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島本町水無瀬は、京都嵐山から流れる桂川(途中、鴨川と合流)・琵琶湖からの宇治川・奈良方面から流れる木津川の三つの川の合流地点です。ここから淀川となって大阪に流れます。 [[img(http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/7d/df/minaseyori/folder/1462267/img_1462267_55109248_4?1289239015)]] 島本町水無瀬については、谷崎潤一郎著小説「蘆刈(あしかり)」で結構詳細に述べられています。ここ水無瀬は、小倉百人一首を並べたら、水無瀬の情景になるという藤原定家の隠れた後鳥羽上皇思いの舞台です。 参照:「百人一首の秘密」著者林直道教授の公式サイト http://www8.plala.or.jp/naomichi/ 参照:「水無瀬絵図」小倉山荘サイト  http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin02.html (追記)小説『蘆刈』に基づく私のブログ記事 谷崎潤一郎原作・主演田中絹代 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43928675.html 愛するが故に妻との別離 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43963187.html 阪急大山崎下車の谷崎潤一郎 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/46246160.html 京都に在った諏訪湖より大きな池 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/46870978.html 十五夜お月さんと山崎の橋 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61587198.html 水無瀬野の歴史 https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61399688.html (お知らせ)09.12.06 ①公序良俗に反するコメントや、因縁コメントは直ぐにカットします。 ②コメントは、空行も含めて10行以内でお願いします。➂私の記事や私見に反論のある方は、先ず自分のブログで論証してください。

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    昨日の私のブログ記事へのコメで、韓国を好きな国はどこかという質問がありましたので調べてみました。

    (昨日の記事)
    報道しない『アンネの日記』破損事件の背景  2014/3/9(日)

    尚、世界での日本の好感度については以前、私のブログに書いていましたね。
    『沈黙は美徳??時代が違います!』  2013/6/9(日)


                 ◆       ◆       ◆

    下記のグラフは英国BBCの調査結果。
    毎年、公表している。

    イメージ 1

    2010年

    韓国に対する各国民の好感度・嫌韓度

    嫌韓の国
    1位:ドイツ
    2位:スペイン
    3位:イタリア
    4位:フランス
    5位:ブラジル


    好韓の国
    1位:中国
    2位:フイリピン
    3位:インドネシア


    (注)このグラフで好韓と嫌韓を合計した数字を100%から引いた数字が好韓・嫌韓どちらでもないという%。

    下記のグラフでは、この数字をニュートラルと表現している。

    (注)これは2010年のもので、それから3年後にはどう変化しかは、下記のグラフ。





    日本人は嫌韓と言われているものの、下記の通り、昨年の調査では、日本国民より韓国が嫌いな他の十数国の国民がいたとは驚きです。

    日本人の嫌韓の度合いが他国に比較してまだまだ嫌韓の努力が足りないのでは? ヽ(´▽`)/  マァ、世界の人々に比較して、人が良すぎるのですかね。

    何しろ日本人を皆殺しするということで、通り魔で日本人が何人も殺されようが、洗脳・韓流ドラマを観て井戸端会議をするおばちゃんが多いですからね。


    (参考)一番韓国を嫌ってる国は日本ではなくアノ国だった 日本は意外にも13位
    http://getnews.jp/archives/458838

    何と、ドイツ国民の75%が韓国を嫌い!
    フランス、メキシコの国民の約半分も韓国嫌い!

    対比日本の韓国嫌いは僅か28%。

    イメージ 2

    2013年

    嫌韓国
    1位:ドイツ
    2位:フランス
    3位:メキシコ
    4位:カナダ
    5位:トルコ
    5位:イギリス
    7位:ブラジル
    8位:アメリカ
    9位:オーストラリア

    日本は13位


    好韓国
    1位:インドネシア
    2位:ガーナ
    3位:スペイン
















                 ◆       ◆       ◆

    次の記事は、フイリピンではいかに嫌韓かの象徴みたいなものです。

    台風被害にあったフィリピンが支援感謝のポスターを公開 
    韓国「韓国の国旗だけ無いぞ!」と激怒
    http://getnews.jp/archives/455856

    From the Philipines and the filipino people
     『 THANK YOU 』  We Will Never Forget !
    イメージ 3

    (注)日本国旗は、中指の先端に表示されている。

    台風被害にあったフィリピン。世界各国から多くの支援が寄せられそれに対する感謝のポスターが公開された。ポスターには「THANK YOU」と書かれており、支援国家の国旗がフィリピン国旗に対して手を差し伸べているというもの。

    しかしその中に韓国の国旗が無いと韓国で大騒ぎになっているようだ。

    韓国からの支援はキム・ヨナによる10万ドル、また企業による支援ほか医療スタッフ、KOICA(韓国国際協力団)などが派遣さた。韓国のネットユーザー(ネチズン)はこのポスターを見て韓国の国旗が抜けていると激怒。

    中には「韓国が支援をするまえにポスターが作られたのだろう」と言う人もいるが、韓国より後に支援を発表した中国の国旗が確認できる。それだけでなく日本が先頭をキープしてることにも指摘しているネットユーザーが多いようだ。

    何故に韓国の国旗が抜けたのか?

                            ◆


    (私見)
    韓国の場合、日本に対抗して幾ら支援すると世界に公表するも、実際はその公表額の十分の一の額の場合が過去にあったから今回も???

    なにせ、支援金の30位以内にも入っていないのですから、ひょっとして、口だけで全く支援金を払っていないのでは?

    それでも韓国人のネットでは、支援金を返せと騒いでいるから驚き桃の木。

    或いは、韓国の企業や医療スタッフがフィリピンに行って、韓国の国技である強姦をしまくったとも考えられる。

                            ◆

    お時間がありましたら、下記のユーチューブもご覧下さい。
    洗脳・韓流ドラマに何故うつつをぬかすのか、よく分かります。

    韓国国旗のみ除外のフィリピンの台風支援感謝のポスター!納得の映像②
    http://www.youtube.com/watch?v=eQ40gcqC99U




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    今日、3月11日は東日本大震災から満三年。恐らく、亡くなられた皆様には、数日前から一時的にこの世に舞い戻ってきているでしょう。

    私は亡くなられた皆様には哀悼の意しか表せませんが、皆様には日本の国歌『君が代』をあの世でも斉唱していただきたく、改めて記事にしたためました。

              ◆       ◆      ◆

    その前に、過去の私のブログ記事を垣間見ていただきたいものです。

    (私のブログ記事)
    古代イスラエル人と日本人 2013/4/21(日)

              ◆       ◆      ◆

    さて、本題。

    日本の国歌『君が代』の歌詞の出典は10世紀に編纂された『古今和歌集』(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番)でお祝いの歌。

    『我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで』

    今回は『君が代』の歌詞の解釈の諸説の中から二つを紹介します。

                      ◆

    解釈1)

    国歌 「君が代」のヘブライ語訳.wmv
    http://www.youtube.com/watch?v=esNHTnMlO5g



    君が代は ⇒ クムガヨワ(立ち上がれ!)お気に入り詳細を見る

    千代に 八千代に ⇒ テヨニ ヤ・チヨニ(神の選民 シオンの民!)

    細石の ⇒ サッ・サリード(喜べ・人類を救う、残りの民として)

    巌となりて ⇒ イワ・オト・ナリァタ(神の予言が成就する!)

    苔の生すまで ⇒ コ(ル)カノ・ムーシュマッテ(全地あまねく 宣べ伝えよ!)

                      ◆

    解釈2)

    君が代の本当の意味 国家、君が代は恋の歌だった
    The national anthem of Japan, Kimigayo(君が代) is a love song.
    http://www.youtube.com/watch?v=8O7jf0yJazg
    http://ameblo.jp/sankeiouen/entry-11772506458.html

    お祝いの歌の代表作として紹介されたのが「君が代」です。
    「君」は君主をあらわすと­いう人がいますが、それは間違いです。

    漢字の「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を­組み合わせた文字ですが、「尹(イン)は、「手」に「|」(つえ)を持っている姿です­。これは「聖職者」をあらわします。

    「口」は、その聖職者が口を開けて、何かを説いて­いる姿です。
    つまり「君」という字は、会意形成文字で、高貴な人をあらわす文字です。
     読みは「クン」です。

    「君主(クンシュ)」となると「高貴な人=君(きみ)の主人」なので、それだけ偉い人­です。つまり「君」という字は、高貴な人であり、だからこそ、源氏物語は朝顔の君や、­藤袴の君など、美しい女性たちに「君」の尊称をつけています

    「君」が天皇をあらわす­というのなら、源氏物語の女性たちは全員、天皇ということになってしまう実は、古代­日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです
    日本神話に登場する最初の男女神はイザナ「キ」ノミコトの『キ』イザナ「ミ」ノミコトの『ミ』であり、「おきな=翁­」「おみな=嫗」という言葉もあります。

    イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、­日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。

    その­最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場­します。「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。

    つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。

    二人は天つ御柱で出会い、

    キ 「我、成り成りて、成り余るところあり」
    ミ 「我、成り成りて、成り足らざるところあり」

    と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みま­す。

    ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。
    「成り」というの­は、完全に、完璧に、という意味です。

    知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したの­です。

    ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」­があった。これは矛盾です。

    そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて「子」が生まれた­のです。

    (注)換言すれば神々でさえ、完全に完璧に成長してから男女のまぐあいを持った。
    ましてや、神々の子孫である我々人間は、男女とも当然に完全に成長してから、交合するものだということを教えている。

    「きみ」とは、「完全に完璧に成長した男女の喜びの意味であり、尊敬し敬愛する人の­喜びであり、「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。

    そ­の「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。歌はさらに「さざれ石­の巌となりて」と続きます。

    イメージ 1
    さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となっている­という点です。

    海底に堆積した小石は何千年何万年という年月を経て大陸プレート移動により物凄い圧力で石と石とがくっつき、それが地殻変動で隆起し山脈になります。

    その山々で見つかるのがさざれ石です。

    ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力でみんなで団結したら、それは­大きな「巌」となる。

    つまりさざれ石は、「きみ=男女」の結束、そして生まれて来る子­供達や新たに親戚となる者たちなど、そのすべての人々が、大きな力のもとで固く固く団­結しあい、協力しあうことの象徴でもあります。そして最後に「君が代」は、「苔のむす­まで」と締めています。

    苔は、冷えきったり乾燥しているところには生えません。濡れていて、水はけの良いとこ­ろに生育します。カビとは違うのです。

    つまり、濡れたものと、固いものがしっかりと結­びついたところに苔は生えます。
    すなわち「苔」は、「きみ=男女」が、互いにしっかり­と結びつき、一緒になって汗を流し、涙を流し、互いにしっかりと協力しあい、長い年月­をかけて生育する。それは、男女のいつくしみと協力を意味します。

                いかがでしたか? 日本の国歌の二つの解釈。


    お時間がありましたら、下記も。

    (参考)

    かごめ かごめ をヘブライ語で解釈する
    http://www.youtube.com/watch?v=aPJbM3Y9d5k



    かごめかごめ ⇒ カゴ・メー カゴ・メー(誰が守る? 誰が守る?)お気に入り詳細を見る

    籠の中の鳥は ⇒ カグ・ノェ・ナカノ・トリー(硬く安置された物を取り出せ)

    いついつでやる ⇒ イツィ・イツィ・ディ・ユゥー(契約の箱に納められた)

    夜明けの晩に ⇒ ヤー・アカ・バユティー(神譜を取り、代わるお守りを作った)

    鶴と亀がすべった ⇒ ツル・カメ・スーベシダ(未開の地に水を沢山引いて)

    後ろの正面だあれ? ⇒ ウシラツ・ショーメン・ダラー(水を貯め、その地を統治せよ!)

                      ◆

    さくら さくら を へブライ語で解釈する
    http://www.youtube.com/watch?v=8ACzntouvqs
    幕末、江戸で子供用の箏の手ほどき曲として作られたもの(作者不明)。

    さくら さくら ⇒ SKR SKR(隠れた 隠れた)お気に入り詳細を見る

    やよいの空は ⇒ YYH YN SRH(唯一の神が迫害され、耐えて)

    見わたす限り ⇒ MWT KGR(犠牲として死に、)

    かすみか雲か ⇒ KSM KMK(くじ引きにされ、取り上げられた)

    匂いぞ出ずる ⇒ NOH YZR(素晴らしい神の計画)

    いざや いざや ⇒ YZY YZY(神の救い 神の救い)

    見にゆかん ⇒ MN YK(捧げ物を決めた)

    http://matome.naver.jp/odai/2137432265235492101




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    韓国が国をあげて国際社会での日本の地位を墜落させることを目的とする「ディスカウントジャパン'運動」が展開されていますが、それと呼応したのが中国の習近平国家主席でしたね。

                            ◆

    中国主席ドイツ訪問で「ホロコースト施設視察」を打診 日本への圧力ねらいか
     msn産経 2014.2.25 17:19 [中国]
     ロイター通信は25日までに、中国政府が3月末に予定している習近平国家主席のドイツ訪問で、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)記念施設を視察したいと同国政府に打診していたと伝えた。(中略)

    今回の習氏によるドイツなど欧州連合(EU)各国訪問でも、「ナチスの歴史を深く反省し罪を認めたドイツ」と「軍国主義と侵略の歴史を反省しない日本の指導者」(共に中国外務省)との違いを浮かび上がらせ、日本への国際圧力を強めたい考えとみられる。

     ロイターが複数の外交筋の話として伝えたところでは、中国政府は、習氏によるベルリンの「ホロコースト記念碑」訪問を提案したが、ドイツが即座に断った。(共同)
    http://sankei.jp.msn.com/world/news/140225/chn14022517210002-n1.htm

                            ◆

    この記事のようにドイツが即座に断るのは当然です。
    何しろ、第二次世界大戦で何百万人と虐殺されたのは実はユダヤ人ではなく、ドイツ人が空爆や餓死で何百万人も殺されたのですから。

    イメージ 5

    中国の習近平国家主席は、米国・中国により捏造されたありもしない南京大虐殺事件を、ドイツのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)記念施設で叫びたかったのでしょうね。

    処で、300冊も破られたアンネ関係の書籍では、アンネやその親族などの写真は破かれていなかったということですから、これは何を意味するか明白ですね。

    アンネなどのユダヤ人が憎くてやったにしても、破かれた本がアンネの日記であると確実に世界に知らしめるため、イコール、日本人は反ユダヤということを世界に知らしめる為という説が有力ですね。

    尚、朝日新聞では、このアンネ・フランク関連の書籍が破られる事件を報じた際、「日本社会の右傾化が背景にある」とのコメントを掲載(2月28日)していますから、この事件の背後に中国や韓国と連携した朝日新聞がいたとの有力説もありますね。

                            ☆
    (参考)
    シドニーにも慰安婦像 中韓の市民団体、設置許可申請へ
     msn産経 2014.3.6 20:53 
     【シンガポール=吉村英輝】在オーストラリアの中国系と韓国系の市民団体が連携し、同国最大都市のシドニーに「慰安婦像」の設置許可を求める申請を地方政府に近く出すことが6日、分かった。中国系団体の代表、楊東東氏(56)が産経新聞の電話取材で明らかにした。(以下省略)
    http://sankei.jp.msn.com/world/news/140306/asi14030620540005-n1.htm

                            ☆

    しかし、警察は、この破った犯人を捕まえる気があるのでしょうかね?

    以下は、改めて『アンネの日記』の復習版です。

              ◆       ◆       ◆

    報道しない『アンネの日記』破損事件の背景 2014/3/9(日)


    「アンネの日記」はおっちゃんが書いた小説 2012/1/20(金) 

    ホロコーストはなかった
    ナチの収容所のガス室で殺されたユダヤ人の数は、600万人ではなく、0人
    ガス室自体が無かった。ガス室と称する部屋はシラミ駆除用のもの。
    ガス室は戦後に新築されたものであるとポーランド政府が認めている

    「アンネの日記」は少女アンネ・フランクが書いたものではなく、ユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン(男性)がアンネ、又はアメリカの少女の誰かの日記を参考にし、捏造して創作した小説。
     
    依頼者は、アンネの父、ユダヤ系ドイツ人、オットー・ハインリヒ・フランク。

    このアンネの父親のオットー・フランクは5万ドルという大金(現在の貨幣価値で約2億円)を払ってまで、ゴーストライターに娘の名前で小説を書かせた

                            ☆

    (参考)
    『アンネの日記』は、シェックスピア戯曲『ヴェニスの商人』のホロコースト版。
    戯曲『ヴェニスの商人』はイスラエル建国のための戯曲。

                            ☆

    (参考)広瀬隆氏は著書『赤い楯』より。 このような説もあるのですね。

    パレスチナ問題の根源は、“ヨーロッパ人”によるユダヤ人迫害にあった。

    このヨーロッパ人の責任が、アラブ人から土地を奪取することによって中東に転嫁されたことに源がありながら、そのヨーロッパ人が口をつぐんでいるのは、不思議な沈黙である。

    イスラエルを建国することは、ユダヤ人を追い出したいと思うヨーロッパの、多年の願望だったのであるイスラエルはユダヤ人の国ではなく、ヨーロッパによって創られた国であった。

    「イスラム教とユダヤ教の対立、あるいはアラブ民族とユダヤ民族の死闘、これはそのあとに生まれた結果であり、中東紛争の原因ではない。

                            ★

    アンネの日記が世界的に売れるようになると、この版権をめぐって依頼者であるアンネの父親オットー・フランクとゴーストライターのユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン(男性)が裁判で争う

    この最高裁の判決の書類2241-1956は、ニューヨークの地方事務所にあるはずなのだが、このファイルは消えてしまっている。都合の悪い輩が抜き取った?

                            ☆

    《何故アンネも含むユダヤ人は強制収容所で死んだのか?》

    アンネ・フランクは1945年3月上旬、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で発疹チフスを患って亡くなった。もし治療を受けていたら、もしかすると彼女は助かっていたかもしれない。

    しかしユダヤ教に入り込んだ悪魔の法典タルムードの「偶像礼拝者や異教徒からの医療的な助けは避けなければならない」(Pesachim 25a) という邪義がそれを許さなかった。タルムードを信ずるユダヤ人達に、非ユダヤ人の治療を受ける選択肢は無い。アンネ・フランクも、他のユダヤ人も治療を受けずに亡くなった。

                            ☆

    1980年ドイツでひとつの裁判が行われた。ドイツの雑誌、デア・シュピーゲルによると、「アンネの日記は偽書である」と主張するエルンスト・ロエマーをアンネの父、オットーが訴えた。

    ドイツの捜査当局、BKA(FBIに相当)は訴えを受けて、アンネの日記の科学的分析を行ったその結果、第四章がボールペンで書かれていると判明した

    ボールペンは、1951年に発明されたものであり、アンネの生きている間には存在しない。この最後の部分が偽書であるのなら、アンネの日記全体の真贋が問題となる。なぜならば、この第四章の筆跡が、第三章までと同じだったから。

    尚、1980年10月9日付の「ニューヨーク・ポスト」には、エルンスト・ロエマーが、この『アンネの日記』は真実ではなく、小説である事を追及し続けて裁判に持込んだ事が書かれている。二度目の裁判でこのロエマーの申出は正当と認められた。 


                            ☆

    捏造された歴史を叫び続ける醜態  2012/1/18(水) 

    戦前のヨーロッパに在住していたユダヤ人は650万人。
    その9割の600万人をナチスが殺したとすればどうなる? 
     
    『ワールド・アルマナック』 (The World Almanac世界データ事典)より
    世界のユダヤ人の人口:戦前(1940年) 15,319,359人
    世界のユダヤ人の人口:戦後(1948年) 15,713,638人

    他の資料でも
    戦後の世界のユダヤ人数、1659万人。
    戦後の世界のユダヤ人数、1500万人~1800万人。
     
    ユダヤ人600万人が殺されたら、戦後の世界のユダヤ人は1000万人前後に減少していなければ勘定が合わない

    然し、戦前と戦後のユダヤ人の人口には、大きな変化は見受けられない

    尚、アウシュイビッツで死んだユダヤ人は 僅かに3万数千人であり、その大半は発疹チフスにかかり死亡した。 

                            ☆

    換言すれば、第二次世界大戦で死んだユダヤ人は少なく、ドイツ人や非ユダヤ系ポーランド人が大量に死んだと言える。大半のユダヤ人はアメリカなどに逃げたのである。

                            ☆

    (参考)
    杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日) 日本の官僚、外交官。
    イメージ 4

    第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。

    外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。

    その避難民の多くが、ユダヤ系であった。海外では、「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。

                 ★       ★       ★

    イメージ 8

    結論から言えば、第二次世界大戦はユダヤ人国家『イスラエル』(1948年独立宣言)を創るための茶番劇だったので、それを隠すために歴史が捏造された。

    つまり、ユダヤ国家『イスラエル』を創る為に、欧州のユダヤ人を欧州から追い出し、パレスチナに移住させ、『イスラエル』の国民にするのが目的であった。

    (注)第二次世界大戦を演じたヒットラー(独)、チャーチル(英)、ルーズベルト(米)、レーニン(露)もユダヤ人。

                            ☆

    (参考)
    1880年から1925年の間に、アメリカへ移住したユダヤ人400万人に対し、パレスチナへの移住者はたった15万人しかいなかった。

    当時、西欧や東欧のシオニストたちが提唱するようなユダヤ国家建設に興味を示すユダヤ人は少数グループであった。

    ユダヤ人の大半は、ユダヤ国家建設など、あまりにも現実離れしすぎた妄想的計画だとみなしていた。それよりも自分たちが住む国家社会に「同化」することのほうが大事だと思っていた。

    (注)シオニズム、シオニストとは

    イメージ 7
    (ヘブライ語: ציונות‎, Zionism)民族の居住の地を追われ、離散と流浪をしいられて2千年ちかく。ユダヤ人が、民族としての再結集と、故郷への帰還をもとめる運動は、シオニズムとよばれる。シオン、つまり栄光のエルサレムを奪回すること。

    シオニズム運動の象徴 – イスラエルの「ダビデの星」。国旗は、このダビデの星と呼ばれる、6芒星。

                 ★       ★       ★

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    欧州からユダヤ人を追い出し、パレスチナへ移住させる使命でユダヤ系国際金融資本から資金援助を受け悪役を演じたのが、ユダヤ・ロスチャイルド卿の孫である『アヅルフ・ヒットラー』。

    『アヅルフ・ヒットラー』は、イスラエル建国の使命を果たした後、南米で余生を送り20年前まで生きていた

    (注)イスラエル建国の父ヒットラーの精子は冷凍保存されている。

    (参考)
    ヒトラー側近のナンバーワンで金庫番だったマルチン・ボルマンは英特殊部隊による『JB作戦』で戦火のベルリンから拉致(救出?)され、英国に連行された。(中略)
    後、ボルマンは整形手術を受け、イギリス滞在中にブラジルやアルゼンチンなどの南米諸国や他の地域に行っていた。その後ボルマンは1959年2月に南米パラグアイで死んだ。

                            ☆

    (参考)
    「ナチ党」の正式名称は、「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」である。
    但し、「ナチ(NAZI)」という語は、ヘブライ語で、ユダヤ人らの言葉であり、ドイツ語ではない
    民族主義の気運をドイツ国内に作り出したのはユダヤ系ドイツ人らであった。(中略)

    しかし、別の裏情報によると、「ナチ(NAZI)」の本当の意味は、「国際シオニスト連盟 (National Association of Zionist International)」 だという。

    (引用先)ベラスコの告白
    http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc107.html
    (参考)
    麻生副総裁の発言の真意は?  2013/8/2(金)


                   ◆       ◆       ◆

    《『アンネの日記』原本と称する日記》

    下記のURLをクリックすると見ることができます。(↓クリック)

    (見方の説明)
    手順は画像に記入している①からクリックして下さい。
    13歳になった誕生日から亡くなる15歳までの一部の日記を見ることができます。

    イメージ 1

    13歳の日記では日記をペンで書いたから字の太さや色が日によって違ったりするが、15歳の日記ではボールペンで書いているから常に一定。お確かめ下さい。

    イメージ 2

    (注)上記12歳の日記では、日によって、或いは記入する時間が異なると字の色が異なる。以降、恐らくペンでは都度インクを付けなきゃならなく面倒なので、ボールペンを使ったものと思われる。

    イメージ 3

    13歳の日記を見終わったら、次に、14歳の褐色の表紙の日記をクリックして下さい。以降、手順は同じです。



    (参考・引用先)
    第2次世界大戦の真実④ アンネの日記の真相
    http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/2011-06.html

    シオニズムの変遷
    http://takao-sato.seesaa.net/article/273169144.html

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    孫娘のあのねから始まる小学校での色々な出来事を聞く都度、典型的な日本人の血が流れ、日本人の遺伝子を我らから受け継いでいるとつくづく感心します。

    他方、嘘八百を当然視するなどの色々な遺伝子を受け継いでいる子供の多い東京で、果たして無事に小学校時代を送れるかが心配でもあります。

    そう思いながらもここで思い出すのが下記の記事です。
    もうご存知の方が多いと思いますが改めて掲載しておきます。


              ◆       ◆       ◆

    ベトナム中を涙させた少年の話

    東日本大震災直後、福島県に派遣された一人の警察官がいた。
    彼は在日ベトナム人の両親を持ち、日本に生まれ、
    人のために働きたいと帰化して警察官になった。...

    その彼が派遣された場所は、福島第一原発から25km離れたある被災地。
    震災と原発事故の最も過酷な状況の中で治安確保のための派遣だった。


    しかし、治安は安定しており、住民の見回りも機能し、

    彼は被害者の埋葬と食料分配の手伝いを多忙な職員に代わって行なっていた。
    被害者と向き合った初日こそ涙を流したものの、
    余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ、ただ呆然と仕事をこなす毎日となった。


    忘れもしない3月16日の夜。
    被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で彼は9歳だという男の子と出会った。
    寒い夜だった。なのに男の子は短パンにTシャツ姿のままで、

    食料分配の列の一番最後に並んでいた。

    気になった彼が話しかけた。
    長い列の一番最後にいた少年に夕食が渡るのか心配になったからだ。

    少年は警察官の彼にポツリポツリ話を始めた。
    少年は体育の時間に地震と津波にあう。
    近くで仕事をしていた父が学校に駆けつけようとしてくれた。

    しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られた。
    「父が車ごと津波にのまれるのを学校の窓から見た。
    海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思う」と話したのだ。

    家族の話をする少年は、

    不安を振り払うかのように顔を振り、にじむ涙を拭いながら声を震わせた。
    悔しさと心細さと寒さで・・・

    彼は自分の着ていた警察コートを脱いで少年の体にそっと掛けた。
    そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡した。

    遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が目にしたものは、

    受け取った食料パックを配給用の箱に置きに行った少年の姿だった。
    唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言った。

    「ほかの多くの人が僕よりもっとおなかがすいているだろうから・・・」

    警察官の彼は少年から顔をそらした。
    忘れかけていた熱いものがふと湧き上がってきたからだ。
    少年に涙を見られないように。

    それにしても…
    まがりなりにも大学卒で博士号をもち、髪にも白いものが目立つほどに人生を歩んできた自分が恥ずかしくなるような、人としての道を小さな男の子に教えられるとは。

    9歳の男の子、
    しかも両親をはじめ家族が行方不明で心細いだろう一人の少年が、 困難に耐え他人のために想いやれる。

    少年の時から他人のために自分が犠牲になることができる日本人は偉大な民族であり、必ずや強く再生するに違いない。

                ☆       ☆       ☆

    自分の胸の中だけにしまっておくにはあまりにももったいない話だった。
    いや、誰かと自分の感動を分かち合いたかった。

    彼はベトナムの友人に自分の体験した話を打ち明けた。
    ベトナムの友人も感動して祖国の新聞記者に伝えたのだろう。

    Vietbao紙の記者は次のような記事をのせて、少年と日本を称賛した。

    「彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と強固な意志を象徴する小さな男の子の話に、我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。」

    我が国にはこんな子がいるだろうか」と…

    この記事が大変な反響を呼ぶ。
    決して裕福とはいえないが、ベトナム国民からの義援金が殺到したという。

    そして、我々も…

    悲劇と苦難のもとでも失われないけなげな日本人の美質と負けない力を、少年の小さな行為から教えられました。

    ほんとうに、ありがとう。

    でも・・・・
    気がかりなのは9歳の男の子のこと。

    奇跡が起きて生還した家族と暮らしていてくれることを心から願っている。
    もし、不幸にも、それが叶わなかったとしても懸命に生きている君に叱られるかもしれないが、一言いわせて欲しい。

    強く生きて欲しい。と…

    ほんとうに、ありがとう。

    そしてThanhさん、少年のことをありがとう。
    あなたは紛れもない真の日本人です。



                          ◆◇
    出典: JICAホームページ
    ベトナムで広がる支援の輪
    ー日本人を勇気づけたいー
    http://www.jica.go.jp/vietnam/office/others/saigai/
    「日本人の悲しみを共有し、日本人に感服する。」  2011-03-18-Vietbao- 


              ◆       ◆       ◆


    ブログ akiraさんの「平凡な日常」
    「外国人から見た日本人」
    https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=209051779263662&id=150678428434331

    ベトナム発情報総合サイト
    2011年03月18日 日本の地震、広がる支援の輪
    http://www.vietnamguide.com/newsdetail.php?catID=1&cat1ID=19&cat2ID=73&newsID=2293

    (ユーチューブ版)
    http://www.youtube.com/watch?v=oD_07e65-Lo





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    私達日本人が、日本人をどう思うのかは、年代によって大きく異なるようですね。
    特に小学校時代にどんな先生が担任であったかでも異なりますね。

    小学校の高学年時代にGHQが作らせた日教組に加入している教師が担任の場合、自虐史観を植えつけられ、日本人観は最悪かもしれませんね。

    昨日の私のブログ記事の中で被災地の9歳の男の子のとった行動はありえないのではと疑問を抱いた方がいらっしゃったようですので、今回の記事は東日本大震災の時の日本人の行動を中国メディアを通して確認してみました。

    (参考)昨日の私のブログ記事
    日本人の血と遺伝子とは  2014/3/16(日) 
    9歳の男の子「ほかの多くの人が僕よりもっとおなかがすいているだろうから・・・」


    以下は、中国メディアの報道より抜粋です。

    以前、私のブログにも書いてありましたし、あるいは日本の新聞などで読んだこともあると思いますが改めて掲載します。

              ◆       ◆       ◆

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    宫城县女川町百名中国研修生受助生还
    2011年03月16日 

    新华网日本宫城县女川町3月16日电  大?来时有大爱――宫城县女川町百名中国研修生受助生还

        新华社记者马杰 ?华

        “要不是这些当地人的?助,我们早就没了!”来自中国大连的研修生衣亚男和同伴们在宫城县女川町含着泪水感激道。(以下省略)

    http://news.xinhuanet.com/world/rbqz/2011-03/16/c_121193758.htm

    日本人社員、20人の中国人研修生を助けて避難させた後、津波に呑み込まれて行方不明
    2011年03月16日 11:12:48 新華社記者 馬傑 劉華

     「地元の人々の助けがなければ、私たちはとっくに死んでいたでしょう」。

     中国・大連出身の研修生・衣亜男さんとその仲間は宮城県牡鹿郡女川町で目に涙をためながらこう語った。

    女川町は今回の大地震で人口約1万人のうち半数以上が今も行方不明。
    町内は一面の廃墟と化し、海岸線にはいくつもの遺体が打ち寄せられた。

    鉄道車両は津波で真っ二つとなり、レールから数十メートル離れた山に打ち付けられた。これほど深刻な被害を受けた女川町で約100人の中国人研修生が難を逃れることができた。多くの人は地元の人の助けにより九死に一生を得たという。

     地震発生時、地面が激しく揺れた。佐藤水産株式会社の中国人研修生20人は宿舎付近の高台に避難した。まもなく、同社の佐藤充専務が「津波が来たぞ!」と叫びながら走って来て、彼女たちを連れてさらに高い場所にある神社へと避難した。

    研修生を避難させた後、佐藤専務は妻と娘を探すため宿舎に戻った。しかし、宿舎はまもなく津波に呑まれ、佐藤専務はそれっきり戻ることは無かったという。

     衣亜男さんは涙に咽びながら「佐藤専務は逃げ道がなくなり、屋上で右往左往しているうちに水に巻き込まれてしまいました。何度かは持ちこたえましたが、すぐに見えなくなってしまったのです」と語った。

    研修生の張軍燕さんがデジタルカメラで撮影した映像には、命の恩人である佐藤さんが津波に呑まれるのを、「早く逃げて!」と泣き叫びながら見守るしかない女の子たちの姿が記録されていた。張軍燕さんによると、佐藤専務の妻と娘もまだ行方不明のままだという。

     災害当日の夜は大雪となり、研修生たちは行き場が無かった。佐藤専務の兄、佐藤水産の佐藤仁社長は家族を失った悲しみに負けず、山の上に住む友人の家を一晩中かけて探し、そこに研究生を避難させてくれた。

    佐藤水産の研修生管理を担当する杜華さんは「地震の翌日、佐藤社長は私を見て『杜華、20人全員助かったぞ!』と言いました」と語る。

     岡青株式会社の社長と部長も中国人研修生を助けてくれたという。彼らは地震後すぐに車で5人の研修生を付近の山に運んだ。

    大連出身の曹晶さんは「その夜、社長は私たちを山頂の温泉旅館に避難させてくれました。彼らはその時、自分のお子さんすら見つかっていなかったのです」と述べる。

    状況が安定した後、彼女たちは現地で最大の避難所に連れて行かれ、数十人の中国人の仲間と合流したという。

     避難所では、彼らは1日に2食から3食の食事が保証されている。情報が広まるに伴い、ますます多くの救援車両が到着し、補給も次第に足りてきた。

     曹晶さんは「皆さんの助けが無ければ私たちは一体どうなっていたことか。想像することもできません」と述べる。時間との戦いとなる避難の中、地元の人々は全ての命を同様に扱い、尊重してくれた。研修生たちはこのことを一生忘れないだろう。

    「人民網日本語版」2011年3月16日
    http://j.people.com.cn/94475/7321999.html

              ◆       ◆       ◆

    東北大学留学の中国人学生が迫真の仙台脱出談=「日本人の優しさに感動」―中国紙     recordchina.  配信日時:2011年3月23日 11時48分 

    2011年3月22日、「とにかく中国に帰ろう」―。宮城県仙台市で被災した中国人留学生、梁欣程(リアン・シンション)さんは故郷に帰りたい一心でひたすら自転車をこぎ続けた。

    「途中、多くの日本人が助けてくれた」と当時の様子を振り返っている。
    中国青年報が伝えた。 

    14日に無事帰国を果たした梁さん。
    当時の緊迫した様子を中国青年報に語った。

    震災当日は東北大学の図書館でレポートを書いていたという。

    最初は数秒の揺れだったが、数分後に再び大きな揺れ。
    「防災訓練を思い出し、すぐに机の下にもぐった」。
    そのうち、揺れはどんどん大きくなり、机の位置が大きくずれ、床が棚から落ちてきた本で埋め尽くされた。「その時初めて、これは大変だと思った」という梁さん

    それからさらに数分後、揺れが少し収まった時、警備員が駆け込んできてその場にいた人たちを避難通路に誘導した。建築が専門だという梁さんはその途中、柱に亀裂が入っていないことを確認し、安心したという。その時はまだ、落ち着いたら図書館に戻ってレポートの続きを書こうと悠長に構えていた。 

    学生たちはパニックになることもなく、落ち着いて広い駐車場に避難した。
    ところが、しばらくすると講義棟3階の化学実験室から火の手があがる。
    隣の林にまで燃え広がる勢いだ。
    山肌をむき出しにした裏山からは小石が転げ落ちてくる。
    その時、誰かが叫んだ。「山崩れが起きるぞ!」。 

    その日の夜7時頃、思いがけず在日留学生仲間から電話がかかって来た。それから思い立ったように何度も大連の実家に電話をかけ、2時間後にようやくつながった。

    家族には「大丈夫だから」と伝えた。大学が自分たちの消息を尋ね回っていると聞き、心が温かくなった。だが、その後電話は2度とつながらなかった。 

    梁さんの頭の中はもう、「中国に帰ろう、家に帰ろう」でいっぱいだった。ちょうど14日の東京―大連便を予約してある。だが、当時仙台はほぼすべてのライフラインが寸断されていた。仙台から東京まではバスで6時間の距離。今から自転車で向かえば、14日の便に間に合うかもしれない―。 

    翌12日、梁さんは仙台を後にした。途中で道に迷ったが、通りがかりの年配の男性が丁寧に地図を書いてくれた。その地図は今でも大事にとってある。

    夜は真っ暗だった。
    自転車のわずかな灯りを頼りにひたすらペダルをこぎ続けた。
    夜中の3時過ぎに福島市に到着。
    電気が付いていたので安心し、夜明けまでしばしの休憩をとった。
    それからさらに5時間こぎ続け、郡山市のバスターミナルに到着。
    停車しているバスの中から東京行きを捜した。 

    一か八か、乗せてもらえるかどうか聞いてみた。
    運転手は梁さんが被災者だと知ると、すぐに本部に聞いてみると言ってくれた。

    その間も車内の乗客たちが運転手に「先に中に入れてあげて」と言いながら手招きしている。梁さんの疲れた様子を心配し、何人もの人がパンや紅茶、飴などを分けてくれた。年配の男性はほこりまみれの服をはたいてくれた。「頑張れ」という言葉が胸に響いた。 

    日本人はこんな時でも冷静で他人に対する優しさを忘れなかった。
    東京もいつもと変わらない。
    被災地のスーパーは売り物がすべて無料になっていた。
    無事空港に着いた梁さんは大連の母親に電話をかけた。
    驚いたことに国際電話も無料になっていた―。(翻訳・編集/NN)
    http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50137

              ◆       ◆       ◆


    中国人留学生が見た東日本大震災、被災地の人々の姿に感動―中国メディア
    配信日時:2011年3月21日 0時40分

    2011年3月17日、中国新聞社は日本で暮らす中国人留学生の目から見た東日本大震災の様子を伝えた。災難の中でも秩序を保ち、我慢強く乗り越えようとしている人々の姿に強い印象を受けたという。(中略)

    避難所の様子については、「学校の講堂や体育館、公民館などが避難所として利用され、家族ごとに毛布を敷いて生活しているようだ。ここ数日、雨が降り気温が下がったが、寝るときは薄い毛布1枚だけ。

    食料は1日2回だけ支給される。大人が食べるのを我慢して、できるだけ子どもに食料を与えているある家族の様子を見て感動した」と話している。(翻訳・編集/HA)
    http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50071

              ◆       ◆       ◆

    食料配給は日本人も中国人も平等、中国人研修生が震災時に知った日本人の暖かさ―中国紙
    配信日時:2011年3月20日 19時55分

    2011年3月16日、新京報は、東日本大震災に被災した中国人研修生に対して示した日本人の心遣いを取り上げた。 

    宮城県石巻市で被災した浙江省温州市出身の中国人研修生・郭玲玲(グオ・リンリン)さんは、他の中国人研修生たちと石巻市内の避難所で生活している。非難当初、停電、断水が続き、ほとんどの店も閉まっており、生活に不便を強いられていたが、食事が最も大きな問題だった。

    郭さんは、新京報の取材に対し、日本政府からの食料と水の配給が不足してどうにもならなかったとき、瓦礫のなかから食べ物を探して食べていたと話した。

    「大きなスーパーがあって、(スーパー跡で)たくさんの袋詰めの食品が土砂の中に埋まっていたから、それを掘って、洗って食べた」という。 

    郭さんはまた、地震発生後、日本人も同じようにお腹がすいて喉が渇いていたはずなのに、私たちに野菜や食品をくれた人もいた、と語った。

    取材中、ちょうど何人かの日本人が、中国人研修生に食品と水を届けていた。
    郭さんによると彼らはスーパーのスタッフ。

    「毎日私たちにも無料で食料を届けてくれる。日本人であろうと中国人であろうと、平等に配給される」という。(翻訳・編集/津野尾)
    http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50075

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    <中国人が見た日本>日本人の態度は称賛に値する、震災でもマナー変わらず
    配信日時:2011年3月19日 14時35分

    2011年3月17日、日本事情を伝えているブロガー・黄文[火韋](ホアン・ウェンウェイ)氏は、ブログで記事「地震の中で見せた日本市民の態度は間違いなく称賛に値する」を発表した。以下はその内容。 

    震災の最中で日本人が見せた態度は間違いなく評価に値するだろう。
    停電にも文句を言うことなく政府の指示に従っている。
    スーパーに行けば「タマゴは1人1パックまで」の張り紙。ルールを破るものはいない。

    売り手も地震につけこんで価格をつり上げるようなことはしない。
    中には値下げしている店まであるほどだ。
    銀行は通帳がなくとも免許証などでお金を引き出せるように決定。
    自動車メーカーは自主的に操業を停止し、節電に努めている。

    地震により被災地では多くの家屋が倒壊したが、堅固に作られた学校はびくともしなかった。避難所として使用されており、政府の救援物資が届けられている。

    被災地のスーパーも営業を再開し、懐中電灯などの防災用品を販売した。
    しかし値段をつり上げるようなことは一切ない。

    被災者もちゃんと列を作り、自分の順番を待っている。
    地震があっても日本人の習慣には一切変化がなかった。
    バスを待つにしても、買い物にしても、ちゃんと列を作っている。 

    今回の地震は日本と日本人の秘密をあらわにするものとなった。
    大地震に向き合う日本人の態度から、日本がどのような国なのかを知ることができる。(翻訳・編集/KT)
    http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50064

              ◆       ◆       ◆

    <中国人が見た日本>
    未曽有の震災で浮き彫りとなった日本と中国の国民性の違い     
    配信日時:2011年3月20日 13時16分

    2011年3月11日、東日本大震災で日本人の民度の高さに驚いた中国人ブロガーが、「中国人と日本人の差」と題した記事を中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載した。以下はその内容。 (中略)

    日本人の団結力にも感心させられた。その反対に中国人の自己中心ぶりは情けない。日本人は四の五の言わず黙ってやるべきことをやるが、中国人はまず大々的にスローガンを打ち立ててからでないと動けない。

    日本人は「冷静なオオカミ」、中国人は「やたらと動き回る羊」といったところか。 
    今回の震災が起こるまで、中国人はもう少しまともな民族だと思っていた。

    筆者は決して外国崇拝者ではないが、今回ばかりは中国人と日本人の民度の差をまざまざと見せつけられた気がする。万が一、両国が再び戦火を交えることになったら…。我々は日本人に勝てるなどと思わない方が良いかもしれない。(翻訳・編集/NN)
    http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50065

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    「まるで無声映画」、大震災でも秩序を崩さない日本人に喝采―中国紙
    配信日時:2011年3月16日 0時36分

    2011年3月14日、中国紙・広州日報は、大震災に遭っても秩序正しい日本人の姿に驚く中国人たちの声を紹介した。 

    「まるで無声映画を見ているようだった」―。
    これはマイクロブログで報告された在日中国人の目撃談。

    「東京。電車が不通となり、徒歩で帰宅する数百万人の人々。
    みな黙々と列をなし、ひたすら前を目指す。
    怒鳴り声など聞こえない。
    自分は車だったが、誰もクラクションを鳴らしていなかった」
    と日本人の冷静さに舌を巻く。 

    「数百人が広場に避難した。
    タバコを吸う人はいない。
    係員が走り回って毛布、お湯、ビスケットなどを配る。
    すべての男性が女性を助けていた。
    3時間後、その場は解散となったが、地面にはゴミ1つ落ちていなかった」 

    日本人はむやみに自分の悲しみを表に出さない。
    他人に心配させたくないからだ。家族や友人を失っても、大声で泣きわめかない。

    突然襲ってきた深い悲しみをただひたすら黙って受け止める。
    助けてもらったら、「ありがとう」の代わりに「すみません」という人が多い。
    これは「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちの表れだ。 

    「人様に迷惑をかけない」。
    大震災のような生死に関わる状況下でも、日本人は秩序を崩さない。

    被災者という立場にあって、個人は集団から離れず、集団も個人を守る。
    規律を守ることこそが集団の利益を維持する最良の手段であると知っているのだ。

    「日本人が見せた冷静と団結は震災の恐怖を和らげてくれた」とある中国人は絶賛していた。(翻訳・編集/NN)

    http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=49954

              ◆◇      ◆◇      ◆◇


    いかがでしたか?

    私見としては、この9歳の男の子のとった行動は、日本人なら寧ろ当然ではないだろうかと思います。これが世界の他の国々の人たちとの大きな違いなのです。

    日本人のこのような民族性は昨日今日身に付いたものではありませんね。
    それは日本民族の脳幹に、そしてDNAに深く刻まれたものと思います。
    それはいつの時代から?

                               つづく


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    兄弟や近隣の皆と分かち合う心は、古くは律令国家の五保(ごほ)に始まり、秀吉⇒江戸時代の五人組制度で定着し、そして今、1300年に亘り日本人の脳幹に深く刻まれてきたものものですね。

    拠って、ごく自然に分かち合えるのは、日本人の本能となっているとも言えますね。

    尚、改めて調べて見ると、戦前(1936、昭和11年)の修身でも教えていました。

    この視点からは、戦時中や終戦後はともかく、世代交代し、修身を習っていない今の子供たちの心には、恐らく戦前・戦時中に教育を受けた三世代前の親がその子である二世代前にそれを躾け、更に二世代前が今の親である一世代前にその精神を教え、それを今の子が継承したとも言えますね。

                     ☆
    (参考)私のブログ記事
    日本人の血と遺伝子とは  2014/3/16(日) 

    日本人の脳幹に潜むもの  2014/3/17(月) 

                     ☆

    改めて、終戦直後の日本の子供(三世代前)についての記事がありましたので掲載します。この新聞記事は既にご覧になった方が多いと思いますが。

              ◆       ◆       ◆

    【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(1)一片のパン「幼いマリコに」
     2007.11.06  MSN産経新聞

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    81歳、進駐軍兵士だった元ハワイ州知事、ジョージ・アリヨシ氏から手紙(英文)が、記者の手元に届いたのは今年10月中旬だった。

     親殺し、子殺し、数々の不正や偽装が伝えられる中、元知事の訴えは、「義理、恩、おかげさま、国のために」に、日本人がもう一度思いをはせてほしいというものだった。

    終戦直後に出会った少年がみせた日本人の心が今も、アリヨシ氏の胸に刻まれているからだ。

     手紙によると、陸軍に入隊したばかりのアリヨシ氏は1945年秋、初めて東京の土を踏んだ。
                           ☆

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    (注)アリヨシ氏は、1944年にマッキンリー高校を卒業後、陸軍情報部日本語学校に入学、終戦直後の廃墟となった東京でGHQの通訳として勤務した。

    (注)右の画像:1946(昭和21)年8月1日、終戦後の東京の繁華街で大人に混じって靴磨きをする少年。家族や家をなくした戦災孤児は多く、靴磨きや金属類を拾うことで生活費をかせぐたくましい子どもたちが都会にはたくさんいた。2012/08/01 08:00 【共同通信】

                           ☆

    丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしていた彼が最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年だった。言葉を交わすうち、少年が両親を失い、妹と2人で過酷な時代を生きていかねばならないことを知った。

     東京は焼け野原だった。その年は大凶作で、1000万人の日本人が餓死するといわれていた。少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。

     彼は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。持ち出しは禁じられていた。だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。少年は「ありがとうございます」と言い、包みを箱に入れた。

     彼は少年に、なぜ箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。

    少年は「おなかはすいています」といい、「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」といった。

    アリヨシ氏は手紙にこのときのことをつづった。
    「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した」と。

     彼はこのあとも、ハワイ出身の仲間とともに少年を手助けした。
    しかし、日本には2カ月しかいなかった。

    再入隊せず、本国で法律を学ぶことを選んだからだ。
    そして、1974年、日系人として初めてハワイ州知事に就任した。

    のち、アリヨシ氏は日本に旅行するたび、この少年のその後の人生を心配した。
    メディアとともに消息を探したが、見つからなかった。

     「妹の名前がマリコであることは覚えていたが、靴磨きの少年の名前は知らなかった。私は彼に会いたかった」

     記者がハワイ在住のアリヨシ氏に手紙を書いたのは先月、大阪防衛協会が発行した機関紙「まもり」のコラムを見たからだ。

    筆者は少年と同年齢の蛯原康治同協会事務局長(70)。五百旗頭(いおきべ)真(まこと)防衛大学校長が4月の講演で、元知事と少年の交流を紹介した。

    それを聞いた蛯原氏は「毅然(きぜん)とした日本人の存在を知ってもらいたかったため」と語った。記者は経緯を確認したかった。

     アリヨシ氏の手紙は「荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思いだす。

    それは『国のために』という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ」と記されていた。今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。

     「幾星霜が過ぎ、日本は変わった。今日の日本人は生きるための戦いをしなくてよい。ほとんどの人びとは、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。

    すべてのことは容易に手に入る。そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ」

     凛(りん)とした日本人たれ。父母が福岡県豊前市出身だった有吉氏の“祖国”への思いが凝縮されていた。

    http://www2.cc22.ne.jp/hiro_ko/2-74-3yabaizo.html
    http://sankei.jp.msn.com/life/education/071106/edc0711060344001-n1.htm

              ◆       ◆       ◆

    (参考)昭和11年 中学の修身の教科書

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    修身教科書十六課、教育に関する勅語

    『社会・国家に奉じる』前に、『一身・一家の繁栄を図り』と記されている事も注目に値するのではないかと。つまり、『まずは、わが身や我が家の繁栄を願って、その結果が社会・国家の繁栄に繋がる』のだと。

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    修身教科書十五課 友愛
     
    『兄姉は弟妹を愛し、弟妹が兄姉を敬うのは人情の自然で、かくすることが、即ち友愛の道である。』

    『ことに父母亡き後の兄姉は、親に代わって弟妹を扶養せねばならぬから、弟妹はまた真心よりこれを感謝して、助け合い慰め合うべきである。』

    (画像&文引用先)


              ◆       ◆       ◆

    (参考)ウィキペディアより

    ジョージ・リョーイチ・アリヨシ(George Ryoichi Ariyoshi、日本名:有吉 良一(ありよし りょういち)、1926年3月12日 - ) アメリカ合衆国の政治家。

    民主党員。ジョン・アンソニー・バーンズ知事の後を継ぐ形で、1974年から1986年にかけて第3代ハワイ州知事を務めた。日系アメリカ人として、またアジア系アメリカ人として初めて州知事となった人物である。現在では、ハワイ州民主党の長老の1人とされている。

    経歴

    1926年、当時アメリカの準州であったハワイのホノルル市出生。福岡県出身で、力士を辞めた後に貨物船の船員となり、1919年に寄港したハワイを気に入りそのまま定住した父と、熊本県出身の母の元に生まれる。両親は豆腐屋経営を経て、クリーニング店を立ち上げ生計を立てた。

    幼少期に軽い言語障害を患う。1944年にマッキンリー高校を卒業後、陸軍情報部日本語学校に入学、廃墟となった東京でGHQの通訳として勤務した。

    帰国後は、ハワイ大学マノア校を経てミシガン州立大学に編入学し、1949年に学士号を取得、1952年にはミシガン大学法科大学院において、法学士号も取得した。

    大学卒業後は、ハワイに戻り弁護士事務所に入所したが、1954年9月に民主党ハワイ州代表(当時)だったジョン・アンソニー・バーンズからの打診により、州下院議員選挙に出馬し当選する。

    その後は、1958年に州上院議員、翌1959年には連邦上院議員に選出される。連邦上院議員在任中の1970年に、アリヨシを後継者にすることを見据えていたバーンズ知事の依頼により、副知事に就任し、1973年10月にバーンズが病に倒れた際は、アリヨシが知事代理としての役割を務めた。

    その後は、1974年・1978年・1982年に亘って3選を果たし、退任後は複数の会社や非営利団体で活躍した。
    私生活では、1955年にホノルルでジーン・ミヤ・ハヤシと結婚し、2男1女をもうけた。

              ◆       ◆       ◆

                                   つづく


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    時間がないため、下記のユーチューブを貼っておきます。
    この内容は、概略として事実を伝えていると思います。

    尚、ここでは言っていませんが、日本を戦争に導き、そして敗戦へのシナリオ通り動いたのが、共産主義者の近衛文麿首相と、フリーメーソンでありアメリカのスパイである第26、27代連合艦隊司令長官山本五十六です。


    まだ太平洋戦争と呼びますか?【大東亜戦争に込められた想い】(9分55秒)




    (参考)私のブログ記事

    イギリス人が感銘した武士道 2013/11/17(日)

    日本国民よ目覚めよ!とアジア諸国は言う   2013/12/3(火) 

    大東亜戦争での米豪軍の実態を知ろう  2013/12/8(日) 

    修学旅行は台湾で近代史を学べ  2014/1/20(月)

    歴史の黒幕  2014/2/18(火) 

    共産主義者近衛文麿の犯罪   2014/2/19(水) 




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    「東芝の技術、韓国に流出 容疑の元技術者に逮捕状」のようなニュースに出会う度、思い出すことがありましたので書いておきます。


              ◆       ◆       ◆


    私の履歴書 

    1998年のことだと記憶しています。
    千代田区にある営業本部に勤務していた私に本社から出張で来ていたK課長がひそひそと話しかけてきました。

    「水無瀬部長、ご存知ですか? 設計のS課長が▲電機に引き抜かれたのを。」
    「あの大手の▲電機が引き抜いた? S課長を?」と言って私は大笑いしました。

    「▲電機は、大枚をはたいて工場掃除人夫を雇ったということか。」
    「どういうことですか?」

    「実は彼の名前で申請し取得した特許と実用新案の全ての考案は私か、又は私の指揮する部署会議で案出されたものなのだよ。」
    「あれ? 水無瀬部長はずっと営業畑でしょう?」

    「そうなんだけど、ご存知、私の管轄する部署は他の部署と違って、『コンセプトマーケティング⇒新製品の開発⇒設計⇒製造⇒ディラープロモーション⇒卸販売』が仕事で、設計部署のS課長や工場と深くかかわり合いを持っているね。

    その特許や実用新案を製品化したものを末端顧客に販売するのが全国支所のZ営業課で、他方、業者に売る販社としては子会社の一つにAB社がある。」

    「AB社のHT社長って、今春、本社と全グループとの会議の席上、最優秀経営者賞で表彰されましたね」
    「そうそう、超赤字会社だったけど、あの実用新案製品EB機を売り出した三年前から超黒字会社に変身したからね」

    「あの時、設計のS課長も最優秀技術者賞で表彰されたのじゃないですか?」
    「そうそう、その両者の表彰された元は、私の考案したEB機なんだよ」

    「水無瀬部長は何故表彰されないのですか?」
    「知っての通り、うちの会社はネズミを獲った猫だけを表彰するからね。」

    「HT社長は水無瀬部長に感謝しているでしょうね。」
    「普通の人間ならそうなんだけど、あのHT社長は寧ろ逆だね。20年前も潰れがかったAB社に一億円の利益のある売上を回して助けたことがあったが、HT社長からのお礼などは一つもなく、逆にいらん仕事を任されたと言っていたし、まぁ、己が!己が!という自己顕示欲が半端じゃないからね。W大出のあの人の場合は。」

    (参考)
    私の履歴書(No.124)上司の罠(わな) 2009/2/25(水) 


    余談が先行しましたが、私とS課長との関わりは、1994年春、私が5つの課を統括する部長に就任した時から始まります。

    私の管轄していた部署のハードを主とする製品の設計はS課長で製造は本社工場。ソフトを主とする製品の設計と製造は三島の子会社でした。

    そういうことで、S課長とは毎月定例会議を行っていたのですが、彼もやはり技術者ですね。頑固と言おうか、頑迷と言おうか。

    私、叩きましたね、拳で会議室のテーブルを。
    数え切れないほど。

    「それは無理」「それは出来ない」が彼の口癖。
    都度、テーブルの上にあるアルミの灰皿は30cm程飛び上がりました。

    そのS課長とは、年に一度ほど下請け企業回りを一緒にしました。
    当時の下請け先は、大阪・兵庫・京都・岐阜・静岡にまたがっていました。

    部長に就任し挨拶回りで訪問した一つに大阪府下の下請け企業HO社がありました。1994年春のことですから今から20年前のことです。

    ここは関西の大半の大手家電・重電企業の下請けをしており、生きた情報を持っていました。特に中国・韓国情報に関しては詳細でした。

    このHO社の社長との20年前の会談の場で、HO社の社長は、昨今の状況を予測していました。


    HO社長 「このままでは日本は駄目になる。日本の大手企業の最新技術を持った技術者がリストラでクビになり、どんどん韓国や中国企業に再就職をしている。」

    私 「最新技術というとその企業はシャープのことですか?」
    HO社長 「いやいや、東芝だ。」

    「東芝が何でそういう技術者を放出するのですか?」
    「とにもかくにも、頭数を減らすのが目的だ。然も、開発部署の最新技術を持った優秀な技術者程、主に韓国企業に持っていかれている。」

    「そういう技術者ってノウハウまで持っていきますね。」
    「東芝という会社に見放された訳だから、会社に技術者として育ててもらったと言え、中には寧ろ恨みこそあれ、恩義などは微塵もない人もいるようです」

    「ということは、韓国のICチップは1~2年後に東芝に追いつくということですね」
    「そういうことです。あと何年もしないうちに東芝やシャープのライバルとして世界で立ちはだかるということです」

    「東芝の経営トップは何を考えているのでしょうか」
    「当面の決算を黒字にし、自分の社長としての立場を守るためでしょう」

    「後先考えないそういう人間が社長なら推して知るべしですね」
    「東芝のトップのような大企業のトップは多い。日本のハイテク分野での優位性はなくなり、イコール、日本の衰退ということです。何年後からそれが始まります」

    HO社長の元には、大手企業の企画・設計社員が頻繁に出は入りしていますから、この話も東芝の社員から直接聞いたのでした。


    尚、当時、私の勤務する㈱ウズマサでは、1990年頃には既に中国で合弁会社を設立しており、そこで生産されたものを輸入し、日本国内で販売していました。

    (参考)
    韓国・サムスン電子の1994年~2010年業績推移
    2010年の売上高154兆6303億ウォンは、日本円で約11兆4400億円
    http://baseviews.com/company/samusung-electronics-1994-2010-performance.html


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    日本企業の対中投資
    http://www.rieti.go.jp/jp/publications/pdp/09p004.pdf
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    (以下は参考記事)

    東芝の技術、韓国に流出 容疑の元技術者に逮捕状 警視庁
    2014.3.13 11:35 


    大手総合電機メーカー「東芝」(東京都港区)のフラッシュメモリーの研究データを不正に持ち出し、韓国の半導体大手「SKハイニックス」に渡した疑いが強まったとして、警視庁捜査2課が不正競争防止法違反(営業秘密開示)容疑で、業務提携していた半導体メーカーの元技術者で福岡県内に住む50代男の逮捕状を取ったことが13日、捜査関係者への取材で分かった。

    海外の企業に技術を流出させたとして刑事事件に発展するのは異例。
    捜査2課は近く強制捜査に乗り出し、全容解明を進める。

     捜査関係者によると、問題になっているのは、東芝の主力商品で、スマートフォン(高機能携帯電話)や携帯音楽プレーヤーなどに使われる「NAND型」のフラッシュメモリー。(以下省略)
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140313/crm14031311380007-n1.htm

                          ☆

    中韓が狙う日本の「原発」 引き抜き横行、後絶たない技術流出
    2013.4.8 11:28

    大企業や中小企業の技術者が、好条件につられて韓国メーカーなどに引き抜かれ、技術流出につながるケースは10年ほど前から深刻化している。

    一部で訴訟にも発展したが、長引く景気低迷やリストラを背景に歯止めがかからず、産業競争力の低下につながりかねない事態に発展している。

     「年収6千万円以上」「専属秘書や運転手付きの車を支給」-。韓国の電機メーカーは、破格の条件を付けて日本人技術者の確保を進めてきた。

    週末ごとに韓国メーカーに招かれ、アルバイトのような形で技術提供する技術者の存在が問題になったほか、今年1月には、韓国・サムスン電子が日本法人の代表取締役にソニーの元業務執行役員を抜擢(ばってき)し、衝撃を与えた。(以下省略)
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130408/crm13040811320002-n1.htm

                          ☆

    ソウル市内の異常な高放射線量と技術  2012/11/13(火)

    日本では、サムスンの技術が日本人技術者によって支えられてきたし、今も支えられていることを知られていない。
     
    人の良い日本人並びに日本企業は、人・物・金、それに技術まで中国と韓国に提供し、感謝もされず、反省もせずに不況!不況!とのたまう。
     
    中国・韓国が日本の技術で日本製品とほぼ同じレベルのハイテク機器や自動車を作れるのは簡単なことである。
     
    そして今、韓国が最も欲しがっているのは、日本の原発技術!

                          ☆

    将来原発ゼロ公約の陰謀  2012/12/4(火)

    韓国に「日本の原発産業を奪え」と嗾ける民主党政権の卑劣な陰謀。
    原発大国を狙う韓国が原発政策で揺れる日本の原発技術者スカウトに猛進する

    ソニーやパナソニックの多くの技術者が高給で大量に引き抜かれ、結果、今日の苦戦を迎えた。同じ轍を踏むのか。

    しかも民主党政権が左翼系メディアとともに原発壊滅に向け韓国と手を組んでいる」と経済産業省幹部は嘆く。

    「韓国の青瓦台(韓国大統領府)と民主党の在日勢力やソフトバンク関係者は原発ゼロ政策で連絡を取り合っている」と公安機関幹部は明かす。

    IAEA幹部は密かに懸念を示す。

    「報道されている日米の原子力協力が危うくなるというのは表面上の理由。本当は現在の51基の原発の運営が危うくなるという懸念なのだ」

    「日本の原発技術者を高給で奪い日本の原発産業を衰退させる一方で、日本には自ら『原発ゼロ』を表明させ自発的に原発産業を放棄させ韓国が後釜に座ろうとしている」(IAEA担当者)。





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    1996年(平成8)、私の東京勤務時代のノンキャリア組との同行記です

    尚、ノンキャリア組の定年後の就職は、キャリア組の場合は天下りと言いますが、再就職と称します。

    この国家公務員ノンキャリア組の退職後には、キャリア組と違って厳しい現実が待ち構えていましたね。

                 ◆       ◆       ◆

    その1)元総理大臣、橋本竜三郎東京事務所

    東京都千代田区紀尾井町の小さなビルの二階に、橋竜の事務所があったのです。
    ここに、勤務する私設秘書の皆さんのご出身は、各省庁出のノンキャリア組。

    「ここは、厳しい!何しろ、橋竜は金に執着。金をどこからか獲ってこなければ首」

    これ、私の感想ではなく、当時、ここで橋竜の私設秘書の名刺で、各省庁や民間施設・企業におどしをかけていた各省庁OB私設秘書の皆さんのぼやき。

                 ◆       ◆       ◆

    その2)大手建設業 佐藤工業㈱  

                         ☆

    (参考)
    元・東証1部上場の日本の総合建設会社(ゼネコン)2002年6月4日上場廃止
    本社所在地:東京都中央区日本橋本町(登記本店所在地:富山県富山市)
    1862年(文久2)初代 佐藤助九郎が富山・柳瀬村において佐藤組を創業。

    青函トンネル、黒部ダム、東京湾アクアライン、本州四国連絡橋などの大型国家プロジェクトに数多く携わってきた。特にトンネル工事に関しては業界トップクラスであり、「トンネルの佐藤」と呼ばれている。
    2002年(平成14)会社更生手続開始申立・開始決定(2009年 会社更生手続終結)

                         ☆

    実は、佐藤工業㈱が当時、6,700億円の負債を隠していた事は、公表される約一年前に知っていました。あの時、株をやっていたら、しこたま儲けたか、インサイダーで捕まったかですね。

    ここの事務所の一角が傑作。
    ドアを開けると右側にパーテーションで仕切った机がずらりとならんでいます。

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    それも背中合わせに同様に机がずらり!机は合計20個はありましたね。
    このルームの机は、佐藤工業㈱が雇用した各省庁OBのノンキャリア組や、元政府系企業OBにあてがわれたもの。

    ナ、何と、ここには大きな棒グラフがあるのです。
    各省庁・各元政府系企業からの受注実績棒グラフなのです。無論、個人別。


                 ◆       ◆       ◆

    その3)中堅ゼネコン 大日本土木㈱ (近鉄系)

                        ☆

    1924年(大正13年)3月 - 創業。
    1944年(昭和19年)6月28日 - 大日本土木株式会社設立。
    1961年(昭和36年)4月 - 関急土木株式会社を合併し、近畿日本鉄道傘下に。
    2002年(平成14年)7月5日 - 民事再生開始申立。
    10月22日 - 日本鋪道(現・NIPPO)が債権支援に合意、再生計画案を提出。
    12月25日 - 再生計画認可決定。

                        ☆

    私見ですが、この企業の破綻の原因の一つには、幹部連中の人を観る目が無いことと自社に対しての誇りがなかったことにもあったのではないでしょうか。

    「会社名の大日本土木と言う名前が悪くて、優秀な人材が集まらない」との幹部連中のぼやきを聞いて呆れました。

    そこで脱土木を図り、厚生省ノンキャリアOBを採用。

    処が、このOB、稀に見る営業天才なのです。
    勤務した初年は年間70億円の受注でしたが、次年度から年間200億円の受注。
    受注先は全部、当時の厚生省の補助金・助成金対象先。

    これ程の男に支払う年間給与は五年経っても1,000万円には到底至らず。
    逆に、「ジジイ」と小ばかにしていたのです。

    この、小ばかにされていた厚生省のOBさん曰く、
    「この会社は、アホな取締役だらけ。潰れるよ!」と言っていました。

    案の定、潰れましたよ。彼も見る目は正しい!!
    厚生省ノンキャリア組OBにこれ程の男は、もう、いないでしょう。


                 ◆       ◆       ◆

    無論、ノンキャリア組でも、現役時代の最終役職によっては、キャリア組のようなレールの上を歩むだけでいい人もいました。

    尚、キャリア組の話は稿を改めてですね。

                1996年(平成8)のことでした。




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    今日はお彼岸明け。あの世から早い人で2月中旬からきている故人も、或は今月12日からきている人もいました。

    故人の皆さんは、今日の深夜から明日の未明にかけて、あの世にお帰りになるのでしょうね。

    さて、以下の記事は、皆さんにはご存知と思いますが、改めて記載しました。
    尚、この記事や画像は、以下の映像や記事を切り取って繋いだものです。

                         ◆
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    (映像)
    NHKスペシャル 
    解かされた封印 ~米軍カメラマンが見たNAGASAKI
    (↑ お時間のある方はこの映像をご覧下さい。)

    (本)
    トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録
    Joe O’Donnell (原著), ジョー オダネル

    (記事)


                   ◆

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    ジョー・オダネル(Joe O'Donnell、Joseph Roger O'Donnell、1922年5月7日 - 2007年8月9日)は、米国文化情報局に勤務した米国の記録映像作家、フォトジャーナリスト及び写真家。

    ペンシルベニア州ジョンスタウン生まれ。最も有名な作品としては、1945年と1946年に日本の長崎及び広島における原爆投下直後の状況を、米海兵隊の写真家として撮影した一群の記録写真がある。(ウィキペディアより)

    以下、本文。
                         ◆

    「突然の日本軍による真珠湾攻撃。私は復讐心に燃え、海兵隊に志願した。

    日本人に怒り、日本人を殺すために、軍隊に入ったのだ。

    日本への憎しみから兵士に志願したオダネル。
    19才の冬、海兵隊に入隊し、写真記録班に配属されました。
    1945年8月、初めて原爆投下のニュースを聞いた時の心境を、手記に残していました。
    『新型兵器が日本に落とされた。10万人くらい死んだらしい。
    はじめは、あのクソったれ日本人との対決を鼓舞するプロパガンダかと思ったが、本当らしい。とにかくこれで、戦争は終わりだ』

    終戦から一ヵ月が過ぎた、9月22日。
    オダネルの所属する海兵隊第5師団は、占領軍として、長崎県佐世保市に上陸しました。
    被害の様子を撮影しながら、オダネルは、原爆が落とされた長崎の爆心地へと向かって行きました。

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    「昨日のことのように思い出される。
    1945年、私は、原爆の破壊状況を記録する任務で、長崎に入った」

    長崎に足を踏み入れたオダネルは、その光景に衝撃を受けます。

    爆心地からおよそ1キロの、三菱製鋼所。
    千人を超す従業員が、亡くなっていました。

    爆心地から500メートル、130人の生徒が死亡した、鎮西学院です。
    オダネルは一歩ずつ、爆心地に近づきながら、任務に従い、その破壊力を記録していきました。

    辿り着いた爆心地です。
    アメリカ兵たちは、その場所を、グラウンド・ゼロ(爆心地)と呼んでいました。
    新型兵器としか聞いていなかったオダネルにとって、目の前の現実は、想像をはるかに超えたものでした。

    「私は、灰と瓦礫につまづきながら、爆心地を見渡した。
    衝撃的だった。
    そこには、人が暮らした文明の跡形も無かった。
    自分が地球に立っているとは思えないほどの破壊だった」

    爆心地のそばにアメリカ軍が立てた看板です。
    アトミック・フィールド(ATOMICFIELD)
    それは、軍が瓦礫の中に作った、飛行場のことでした。(中略)

    許可無く日本人を撮ってはいけないという、軍の命令に背き、オダネルは、そこに生きる人々を密かに撮影し始めたのです。

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    「多くの子どもが、戦場か原爆で、親を亡くしていた。
    生き延びた子どもは、幼い弟や妹を、親代わりとなって支えていた」

    日本人の撮影を続けていたオダネルは、被爆者が治療を受ける救護所へ向かいました。そして、原爆が人間にもたらす現実を、目の当たりにします。

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    日本の映画会社が撮影した、臨時救護所の映像です。
    オダネルは、ここを訪れていました。
    そこで出会ったひとりの被爆者について語っています。

    「私が見たその人は、これまで出会ったけが人と、全く違っていた。
    彼には髪の毛が無かった。眉も鼻も耳も無かった。
    顔といえる原型はなく、肉の塊だった。
    彼は私にこう言った。
    『あなたは敵でしょう。殺してください』
    私は逃げるように彼から離れ、別の患者に向き直った。
    部屋を去るとき、再び彼を見た。
    まだ『殺してくれ』と言っていた。
    自分にできることなど何も無かった。
    その時、肉の塊にしか見えなかった彼の両目から、涙が流れていた」

    あの被爆者はどうなったのか。
    その夜、オダネルは眠ることができませんでした。
    翌日救護所を訪ねると、ベッドにその被爆者の姿はもうありませんでした。

    ここでオダネルは、1枚だけ写真を撮影しています。
    熱線でやけどを負い、死線を彷徨っていた、別の少年の背中でした。

    「この世のものとは思えないものを見た。
    それは本当に酷かった。死んだ人、子どもたち、その母親、間もなく死ぬ人、飢えている人、そして原爆症……。

    あまりにも多くの傷ついた人々を撮影しているうちに、日本人に持っていた憎しみが消えていった。憎しみから哀れみに変わった。

    なぜ人間が、同じ人間に、こんな恐ろしいことをしてしまったのか。
    私には理解できない」

    爆心地周辺。
    オダネルが、最も多く撮影した場所があります。
    廃墟の町を見下ろす丘に、辛うじて建つ建物でした。
    浦上天主堂です。
    原爆投下によって、8500人の信者が、長崎で亡くなりました。
    熱線に焼かれた彫像。
    オダネルは、その目線の先を追いました。
    そこに広がっていたのは、見渡す限りの焦土と化した、長崎の町でした。
    長崎を南北に貫く浦上川。

    そのほとりに降りて行ったオダネルは、生涯忘れられない光景と出会います。
    そこは、火葬場でした。

    イメージ 16

    焼け野原を、ひとりの少年が歩いて来ました。

    イメージ 15

    《焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。
    その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。

    イメージ 14

     少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。
    わき上がる熱風にも動じない。

    係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。
    まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。

    炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。
    気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。

    私は彼から目をそらすことができなかった。
    少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。

    一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。
    軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。

     私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。

    私は彼の肩を抱いてやりたかった。
    しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。

    急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。
    一度もうしろを振り向かないまま。

    係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。
    その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。

    今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?》

    《この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。

    アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。
    直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。
    そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。

    もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。》

    無表情と思われた少年だったが、カメラマンのジョー・オダネルは、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がつく。

    イメージ 8


    少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいたのだった。

                          ☆

    オダネルは、長崎や佐世保などの地域を、7ヵ月に渡って撮影しました。
    任務として撮影したネガは、軍に提出。

    密かに撮影した個人のネガは、開封禁止と書かれた箱に入れ、未使用のフィルムに見せかけ、アメリカに持ち帰っていったのです。

    帰国後オダネルは、長崎での記憶に、精神を苛まれます。

    イメージ 9


    「被爆者たちの体をうごめくウジ、助けを求める声、鼻をつく異臭。
    私は、長崎で見た悪夢のような光景を、思い出すまいとした。

    しかしその光景は頭から離れず、私を苛み続けた。
    あの時のアメリカの決断は、正しかったと言えるだろうか。
    眠ろうとしても眠れない。
    悪夢が終らないのだ。
    写真を見たくなかった。
    見ると、あの1945年の時に引き戻されて、長崎の悪夢がよみがえってしまう。
    見ないという他に、私にはなにもできなかった」

    イメージ 11

    苦しみから逃れるため、オダネルは、すべての写真をトランクに封印しました。
    屋根裏部屋に隠し、以後43年間、開けることはありませんでした。

                           ☆

    家族が、唯一禁じられていたことがありました。

    タイグ氏:「とにかく緑の軍のトランクだけには、何があっても絶対に触るなと、いつも言われていたんです」

    中に何が入っているのか、家族に知らされることはありませんでした。

    帰国して3年後の1949年、オダネルはアメリカ情報局に勤務しました。
    大統領の専属カメラマンに抜擢され、ホワイトハウスで働き始めたのです。

    最初に担当したのは、日本に原爆投下の決定を下した、トルーマン大統領でした。
    アメリカは、原爆投下を正当化し、核戦略を強化していました。

    トルーマン大統領:
    「原爆投下は、戦争を早く終らせるためだ。
    多くの若いアメリカ兵の、命を救うためだった」

    核実験の成功を伝えるニュース映像
    核実験が砂漠で始まってから、経済効果も上がり、ラスベガスは盛況。
    アイドル”ミス原爆”も登場。

    イメージ 1

    日本に原爆を落としたことをどう思っているのか。
    オダネルは一度だけ、自分の思いを、トルーマン大統領にぶつけました。
    それは、トルーマン大統領が、朝鮮戦争を指揮していたマッカーサー司令官と会談した、1950年のできごとでした。

    「『大統領、私は長崎と広島で、写真を撮っていました。
    あなたは、日本に原爆を落としたことを、後悔したことはありませんか?』

    彼は動揺し、顔を真っ赤にしてこう言った。
    『当然それはある。しかし、原爆投下は、私のアイディアではない。私は前の大統領から、単に引き継いだだけだ』」

    母国アメリカが推し進める核戦略と、長崎で見た、原爆が人間にもたらす現実。
    オダネルは、苦悩を深めていきました。

    陸軍!海軍!沿岸警備隊!海兵隊!空軍!
    これがアメリカ!
    毎年5月、ワシントンでは、退役軍人による記念パレードが行われます。
    アメリカは、第二次大戦で敵国日本と戦った、オダネルたち退役軍人を讃えてきました。
    高齢となった退役軍人は、その多くが、今なお、原爆投下の正当性を信じています。

    「原爆は、日本の真珠湾攻撃と比べても悪くないだろう」
    別の退役軍人: 「原爆は必要だった。ははは、何の罪悪感も無いよ」

                         ☆

    オダネルの体を、異変が襲います。
    背骨の痛みと変形、さらに皮膚ガン。
    オダネルは、原爆による症状だと確信しました。

    「体のあちこちに異変が起きた。25回も手術することになった。
    爆心地に送り込んでおきながら、軍は何も情報をくれなかった。
    かなりひどい放射能汚染があったというのに、何も知らないまま、とてもたくさんの時間、長崎の爆心地にいた」

    オダネルは、原爆による被害だと、アメリカ政府に補償を求めましたが、その訴えは却下されました。
                            ☆

    イメージ 2

    1989年、オダネルの運命が変わります。

    オダネルは、偶然立ち寄った修道院で、そこに飾られていた、反核運動の彫像に出会います。

    その全身には、被爆者の写真が貼られていました。

    腰には、爆心地を彷徨うふたり。
    右腕には、列を成す傷ついた人々の姿がありました。

    イメージ 12

    「私は、彫像を見て衝撃を受けた。
    罪のない被爆者たちの写真が、彫像の全身に貼られていたのだ。
    その多くは、女性であり、子どもたちだった。
    それを見た時の気持ちは、言い表せない。
    長崎の記憶がよみがえり、とても苦しくなった。
    しかし私は、何かしなければと痛烈に感じた。
    まさに啓示だった。
    自分も、撮影した真実を、世界に伝えなければならないと」

    イメージ 10

    オダネルは屋根裏部屋に行き、43年ぶりに、トランクを開けました。
    長崎と題されたネガは、朽ち果てることなく、当時のまま残っていました。

    イメージ 18

    トランクを開け、原爆の写真を並べ始めたオダネルの姿に、家族は衝撃を受けます。

                          ☆

    ジョー・オダネル:「私は、少年を必死に捜した。日本の新聞にも『この少年を知りませんか』と載せてもらった。少年はあの後、ひとりで生きていったのだろうか。ついに、彼に会うことができなかった」

    行方を捜して十年。
    しかし、少年の消息をつかむことは、ついにできませんでした。

    日本とアメリカを行き来する生活する中で、オダネルの病状は悪化していきます。
    背骨の痛みは深刻になり、皮膚ガンは全身に転移していました。

    そして去年の夏、ジョー・オダネルは、85才で息を引き取りました。
    その日は奇しくも、長崎に原爆が落ちたのと同じ、8月9日でした。

                          ☆

    ジョー・オダネルの遺言

    「たとえ小さな石であっても、池に投げ入れたら、波紋は広がっていく。
    それは少しずつ広がり、いつか陸に届くはずだ。
    アメリカという陸にも、届く日が来る。
    誰かが続いてくれれば、波紋はさらに広がっていく。
    そしていつか、誰もが平和を実感できる日が来ると、信じている」


    イメージ 13

                                    おしまい



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  • 03/24/14--11:59: 電磁波の恐怖再確認

  • 下記私のブログ記事にコメがありましたので、電磁波兵器に関して改めて説明のユーチューブを貼っておきます。
                         ☆
    (私のブログ記事)
    ソチでの浅田真央さんの転倒原因は電磁波 2014/3/5(水) 

                         ☆

    電磁波で人を簡単に指定する病気にしたり殺したりすることができます。

                         ◆

    元MI5部員Dr. Barrie Trowerの語る電磁波兵器①  12分21秒
    http://www.youtube.com/watch?v=NRoN2Fsci3o

    公開日: 2013/03/06
    2012年9月にデンマークにてオープン・マインド・カンファレンスという、環境や健­康や政治などの幅広いテーマについて議論する国際会議が開催された時のDr.Henn­ing Witteによるインタビューです。

    目に見えない電磁波が神経・身体に及ぼす影響。
    人体は微弱な生体電気信号で神経伝達している事をご存知ですか?
    遠隔操作で非侵襲で、人体に影響を与える事ができる。
    科学技術はそこまで進歩しています。

    話者の元MI5の部員Dr. Barrie Trowerは冷戦期にイギリスの軍や諜報機関に仕えたマイクロ波の専門家であり、英­文ですが、持っている学位や簡単な経験が以下のリンクにあります。

                            ★

    尚、このユーチューブは①から⑤まであります。
    ②以降は、下記②のURLをクリックして下さい。

    元MI5部員Dr. Barrie Trowerの語る電磁波兵器②

    イングランド・CIA・カナダ・オーストラリアでは法律の外に科学者がいます。
    彼らが何十万人も殺しましたが罪に問われることはありません。




    0 0


    無知なのは日本人だけかな?
    オランダでは子供まで知っている。

    国際金融資本に支配された日本のテレビ報道や新聞記事を信じる中高年齢者。
    ウクライナ問題は、米国・フランス・英国が仕掛けたこと。

    (注)米国は、ウクライナの現クーデター政権の幹部に何年も前から50億ドル(5000億円)の資金援助をしていた。成程、半端な額ではないはず。

    シリアでは失敗したが、ウクライナではクーデターに成功。

    イラク殲滅と同様、米国・仏国・英国はこれでしこたま儲けた!
    ロシアは、ウクライナのクルミア半島を守るのが精一杯。

                       ☆

    ウクライナの富を米・仏・英が強奪した後の尻拭きは日本。

    1000億円規模の支援へ 首相、G7首脳会合で表明
    msn産経 2014.3.22 20:36 

    政府は22日、財政危機にあるウクライナに対し、円借款を中心とする1000億円規模の経済支援を実施する方針を決めた。24日からオランダ・ハーグで開かれる核安全保障サミットに合わせた先進7カ国(G7)首脳会議で安倍晋三首相が表明する。1000億円の一部は国際通貨基金(IMF)を通じて供与する予定だ。(以下省略)
    http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140322/plc14032220380013-n1.htm


              ◆       ◆       ◆

    信じられない!
    9歳の少女がオランダテレビで新世界秩序の計画を暴露しました。
    http://www.youtube.com/watch?v=401WlHNyWrw

    イメージ 1


    (注)少女の発する声は、悪魔(サタン)の声を模したもの。
    信じられない音声を発します。

     公開日: 2013/11/05

    【少女の言葉の翻訳】

    私はベン・アミラ、9歳です。
    歌いますが皆さんには期待はずれになるでしょう­。

    「新世界秩序はもうすぐマネーシステムを破壊する。
    我々はニセモノのエイリアン侵略を使って世界政府を推進する。

    信じられないだろうが、
    我々は君たちを洗脳するために主流メディアのほとんどを所有している!

    infowars.comやwhynotnews.euなどから学んではならない!
    権威に従い、マイクロチップを埋め込み、フッ素入りの水を飲め!

    フリーエネルギーニュースなどを見てはならない。
    従順で主体性のない奴隷でありつづけるのだ。

    何の役にもたたないゴミを観察し続けろ!
    バカで無知で在り続ける事で新世界秩序のエリートを助けるのだ!

    それを邪魔するような発明や大麻油のような代替治療を推進してはならない。
    バカで居ろ­!

    代替メディアネットワーク、911トラウザーズやケムトレイルリサーチ、オキュパィム­ーブメント、陰謀研究者、アノニモス、Hactivismなどは無視するのだ。


    (以上が、彼女が悪魔の声で言ったこと。字幕の英文でお確かめ下さい。)


              ◆       ◆       ◆
    (参考1)

    ジョン・レノンは歌で訴えていた   2013/4/11(木) 

    社会は狂人によって動かされている。
    狂人じみた目的を実現するために。

    ジョン・レノンは、英国政府、米国政府、ロシア政府、中国政府等の世界人口削減計画を知っていました。彼はこれら政府は狂っていると訴えます。
    暴露した故に、ジョン・レノンは殺されます。

              ◆       ◆       ◆

    (参考2)

    マイケル・ジャクソンとは  2013/4/13(土) 

    マイケルジャクソンは2012年のイルミナティの陰謀を警告

    私たちには4年しか残されていない。
    さもないと取り返しのつかないことになる。

    イラク戦争に反対。
    ジョージ・ブッシュの再選に反対。

    彼の世界への叫びにより、2012年に起こるイルミナティの陰謀を防止。

    2009年6月25日 50歳で不眠症だが身体健全な彼は麻酔薬を処方した医師により殺害される。ジョン・レノンと同じ運命。



    (参考)今日、一回目のブログ記事
    電磁波の恐怖再確認


    0 0


    今朝、初めてウグイスの声が窓辺から聞こえてきました。
    まだ『ホーホケキョ』とは鳴けませんが、これから毎日練習し、上手に鳴けのも間近です。

              ◆       ◆       ◆

    さて本題。

    時間が無いので、ユーチューブを貼っておきます。
    これは先日の私のブログ記事の続編です。

    9歳の少女、悪魔の声で  2014/3/25(火)


              ◇       ◇       ◇

    浜田議員が衝撃発言!
    米はウクライナ支援と言いながら火事場泥棒やった (3分8秒)
    https://www.youtube.com/watch?v=OSjNxw4HpMI&feature=youtu.be

    この浜田議員の『米国の火事場泥棒発言』に対し、安倍首相は少しも否定していないでしょう。事実だから否定できないのは自明なことですね。

    米国・仏国・英国は、ウクライナを転覆させ、新たな政府を樹立しましたね。
    この機に米国はウクライナから33トン(時価15億ドル)の金を収奪。

    This brings me to the issue of the Ukraine's gold.
    According to public records, the Government of Ukraine owns 33 tonnes of gold that was being safekept in Ukraine.
    Last week a Ukrainian newspaper reported that acting PM Arseny Yatsenyuk ordered the transfer of that gold to the United States.


    更に、シナリオ通りウクライナ通貨は下落。国際金融資本は、シナリオ通り超安値になったウクライナ企業の株を買い占め、乗っ取りました。

              ◇       ◇       ◇

    (参考)
    かって韓国の通貨危機の時、韓国の大手銀行や大企業は、韓国の通貨安・韓国企業の超株安につけこんだ国際金融資本に乗っ取られました。

    だから、韓国と言う国家は、国際金融資本(=米国)の植民地となっています。
    朴 槿惠(パク・クネ)大統領は国際金融資本(=米国)の操り人形であり、彼女の行動と発言は、国際金融資本(=米国)の指示によるものです。

    (私のブログ記事)米国の植民地・韓国の変化  2013/11/27(水) 


    尚、日本のTPP参加は、ウクライナや韓国と同様、日本を国際金融資本の植民地にするシナリオの一つですね。

              ◆       ◆       ◆

    エコノミック・ヒットマンが説明する征服方法<買収・暗殺・軍事行動>(2分7秒)
    http://www.youtube.com/watch?v=17mE5fPQjt0

                          ☆
    (コメントより一部抜粋)

    攘夷一直線 Google+ から2 週間前 (編集済み)
    「エコノミック・ヒットマン」とは、略奪と支配を目的に一国の権力者に近寄り、最初は­お金で買収し、無国籍企業が入り込めるように仕向ける仕事をする人々です。買収がうま­くいかない場合は暗殺部隊が出動します。

    これは、元エコノミック・ヒットマンだった男­が直接、反省を込めて証言している事実です。
    もし日本でTPPが妥結されるとエコノミックヒットマンのやりたい放題。
    この動画のようになるでしょうね。


              ◆       ◆       ◆

    戦争に行ったアメリカ兵の告発!「本当の敵はアメリカ国内にいた!」 
    (シリアやエジプトも全く同じ構図)  (5分8秒)
    http://www.youtube.com/watch?v=cR5zoW1W4ac

    (注)字幕が結構早いので、一時停止しながら字幕をお読み下さい。





    0 0


    いよいよ桜が開花してきましたね。

    寺社仏閣の桜を愛でる方は、是非、三好達治の詩をゆっくりと口ずさんで散策して欲しいものです。美しい情景の詩です。

                       


             詩 『甃(いし)のうへ』 三好達治

                あはれ花びらながれ 

                をみなごに花びらながれ 

                をみなご しめやかに語らひあゆみ 

                うららかの跫音(あしおと) 空にながれ 

                をりふしに瞳をあげて 

                翳(かぎ)りなき み寺の春をすぎゆくなり

                み寺の甍(いらか) みどりにうるほひ 

                廂々(ひさしひさし)に 

                風鐸(ふうたく)のすがた しづかなれば 

                ひとりなる 

                わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ


                       

    (参考)『おみなご』の意味と語源

    《古くは「おみなこ」》女児。また、一般に女性のこと。

    日本神話に登場する最初の男女神は、イザナ「キ」ノミコトの『キ』(男)、イザナ「ミ」ノミコトの『ミ』(女)であり、「おきな=翁­」「おみな=嫗」という言葉もあります。

    イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、­日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。

    『おみなご』とは、「おみな=嫗」(老女)の子ですから、女児や老いていない女性のこと。
    尚、この詩でのおみなごとは、若い女性を指します。

      ☆       ☆       ☆

    (参考)私のブログ記事
    三好達治の詩を口ずさみながらの散策 2007/4/13(金)




    0 0
  • 03/28/14--04:31: 京都の桜、開花前日

  • 今日はあちこちで一気に開花したでしょうね。
    明日の土曜日・そして日曜日、京都はすごい人かも。

    昨日、一足お先に孫を連れて京都の花見に行きましたよ。

    開花情報が出ていたのは、京都御所・車折神社・平野神社・渉成園(東本願寺)。
    目的は、渉成園(東本願寺)の桜でしたが・・・

    水無瀬から京都に入るも出るも、私の自慢のコースを駆けました。

    (京都コース)水無瀬⇒西国街道⇒大山崎⇒長岡天神前⇒光明寺前⇒国道9号線⇒物集女街道⇒嵐山渡月橋⇒三条通⇒車折神社

    イメージ 1

    京都市内の午前中は時々時雨、たまに日差しでした。

    先ずは車折神社の桜から。

    イメージ 11



    イメージ 2

    幸運にも日差しがチラリなのでパチリ。

    イメージ 22

    この神社正面を撮った画像、何故か何となく薄もやがかかっているでしょう。


    イメージ 23
    孫娘はお賽銭をあげ、必死に拝む。
    「芸能人になりたいの?」などとの心無い声。

    孫娘「私は科学者になりたいから、お勉強がよくできますようにと拝んだの」

    心無い声 「ここは芸能神社だから幾ら拝んでも意味無いじゃん」

    やはり、北野天満宮で拝まなければなりませぬ。


                         ★

    (参考)京都嵐山 車折神社の紅葉 2008/12/3(水)
    京都嵐山 車折神社の紅葉 続編 2008/12/4(木)
    残念な宝塚音楽学校の姿勢  2011/1/24(月)
    小柳ルミコは、先輩に片方の靴を隠されたり、舞台衣装に針を仕込まれたりしたそうです。

                         ★

    移動の車中でこの孫たちは、「お腹がすいた!」「早くごはん!」の連発。
    おかきをポリポリ。まだ11時なのに。

    昼食の予定は午後1時半。
    それまでは、北野天満宮の梅園でお茶とお菓子が出るから、それで空腹をしのがせようと思っていたのに。
                         ★

    天満宮では駐車場が空いていて、最先端の「さざれ石」の横に駐車。
    国歌の中のさざれ石だと孫たちに説明している者がいる。

    イメージ 24

    イメージ 25

    この画像をブログに貼ろうとしたら貼れず。
    画像縮小をやり直して貼れる。
    この苦闘で数時間浪費。トホホ・・・

    イメージ 26

    参拝にはいつもの行列。
    この画面も先ほどの画面も、上半分がもやがかかったように何故か白っぽくなっているでしょう。車折神社の正面を撮った画像も同じくもや。

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    順番が来て、お賽銭に二礼二拍手一礼。
    お勉強がよく出来ますようにと拝んだのかも。

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    待望のおみくじ。
    大吉と小吉。
    ご希望によりパチリ。

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    天神さんの牛の頭を撫でてその手で自分の頭を撫でると賢くなると教えられたら、あちこちの牛の頭を撫でるは撫でるは。

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    境内の他に参道にもある数匹の牛の頭も駆け回り撫で撫で。
    こりゃ、相当賢くなるぞや。ヽ(´▽`)/

                           ☆

    今出川通⇒同志社大学・京都御所前⇒京大前⇒銀閣寺⇒おめんへ

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    おめんと言えばつけ麺。
    出汁もさることながら、ここの美味しさの元は微妙なコシにある。

    かって京都のうどんと言えば餅入りの力うどんで、うどんは溶けそうな柔らかさ。
    ここのコシは、讃岐うどんのような硬さではなく、柔らか過ぎず、硬すぎず、微妙なコシ。口の中で溶けそうで溶けない。麺の美味しさが伝わってくる。

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    お昼を遥かに回っていたものの、店内では順番待ち。
    お昼時間のみならず、これからはお花見の季節ですから、時間を問わず表に行列が出来るでしょう。

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    孫娘は美味しい美味しいと言って、替え玉追加。親子遺伝か? ヽ(´▽`)/
    お腹が空き過ぎていたせいか、それとも本当に美味しいのか。

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    孫息子も含めて全員が「美味しかった」と言っていましたから、やはり美味しいのですね。

    (参考)昭和40年代前半のおめんのこと。 2007/6/29(金)

                           ☆

    おめんを出てから、哲学の道沿いの今は亡きかっての上司の墓参り。

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    画像上、左が哲学の道。右が蹴上(けあげ)のインクラインの桜並木。
    蹴上げ(南禅寺)⇒三条通⇒神宮道⇒知恩院

    知恩院に来たのは、けたたましく叫ぶ「走りたい」という孫たちの期待に沿うべく、知恩院の石段を駆け上がらせようと思ったから。

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    知恩院の本堂に行くには、この石段の奥に、もう一つの急な石段が連なる。

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    孫息子は本堂で幸運にもウンイを催し、本堂のトイレで無事ご排出とか。

    知恩院のご利益(ごりやく)で何かいいことがありそう。ヽ(´▽`)/

    知恩院参道の華頂道を通り、一本橋を右手に東大路通を下る。


    (参考)桜の祇園白川から一本橋へ  2008/4/2(水) 


    ⇒八坂神社前⇒四条通の一筋南の路地⇒花見小路を抜けて・・・

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    皆さん、渉成園(東本願寺)の桜はパスとの仰せ。
    帰路、まっしぐら。

    以後、川端通⇒河原町通⇒五条通⇒堀川通⇒油小路通⇒旧京阪国道⇒競馬場前⇒淀水垂を左折土手道⇒171号線⇒水無瀬へ。無事到着でした。


    そして翌日の今朝のこと、孫娘はいつもぐずつく朝の勉強をすんなり済ませ、他方、孫息子はいつになくてきぱきと着替えやお出かけの準備をするのでした。

    これ、北野天満宮のご利益(ごりやく)?
    それとも、車折神社のご利益?
    それとも、知恩院のご利益?  ヽ(´▽`)/



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    超久々のぽぽ日記。

    孫娘のお勉強の監視役は並びに家庭教師は白文鳥ぽぽ。

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    「難しいって? どれどれ、どんな問題かな? 辞書で漢字を調べてみよう」
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    「うぅ~ん、なるほど、なるほど」
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    「『負』の漢字と意味はここを見たらよく分かるよ」
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    翌朝もぽぽの家庭教師

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    「ここが重要なところだよ」
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    「間違っているから消しましょう」
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    「ここは、こういうふうに書くんだよ」
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    「ひとりでやってごらん」
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           で、孫娘のお勉強はスムーズに進んだのでした。ヽ(´▽`)/



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    昨日の日曜日は風雨で荒れましたね。
    花見が出来なく、残念でした。

    一昨日の土曜日の午前、公園で遊んで帰ってきた孫たちがお婆さんに贈り物と言って桜の花びらを両手に載せて帰ってきました。

    せっかく桜が一斉に咲き始めたのに、雀が花びらをちぎった!

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    花見と言えば、花見酒。

    3月12日、ダイエー店内に積んである桜気分の発泡酒(缶500ml)を買って飲んだら美味い!

    出張でこちらに来ていた息子が翌日の夕方ダイエーに寄ったら、もう6缶パック1個しか残っていなかったとか。

    サントリー『春咲く薫り」リキュール(発泡性)』
    http://products.suntory.co.jp/d/4901777255265/
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    上の右のアルミ缶の画像がそれ。
    桜の花の蜜の香りと味がします。
    桜は未だでしたが、もう花見気分になれましたね。ヽ(´▽`)/

    私より数日早くANA787さんも飲んでいましたね。



    発泡酒はもう売れきれなので、カクテルツアーズ〈桜モヒート〉』のボトルをイオンで買いました。

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    確かに桜の花の味がしますが・・・・・
    私の口にはどうもリキュール類は合わない。

    (商品説明)春季限定『カクテルツアーズ〈桜モヒート〉』は、ベースのモヒートに、「桜の花の浸漬酒」と「桜の葉の蒸溜酒」を加え、やさしい桜の香りが広がる爽やかな味わいに仕立てたそうです。
    http://www.suntory.co.jp/news/2013/11935.html
    http://www.suntory.co.jp/rts/cocktailtours/

                          

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    新鮮な花のような香りと味を楽しめるのがこれ!
    お花見には是非ご持参あれ!

    CO-OP(生協)
    『北海道 香りを楽しむ生ワイン ロゼ』
    北海道産ぶどう100%の生詰めロゼワイン。
    アルコール10%。

    料理に合うとの説明がありましたが、料理やアテを食べながらの食中酒として飲むにはもったいない。

    これは単独でたしなむもの。

    アルコールが10%で私にはちょいと頼りないので、同じくぶどうから作られているブランデーを入れたら悪くはないけど、やはり入れない方が美味しい。




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    みずみずしい果実味、香りをたしなむのでしたら、同じくCO-OP(生協)の白ワインを。

    『北海道 生ワイン ナイヤガラ』
    北海道産ぶどう100%の生詰め白ワイン。アルコール10%。
    ナイヤガラ種のさわやかな香りとやや甘口の味。

    この豊かな香りと味には驚きますよ。
    私には広い大地の草原に吹く春風のイメージが湧く。

    これも食中酒として飲むにはもったいない。
    それに甘いからこれ単独で飲むほうが味わえる。

    これもロゼと同様、花見には必携品。





                          

    余談ですが、これ、笹の葉寿司。
    ヨシケイのは美味しいというので貰ったもの。

    確かに美味しい。
    酢は抑えていて、それに癖がない。
    具は結構入っており、ご飯もほどほどの粘りで終いまで美味しく食べれる。

    この笹でのくるみ方は北陸地方ものですね。

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    (参考)笑公子さんの笹寿司のブログ記事

    私の柿の葉寿司のブログ記事




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  • 03/31/14--14:23: 沈黙は金の日本人

  • 今日は4月1日。
    新年度突入で、現役の人には新たな目標達成のための活動開始ですね。

    それと今日から消費税アップ。

    昨日31日のお昼前の阪急高槻市駅とJR高槻駅間の小路。
    いつもより人が多い。
    買い物客なのでしょうね。
    最後の買い貯め品を求めて。

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    現金チケット屋の前には7~8人の行列。
    私も並んで新幹線の回数券を購入。

    中には売り切れの新幹線回数券もあったので他のチケット屋に回るも、他のチケット屋では並んではいないし要望の回数券の在庫があってほっとしました。


                ◇◆      ◇◆      ◇◆

    消費税アップについては以前も述べていますように、目的は明確ですね。
    日本国壊滅へのシナリオ、日本国民貧困化であり、更には奴隷化ですね。

    思いますに、我ら日本列島に生まれ育った日本人にとって、毎年、春が来れば桜が咲くというのは脳幹奥深くまで焼き付いていますね。

    観念論的に厳しい冬は何れ過ぎ去り暖かい春が必ず来ると。
    だから厳寒がいつまでも続くことはありえないし、ましてや通年凍土となることなどはありえないと。

    この思考回路では、じっと声を出さずに耐えていると、少なくとも現在の生活を維持出来る。
    果たしてそうでしょうか。

    好き勝手に消費税を5%⇒8%、そして10%へ。

    更に、
    安倍政権は物価をドカンと上げて、平成26年度の年金額は0.7%の引下げ。
    (厚労省) http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000035972.html

    更に、(消費税を上げるから???)
    1月20日行われた経済財政諮問会議(議長:安倍晋三首相)で、民間議員が対日投資促進へ向けた今後の取り組みの一つとして、法人実効税率を25%程度まで引き下げることを目指して、速やかに検討すべきだと提案した。
    (ロイター) http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA0J04P20140120

    他方、
    国民が国際金融資本の奴隷となるTPP参加。

    無言で現在の生活を維持出来るでしょうか。
    無言で孫や曾孫の命を守れるでしょうか。


                ◇       ◇       ◇

    国民を苦しめる消費税アップの金で大企業の税負担を軽くする訳ですから、大企業からその見返りを求める自民各派の大企業からの資金集めが本格化へ。


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    自民党では、3月5日の額賀派に続いて、岸田派、二階派、大島派が4月に、総裁派閥の町村派と、石原派が5月にそれぞれパーティーを開催予定。

    谷垣禎一法相を中心とするグループも6月にパーティーを開催する予定。

    右の表は一昨年自民党各派が企業から資金を集めた額ですが、政権与党となった昨年はこの額の1・5倍を集めたとの由。

    今年は、この額の2倍になるでしょうね。

    (参照)
    http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-03-25/2014032515_01_1.html

         ◇       ◇       ◇

    以前の私のブログ記事より抜粋

    第三の矢とは『日本国民貧困戦略』  2013/10/22(火) 

    換言すれば、安倍・竹中ペアの唱えるアベノミクス第三の矢『日本再興戦略』とは、小泉・竹中ペアと同様、国民から奪取した消費税アップ分で大企業の税負担を軽減し、儲けさせることであり、同時に、財務省を初めとする官僚組織の維持を図る。

    だいたいが、企業が儲ければ社員の収入が増えるとの論理は、一見最もらしい。
    だが、社員の収入を増やし、消費を増やさないことには、経済は成長しない。

    換言すれば、企業・株主と社員が分けあっていたこれまでのアップルパイの寸法や厚みを増やさなければならない。

    処が、従来のアップルパイの寸法や厚みを増やさずに、消費税増により、市民の取り分を減らし、企業の取り分を大きくする(減税する)政策などの計算は、小学生低学年でも出来る。

    今までと同じ大きさのアップルパイの分け分で相手に与える量を増やすと、残る自分の食べるアップルパイが従来より減るということは、幼稚園の子供でも分かる。

                        ◇ 

    医療保険の掛け金の場合、厚生省の試算によると70歳老人を例にとると、現在までに払い込んできた保険料は970万円。で、実際に必要なお金は1150万円。だから老人は、医療費を使いすぎているというもの。

    然し、かつて高度成長期、医療保険は大黒字。預け入れ金利を考えると970万円の支払いは、低く見積もっても1800万円にはなっているはず。
    厚生年金も然り。

    つまり、いかにも我々の年代の為に、将来の年代に負担をさせているかという論理には、真っ赤な偽りがある。

    この医療保険の金や年金の金に群がり、湯水の如く使いたくったのは自民党などの利権がらみや族議員であり、官僚なのである。

              ◆       ◆       ◆

    (今日2回目のブログ更新記事)
    ケムトレイル年度末の大量散布




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    昨日3月31日の大阪府北部のケムトレイルは激しいものでした。
    年度末ですから、余っているケムトレイルを大量散布したのかも。

    この飛行機雲に似せたケムトレイルには、VXガス、サリン、ヒ素やアルミやウイルスが含まれていることを米国ペンタゴンが認めていましたね。

                          ☆

    US admits chemical weapons tests
    米国はケムトレイルを化学兵器テストであることを認める
    Thursday, 10 October, 2002, 00:53 GMT 01:53 UK
    2002年10月10日木曜日 00:53 GMT 01:53 英国BBC放送

    The Pentagon has published previously secret information revealing that it carried out more extensive tests of chemical and biological warfare agents than had previously been thought.
                        
    In some of these tests actual toxic agents, including sarin and VX, were released but more than half used simulated agents.

    これらのテストのうちのいくつかでは、サリン と VXガス を含む現に有害な薬品で、半分以上が偽装された薬品を使用し、投下(散布)されました。

                          ☆

    寡黙していたら、こんな身体になります。
    ケムトレイルに蝕まれた身体 2013.10.01

                          ◆

    (その他参考)
    米軍ヘリ、水源地に毒薬散布か? 2014/2/12(水)

    発達障害の主な原因は重金属 2013/11/22(金) 

    静観・沈黙は悶え死へのプロセス。 2013/10/16(水) 

                         ◆


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    昨日のお昼の時間でのイオン高槻店上空のケムトレイル。

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    イオン高槻店から見た南東の空。生駒市⇔宇治市方面
    めちゃくちゃ!
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    コーナン上牧店から見た東の空。城陽市・宇治市方面。
    こちらもすごいでしょう。
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    阪急水無瀬駅の南200m程から見た北の空。
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    水無瀬2丁目住宅から見る西の空。水無瀬の山。
    凄いですね。
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    真上。もう手の届く高さ。鼻で直接ケムトレイルを吸いそうです。
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                ◆       ◆       ◆


    3月28日。水無瀬の山。
    尚、この翌日の29日は、伊丹空港(豊中)上空でもケムトレイル。
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    2月の写真が見当たらなので見つかり次第、追加で画像を貼っておきます。

    1月24日、水無瀬上空。
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    1月25日、水無瀬上空。
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    安倍政権は、この米国ペンタゴンが手先となっている国際金融資本の世界人口削減計画を(暗黙に?)認めている。当面の目標は20億人の世界人口削減。

              ◆       ◆       ◆

    (今日1回目のブログ更新記事)
    沈黙は金の日本人






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    ケムトレイルを31日に続き、1日も撒きたくりました。
    (ブログ記事)
     
    散布が激しくなったのは恐らく花粉を吸ってくしゃみをするから、ケムトレイルを吸ってくしゃみをしても、知らない人にとって何ら疑問を抱かないからかも。
     
    (参考)
    ある日のケムトレイルの成分は、

    アルミニュウム  387・0mg/kg
    バリウム      18・4mg/kg
    ストロンチウム  113・0kg/kg
    チタニウム     15・2kg/kg
     
    (注)子供の血液から、普通ではありえないバリウムが検出されている。恐らくケムトレイルを撒かれた水源の水を飲んだのかも。
     
              ◆       ◆       ◆
     
    ケムトレイルは、世界人口削減を目的にしていることは明らか。
    その証拠はいくらでもあるが、その中から三つを抜粋。
     
    (その1)
    "I wish very much that the wrong people could be prevented entirely from breeding" ― Theodore Roosevelt
     
    「私は不適切な下層階級を、完全に繁殖させないことを切望する」ー セオドリ・ルーズベルト
     
    (その2)
    Investigations by EIR have uncovered a planning apparatus operating outside the control of the White House whose sole purpose is to reduce the world's population by 2 billion people through war, famine, disease and any other means necessary.
    [1981] The Haig-Kissinger depopulation policy by Lonnie Wolfe
     
    EIRによる調査によると、ホワイトハウスでは、外部を使って、戦争、飢きん、疾病および他の必要な手段を通じて、世界の人口を20億人減少することを単独の目的とする計画の実行に着手した。
    [1981] Lonnie Wolfeによる 「ヘイグ=キッシンジャー過疎化政策」
     
    (その3)英国王室の実態
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    英国のエリザベス女王の夫であるフィリップ殿下[Philip]は、下記の言葉を1987年の著書の序文で書いており、更に1988年8月8日世界野生動物基金(WWF[当時。現在は世界自然保護基金と改称])のメンバーを前にしても言った。
     
    "In the event that I am reborn, I would like to return as a deadly virus in order to contribute something to solve overpopulation."
     
    「もし生まれ変わることができたら、こんどは致命的なウイルスになって、人口過剰問題を解決する手助けをしたいものです」
     
              ◆       ◆       ◆
     
    《人類の90%削減を目指し、水無瀬の上空で撒き続けるケムトレイル》
     
     
    4月1日午後3時すぎ、水無瀬の山手方向(西方)
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    北の空
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    同じく高川から見る北の空
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    昨日4月2日午前10時前のTVに映し出された東京湾の空。
    上空、ケムトレイルが広がっている。
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    これは今朝の東京でも遥か遠くの小笠原諸島父島境浦海岸のライブカメラ。何とこんなところでもケムトレイルを撒いている。
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    これは今朝4月3日午前8時半すぎの水無瀬の西の空。
    朝早くから撒き始めたのでしょうね。
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    これは天王山方面を見た北の空。
    右に走る高架線の向こうは阪急電車水無瀬駅プラットホームの屋根。
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    人口削減計画は着々と進行中。
    特に子供たちの心と身体が危ない。
     

     
    (怒りを通り越して涙がですこと)
     
    間違い探しではありません。
    日本の国の代表者である者のレベルはこんなもんです。
     
    一般人なら単なる間違いで済まされるが、首相たる者が・・・・・
    残念ですが・・・・・・   トホホ・・・・・
     
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