイ』が広島に迫っていることを察知したにも拘らず、出撃準備体勢にある戦闘機隊への出撃命令は出されず。空襲警報も出されず。

天皇の命令により広島に急遽各地から食糧不足になるほどの数万人も集合させられた大日本帝国陸軍の将兵や広島市民が、校庭等でのラジオ体操で一斉に外にいた時、原爆は頭上で炸裂した。

例外的に生き残ったのは、事前に原爆攻撃を知らされていた第2総軍の司令官・畑俊六だけであった。

更に述べると、この日の10日前の7月26日に受け取ったポツダム宣言。
7月末に受諾であったが、米国に原爆を落とすまで待てと言われ、8月、広島・長崎で原爆2発炸裂後、昭和天皇は「終戦の詔書」の玉音放送を8月14日に録音、翌15日、ラジオ放送で全国に報道された・・・・・。




(※)私のブログ記事
日本の天皇と中国共産党政府との関係 2015/5/25(月) 





メディアが伝えない大東亜戦争③

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メディアが伝えない大東亜戦争③当時の日本軍の功績

東南アジア諸国は数百年にも亘り欧米諸国の植民地で、過酷な労働を強いられてきましたが、大東亜戦争後、東南アジア諸国は次々と独立しましたね。

それは大東亜戦争で、日本軍が先ずは植民地支配の欧米を東南アジア諸国から追い出し、教育と軍事訓練をしたからですね。独立するということはそういうことですね。



(これまでの記事)
メディアが伝えない大東亜戦争① 2015/8/4(火) 
メディアが伝えない大東亜戦争②自衛戦争 2015/8/9(日)
B29を体当たりで撃墜した若者と、撃墜を禁止した日本のトップ 2015/8/10(月) 



東京裁判名場面






さて本題


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ジャワハルラル・ネルー インド初代首相


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ラダ・ビノード・パール判事


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ジュニウス・リチャード・ジャヤワルナダ第二代スリランカ大統領


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マハティール・ビン・モハマド第四代マレーシア首相


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ウンク・アブドール・アジズ・マラヤ大学学長


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ラージャ・ノンチック・マレーシア上院議員


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ザイヌル・アービディン・マレーシア歴史学者


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セニー・ブラモート・タイ王国第6代首相


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ゴー・チュックトン・シンガポール首相


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バー・モウ ビルマ首相


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アウン・サン ビルマ独立の伝説的な父


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ウー・ヌー ビルマ首相



(※)上記画像の抜粋先
日本の大東亜戦争



創価学会の唱える平和とは?

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以前、創価学会員の一部は戦争法案反対・公明党糾弾デモに参加し、三色旗を大々的に掲げていたけど。

安保関連法案に反対し、公明党を糾弾する創価学会員





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秋田魁(さきがけ)新聞 2015.08.18 朝刊

創価学会員「反対」広がる
安保法案「平和哲学に反する」
「ふがいない」公明党批判も
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8月30日
全国で安保法案に反対デモ、国会周辺には“12万人”TBS News-i 



どういう訳か8月30日の国会前の戦争法案反対デモに創価学会の三色旗はほとんど見当たらない。日本の国旗日の丸も見当たらない。在日右翼の街宣も無い。

8月30日、安保法制反対の抗議活動/日比谷公園から国会前へ



8月30日、安保法制反対の国会前抗議活動/15時ごろの様子




(※)国政選挙ごとにやって来る創価学会員の公明党への投票依頼も、次回国政選挙から来なくなるだろう。






先人の教えや歴史に学べない大人たち

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今夏、お盆を挟んでの半月間、ネット、TV、新聞には無縁に近い生活をしましたが、偶に聞いたのがNHKラジオのニュース。

NHKの捏造報道の他に、呆れた報道があった中の一部をメモしました。
呆れた内容の大半が「思考回路が未発達のままの大人のこと」ですね。

「最近の日本の成人は歴史や先人の教えや他人の失敗から学べず。自分で体験しなきゃ分からん。」



その1)8月16日NHKラジオニュース 水の事故、4人死亡。

その中でも呆れたのは、親戚9人で近くの川に遊びに来ていて、恩田美海(みゆ)さん(4)がおぼれて死亡。川幅約20メートル、水深約60センチ。

(私見)
子供の水遊びでの親は一瞬でも目を離したらいけないし、ましてや幼児なら、一緒に遊ばなきゃ到底事故は防げない。然し、親は子供から目を離す。

例えば、私のブログで書いているが、1976年頃、当時の上司が子供を亡くした。それは彼の自宅前の宅地造成地で男の子は前夜降った雨で濡れた泥に足をとられた。顔からその小さな水溜りにボチャン! 水深僅か2cm。キッチンから監視していた母親がほんの5分、目を離した隙に。心臓麻痺。救急車の中で亡くなる。

それにしても今夏、この他にも5歳児(2日愛媛県四国中央市)、6歳児(1日奈良・橿原市)や4歳児(23日八女市)が何れもプールで死亡していますし、家族らと遊びに来た7歳児は長瀞急流で浮き輪外れ水死(13日埼玉県長瀞町)。無論、海でも何人かの子供が死んでいるようですね。親は何を考えているんかね。



その2)8月18日NHKラジオPM:7:10 広島土砂災害罹災者インタビュー。
「市の避難勧告は遅いじゃないか」

(私見)
NHKはいかにも広島市の避難勧告が遅れたから罹災したといわんばかり。
私に言わせれば話は根本的に違ってくる。

避難勧告が出なくても、昔から雨が降れば危ないと言われている場所を宅地造成し販売した不動産業者と、そこに住んでいる罹災者も含む住民を糾弾すべきである。

☆☆☆

私が最初に広島市に赴任したのが1970年代の終わり。
広島県の山頂や斜面を見上げると裸で大きな岩がゴロゴロ。

イメージ 6

地元の人に聞いたんです。
「京都や私の田舎の山には杉を植えて青々しているけど、こちらの山は裸で岩がごろごろ。下界の方も落葉樹ばかり。どうしてですか?」と。

そしたら、「中国地方の山は花崗岩で出来ており、雨で崩れやすいから杉を植林してもまともに育てられない。山崩れの場所は広島市内では己斐(こい)や祇園、緑井、八木地区だが、山際まで宅地造成している。あれは雨で危ない。それに呉市の山手の住宅。」と。

着任して3年目、当時の所長が己斐の山の上で宅地造成されたばかりの五月が丘(佐伯区)の分譲住宅を購入。

私たちは陰で言ったものです。
「あの団地に上がる己斐峠の坂は狭く急で、冬は雪でタイヤが滑って危なく渋滞し、まァ、遅刻間違いなし。それに大雨が降ったら土砂崩れで通行止めになるリスクがある。ようぞあんな所を買ったもんだ。」と。

★★★

フジテレビとくダネ
【広島災害】 衝撃事実発覚!!!! 被災した地名は昔、『蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)』と呼ばれていた…


2014/08/27 に公開
広島の土砂災害発生から1週間がすぎ、死者は58人となった。
行方不明28人の名簿がきのう25日(2014年8月)に広島市から公表されたが、うち20人が安佐南区八木の人たちだった。八木地区を「とくダネ!」が尋ねると、昔の地名は「蛇落地(じゃらくじ)」、激しい水流を描いた絵も残っていた。

《土地を売らんがための地名変更?》
八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくじあしたに)→上楽地芦谷→ 安佐南区八木、と地名変遷。「蛇落(土石流)」の棲む「悪谷」。「蛇が落ちるよう土石流が流れた悪しき谷」

★★★

不動産屋の弁解のような言葉
「昔の地主さんは、山より川が怖いと言って警戒していた」

確かに明治から昭和初期には4~5年毎に洪水被害が発生。そこで1967年(昭和42年)に太田川放水路が完成。以後、水害は無くなる。


★★★

(2010年 広島県)梅雨前線の豪雨で発生した土石流
http://www.sabopc.or.jp/library/web0102.html
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平成26年8月20日に広島市で発生した土石流及び斜面崩壊の発生地に関する地質情報

★★★

ブログ【586】広島の土石流災害 2014/8/31(日) より一部抜粋

広島の土砂崩れで大災害が起こっています。これを地形から少し考えてみました。下の写真は現場の航空写真です。丸で囲った部分が被害の大きかった地区です。
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その左隣に赤線で示したように、扇形の地形が見えます。これは明らかに扇状地です。被害のあった丸印部分も扇形には見えませんが扇状地が重なった直線状の扇状地だと思います。

この扇状地は、大雨で土砂が押し出してきて、長年の間に形成されたものです。何十年に一回の大雨による土砂崩れの積み重ねでできたものです。

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従って、これは起こるべくして起こった災害と言えると思います。本来人間が住んではいけない場所だったのです。右の方にも扇形の地形が見えます。写真の+マークを押すと拡大され、更にわかりやすくなります。



呉市の場合

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呉市沿岸部で新たに宅地造成された平地に呉の山手から引っ越してきた薬局の奥さんに聞いたんです。

そしたら「まァ、一度見た方が良い」ということで、奥さんは地図を書いてくれました。

一車線のくねくねしたアスファルトの上り坂の両側には住宅がびっしり。

さらに上がると、乗用車の寸法大の丸い岩が斜面にちょこんと置かれている状態。その真下数十メートルには民家が連なる。こりゃ、誰が見ても何れ大きな地震や大雨で巨石は転げ民家を潰す。それでも家を建て住んでいる。

(下の画像は、呉市安浦町中央ハイツで起きた土石流)

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(※)「判断の大切さ 住宅地造成をしてきた料理店主の話」は別途記事にします。



(参考)
4歳女児、川遊び中におぼれ死亡 岐阜・山県の武儀川
2015年8月16日18時26分
http://www.asahi.com/articles/ASH8J53J8H8JOHGB001.html

小1男児、プールで溺れ死亡 身長より深い所、監視員は1人 奈良・橿原 2015.8.1 22:56
http://www.sankei.com/west/news/150801/wst1508010066-n1.html

北海道の海、福岡のプール・・・各地で水難事故相次ぐ(15/08/24)
https://www.youtube.com/watch?v=41uJI9L2nfc

広島 災害
平成11年6月 豪雨 (最大時間雨量81.0mm,死者・行方不明者32人)
http://www.bousai.pref.hiroshima.jp/www/contents/1318849291144/index.html

画像借用先

山口県境から見る広島側の山
http://www.geocities.jp/houshizaki/miwatyousiratakiyama.htm
呉市小田山
http://osidori-net.com/report/2014report/2014iwayama.html
呉市岩山
http://sengamine.sakura.ne.jp/san08/saniwayama080113.htm
呉市安浦町土石流
http://www.sabopc.or.jp/07gouu2010/hiroshima/kure01.html


コミンテルンの画策した戦争だった

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日中戦争&大東亜戦争は、コミンテルンの陰謀・画策により、日本が負ける戦略で勃発し、シナリオ通り日本は敗戦した。

(※)コミンテルンとは、
ソ連の指導者レーニンはロスチャイルドやロックフェラーから資金を得て(途中省略)1919年、世界共産化を目指してコミンテルンを創設したもの。
レーニンの『敗戦革命論』とは、資本主義国家間の矛盾対立を煽って複数の資本主義国家が戦争をするよう仕向けると共に、その戦争において自分の国を敗戦に追い込み、その混乱に乗じて共産党が権力を掌握するという革命戦略。



習主席、中国は「日本に完勝」し「主要国」に 抗日70年行事開幕
2015年09月03日 13:39 発信地:北京/中国
【9月3日 AFP】(写真追加)中国の首都・北京(Beijing)で3日、抗日戦勝利70周年を祝う大規模な式典が開幕し、習近平(Xi Jinping)国家主席は演説で、中国は第2次世界大戦(World War II)で日本に「完全勝利」し、「世界の主要国としての地位を回復」したと述べた。

 習国家主席は「不屈の中国人民は、日本の軍国主義の侵略者と勇敢に戦い、最終的に完全勝利をもぎ取って、中国5000年の文明を守り、平和という大義を支えた」と語り、戦争を「正義と悪、光と闇の決定的な戦い」と評した。(c)AFP



(私見)
① 日本軍は、毛沢東の中共軍とは戦っていない。
戦ったのは台湾に逃げた国民党の蒋介石軍とである。

毛沢東中共軍は米国から武器弾薬の援助を受けるも、それを使用せず温存。後の毛沢東革命の時、中国人民6千万人を殺害するために使用した。

② 日本の関東軍は侵略していないし、日中戦争は侵略戦争ではない。
主な事件や戦闘勃発は中国側が仕掛けている。

2006年、明らかになったことは、東京裁判で日本の侵略戦争の緒と称す『張作霖(ちょうさくりん)爆破(1928年6月4日)』は、スターリンの指示を受けたナウム・エイティンゴンが計画し 日本の関東軍の仕業に見せかけたものだった。
(※)「産経新聞」06/02/28

この裏付けは当時の英国への電報でも明らかである。

※『中国共産党の秘密党員(?)であった張治中がスターリンの指示(?)により、蒋介石の方針に反して、日中を全面戦争に引きずり込むべく、第二次上海事件を引き起こした。(1937年)



上記の件をもう少し分かり易く言うと

「ソ連が支配する東支鉄道の利権を脅かす張作霖を暗殺し、より操り易い張学良をを使って関東軍との間に対立を起こさせるように」というモスクワの指示により、GRU(ソ連労農赤軍本部第4局)が日本軍の仕業にに見せかけるシナリオを書き、2つの工作を同時進行して行った。

1つの工作は、関東軍がやったと皆に信じさせる洗脳工作。
張作霖を爆殺する事によって、関東軍に「満州を押さえられるんだ」という考えを吹き込む工作も同時にやっていた可能性も有る。

もう1つの工作は、ソ連工作員による実際の爆破工作で指揮したのはナウム・エイティンゴンというソ連工作員。そのナウム・エイティンゴンの指令を受けた部下が張作霖と同じ列車に乗っていた。

後にナウム・エイティンゴンは、橋梁や線路の爆破ぐらいでは致命傷は与えられないから、自分たちが爆破に直接関係したと言って、破壊された客車の写真を撮り それを自分の功績、証拠として自分の回顧録に載せて「自分がやった」とハッキリ言っている。

今、スタンフォード大学で「蒋介石日記」というのが順次公開されているが、その中で"張作霖の息子の張学良が張作霖爆殺の1年前の頃に国民党員になった"と書かれているのが平成18年の4月に明らかになった。

当時、張作霖は国民党軍を率いる蒋介石と闘っていたが、その張作霖の息子が国民党に入っていた。蒋介石はモスクワと繋がっていた。

つまり、張学良、蒋介石、コミンテルンという3つの繋がりが間違い無く存在していた。

ならば、張作霖爆殺の背景、動機、要素として全て揃う。
更に、ナウム・エイティンゴンという実行者の告白証言も有る。

これが事実ならば、張作霖爆殺が日本の支那に対する侵略戦争のはじまりだとしている東京裁判の評価見直しにも重要な意味合いを持つ事になる。



上記の内容を踏まえて更に詳しく述べると

張作霖は満州の実権を握っていた奉天軍閥の首領だった。もともとは馬賊の頭目にすぎなかったが、満洲駐在の関東軍に接近して庇護を受けるようになってから勢力を伸ばし、1911年の辛亥革命後、当時の実力者・袁世凱のもとに走り、満州の中心地・奉天(現・瀋陽)を中心に力をつけた。支那全土を掌握しようとして、一時は北京まで攻めのぼった。

1927年(昭和2)、国民党軍の北伐に対抗するため、北京に陣取る軍閥は「北方安国軍」を組織して、張作霖が大元帥の地位についた。

それに対して、下野していた蒋介石が北伐(国民革命軍)総司令として復帰すると、軍閥の馮玉祥や閻錫山ともてを結んで共同戦線を張り、北京に攻め上ってきた。そして北京の南方に200キロにも及ぶ戦線において対峙し、南北大決戦の様相を呈してきた。

このあたりには列国の居留民が多かったので、列国は共同で北軍と南軍(国民革命軍側)の総司令官に、「列国の支那駐屯軍は南北いずれの軍にも味方しないが、どちらかが居留民の生命や財産に危害が及ぼされた場合は加害側に断固たる処置をとる」と警告を発した。

戦場においては北軍が不利だった。張作霖が満州に逃げてきて、それを南軍が追うようになれば、満州が戦場になってしまう。

満州には日露戦争以来、日本の権益が確立しており、山海関を越えて支那の軍隊が満州を侵略してくる事態は日本はどうしても防がなければならない。

ところが、蒋介石の北伐軍が北京に迫ると、張作霖は支那の軍隊を連れて満州へ逃げようとした。

満州の実質的な支配者が支那の軍隊を満州に引き込んだら、満州は支那になってしまう。また、これを口実に蒋介石が追い掛けてくると、満州は支那の軍隊が争う戦場になり、日本の権益は危険にさらされる。

張作霖はじわじわと日本の特殊権益を侵すようになっていた。
ひとつは鉄道権益の圧迫である。

1924年(大正13)、満鉄線に平行して鉄道を敷こうとした。
平行線ができれば満鉄の収入は激減してしまう。

また、コロウ島に新しい港を築いて、大連の港を枯死させようともした。
日本は張作霖を後押ししたために張作霖は満州で威張れた。

それにもかかわらず日本の権益を侵そうというなら、そんな奴は殺してしまえという意見も出たかもしれない。

こういった緊迫した状況にあった昭和3年(1928)6月4日、北京制圧を断念した張作霖は列車で満州の奉天に向かったが、その列車が爆破された。張作霖は運び込まれた病院で死亡した。

張作霖の死は、奉天省長の意向もあって二週間以上伏せられたままだった。張作霖軍に動揺が走るのを避けるためだったといわれる。

この爆破事件に対して関東軍は支那人の便衣隊(ゲリラ)の仕業に違いないという見解だった。しかし、時がたつにつれ、どうも関東軍の謀略だったのではないか、という見解が強まった。しかし真相はなかなかつかめない。

田中義一首相は天皇に対して曖昧な報告をしたため、天皇は「おまえのいうことは信用できない」と田中首相に不信感を示した。そのため田中内閣は辞職せざるをえなくなった。田中儀一は辞職後まもなく亡くなった。この件での心痛や落胆が病死が原因らしい。

当時の満州では、鉄道をめぐる事件が頻発していた。
数年間の間に100件以上も鉄道爆破事件があった。

満州には匪賊と呼ばれるテロリストたちは推定100~300万人いたといわれる。「土匪」(いわゆる馬賊)のほかにも「半農半賊」(状況次第で匪賊になる連中)、「宗教匪」(宗教的秘密結社)、「政治匪」(敗残兵たち)、「共匪」(共産ゲリラ)・・・などが神出鬼没、昭和8年だけでも匪賊による都市襲撃は27件、列車襲撃は72件を数えた。

張作霖爆死事件も一時はそのうちの一つと考えられていた。
だからこの事件も結果的には大きな国際問題にならなかった。

しかし、この事件は日本の満州侵略の始まりであるかのようにいわれるようになる。日本はこの爆殺事件を支那の便衣隊のせいにして、それをきっかけに満州全土を領有しようとしたといいたいわけだ。

東京裁判では、昭和6年の満洲事変を「日本の支那侵略の第一歩」ととらえ、それから敗戦(昭和20)年までの15年間を「日本軍国主義の時代」として断罪した。


そうした見方に便乗して、日本の左翼の歴史家たちは大東亜戦争を含むこの前の戦争を「日中十五年戦争」と呼んでいるわけだ。

もっと過激に「いや、その前の張作霖爆殺事件あたりから日本の侵略ははじまっている」とする左翼学者もいる。

そうした見方が戦後の歴史教科書にも脈々と受け継がれ、日本人にかたよった歴史観を植え付け続けている。(以下省略)



(私見)
日中戦争とそれに続く大東亜戦争とは、簡単に言えば、『ソ連のコミンテルンがソ連と国境を接する日本をアメリカを使って叩き潰すというソ連・コミンテルンの戦略に基づき、米国や日本、中国の政府機構にスパイを送り込んで、或は洗脳し、シナリオ通り実践させたもの』と言えますね。

米国の場合、アメリカ共産党の外廓組織「中国支援評議会」の名誉会長がルーズヴェルト大統領の実母ジェームス・ルーズヴェルト夫人であることから推測出来るように、ルーズベルト大統領は共産主義なんですね。

ルーズヴェルト政権ではソ連のスパイたちを重用し、政権中枢部だけでも200人以上も。政権の一般部署にも300人以上のスパイがいたわけです。

その中には、ラフリン・カリー大統領補佐官やハルノートで有名な財務省通貨調査局長のハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)もいました。

日本でのソ連のスパイの代表的な人物は近衛文麿と大東亜戦争(太平洋戦争)直前までの近衛内閣(1937年6月~1941年10月)のブレーンだった尾崎秀実。

近衛内閣では、ゾルゲ・グループの尾崎秀実ら昭和研究会の影響を受けて、アジアから英米勢力排除を目指す「大東亜新秩序建設」を国是とする「基本国策要綱」を閣議決定し、翌1941年4月13日には日ソ中立条約を締結するなど『連ソ・反米政策』を推進。米国との戦争必然体制を構築するんです。

別な言い方をすると、共産主義の近衛文麿首相が、日本軍による中華民国内部の共産主義勢力の破滅を防ぐためにソ連と画策し、日本と米国とが戦争せざるを得ない状況にしてから首相を退任し、後任の首相となる貧乏くじは東条英機が引かせた。



(註)消えたはずのコミンテルンは今も米国に根付いている
共産主義のヒラリー・クリントン 2014/6/20(金) 
オバマ大統領の血と思想の源 2013/9/1(日) 


(参考・引用サイト)

(私のブログ記事)

政治はスパイに主導権有り! 2013/8/30(金)

メディアが伝えない大東亜戦争① 2015/8/4(火) 

メディアが伝えない大東亜戦争②自衛戦争 2015/8/9(日) 

メディアが伝えない大東亜戦争③ 2015/8/11(火) 



チェンソーで庭木伐採体験記

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実は、ヤマゼンの草刈り機と同時に、チェンソーも同時に購入したんです。

(前回記事 草刈り機)
お盆は田舎の空家の草刈り 2015/9/1(火) 

数年前、雪で倒れた松の木の切断と、昨年一本の松の木の伐採には普通のノコギリを使用していましたが、真夏では熱帯病になってしまう。

そこで、ヤマゼンのチェンソーをこれも通販で購入したんです。
思ったより安かったです。何しろ6千円ですから。



ヤマゼン電気チェンソーで庭の樹木を伐採


2015年8月、田舎の空家で伸びた樹木を伐採。延長コード30m。気温30°c以上での連続使用はモーターが加熱し焼けるリスクあり。15分使用したら扇風機で2時間以上冷やしてから再稼働をお奨め。



庭の松の木3本とイチョウの木1本を伐採しました。
ノコギリに比較したらあっという間に終わりましたね。当たり前ですけど。

草刈り機の代替機が届くまで、これで長めの草を刈ってみたんです。
案の定、草がからみつきました。

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ドライバーでネジを二本外してカバーを取り除きます。
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草がびっしり詰まっていましたね。
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草の除去後も面倒なのでカバーをはめずにこのままで木を切りました。
この方が木屑の飛び方が違うのか何となく爽快な気分になりましたね。
                     ヽ(´▽`)/
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4本伐採し、それぞれ1m弱に細断したら、流石にチェンも伸びました。
この隙間は、2mm~4mmが適切とのことで、チェンを締め直しました。
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山善(YAMAZEN) 
電気チェーンソー(300mm)  ECZ-305 グレー
価格6,190円 (税込) 送料込

本体サイズ幅61×奥行20.5×高さ16cm 重量2.8kg

商品説明●材木・丸太などの切断に
●オレゴン社製ガイドバー・ソーチェーンを採用
●安全ボタンを同時に握らないと電源が入らない安全設計
●付属品:チェーンオイル・ドライバーレンチ・チェーンカバー
●電源:単相交流 100V 50/60Hz
●電流値:9A
●消費電力:850W
●有効切断長:300mm
●チェーンスピード:500m/min
●定格時間:30分
●ソーチェーン:91VG-45E(オレゴン社製)



ネット購入先
くらしの eショップ  株式会社山善



雷神さんは枚方からやってくる

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風は山陰から。
雨は大阪湾から。
雷雨・台風は枚方から。

晴れと曇りの境界線は、阪急水無瀬駅と800m先大阪寄りの上牧(かんまき)駅との丁度中間の位置。

上牧駅上空が青空で、うちの水無瀬駅上空で小雨なら、京都寄りの隣駅・大山崎駅は豪雨が定説。

冬の気温では、上牧駅より0.5℃低いのが水無瀬で、京都寄りの大山崎駅で電車の扉が開いたら、急に寒くなるから水無瀬駅とは1℃以上低い。更に京都に入るとぞくぞくするから京都は2℃以上低い。



(私のかってのブログ記事)
やはりあの世から来ましたね。お彼岸ですから。 2010/9/23(木) 
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枚方で、時たま見かける竜巻一歩手前の雲。



さて、今夏、今まで、カメラで雷の閃光をとらえようとパチリに挑戦してきたが、悉く失敗。デジイチやコンデジでは、今だ!とパチリするも、シャッターが切れる前にカメラのICが絞りなどで作動するから、シャッターが切れた時には閃光は既にない。

そこで、おあつらえの雷が8月7日にピカッ!ピカッ!ゴロゴロ。
今回は、ビデオカメラだから、閃光を逃しはしなかった。ヽ(´▽`)/

でも、流石、枚方から移動してきた雷さんが、頭上でドンパチに横殴りの風雨ですから、撮影は止めて家の中でおとなしくして過ぎ去るのを待ちました。

恐らく、この雷神さん、京都・鴨川の川床見物に行ったのでしょう。



8月7日の稲妻と雷鳴 






満鉄(東清鉄道)と米国概略

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日中戦争⇒大東亜戦争の伏線となる満州を舞台とする鉄道利権と米国の激怒に関しての分かり易い概略記事がありましたので、それを以下に紹介します。尚、青文字の(註)は私が加筆したもので、地図の挿入もそうです。



本題

軍部主導政治が戦争に向かわせたのか
2011-04-01(Fri) JJ太郎氏

戦後教えられた歴史は一旦忘れたほうがいいかもしれません。

 私が学校で学んだ戦前の歴史のターニングポイントは2・26事件、5・15事件であり、武力によって政党政治を壊滅し、軍部主導の政治になって戦争への道を歩んだ、というものでした。

しかしながら、大人になって自分で歴史を調べてみると、軍部主導の政治になっても日本から戦争を仕掛けたり侵略するような能動的計画も行動も存在しません。

すべて受身で後手後手に回り、止むえず戦争になっています。学校で教わったのはGHQが仕込んだ日本軍悪玉論だったようです。

ターニングポイントはもっと前の日露戦争後の小村外交に端を発した日本とアメリカ、イギリスとの関係でしょう。

日露戦争終盤、日本側は弾切れの状況になり、米国も日本の勝ちすぎを警戒し仲介。ポーツマス条約を結ぶことになります。

日露戦争において日本のバックには莫大な資金援助をする米国の鉄道王ハリマンらのユダヤ資本がありました。セオドア・ルーズベルト米大統領はユダヤ人です。(諸説あり) 

ユダヤ人はロシアから迫害されていたので日本に資金援助をしたのです。そして戦後、ルーズベルト大統領は鉄道王ハリマンを日本に派遣し、桂・ハリマン協定を結びます。(註1)当時の日本は桂首相

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奉天以南の東清鉄道(註2)の日米共同経営する仮規定です。これはニューヨーク~アメリカ大陸横断鉄道~南満州鉄道~シベリア鉄道~大西洋航路~ニューヨークという「地球交通」という大規模プロジェクトの一貫です。


(註2)東清鉄道(とうしんてつどう)はロシア帝国が満洲北部に建設した鉄道路線。満洲里からハルビンを経て綏芬河へと続く本線と、ハルビンから大連を経て旅順へと続く支線からなる。

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シベリア鉄道と完全に連結したのは1904年2月、日露戦争勃発直前であった。その後日露戦争(1904年2月 - 1905年9月)が勃発し、日露戦争でロシアが敗北した後の1905年9月5日、ポーツマス条約により長春以南の南満洲支線は日本に譲渡され南満州鉄道(満鉄)となった。1911年、辛亥革命によって中華民国が成立しても、ロシアによる東清鉄道の利権は継承された。(中略)

1935年3月になってソ連は満州国と北満鉄道讓渡協定を結んで北満鉄路全線の利権を満洲国に売却し、満洲から撤退した。こうして旧・東清鉄道は満洲国有鉄道となり、経営は満鉄に委託された。(以上、ウィキペディアより一部抜粋)


ところが小村寿太郎外相は来日したハリマンの帰国(1905年10月13日)の3日後、入れ違いに米国から帰国し、協定に驚き、小村は既にハリマンの商売敵モルガンを推していたので強行に反対し、この協定を破棄させてしまいました。(註3)

(註3)当時の状況の詳細に関しては、この記事の最後尾に紹介している記事『松村金助の満州事変前の満鉄』のURLをクリック願います。

モルガンとの提携は機関車やレールを買ってくれというだけのものでした。日露戦争をあれだけ支援したルーズベルト&ユダヤ資本を袖にしたわけです。

この頃見逃せないのが日露戦争の日本勝利にアジア諸国が喚起したことです。

支那からは一万人超える支那人留学生が東京へ押し寄せています。この姿は白人達にとって脅威だったでしょう。

ドイツのフォン・グレイル前駐北京大使はベルリンで会議を開き「中国の日本化が進むと欧州の権益が失われる」と主張し、「米、英と協力し、日本を押さえ込まねばならない」(ニューヨークタイムズ)と政府に警告を発しています。

 憤慨した米国は大陸の権益を得るためにはは目の上のこぶである日英同盟をつぶしにかかり、米国は日英同盟の対象から米国をはずすようなど働きかけ、大正10年(1921年)ワシントン会議で四カ国条約により日英同盟廃止にこぎつけます。

 ワシントン会議ではワシントン海軍軍縮条約が結ばれ、主力艦の比率は英米日5:5:3となります。日英同盟が破棄された上では米英10に対して日本は3になったわけです。

日本を孤立化させ、米国は日本を仮想的国として大陸への進出を着々と狙っていったのです。

 アメリカはその後も日本を敵視し続け、支那事変が起こると支那に肩入れをし、中立を破ります。

そして欧州で第二次世界大戦が始まると日本を戦争に引きずり込む計画をたて(マッカラムメモランダムといわれるもの)、空軍(フラインングタイガース)を支那に送り込み、石油や屑鉄の輸出をストップさせ、日本の対外資産を凍結し、昭和16年(1941年)9月には日本爆撃(陸海軍合同委員会計画JB-355)を大統領が許可しました。

爆撃計画は中止となりましたが、「ハル・ノート」と呼ばれる要求を日本に突きつけ、日本に真珠湾を攻撃させたのです。


参考文献
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 海竜社「国家への目覚め」櫻井よし子・田久保忠衛(共著)
 詳伝社黄金文庫「東條英機 歴史の証言」渡部昇一(著)
参考サイト
 WikiPedia「日英同盟」「ワシントン軍縮会議」



(地図画像借用先)

yumimi61
http://yumimi61.exblog.jp/22798823/
松村金助の満州事変前の満鉄
http://ktymtskz.my.coocan.jp/denki/matumura.htm



(参考)

差別なき日韓併合時代と満州国 2015/3/24(火) 

「反日に狂う中国、友好におもねる日本」金文学著。
わたしの聞き込み調査の中で、大変驚いた証言が返ってきました。当時満州国で暮らした多くの人々は、実体験を交えながら、こう語りました。

「現在の共産党時代は国民党時代より劣り、国民党時代は日本の満州国時代より劣る」
「もしも満州国がそのまま維持されたならば、現在のようなみじめなことはなかった。日本みたいに発展したはずだ」

 満州映画製作所で働いていたZ氏は、「日本人は残虐だ、悪人だと言うけれど、わたしはそんな日本人には会ったことはない。われわれは仲良くやりましたよ」と回想しています。

《東清鉄道に関しての詳細》
松村金助の満州事変前の満鉄
(鉄道功罪物語 松村金助著 昭和4年刊 第4編 満州鉄道の諸問題のみ)





鶴の湯温泉林道を凡に走る

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2015.8.15 
乳頭温泉郷・鶴の湯温泉林道を走りました。

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昔は砂利道故に、高速でカーブに突っ込み、テールをザザザッて流し、逆ハンドルで体制を整えてカーブを抜けたものです。

今回も砂利道を期待し、ビデオカメラ片手で鶴の湯温泉林道に入りました。
処が、大半は舗装されていたんです。

それでも林道に入る直前から到着までカメラを回し続けた記録が、一見、何の変哲もない下記のユーチューブです。

尚、ビデオカメラ片手に撮影ですが、結構スムーズに撮れましたでしょう。

実はですね、この時のハンドル操作では、右手、左手、それに右足の膝を使っていたのです。

例えば、そこそこのカーブでも、右手にVTR、左手はチェンジレバー。
ハンドルはどこで切るの?

お分かりですね。
右膝です。

これ以上言うと・・・・・。

それを前提に、動画をご覧下さい。





乳頭・鶴の湯温泉日帰り入浴記

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実は15年前の5月連休後、乳頭温泉郷・鶴の湯温泉に一泊したことがあるのです。夕食は本陣の囲炉裏端で、山菜料理でした。今回は予約をとれないので大曲駅前ホテルに一泊し、翌朝、鶴の湯に出かけました。

ホテル一泊料金と夕食の居酒屋代を合算したら、鶴の湯温泉に宿泊した方が安くあがるのですが。

日帰り入浴は午前10時開場なので、その直後は恐らく空いていてビデオを回せると思ったのですが、これは見事、予期に反しました。

流石、人がいっぱいで、混浴露天風呂でビデオを回したら、裸体のあらぬ場所まで撮ってしまいますから、回せなかったですね。

撮ろうとするならば、やはりここに一泊しなきゃなりませんね。
翌早朝の混浴露天風呂に入浴出来るのは宿泊客のみで、入浴する人はせいぜい一人か二人でしたから。

『乳頭温泉郷・鶴の湯温泉 日帰り入浴体験記』 5分56秒



《鶴の湯温泉・混浴露天風呂入浴シーンの映像をご覧になりたい方は》
鶴の湯温泉:OL温泉女子「山田べにこの野天湯へGO!」秘湯紹介! / Japanese hot springs (onsen)

《鶴の湯温泉 宿泊料金表》

(※)以前、宿泊したとき、ここのオーナーは、『山の奥地の温泉で客を呼ぶには、特徴を強く打ち出し宣伝する事』と言っていました。コンセプトの重要性ですね。



前日の14日の夕方、大曲では雨がドシャッと降りましたね。
翌15日は鶴の湯から田沢湖を通った11時過ぎから青空が出てきました。

午後に大曲駅から秋田市寄りの大仙市北楢岡の雄物川堤防に立ってから親戚の家に顔を出しました。

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(画像)向こうに見えるのが神宮寺岳(三角山)。手前からの道路が雄物川堤防。左の杜のちょっと手前が、私の幼少時代、祖父を火葬した畑。

(※)私の履歴書⑥ 三途の川 2007/9/23(日)



大阪に帰宅してから間もなく、仙北から、『稲庭うどん(佐藤養助商店)』と『いぶりがっこ』が送られてきました。

私がこのお盆、秋田に帰郷中、食べていなかったことを悟られたからかも。

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ものはついでに、先週9月4日に鳥取から送られてきた二十世紀梨の写真も掲載しておきます。
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このひと箱を我ら夫婦だけで食べるのは大変なこと。
日が経つにつれ、どんどん味が落ちていきますからね。
昨年はふた箱も届きましたから、苦労しました。



                      つまらん話はここでおしまい

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