Are you the publisher? Claim or contact us about this channel


Embed this content in your HTML

Search

Report adult content:

click to rate:

Account: (login)

More Channels


Channel Catalog


Channel Description:

島本町水無瀬は、京都嵐山から流れる桂川(途中、鴨川と合流)・琵琶湖からの宇治川・奈良方面から流れる木津川の三つの川の合流地点です。ここから淀川となって大阪に流れます。 [[img(http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/7d/df/minaseyori/folder/1462267/img_1462267_55109248_4?1289239015)]] 島本町水無瀬については、谷崎潤一郎著小説「蘆刈(あしかり)」で結構詳細に述べられています。ここ水無瀬は、小倉百人一首を並べたら、水無瀬の情景になるという藤原定家の隠れた後鳥羽上皇思いの舞台です。 参照:「百人一首の秘密」著者林直道教授の公式サイト http://www8.plala.or.jp/naomichi/ 参照:「水無瀬絵図」小倉山荘サイト  http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin02.html (追記)小説『蘆刈』に基づく私のブログ記事 谷崎潤一郎原作・主演田中絹代 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43928675.html 愛するが故に妻との別離 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43963187.html 阪急大山崎下車の谷崎潤一郎 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/46246160.html 京都に在った諏訪湖より大きな池 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/46870978.html 十五夜お月さんと山崎の橋 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61587198.html 水無瀬野の歴史 https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61399688.html (お知らせ)09.12.06 ①公序良俗に反するコメントや、因縁コメントは直ぐにカットします。 ②コメントは、空行も含めて10行以内でお願いします。➂私の記事や私見に反論のある方は、先ず自分のブログで論証してください。

older | 1 | .... | 3 | 4 | (Page 5) | 6 | 7 | .... | 74 | newer

    0 0


    なんと、なんと!

    FBIの自作自演のボストン・マラソン爆破に無関係な市民ジョハル・ツァルナエフに死刑を要求。

    9・11も自作自演。

    米国の正義とは、無関係・無罪の市民をひっとらえて死刑にすること。


              ◆       ◆       ◆

    米司法省、ボストン・マラソン爆破の被告に死刑求刑の方針
    2014.01.31 Fri posted at 09:46 JST

    (CNN) 昨年4月に起きたボストン・マラソンの爆破テロ事件で、米司法省は30日、殺人などの罪に問われたジョハル・ツァルナエフ被告に対し、死刑を求刑すると発表した。

    ツァルナエフ被告はチェチェン系の米国人で、兄のタメルラン容疑者(逃亡中に死亡)と共に昨年4月15日、ボストン・マラソンのゴール付近で2個の爆弾を爆発させ、3人を殺害、250人以上を負傷させた。その3日後には逃走中にマサチューセッツ工科大学の警察官を殺害したとされる。

    同被告は30件以上の罪で起訴され、すべてに対して無罪を主張している。

    この犯行について司法省は、極めて凶悪かつ残忍であり、ツァルナエフ被告に反省の念も見られないと判断。複数の犠牲者が出たことや入念な計画に基づく犯行だったこと、さらには米国に対する裏切り行為に当たるという理由で、死刑を求刑する方針を決めた。

    司法省の発表を受けて検察側は同日、連邦裁判所に死刑求刑の方針を伝えた。
    http://www.cnn.co.jp/usa/35043283.html

                            ◆

    以下、私のかってのブログ記事。

    ボストン爆破はFBIの自作自演か?
    2013/4/18(木) 
    ニューヨークタイムズが最近、最近のほとんどの米国国内恐怖事件は、F.B.Iが作り出したものだという記事を書いているが、今日のボストンでの爆発もこの作戦の一部だった可能性がある。
    It is important to emphasize that the New York Times recently reported that most of the recent domestic terror plots in the United States “were facilitated by the F.B.I.,” suggesting that today’s incident in Boston may have been part of such an operation.


    ボストン爆破のFBIの目的は何か?
    2013/4/28(日)
    元FBIの長官は、政府がほとんどの 'テロ'攻撃に関与していることを認めている!

    FBI Casting Set Stage for Boston Marathon Bombing, Shootout, Charade
    CBS News: FBI Interviewed Tamerlan Tsarnaev 2 Years Ago
    April 20, 2013 12:37 AM
    CBSニュース: FBIは2年前からタメルラン・ツァルナフエ(兄)と接触していた
    http://boston.cbslocal.com/2013/04/20/cbs-news-fbi-interviewed-tamerlan-tsarnaev-2-years-ago/


    戒厳令の予行演習・ボストン爆破?
    2013/5/21(火) 
    2001年の9・11以降の裁判記録によると、米国内で起きたテロ未遂事件全22件のうち、14件がFBIが誘導した、いわばFBIの自作自演もの。

    明白なものが64%の14件ですから、実際はほぼ100%にFBIがからんでいると看做すことができますね。





    0 0


    今冬も12月から漬物『すぐき』が出回っています。
    すぐきを食べると京都の街、特に上賀茂が懐かしく思い出されますね。

    あの上賀茂神社近くで戯れたのは41~2年前でしょうか。
    無論すぐきと言うとその戯れた場所の近くの『なり田』さんです。

    イメージ 3


    今住んでいる水無瀬から上賀茂神社は遠いので、なり田さんの丸すぐきを食べたい時は、JR京都駅伊勢丹地下二階で買います。

    通常は、スーパーで販売しているものを買います。
    下記の画像は京都・錦小路の桝悟(ますご)のすぐきと日野菜です。

    イメージ 1

    今冬は12月に三個、二月に二個食べました。
    我らは食べる都度、京都での思い出話になりますね。
    何しろ、マンマがそのなり田さんの近くの学生アパートに住んでいたのですから。


                           ◆

    (余談)
    下記は、なり田さんのHPより抜粋

    「すぐき漬け」に含まれている乳酸菌のなかでも、「ラブレ菌」は、近年大変話題になりました。

    「ラブレ菌」とは、「京都パストゥール研究所」の岸田網太郎博士により「すぐき漬け」から発見されたものです。体内のインターフェロン(ガンやウィルスから身体を防御する因子)生産能力が高まり、安全で副作用のない免疫能力助長剤としての可能性があることが研究で明らかになりました。

    また、整腸作用により、下腹部のふくらみを抑える効果があるとTVなどで紹介されました。


                           ◆

    そうそう、下記の画像は、大方食べた後にパチリしたもの。

    イメージ 2

    キュウリの古漬け(糠漬け)に干し大根の漬物。
    特に干し大根は、山陰の農家のおばあさん漬けたもので殊更美味しい!

    それに山陰のサバの身肉を糀(こうじ)でゆっくりと熟成したいわば『サバの石狩漬け』が美味しい。

    おばあさんに「ネットで売ってあげるから、たくさん作って」と人伝にお願いするも、「年だから身内で食べる分しか作れない」との回答。残念です。

    これをパチリした画像があったのですが、HDDの操作を誤り、再生不能ですので、代わりに北海道に行ったら必ず買って帰る「紅鮭の石狩漬け」の画像を掲載しておきます。

    これも紅鮭の身肉を同じく糀(こうじ)でゆっくりと熟成したものです。

    イメージ 4

    このとろける美味しさ。
    熱燗を飲みながら「日本に生まれて良かった!」と改めて感動します。



    (注)今日二回記事を更新していますが下記のURLが一回目の更新記事です。

    「米国政府とFBIとで市民虐殺の序』


    0 0
  • 01/31/14--16:06: 狂った朝日新聞

  • 呆れますね、狂った朝日新聞。
    朝日新聞社の記者や職員の大半は、半島人と中国人ではないですか?

    或いは、発行部数と広告費が激減しているから、隣国の対日戦略のお先棒を担いで隣国からお金をもらって成り立っているのでしょうね。

    従軍慰安婦は日本軍に強制連行されたとか、ありもしない南京虐殺を朝日新聞がでっちあげたことは皆さんご存知ですね。

    今回はなんとなんと、2020年夏の東京五輪は日本と韓国とが協力して準備するという。
    こんな嘘の報道をする朝日新聞をあなたは買うの???


    イメージ 1


    (朝日新聞の記事を拡大)

    イメージ 2


    @AbeShinzo 朝日新聞がドラえもんを使って、

    「2020年東京五輪を日本と韓国が共同で開催する準備をしている」

    と掲載しています。いつ決まったのでしょうか。事実を報道していないのであれば問題だと思います。 pic.twitter.com/tuCAoaYftk



                                                  ◆

    CIAの報道機関の共同通信も捏造記事。

    日本のJOC竹田会長は『協力する』なんて一言も言ってないにも拘わらず、日韓全面協力としている。

    2013.9.10 11:07
    日韓全面協力、18年冬季と20年夏季五輪成功へ
    特集:20年東京五輪

     日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長と韓国オリンピック委員会(KOC)の金正幸会長は9日、ブエノスアイレスで会談し、韓国で開催される2018年平昌冬季五輪と20年東京夏季五輪の成功に向け、全面的に協力することで合意した。

     日韓関係が冷え込む中、東京の五輪招致成功を機に新たな動きが生まれる可能性もある。日本には過去2度の冬季五輪を開催したノウハウがある一方、韓国は昨夏のロンドン五輪で日本の倍近い金メダル13個を獲得するなど近年は競技力で勝っている。両者は選手の交流も促進させる。

     竹田会長は「両国の関係がしっくりいっていないときでも、スポーツは互いの理解を深めることに貢献できる」と述べ、金会長は「われわれの交流と相互協力は現在の両国の関係を好転させることができると確信する」と応じた。

     竹田会長によると、アジア・オリンピック評議会(OCA)のアハマド会長を加えた3者会談では、「冬季五輪と夏季五輪が続いて開催されることが決まり、アジアの平和構築にとって絶好の機会が訪れた」とOCAも両大会の成功に最大限の支援を約束したという。(共同)

    http://www.sanspo.com/sports/news/20130910/oly13091010470005-n1.html

                                                  ◆



    日本人ってお人好しといおうか、騙されやすいと言おうか、左脳だけの暗記だけといおうか、新聞とTVの報道を信じる!!! 特に中高年は!!!



    0 0


    呆れますね、東京都知事選。
    結論から言えば、国際金融資本が仕組んだ茶番劇。

    それを書こうとしたら、思わず舛添で脱線。
    今回は舛添の記事だけ掲載します。

              ◆       ◆       ◆


    自民党を離党した蓄膿症のフンガ~フンガ~の桝添を自民党が推薦。

    成程、成程、舛添は原発推進派。
    イメージ 1

    然も、デビ夫人によると「舛添の三番目の今の女房は秘書に手を出した結果であり、その秘書、創価学会の幹部」とのこと。出来た子二人。

    石原慎太郎の言葉によれば、舛添とは「外国人に参政権を与えると、国籍のよく分からない候補者が言って。おっかない話だ」との由。公明党の要望にもピッタンコ。

    都知事選なければ創価大学の教授の予定だったとの話もある。

    (参考)舛添要一は朝まで生テレビで自分は在日朝鮮人の家の子だとカミングアウトしたとのこと。

    更に、舛添要一「 私の原点 そして誓い 」2008年1月 佼成出版社 では、
    P125~ --- オモニ(おふくろ)の味 --- 
    「 ・・・舛添家発祥の地は福岡ですが、わが家は先祖代々 朝鮮半島とはゆかりが深く・・・ (注)日本人は母親を韓国語のオモニとは言わない。



    処がこの舛添、最初に結婚式をあげたのがヨーロッパで日本人女性とだが、入籍する前にご破産。

    法律婚としての最初の女房はフランス人で、二番目が片山さつきちゃん。

    イメージ 2
    但し、結婚早々舛添はさつきちゃんにサバイバルナイフをつきつけたり2階から本を投げたり怒鳴ったりでまさにDV(家庭内暴力)。

    さつきちゃんは新婚三ヶ月目にして弁護士に離婚相談。ようやく離婚が成立したのが二年三ヶ月後。

    片山さつきちゃんが舛添の応援演説はしないって言うのも当然のこと。

                        ◇

    但し、以下は、日刊スポーツ紙(2014年1月28日9時16分)より一部抜粋。

     片山氏は、19日に行われた自民党大会に出席し、安倍首相から「(舛添氏の)応援に立ってほしい。すごい話題になる」と頼まれたことを明かしていた。

    しかし、自身の公式ブログで「舛添氏は、障害をお持ちのご自身の婚外子の扶養について係争になっている」と指摘。

    このような問題を理由に、個人的な支援は難しいとしていた。

    この日は、東京都連が舛添氏を推薦しているため、都連の政調副会長の立場で参加。個人的な問題意識は封印した。


              ◇       ◇       ◇

    (参考)週刊新潮 
    『片山さつきインタビュー  総理期待度No.1「舛添要一」という男の正体』

                       ◇

    『フラッシュ 2007年9月18日号』より一部抜粋

                       ◇

    (舛添がさつきちゃんに向かって)
    「遅く帰ってきやがって!」
    イメージ 3
    いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。

    一方的にまくし立てて、彼女(さつきちゃん)の言うことは一切聞かない。

    手当たり次第に投げつける。
    炊飯器の上蓋が割れていたこともあるという。

     またあるときは、サバイバルナイフなどいくつものナイフを彼女の目の前にズラーッと並べた。舛添要一は、ナイフの収集が趣味だった。そのうちの一つを彼女に向けたことまであった。

     結局、片山さつきは結婚から3ヶ月ほどで、弁護士に離婚を相談した。
     すると、弁護士の調査で舛添要一には愛人がいて、その彼女が妊娠中であることも分かった。

     「愛人ができたから、早く私を追い出してしまいたかったんでしょうね。完全に向こうの都合です」と、片山さつきは語る。

     正式に離婚が成立したのは、結婚の2年3ヶ月後だった。実際はのべ半年も同居していなかったという。

     片山さつきによると、舛添要一は、『公私ともに人は利用するだけのもの』と思っている。例として、このようなことを挙げている。

    「最初は小泉さん(純一郎・元総理)を評価していた。ところが、小泉人気が一時カゲりを見せた02年頃に一転して批判するようになる。安倍さん(晋三・同)の時も、参院選(07年)中から支持率が落ちると徹底的に非難した。

     つまり、弱き状況にある人に強く出た。かと思えば、その安倍さんに厚労相を打診されると喜んで引き受けたりもしている」   (転載終わり)

    舛添を婚約不履行で訴えている女性によると、舛添は子供ができたにも関わらす、子供の養育費もろくろく払わず「おまえが勝手に育てろ!別に俺が欲しくってできた子供じゃない!」などと言い、彼女に暴力を振るっていたという。

    妊娠していた彼女に対しても、顔が腫れるくらい、何回も顔を殴ったり、手当たり次第に物を投げるなど、ひどい仕打ちをしていたという。癇癪を起こすと、見境がなくなり、近くにある物を何でも投げたという。

    一回、舛添はハサミを彼女に向かって投げたという。そのハサミが彼女の頬をかすめたという。そして舛添は、そのハサミで彼女の美しい長い髪をバサバサに切ったという。舛添はそのハサミを彼女の顔につけ「俺の言う通りにしないと、どういう事になるか分かっているな!」と脅かしたという。(中略)

    舛添に捨てられた女達は五万といるらしい。片山さつきもその1人だったという。
    どんなに綺麗でも、舛添は、すぐに飽きてしまうらしい。

    そして、付き合い始めてから1週間も経たないのに、次の彼女を物色し始めるのだという。時には、同日に2~3人の女達に会う事もめずらしくなかったという。そして、時には、2~3人の女性達と同時にホテルの部屋に入って行ったのを目撃されている。

    女性達には「俺は英雄だから、色を好むんだ!」と豪語していたという。

    (参考)
    『舛添要一 結婚したすべての女性に暴力を振るい家庭内で暴れた爬虫類男』

              ◇       ◇       ◇

    それだけではない。
    婚外子が三人も。
    この婚外子三人の養育費は?

    (参考)『フラッシュ 2007年9月18日号』
    「舛添要一 種馬人生を大発掘 妻3人、愛人2人、認知子3人」)
    婚約不履行で訴訟を起こされてもいる。

    生活保護を受給している実姉{四番目)の扶養は?

              ◇       ◇       ◇

    他方、舛添要一元厚生労働相が結成した「新党改革」が、借金返済に使うことを禁じられている政党助成金や立法事務費で借金返済を行った疑いがある。

              ◇       ◇       ◇

    と言っても、そんなこと、どこ吹く風。
    処が処が、創価学会に新たな動きが。

              ◇       ◇       ◇

    日本中に「核廃絶」広告 池田名誉会長“脱舛添”指令の波紋
     ゲンダイネット 2014年1月29日 掲載

    「人間を信じる。平和と核廃絶を信じる」――。28日の朝刊を広げると、飛び込んできた深紅の文字のメッセージ。創価学会が一般紙に掲載した全面広告だ。

     池田大作名誉会長(86)は26日、毎年恒例の「平和提言」を発表。広告は提言を受け、〈これまでの取り組みを一歩進め、青年部を中心にグローバルアクションキャンペーンをスタートさせ〉る旨を伝えたが、広告掲載の規模は半端じゃない。

     いわゆる朝・毎・読・日経の主要全国紙をはじめ、北は北海道新聞から南は沖縄タイムスまで、全国津々浦々の地方紙にメッセージを載せた。

    「核廃絶」は「脱原発」にも結びつく。実は2年前の平和提言でも、池田名誉会長は「原発に依存しないエネルギー政策への転換を早急に検討すべき」と、脱原発に踏み込んでいた。

    都知事選で細川―小泉コンビが脱原発を掲げる中、莫大な広告費を払った全国への「檄文」は首都決戦と無関係とは思えない。(中略)

    池田名誉会長は平和提言でも「日中韓の首脳会談開催」を呼び掛けた。反中韓の安倍外交へのアンチテーゼだろう。
    (以下省略)


    次に登場するのが細川だが、時間切れ。
    次回へ。





    0 0


    中国情報(新華経済)からほほえましい記事抜粋。


              ◆       ◆       ◆
    イメージ 1

    「STAP細胞」の小保方さんにネットユーザーからも熱い視線、「可愛すぎる!」「研究成果をパクられないでね!」―中国
    2014年01月31日

    弱酸性の刺激を与えるだけという簡単な方法で「万能細胞」の作製に世界で初めて成功した日本の理化学研究所(神戸市)の小保方晴子・研究ユニットリーダーらのチームに、中国からも熱い視線が注がれている。

    「STAP細胞」と名付けられ、英科学誌ネイチャーで発表された。「iPS細胞」や「EPS細胞」とは違うより簡単な手法で、使用の際の安全性も高いという。マウスを使った実験で成功した段階だが、ヒトの細胞でも同じことができれば、再生医療への応用に期待できる。

    31日、中国の複数メディアでこのニュースが伝えられると、多くの中国ネットユーザーが中国版ツイッター「新浪微博」で感想をつづった。「女子力の高いリケジョ」として一躍脚光を浴びた小保方さんへの注目度も高い。

    「日本人は科学研究の分野で中国人のずっと先を行っている」
    「日本の研究界って男性主体でしょ?でも、今回は30歳の美女。私たち女性研究者にとってすごく励みになる!」
    「すごいね」
    「この女の子、すごく個性的。白衣を着ないでおばあさんからもらったかっぽう着で実験しているんでしょ?」
    「数年後はノーベル賞だね。若くてきれいな人だ~~」

    「中国人も頑張らないと。まずはパクリ商品の一掃からね。数人がスローガンを叫ぶだけでは『強国』にはなれないよ」

    「その研究成果をパクリ国家に盗まれないように」

    「まだ30歳なの?すごすぎる」
    「可愛すぎる」
    「美女だね」
    「きれいなお肌・・・」

    (編集翻訳 小豆沢紀子)

              ◆       ◆       ◆

    成程、成程、我らの幼少時代、農村社会での嫁選びの条件に一致するのが下記の「女性の8つの部位」の中で三つ。 ヽ(´▽`)/

    (注)矢(←)印箇所は、私が追記したもの

                       ◇

    醜ければ醜いほど健康な「女性の8つの部位」―中国メディア
    2014年02月02日

    中国メディア・BWCHINESE中文網は28日、「醜ければ醜いほど健康な女性の8つの部位」と題した記事を掲載した。

    記事が「醜ければ醜いほど健康」と指摘した8つの部位とその効能は以下の通り。

    1、ヒップが大きければ大きいほど、脳と心臓の血管が健康 ←◎YES安産タイプ
    2、ほくろが多ければ多いほど、老化が遅い
    3、バストが小さければ小さいほど、背骨が真っ直ぐ ←×NO乳の出が悪い
    4、鼻が大きければ大きいほど、風邪をひきにくい  ←◎YES小鼻だと病弱

    5、太ももが太ければ太いほど、心臓が丈夫  ←YES◎畑仕事も何のその
    6、足の指が短ければ短いほど、走るのが速い
    7、耳が大きければ大きいほど、年をとっても耳が遠くならない
    8、偏平足であればあるほど、足のケガが少ない ←×NO偏平足は嫌われた

    (編集翻訳 小豆沢紀子)

              ◆       ◆       ◆

    下記の記事は日本のメディアが伝えなかったもの。
    面白いことに、中国紙が事実を伝えている。

    つまり、日本のマスメディアとは、中国や韓国にとっては都合が悪く、日本に都合が良いことは日本の市民に伝えないということ。

    日本での報道の自由って事実を伝えず、ウソ・捏造を伝える報道の自由であり、大手マスメディアはその自由を謳歌しているということすね。

    そしてその報道を見て聞いて自虐史観の思考で納得しているのが今のネット社会とは無縁のTVと新聞と韓流にかぶりついている中高年層。 ヽ(´▽`)/ 

                          ☆

    安倍首相を東南アジアの各メディアが“援護”、「太陽が再び日本から昇る」「中国の挑発を受けて立とうとしている」―中国紙 2013年08月02日

    安倍晋三首相がマレーシア、シンガポール、フィリピンの東南アジア3カ国を歴訪し、各国でインフラ整備などの「支援」を提示。これが奏功したようで、現地メディアが安倍首相の憲法改正への意欲を肯定的に報じている。2日付で環球時報が伝えた。

    安倍首相は先日、公式訪問したマレーシアで高速鉄道技術の提供を約束。この数日後、現地紙は「米国が制定した平和憲法により、日本は戦後長い間、まるで米国の北東アジアにおける巨大空母のようだった。だが、昨今の中国の台頭により、日本は別の選択をしようとしている」と指摘。

    「日本は、米国の抑圧から解放され、核武装を含む本格的な軍事力を持つ道を選んだようだ。これは、永久にこうべを垂れ、贖罪の態度を取り、第二次大戦の敵におとなしく従うことを放棄することを意味する」と日本の立場に理解を示した。

    インドメディアも「太陽が再び日本からのぼる」とうたい、投資家たちに日本の「強含み」を紹介、日本との関係強化を呼びかけた。

    フィリピン紙も日本との「戦略的パートナー関係」を強調し、「タカ派の安倍政権は憲法を改正し、中国の挑発を受けて立とうとしている。安倍首相の参院選での大勝は日本国民の平和憲法改正に対する承認だ」と援護した。
    (編集翻訳 小豆沢紀子)

                          ☆

    (参考)インドの独立の機縁は日本であり、今も感謝してくれている。近年まで、日本への原爆投下された日には、同国の国会で総じて黙とうを捧げてくれていた。

    インドネシアの独立記念日である8月17日の式典では、日本の軍歌が日本語のまま歌い継がれている。
    http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-2245.html


              ◆       ◆       ◆



    0 0


    『Yoko story: the truth of So far from the bamboo grove』
    この本は1986 年にアメリカで刊行後、数々の賞を受賞。
    アメリカの中学校の教材として採択された感動秘話。
    イメージ 1

    終戦前後の朝鮮半島と日本で、日本人引き揚げ者が味わった壮絶な
    体験を赤裸々に綴る、息もつかせぬ、愛と涙のサバイバルストーリー

              ◇       ◇       ◇

    昨年2013.07.11、ようやくこの日本語版が発売されたとのこと。
    知りませんでした。

    イメージ 2

    竹林はるか遠く
    日本人少女ヨーコの戦争体験記
    ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ 著 
    監訳 都竹 恵子 訳 2013.07.11発行
    四六並製 236ページ 定価 1575円(本体 1500円)

        ◇       ◇       ◇

    「序」より抜粋

    一九四五年は、朝鮮北部に住んでいた一人の日本人少女にとって、最悪な年だった。

    その当時、第二次世界大戦の脅威が日本に迫っていた。前哨隊を朝鮮北部の国境近くに配置しているソ連が、アメリカやイギリスの連合国軍に加わって、いつ日本に宣戦布告してくるか分からなかった。

    重大な危機が、すぐ目の前にまで迫っていることも知らず、川嶋擁子は竹林に囲まれた家で何不自由なく幸せに暮らしていた。

    擁子の幼い頃の思い出に、父がつがいのカナリアを持ってきたことがあった。鳥かごの前に座っては、長い間カナリアと話をしていた。後にこのことを作文に書いて学校で発表すると、クラスメートたちは笑い出して、「人間が鳥と話なんかできるわけがない」と言った。

    しかし、その頃、すでに作家になろうと思っていた擁子は、「私はできるし、ちゃんと話をしたのよ」と言い張った。そして、この作文が地方新聞に載ったときは殊の外喜んだ。

    しかし、それから数年後に、想像を絶するような現実の真っただ中に陥ることになるなど、擁子は知る由もなかった。――それはあまりにも冷酷で悲惨なものだったので、擁子が大人になってからそれを綴るまでに、多くの時間を要したのである。

    しかし、それから数年後に、想像を絶するような現実の真っただ中に陥ることになるなど、擁子は知る由もなかった。――それはあまりにも冷酷で悲惨なものだったので、擁子が大人になってからそれを綴るまでに、多くの時間を要したのである。

    ヨーコ・カワシマ・ワトキンズはアメリカ人と結婚し、四人の成人した子供の母親となり、現在ケープ・コッドに住んでいる。

    英語をマスターし、彼女自身の悪夢の物語を書きあげた努力は、生き残る技を身につけ、幼い頃朝鮮からの脱出時にみせた粘り強さと意志の証明である。彼女曰く――私はどん底のさらにどん底にいたのよ、と。

    この本の出版に際し、作家仲間の一人が擁子に、

    「これからは、他の作家といろいろな面で、競争をすることになるでしょうね」と言った。しかし、擁子は、いいえ、何のためであろうと誰とも競争するつもりはない、と答えた。

    「私は若い頃、生きるか死ぬかの戦いをした。そして私は勝ったのよ」
    これは擁子の勝利の物語である。
                                                          ジーン・フリッツ

              ◇       ◇       ◇

    「日本語版刊行に寄せて」より抜粋

    この本がアメリカで出版されて二十年経った二〇〇六年の秋、ボストン近辺に住む在米二世韓国人たちが突如怒りを爆発させました。

    本書はアメリカで中学生の教材として採用されていたのですが、その内容について、「日本人を被害者にし、長年の日帝侵略が朝鮮人民に対して被害、犠牲、苦痛を与えた歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的に書いており、中学生の読むのにふさわしい本ではない」といった理由をつけて、本を教材からはずす運動をあらゆる手段を使ってやり始めたのです。

    さらに、「著者の父親が七三一部隊に属していた悪名高い戦犯であり、また慰安婦を満州に送った悪者である」といった事実に反することも言い始めました。そこにボストン駐在韓国領事も仲間に加わり、この動きが世界中に広まったのです。

    本書は、私が十一才のとき、母、姉と朝鮮北部の羅南を脱出したときの体験を書いた自伝的小説に過ぎません。私の意図は、個人や民族を傷つけるためのものではなく、この物語を通して戦争の真っ只中に巻き込まれたときの生活、悲しみ、苦しさを世の中に伝え、平和を願うためのものでした。

    どの国でも戦争が起きると、人々は狼狽し、混乱して下劣になりがちですが、その反面、人間の良さをも引き出させることがあります。私はこの物語の中で、自分たちの身の危険もいとわずに兄の命を助けて保護してくれた朝鮮人家族の事を語っています。これは「親切さ」についての一つの例えですが、彼ら以外にも親切にしてくれた多くの朝鮮人たちがいました。

    羅南から釜山、日本の福岡へと帰ってきた少女時代の経験は、戦争とは恐怖そのもので、勝負はなく互いに「負け」という赤信号なのだということを私に教えてくれました。私はそのことを本書を通して地球上の全ての子供たちに伝えたい――それだけが私の願いです。
    子供時代の思い出である故、歴史家から見れば、いたる所に間違いもあるでしょう。その点はお許しください。

    本書を通して世界中の人々が、真の平和の中に生きて行く事を祈ってやみません。

              ◇       ◇       ◇

    ユーチューブで概略を知る

    竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記


     
              ◇       ◇       ◇

    以下の記事は、日本語版が出版される前に、七生氏がユーチューブに英字原文を意訳し概要を述べたものの文字起こし版です。

    この文章だけでも、その緊迫と残虐、非道、その渦中からどう生き延びたかを多少でも感じられると思います。

       
                       ◇

    この記録は、ソ連国境に近いナナム(Nanam)から始まります。
    この地図は、彼女のナナムから日本本土までの逃亡の軌跡です。


    イメージ 3




    ヨーコ物語(竹の森遠く)概要1      七生 報国 

    「ヨーコ物語(竹の森遠く)概要1~12」を文字起こし

    【主な登場人物】
     ●ヨーコ(当時11才-12才)・・・著者本人
     ●ヒデヨ(当時13才~16才と思われる)・・・著者の兄
     ●コウ (当時16才-17才)・・・著者の姉
     ●母
     ●父(官僚)
     ●フクイ先生
     ●マツムラ伍長
     ●マスダさん

    <1.ナナムでの日々>
    家に日本軍人が入ってきて、金属を提供せよと言われた。
    弾丸を作るのに金属が必要だとの事。
    私は学校が休みになるのが嬉しい。
    父は「今は戦争中だから」と言う。
    母はポケットを縫っていた。
    学校では、空襲に備えて、生徒が学校の周りに溝を掘る。
    空襲警報サイレンが鳴る。
    エノモト先生が地面に伏せるよう叫ぶ。
    学校にアメリカ軍機の空襲が来た。
    米軍機は行ったが、土を掘る作業は続けられる。

    家に帰る、疲れ果てて習字に集中できない、父は家にいない。
    両親に、習字だけでなく、茶道・華道・舞踏・詩歌も放課後家でやるように言われている。
    才能がないのでやめたいと言うと、母「そういう問題ではない。いつか役に立ちます。心を磨くのです。疲れているなら早く寝なさい」

    4月に学校で聞いた祖国の酷い知らせ、学校でエモノト先生に、東京が空襲されている事を知らされる。
    何人かの同級生は親族が東京にいる、すすり泣きが漏れる、私のじいちゃんは北日本にいる。
    急いで学校の掃除を終え、家に帰る。
    母に東京空襲の事を言う。
    私の家はナナムで珍しくラジオがあって、母は東京空襲の事を知っていた。
    母は戦争が拡大しない事を望むと言った。
    母「陸軍部隊が京城ヒルの麓で新設された。それは私達の家からたった1マイル(約1.6km)の所」
    帝国海軍の軍艦はラシンのドックに入っている。30マイル(約48km)先。
    軍は朝鮮の農場を軍病院にした。
    朝鮮人は反日共産軍を設立した。
    朝鮮は大日本帝国の一部だが、朝鮮人は日本人を憎んでいたし、戦争について満足でなかった。
    母「恐ろしい」
    母に軍病院での演劇の練習の進み具合を聞かれる。
    父がコウと私に演劇をやるように決めた。

    大きな赤十字のマークの陸軍トラックが次の日、道具や衣装を取りに来た。
    フクイ先生とヒデヨはトラックで、母とコウと私はタクシーで陸軍病院へ向かう。

    舞台裏の講堂で、子供達が歌や詩の朗読や琴をしていた。
    着物の衣装に着替えるとき、負傷兵を見る。
    負傷兵は、目に包帯が巻かれていたり、足や手がなかったりしていた。
    緊張してきた。
    そして、舞台が始まった。
    他の子の歌や琴の公演の間に、私は踊りを踊った。
    「何歳ですか?」「まだおしめしてますか?」と聞かれ爆笑。
    皆笑い、三味線の準備のフクイ先生も笑った。
    終了し、お腹が減った。
    帰りたくなり足袋をすぐ脱いだ。
    コウは負傷兵に握手をし、いたわった。
    私がコウに「負傷兵にさわるの怖くなかった?」と聞いたらコウが「いいえ。彼らはお国の為に戦ったのよ」と言った。
    医師がもう一人の患者を会わせた。
    その患者はマツムラ伍長で、食欲がないらしい。
    頭もあちこち包帯で巻かれてミイラに見えた。
    医師は伍長に母とコウと私を紹介した。
    コウが私の手を伍長の手にもっていき、伍長とはなす。
    伍長の手が私の額や肩を触る。
    傷跡(男の子との喧嘩跡)を聞かれる。
    衣装と踊りの練習について聞かれる。
    医師が退院させてくれたら踊りを見に行ってよいか聞かれ「はい」と答える。
    名前について聞かれる。
    母、コウ、私、フクイ先生は回復のお祈りをし、病院をでる。

    数週間後、夕食に私が文句を言ったらヒデヨに叱られた。
    マツムラ伍長が家に訪ねてきた。
    母は夕食を出し、ヒデヨは父の代わりに応対した。
    伍長「あなたがた姉妹に会おうと思ったら回復しました」
    フクイ先生が来て三味線を調整した。
    伍長はたびたび来て私達は彼が好きになっていった。
    伍長は古典に博識で、現代語に翻訳した。


    夏の夜、空襲防止に厚いカーテンを母とコウが作る。
    教えてもらって私は衣類を2着作る。
    ポケットに手紙入れる。「あなた方が村を侵略した時、虐殺や強姦しないで」
    空襲警報のサイレンが鳴って防空壕へ急ぐ、地表では伏せる。
    エノモト先生「B-29に見えた」
    夜の空襲の飛行機は非常に低く飛ぶ。


    ある日、ヒデヨが予科練に入ると母に言う。
    コウと母はとても驚き、母はヒデヨを止めようとする。
    母とヒデヨの言い争いが続く。
    ヒデヨが自分の部屋に戻る、コウが呼びに来る。
    コウ「もし父が死んだら誰が母さんの面倒をみるの?」
    コウとヒデヨの言い争いが続き、コウが出ていく。

    数週間後、ヒデヨの軍の試験の結果が来た。
    ヒデヨは健康診断では受かったが、筆記で落ちた。
    ヒデヨは弾薬工場で働くことになった。
    ヒデヨが工場へ行った。
    私は宿題の作文をやって寝た。


    <2.逃避行 >
    寝ているとたたき起こされた。
    マツムラ伍長が来て「早く家から出てください」との事。
    「ソ連が侵攻してます。ご主人の仕事柄、あなたの家が狙われてます。」
    「ヒデヨが工場から戻ってない」
    「置手紙でソウル駅で会おうと」
    「日本人の病人は朝4時に移動させます」
    伍長「駅長は友人です。これは駅長へのメモです。今行ってください」
    伍長が私のおでこにキスをした「忘れません、友情をありがとう」
    私は伍長に「武運長久」と書いた書を手渡した。
    母が伍長にお礼を言い、伍長は出て行った。


    ヒデヨに手紙を書き、最低限の荷物を持ち出て行った。
    川に沿って駅までの近道を歩く。
    行進の音が聞こえ、伏せる。
    コウ「彼らは反日朝鮮人共産主義同盟だ」
    行進の音が近づき、朝鮮語で「敵を殺す練習しろ!」と男が叫ぶ。
    私は嘔吐した。

    部隊は川を渡って行った、安心した。
    やっと駅が見えてきた。
    駅について驚く、負傷兵、軍人市民でびっちり。
    様々な人でごった返す中、駅長が見つからない。
    駅長室にいっても駅長はいない。
    やっと駅長がみつかる。
    しかし、朝鮮人の駅長は、私達は病人でないので乗せられないという。
    軍医のリュー先生が私達家族を知っていると言ってくれる。
    マツムラ伍長の手紙を朝鮮人駅長に見せる。
    ヒデヨがいない事を朝鮮人駅長に指摘される。
    リュー先生の援護もありなんとか駅長の乗車許可を得る。


    何回も失敗した後なんとか私は乗車できた。
    看護婦の補助もありコウと母もなんとか乗車。
    私は車内の妊婦に水をあげる。
    列車が走りだした。
    列車から我が家が見えた。
    母は泣いていた。

    翌朝、目が覚めて安心。
    列車内は何も食べるものがない。水飲む。
    トンネル内は煙でむせて大変だ。
    コウがキャラメルをくれた。
    赤ん坊を抱いている女性がいた。

    医務員がみたところ、その赤ん坊は死んでいた。
    医務員が赤ん坊を奪おうとするが女性が抵抗。
    看護婦が列車から赤ん坊の遺体を投げ捨てた。
    その母親は列車から飛び降りた。
    死んだ患者を列車からどんどん投げ捨てて、スペースがだいぶできた。

    あまりの空腹に母に魚の干物をねだる。
    母に干物をもらう。
    妊婦に少し干物を分ける。
    誰もが水不足、ある女性は尿入れから尿を飲んでいた。
    隣で寝ている妊婦が産気づいた。

    ウォンサンにつく。

                                  つづく


    0 0


    大戦末期のある夜、小学生の擁子(ようこ・11歳)は「ソ連軍がやってくる」とたたき起こされ、母と姉・好(こう・16 歳)との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。
    欠乏する食糧、同胞が倒れゆく中、抗日パルチザンの執拗な追跡や容赦ない襲撃、民間人の心ない暴行もかいくぐり、祖国日本をめざす。

    竹林はるか遠く(1)

    以下、その続編
              ◆       ◆       ◆

    (ウォンサンにつく)

    病院列車なので給水と石炭補給で止まった。
    朝鮮共産党陸軍の検査が行われた。
    私は投げ飛ばされコウは横にされた。
    朝鮮共産党陸軍に調査されたが、医務員が嘘を言ってくれて助かった。
    看護婦は水をくれトイレを掃除してくれた。
    赤ちゃんが泣きだしたが母親は乳が出ない。
    私は寝た。

    急に列車が止まる、飛行機の音。
    列車の二つのエンジンとも空爆で破壊され炎上。
    患者を他の車両へ移動させる。
    聞くと、ソウルから45マイル(約72km)の地点。
    列車から降りて歩くことにした。
    水や食料を妊婦に渡した。

    列車を降りる。
    機関士が焼死体になっていた。
    家族でソウルに向かって歩き始めた。
    日中は歩き、夜は茂みの中で寝た。
    朝起きる。喉が渇いている。暑い。どこかわからない。
    少し料理してたべる、米と干物を煮る。

    兵隊の音が聞こえたら隠れる。
    七日間列車は走ってない。
    川に来た。鉄道の橋がある。コウが鉄道のレールの音を聞く。
    橋を歩く。途中まで歩いたが怖くてコウにしがみつく。
    コウにおぶってもらって橋を渡る。

    川で風呂に入る。
    戦闘機が来たので線路から離れて隠れる。
    森の中で寝ることにする。
    遠くで爆発があって空が赤くなった。
    ちょうどよい場所で休む。

    イメージ 2

    ボウルに米と水をいれてると朝鮮共産党の兵士が三人現れた。
    朝鮮共産党の兵士は「立て」「何歳だ?」と言ってきた。
    朝鮮人兵士「今晩楽しむのにちょうどいい大きさは・・」
    突然、飛行機が来て空爆していった。

    私は、音が聞こえなくなった。
    母の髪は血がついて、私の胸も血がでていた。
    コウの口を見て、朝鮮人兵士は「死んだ」と分かった。
    コウが筆談で「また兵士が来るかもしれないから黙って」
    私達は毛布で寝た。

    翌朝起きても耳は聞こえない。
    コウが朝鮮共産党の服を着て、坊主頭にしていた。
    私も朝鮮共産党軍の服を着せられ、坊主頭にされた。
    自分の服はザックに入れる。
    昼間、歩く。すでに11日歩き続けていた。


    <3.ナナムでのヒデヨ >
    ヒデヨはナナムで三人の友人と軍需工場で働いていた。
    機関銃の組み立て作業。
    友人が一服にいったあとに、朝鮮共産党が入ってきた。
    ヒデヨは本能的に空いている箱に隠れた。
    ヤスオをはじめ何人も朝鮮共産党兵士に射殺される。
    他にトイレにいった友人数人は大丈夫だろうか?
    死んだヤスオの血を自分の顔や腕や服に塗る。
    死んだマネをする。
    朝鮮共産党兵士が生きてるかチェックし、ヒデヨも腕を蹴られた。
    「ダイナマイトをしかけ、建物を破壊せよ」と朝鮮人のボスが言う。

    朝鮮人が出て行ってからヒデヨは箱から出る。
    やはり、ヤスオは死んでいる。
    トイレに行くと鍵がかかっていたが、ショーイチとシンゾーは生きていた。
    工場から爆破前に逃げる相談をする。
    トイレの窓からなんとか三人脱出できた。
    工場が爆破された。

    山道を歩き家へ向かう。
    竹の森の端のわが村に着く。
    家は盗賊にほとんどのものを盗まれていた。
    ヒデヨは朝鮮共産党兵士が来たと思った。
    母の手紙があった。
    ソウルでの待ち合わせを知る。

    殆どの物が荒らされて盗まれていた。
    母の通帳、米、調理セット、水、クッキーなどあるものをザックに入れる。
    自分の部屋に戻り下着など集め入れる。
    家を出、ショウイチの家へ行く。
    マコト、シンゾー、ショウイチがすでに集まっていた。
    マコトの年老いた両親が死んでいたとの事。
    マコトはすすり泣く。
    安全の為、朝鮮人の服に着替える。
    夜通し歩くために休憩を取る。
    線路に沿って歩き始める。

    昼間は朝鮮共産党軍にみつからないように寝て、夜歩く。
    野菜を掘って食べたり、木の汁をすする。
    池だと思って行くと、血だまりで遺体がが散乱していた。
    線路上を歩く人々がいた。
    日本人か朝鮮人か聞かれる。
    「朝鮮人だ。共産党ではない」と答える。
    ヒデヨの父が官僚で、朝鮮共産党が家族を捜索していると考えたからだ。

    ヒデヨはナナムからソウルへ歩いて向かう。
    朝鮮語で、どこに向かっているか聞くと日本だという。
    そこで初めて日本が戦争に負けたと知らされてヒデヨ一行は驚愕した。
    トンネルがあったのでろうそくを使って歩く。
    列車が来た!スペースがないので必死に壁にくっつく。
    何かがぶるかる音と、首に水のようなものがかかるのを感じる。
    何かにつまずいた。
    線路にめちゃくちゃになった日本人老人の死体があった。
    トンネルを出ると、血しぶきがついていた。

    ロシア兵二人が「止まれ」と言ってきた。
    朝鮮共産党だと嘘を言う。
    持ってるものは日本人から盗んだと言う。
    煙草はロシア兵にあげる、食料はロシア兵はもってない。
    タンチョンという所で朝鮮共産党本部があるので雇ってもらえるだろうとロシア兵が言う。

    川で体を洗い、水筒に水を入れ服を洗う。眠る。
    タンチョンの陸軍本部に行くと死体を遺棄していた。
    列車内や野原で死んだ死体。
    袋に入れてタンチョン湾に投げ捨てていた。
    女や若い女の死体は、自分の姉や母ではないか確認。

    仕事で少し給料をもらう。
    一か月半歩いて、港湾都市ウォンサンへに着く。
    9月の終わりになっていた。
    仲間と別の道になる。
    最後の晩餐で、5年後東京橋で再会の約束。
    一人になったヒデヨは寂しかったが、家族と会うのを楽しみに歩く。


    <4.ソウルでの日々 >
    コウと母は軍服が合っていたが、私は大きすぎて引きずる。
    母が手首の部分を縛り、コウがサスペンダーを作ってくれた。
    まだ、右の耳が聞こえない。
    コウと姉妹げんか。
    母がコウを止める。
    線路が山に入り日陰が涼しい。
    休憩する。

    コウにやさしく起こされると、トウモロコシやトマトなどいっぱいあった。
    食べながらコウの話を聞く。
    コウと母が畑でトウモロコシを取っていると朝鮮人農夫に捕まった。
    コウの流暢な朝鮮語で「私達は朝鮮人で、日本の警察に追われている。ソウルにいかないといけない」と嘘で誤魔化した。
    朝鮮人農夫はコウが女か男か聞いてきた。なんとか嘘でごまかし野菜をもらう。
    皆、満腹になって眠る。
    荷物を、私は軽い物、コウは重い物に変えられていた。
    日本人の一行に遭遇し、母が声をかける。
    ナナムから列車で来たこと、朝鮮服で変装する必要があった事を説明。

    避難民のチェックポイントを通過する。
    日本警察に朝鮮服を疑われる。
    保険証・成績表を見せ信用してもらう。
    貯金通帳がなくなってて母が泣く。
    戦争が終わって、日本人は朝鮮では危険だと聞く。

    昨日戦争が終わったと聞く。
    母が失神し、ウイスキーを飲まされ目覚める。
    服を脱いで殺虫剤をかけてもらう。
    怪我をしてて出血しているのを見て警官が驚く。
    スプレーと粉を掛けられる。
    病院テントに連れて行かれて、日本人医師の問診を受ける。
    右胸下と耳の治療をしてもらう。
    その医師(タケダ)の父と、父が同級生だと分かる。
    母がヒデヨとの待ち合わせの事を言うと、娘の治療が先と言われた。
    母とコウも一緒に寝る。
    一人の患者に一本のミルクだが、母とコウの分のミルクももらう。
    毎日、母とコウは駅にヒデヨを捜しに行く。

    ある時先生に、「患者は全員釜山へトラックで行きます。釜山から10月2日に船が日本へでます。一緒に帰国しましょう。」と言われる。
    母はヒデヨを待つ事を先生に言い、最終日にミルクと薬と包帯をもらう。
    先生と日本での再会を約束。

    毎日駅に行くが、ヒデヨは来ない。
    食べ物は無いし夜は寒い。
    毛布やら軍服やらで寒さをしのぐ。
    隣の凶暴な男が、「蹴られた」と絡んできた。
    場所を要求してきたが、ナイフでコウが威嚇し撃退。

    母がプラットフォームに行ったがヒデヨは来ない。
    コウはゴミ置き場から食べ物を拾ってきた。
    ザックを盗まれそうになったが、「泥棒!」と叫び撃退。
    米兵がソウル駅に来た。

    秋になった。
    荷物を持って河へ行き体を洗う。
    河で髪を剃って、男にみえるようにする。胸もしばる。

    イメージ 1

    コウ「ソウルにいる5週間の間に数人の朝鮮人が少女を藪に引きずって行って強姦したのを見た。少女は日本語で助けを呼んでいた」
    母は駅長に釜山行の列車の状況を聞く。
    明日の最終貨物便で釜山へ向かう事を母が決めた。

    木でできているあちこちの柱に「ヒデヨ、釜山へ」と彫る。
    コウと私は病院のゴミ置き場で列車内での食料を拾いに行く。腐敗臭で私はとれないがコウは沢山取る。
    箸を取る。
    次の日の午後三時、貨物列車が来た。
    ヒデヨを捜す、日本人、朝鮮人、老若男女入り乱れている。

    最初に有蓋車を見たがどこもびっちり混んでいた。
    フラットカー(長物車)を見てコウが言う、「フラットカーは材木が積まれていて人もいた」
    フラットカーから「早く乗りな」と日本語で男性が言う。
    私が引き上げられて最初に乗る。
    コウと母もギリギリ引き上げて乗った。


    <5.釜山での日々 >
    日本人老人男性だった。
    風でザックの食料が殆ど飛ばされた。
    老人にチーズサンドイッチをあげる。
    三日間何も食べてなかったとい老人が言う。
    夜になって寒い。
    コートと毛布でなんとか寒さをしのぐ。

    朝、悪くなってる果物とパンを食べる。
    列車が止まった時、用をたす。
    風邪をひいていたが、怪我の痛みを考えると、私は泣きごと言わなかった。
    三日かかって釜山に着いた。


                                    つづく






    0 0


    終戦前後の朝鮮半島と日本で、日本人引き揚げ者が味わった壮絶な体験を赤裸々に綴る、息もつかせぬ、愛と涙のサバイバルストーリー

    竹林はるか遠く(1)
    竹林はるか遠く(2)


    以下、この続編 『竹林はるか遠く(3)』 です。

              ◆       ◆       ◆

    釜山駅は混んでいた。
    朝鮮当局に「息子を待たないと行けない」と母が言う。
    朝鮮当局「それはできない。ここで独立式典が開かれるから。行け」と言われる。
    朝鮮人は一張羅を着て旗を持って駅へ歩いていた。
    アメリカ兵もいた。

    大日本帝国陸軍の倉庫は、今や人でごった返していた。
    隅を見つけて寝ていると、男が怒鳴ってきた。
    母が抗議すると男が母の首を絞めてきた。
    私は男の足をつかみ転ばせた。
    怒った男が私に向って来た。
    母が「その子に触ってみな」と男にナイフを向けた。
    男は去って行った。
    コウが食料を調達してきた。
    トイレに行った。ドアがなく、母とコウに見られないようにしてもらう。
    若い女の人がトイレからでていったら悲鳴。
    若い女が男四人に襲われていた。
    私は何もできなかった。


    独立式典。酒に酔った朝鮮人がコウに「男か女か?」聞いてきた。
    コウは男と答える。「女に見える」と胸に手を入れて調べられた。
    (こんなこともあろうかと胸を事前に縛っていた)
    「平らだ、少年は面白くない」と酔った朝鮮人男は去った。

    イメージ 1

    朝鮮人男のグループが他で女を捜しまわり、見つけると引きずり出してゆく。
    女の悲鳴がこだまする。
    母とコウはその夜眠れなかった。
    翌朝、母とコウの目は充血していた。

    私が食料を調達しに行く。
    コウに食料調達を指示してもらう。
    小麦粉や腐りかけのバナナや牛乳や半分のパンを拾う(ゴミ置き場で)
    小川で水を飲む。
    叫び声が聞こえそちらを見ると、朝鮮人男が少女の上に乗っかっていた。
    少女は必死に蹴って叫んでいた。
    私は膝が震え、すぐに母とコウの所に戻る。
    もうこれ以上ここにはいられない。

    来週日本への貨物船で100名帰れるという。
    しかし、一切の武器をを放棄しないといけない。
    大切なナイフを手放す訳にはいかない。
    コウが母とトイレに行きコウが歩き方が変になっていた。
    母にコウは足を怪我しているからと言われる。

    船が接岸。100人数えられる。
    中年の日本女性が朝鮮の担当者に懇願、老いた父は乗せられず、船は水平線へ消えた。
    一週間後に船が戻ったが、100人の中には入れなかったので乗れず。

    引き続き、母はヒデヨを捜しコウは食料を捜す。
    雨が三日降った。毛布にくるまったが、皆びしょ濡れ。
    咳がでてきたのでアスピリンを飲む。
    やっと79,80,81番目になった。船に乗り込む。
    朝鮮当局の武器検査。

    コウが足を触られたが、「怪我」といいなんとか通れる。
    自分達の場所に座り、カビの生えたパンを食べる。
    離れていく朝鮮半島をコウは見ていた。
    「やっと!もう恐怖は無い」
    おばあちゃんに会える。美しい祖国に帰れる。コウは泣いていた。母も泣いていた。

    <6.ヒデヨは...>
    ヒデヨは線路の分岐に出た。
    太陽の方向を見てソウルの方向を決めた。
    ヒデヨは二週間前に友と別れてから、ほとんどなにも食べていない。
    月がでないので線路を外れキノコを捜す。野宿する事にする。
    たくさんキノコがとれた、ザックなどにいれる。
    火を焚いて煎って食べる。
    森の奥に行って毛布で寝る。
    突然起きる。朝鮮語の話声が聞こえる。毛布を隠し隠れる。
    「火はまだ、温かい。月がでてないので遠くは行けないだろう」
    朝鮮共産党兵士が近くまで捜索してくる。「16人捕まえた。7人の日本人、あとは反共産の者」
    「今日は戻って、明日の朝捜索しよう。十分捕まえた」
    ヒデヨは疲れ果てていたが恐怖で眠れず、空が薄いピンクになってきた頃、ヒデヨは歩き始める。
    ソウルへの最短距離を行く。

    日が昇ってきて歩きやすくなる。
    崖があり、ツタや枝でなんとか降りる。
    向こうに線路が見える。
    線路を歩く避難民たちが見える。
    寂しかったので嬉しく、追いつこうと早く歩く。
    機関銃の発砲音。崖に戻る。

    朝鮮語で「みんだ死んだ」と聞こえる。
    朝鮮人兵士が、死んだ避難民の身ぐるみを剥ぐ。
    金歯まで抜く、貯金通帳も盗む。
    隠れる場所もないので松の木に登る。
    朝鮮人兵士4人が崖を上ってきた。
    4人が分け前を話し合っている。
    分け前でもめて、ボスが部下を射殺。
    ボスが歩いて去っていく。
    部下2人も暫く後、去っていく。
    ヒデヨはやっと木から下りる。

    死体になった兵の軍服をザックに入れヒデヨは南東へ歩く、一日中歩く。
    寒くなってきたので、ザックの下着や服などを着る。
    線路を見失ってだいぶ経つ。
    やまから離れてだいぶ水を飲んでない。
    食べたキノコで下痢と腹痛になる。
    小さい穴を見つけたので休む。
    かなり寒く月もでてくる。寝る。

    朝起きると霜に包まれている。息が白く足も胃も痛い。
    このままだと餓死するのが解る。
    寒い中、歩き続ける。
    畑を見つけるが何もない。
    寝たら凍死するのを実感する。雪が降ってくる。

    ナナムにいた時は雪を喜んだが、口を開いても空腹は満たされない。
    生き抜く決意をする。母と姉妹に会いたい。
    雪がブリザード(暴風雪)になる。ボロボロの靴と服が凍る。全く前が見えない。
    木の根元に座りこむ。何も食べずに歩ける?涙が落ちた。
    また立ち上がりなんとか歩く。
    赤い光が見えた。幻覚なのか農家なのか?這うようにしてふらふら歩いていく。
    小さな農家に辿り着き、倒れた。

    <7.難民キャンプ >

    「あれが祖国よ」母が船上で朝霧の中言った。
    島が見えてきた。
    祖父母が食べ物をくれ、快適な寝床を用意してくれるだろう。
    船酔いしてても興奮してきた。荷物を準備した。
    船が福岡に着岸した。

    日本人の男性が案内をメガホンで話してるが訛りで理解できず。
    非難民の受付場所を探す。
    何年も夢見ていた美しい祖国が、一面焼け野原で全て破壊されていた。
    それに加えて日本人男性が「何で帰ってきた?お前らがいなくても困らない」私はアスファルトの穴に落ちた。


    二時間歩いて難民キャンプに着く。
    女学校の講堂。行き先が見つかるまで、100人位がそこに滞在する。
    一角を見つけ、荷物を降ろす。

    委員会の人が言うには自分で食料を調達する必要があるとの事、トイレは使えるとの事。
    ザックには半分腐ったリンゴとミカンの皮があった。私はお腹がすいていた。
    コウが「待って。食べちゃダメ」という。

    外で石を組み合わせてコンロを作る。リンゴのカケラと水を入れ調理する。
    母「祖国での最初の食事よ」と、木製の茶碗にそそぐ。
    母「そして、焼きトウモロコシ以来の温かい食べ物よ」「この茶碗とここの少しのモノが我が家にあったものです」

    祖国での最初の夜、毛布にくるまって三人で寝る。
    空爆や強姦や泥棒に怯える事なく眠れる。
    夜トイレに行く時はコウを起こした。

    母が、郵便局から青森の祖父に手紙を送る。
    二日後、配達不能と送り返されてきた。
    母は心配し始めた。青森で何かあったのか。
    コウが「すぐ青森の実家へ行こう」という。
    母「ヒデヨなしで行けない」
    「今、私達は、ヒデヨの場所よりは全ての面で安全」母は涙ぐむ。

    不思議と父については考えない。
    今、父は戦勝国のソ連の手にあるのだろう。父の安全を祈る。
    朝鮮から船が来るたびに、母はヒデヨを捜しに行った。
    ヒデヨについて説明し聞いて回った。
    毎週、100人の避難民が朝鮮から来たが、ヒデヨの姿はなかった。

    11月になった。
    滞在一カ月を超えて、出てゆくように言われる。
    母がヒデヨがいると抗議。
    コウは今日出て行きましょうという。
    事務所に、ヒデヨ宛てのメッセージ「青森にいる」を残す。
    私達は朝鮮の列車に比べ日本の列車の小ささに驚く。


    非難民と兵士で車内はびっちり。
    車内は腐った魚の臭いでひどいが、祖父母に会える事で興奮していた。
    母が京都でおりましょうという。
    私とコウが「ぱあちゃんちにいかないの?」と叫んだ。
    「何回も考えました」と母。

    <8.京都駅での生活 >
    京都は空襲を受けなかった唯一の街、教育機関もある。
    コウが「母さんと北に行く」と言う。
    母は首を振る。貴方の女学校の手続きを先にして、それから北に行きましょう。

    列車内はかなり混んでいる。
    3人よりかかってなんとか乗り込み、三日列車に乗った。
    空腹と喉の渇きで胃が痛い。
    ミカンの乾燥した皮を何回もかんでのんだ。母とコウも。

    京都駅についた。場所を見つけ、井戸に水汲みに行く。三人で眠る。
    翌朝、路面電車を初めてみる。
    人々はきびきびと電車を降りる。
    コウ「仕事に行くんだと思う」

    別世界、駅は乞食・避難民・負傷兵などがいて、数フィート向こうはきれいな服を着て、仕事がある人々。
    母は市役所に学校について聞きに行った。
    母はコウに10円与えた。
    駅ホテルのゴミ箱に行き、焼き魚やごはん、ピクルス、海草などを拾う。
    駅に戻り、ごはんをひろげ、「学校について聞いてきました。明日、あなたを入学させます。」

    私は「服がない、靴も破れていていけない。学校にいってたし教養もある」
    コウはその日の残りナナムから持ってきたブラウスとズボンを洗って干す。
    私はベンチの下で早く休む。
    母に早く起こされ、コウに服を着せられる。
    母と路面電車に乗り女学校に向かう。

    車内で母が京都の説明をしてくれた。
    学校についた。
    みなきれいな身なりをしている。
    緊張する。
    事務員の女性がお茶を出してくれる。
    校長と面会。


    母が、通知票、家族の状況、父の職業、私の成績を説明する。
    「生き残られた!」校長は言った。
    「私達はやりました」母が言う。

                            つづく




    0 0


    米国中学過程歴史教科書副読本を日本で日本語訳『竹林はるか遠く』が出版される前に、英文の副読本を訳した方がユーチューブで書かれたものの文字起こし版。

                        ◆

    イメージ 1

    大東亜戦争(太平洋戦争)が終戦となり日本は敗北。
    筆者が住んでいた朝鮮半島北部に朝鮮共産軍が侵攻。
    朝鮮人と共産軍が日本本土へ引き揚げる日本人引揚者を襲撃し強姦し、殺戮する地獄絵図。ほうほうのていで日本の土を踏み、爆撃されていない京都に行きます。



    竹林はるか遠く(1)
    竹林はるか遠く(2)
    竹林はるか遠く(3)


    以下、この続編 『竹林はるか遠く(4)』 です。

            
              ◆       ◆       ◆

    校長が父について聞き、母が答える。
    校長「喜んで受け入れなければ。追いつけると思う」
    校長が必要なものを説明。
    事務員のアサダさんを紹介。

    アサダさんがヨーコの書類を見る。
    アサダ「朝鮮とは教育方式が違います。テストしましょう」
    母が、校長にお辞儀、私に3円渡す。
    私「行かないで」、母「路面電車の3番で帰りなさい」「姉の学校の手続きがあります。」
    母が去っていった。私は孤独で涙を流した。
    ハンカチがないので、袖で涙をぬぐう。
    テストが終わった。


    アサダさんがテストをみて「とてもよいです」と言った。。
    校長とアサダさんがやさしく、この学校が好きになる。
    校長が生徒手帳をくれる。
    アサダさんと一緒に教室へ行く。
    30人の生徒が私を見る。
    紹介され、お辞儀をすると生徒が笑いだす。
    「静かに、彼女は朝鮮から戻ったばかり。よい生徒です。慣れるのに協力してください」とアサダさんが言ってくれる。

    掃除当番を決められ、着席する。
    他の子は綺麗な服、長い髪で、私は場違いに感じた。
    歴史の男教師が来て授業。
    私は、鉛筆もノートも無い、聞くだけ。
    孤独を感じ涙が出る。
    ゴミ箱から紙を拾う。鉛筆はない。

    他の女性とが「紙欲しい?」と紙飛行機を折って私に投げてきた。
    他の生徒が笑う。
    私は無視して紙を集めた。食料集めより楽だった。
    私は雑巾が無かった。ほうき係をしたが、そのそばからゴミを再び散乱された。
    もし、彼らが私達家族の体験をしたら、同情するだろうと思った。


    ゴミ回収(用務員)のおじさんがくる。おじさんはどもり。女子がマネをする。
    後で、用務員のおじさんに焼却炉について聞き、事情をゆっくり説明。
    焼却炉の前で、鉛筆と紙きれを沢山得る。
    路面電車の中で、歴史と地理の授業内容を書く。


    古本の教科書を買えるまで、アサダさんに教科書をかりようと思った。
    京都駅について、母の元へ戻る。
    紙と鉛筆を見せる。
    コウは戻ってない。
    母「お父さんが戻るまでの辛抱です」
    コウは結局、大学に合格した。

    ベンチで勉強し、ゴミ箱から食料を調達した。
    六か月分の授業料が払われた。
    母は明日、早朝列車で北に行くと。
    「朝鮮からある程度のお金はもってきた」と母。
    母が出発した。

    コウが学校用の荷物を手提げ袋に用意してくれた。
    「駅の時計の下で学校終わったら会いましょう」とコウ。
    私が教室に入ったら他の女子が「ゴミの為に袋を持ってきたの?」と言ってきた。
    この時は私は口答えした「何か問題ある?」
    他の女子全員が笑った。
    私は、コウが意に介さないといっていたのを思い出した。
    しかし、心の底ではコイツラをたたきのめしてやりたかった。

    ゆっくり話すとゴミ収集男は話ができた。
    京都はナナムよりかなり暖かいとか話した。
    ゴミ収集男はコンパス、ハサミ、計算尺、辞書を取っておいてくれた。
    父の教え(ゆっくり話せば大丈夫)は正しかった。

    5回目の朝に女子が掲示板に集まっていた。
    私の焼却炉でのゴミ拾いしている絵が描かれたいた。
    「民主主義制度!嵯峨野はゴミ拾いを受け入れた!」と書かれていた。
    私は、もうこの教室で過ごす事はないと思った。
    ゴミ収集男は「このくそ女ども!」と叫んでくれた。絵を引き裂いてくれた。
    「教室に行きなさい」と男は言ってくれた。笑顔で返すと「そう笑顔で」と言ってくれた。
    なんとか教室をやりすごし、焼却炉で長めにいた。
    もう学校にくるつもりは無かった。

    駅に戻って、コウにどう言おうか考えた。
    まだコウが戻ってないのをホッとした。
    帰宅の人々が羨ましかった。家があり、家族があり。

    コウが返ってきた。食料調達に行く。数時間後にまた来よう。
    「その後で宿題をやろう」とコウ。
    結局、コウに言えなかった。数日間なんとか学校を耐えた。

    金曜日、母が帰ってくる日、コウに学校をやめられるか聞いた。
    コウ「だめ、授業料も払ってるし、あなたは無駄な日を過ごすことはできない」
    母が来る日、学校が終わるのが待ち切れなかった。
    軽蔑の目が来ても、焼却炉に走っていき紙を集め、走って路面電車にいく。
    母を見つけた。毛布をは羽織り、小さく見えた。
    「おかえり。寂しかった」と再会。


    青森では、母の両親と父の両親が7月の爆撃で死んでいた。
    母「土地を売りに出し、もしヒデヨか、父から連絡があればと、コウの学校の住所を役場に書き置きしてきた」
    スペースができたので母は横になる。
    私は母を守らなければと思った。
    母「喉が渇いた」私は井戸に行った。

    母に水をくみに行った。
    母は病気だった。
    水を飲んで、また頭を上げた。
    母「コウに会いたい」
    私「食料をもってくるよ」
    コウが早く帰ってくればいいのにと思った。

    <9.母の死と新生活 >
    母の頭が滑り、右手が落ちた。母は死んだ。
    泣き叫ぶと周囲に人が集まった。
    警察に事情を聞かれ、医者が呼ばれ死亡確認された。
    やっとコウが帰ってきた。
    驚き、信じられない様子でひざまづく。
    そしてコウは泣きだす。


    ナナムから全ての道を用意してくれたのに、なんで今なの?
    母に飛び込んで泣いた。
    持ってきた食料を床に投げつけた。
    乞食や孤児が集まった。
    警察が葬儀業者を呼ぶ。
    葬儀業者が棺桶の希望聞く。
    値段を聞くと20円。
    私はコウに朝鮮語で「ぼったくられてる」という。コウも頷く。
    ガソリンとトラックの使用、車で1時間半かかるとの事。
    コウは計算して車種を聞いた「ダットサン」
    「車と板だけ用意して。市役所に頼む」とコウ。
    「市役所なら無料でやってくれる」とコウ。
    業者の男は出て行こうとしたが、再度振り返り「私達がやりますよ」
    警察が、私達の周りの人を追い払ってくれた。
    コウと私は母を清めた。
    母の隠しポケットの証券やコイン、朝鮮からの避難民証明書、大切な剣をザックに入れる。
    母の靴下を脱がせコウがはいた。
    コウは母の手を胸で合わせた。

    駅にいた婦人(駅住人でははない)が声をかけてきた。
    「マスダといいます。お気の毒です。なにかお手伝いできますか?」
    コウ「私達はトラックを待ってます」
    マスダさん「私はあなた方が到着してからみてました。お母さんがどこに行ったのかと思ってました」
    コウ「母はいくつかの用をたしに北にいってました。母も貴方が来てくれて喜ぶと思います」
    マスダさん「すぐ近くに火葬場があります。一時間半も走る必要は無いです」
    コウ「でも、誰かお待ちになってるんじゃないですか?」
    マスダさん「私は姪がソウルから帰るのを待ってます。最終列車に乗ってなかったので家に帰るところです」
    トラックの男が来て母を乗せた。
    コウと私は側に飛び乗った。
    マスダさんは東山火葬場を指示した。

    たった、20分だった。
    マスダさんは運転手に5円払った。
    火葬場の人が炉まで母を運ぶ。
    私は泣いてマスダさんをつかんだ。
    コウはしっかり炉の火をみていた。
    火は早く燃え広がった。私は見られなかった。
    火葬場の人「翌朝完了です。骨壷を選べます」
    コウ「自分で持ってきます」


    駅への帰り途振り返ると煙が立ち上っていた。
    マスダさん「行く場所はあるの?」
    コウ「ないです。妹と私は半年、この街にいたいのですが」学校について説明した。
    マスダさんの夫が市の西部で下駄工場をやっていて、「倉庫に泥棒が入られた。私達がそこに滞在してもらえるとうれしい。
    学校は近くなる」との事。

    コウは感謝し、明日母のお骨を受け取った後、駅で再会する事に。
    悲しみのあまり、この申し出の喜びもなかった。
    寝られなかった。
    翌朝、再び火葬場へ。
    小さな骨になった母。
    私はむせび泣いた「お母さん!」

    コウは火葬の費用を払い、骨壷を持って火葬場を出た。
    お寺の僧にお経をお願いしたら「時間がない」と断られる。
    コウ「糞坊主!ただの仕事か?愛は?」
    私は、人生で二度と仏教の寺に入らないことに決めた。
    マスダさんが倉庫に案内してくれた。
    路面電車の線路の隣だった。

    倉庫の二階に4畳の部屋と最低限の電球。
    外で料理と、木の切りくずを使う事ができるとの事。
    「長い間掃除してないから」とほうきとバケツと雑巾を貸してくれた。
    クモの巣を払い、掃き掃除、拭き掃除。
    掃除が終わったら手と顔を洗った。

    部屋に母さんの簡単な祭壇をつくった。
    バスタオルを折ってその上の骨壷を置いた。
    水筒にカエデの枝を入れて置いた。
    母の宝物の短剣を骨壷の前に置いた。
    コウと私で母に見守ってくださいとお願いした。
    コウは「30分早く駅に戻っていたら」とむせび泣いた。
    「コウにくよくよするな」と言い私も泣いた。
    私「母は服で身を包みなさい。と言ってた」
    コウ「当然。下着、他の服、紙も含んで。ザックよりも重要」
    深い悲しみの状況ではそんな事どうだっていい。
    駅で食料調達じゃなく、部屋で休憩する事に

    部屋には時計がない。
    暗くなってきたので毛布でコウと寝る。
    駅より寒いが、襲われることがないので安心。
    母の最後の言葉が繰り返し思い起こされる。
    母の最後の言葉が気になって眠れない。
    コウにその事を言う。
    トイレの下着と服のやりかたをコウに説明される。

    コウに暖められて眠る。
    路面電車の笛の音で目覚める。
    コウはいびきをかいていた。
    コウが作る朝食が楽しみ。
    マスダさんが葬儀トラックの5円払ってくれたから、コウは20円もってる。
    温かいごはんにみそ汁。
    おなかがすいてきた。
    コウが早く起きないかな。

                               つづく




    0 0


    外地からの引揚者につきものの困窮が始まりました。
    更に母の死。

    盆地の京都のしばれる冬の夜。
    残された幼い三兄弟がどのようにして生きてきたのか。

    感動と言いましょうか。目頭が熱くなるのは私だけではないでしょう。

              ◆       ◆       ◆

     ●ヨーコ(当時11才-12才)・・・著者本人
     ●ヒデヨ(当時13才~16才と思われる)・・・著者の兄
     ●コウ (当時16才-17才)・・・著者の姉

    竹林はるか遠く(1)
    竹林はるか遠く(2)
    竹林はるか遠く(3)
    竹林はるか遠く(4)


    以下、この続編 『竹林はるか遠く(5)』 です。

              ◆       ◆       ◆

    私は母の最後の言葉がどうも気になった。
    コウに包みの結び目を解いてもらい、荷物を出し底を見る。
    保険証、誕生書、成績表、父の名札。
    コウ「母さんはこれらで保険を集めようと思ってたんだよ」
    二人とも、保険は今となっては無意味だと知っていた。
    コウは毛布に戻り「荷物もどしなよ」

    私は、布の角を見て、反対の角も見た。
    反対の角に布の層の間に堅いものが動くのにきづいた。
    コウを起こした。堅いのはジッパーだった。
    コウはジッパーを開けた。2つの袋を見つけた。
    千円札と100円札とヒデヨとコウと私の通帳だった。
    通帳のお金は我々が逃げる2週間前の7月15日におろされていた。

    私は、母がトイレに行くたびに包みをもっていく理由がやっとわかった。
    お金が大事だったんだ。
    コウはお金を数えたら36000円ちょっとあった。
    コウ「母さんはいくらかのお金は朝鮮からもってきたと言ってた。これだったんだ」
    お金を戻した。緊急の時だけ使うことにした。
    コウ「火事の時はこの包みを持ち出すように」「さあ、外に出て、洗いましょう」

    いくつかの使われていない家具を発見し、洗って干す。
    工場はやっていた。
    マスダさんと、その夫に挨拶。
    マスダさんの住んでいるところを教えてもらう。
    近所の商店を教えてもらい、行く。
    コウは米と、味噌と豆腐を買う。
    私はヨダレがでた。
    針、糸、かみそりの刃、洗濯石鹸も買った。

    倉庫の外で火を焚き、ご飯とみそ汁を作った。
    5か月ぶりのまともな朝食だった。
    コウは朝鮮兵の軍服を切って生地にした。
    もし、戦闘機が爆弾を投下し朝鮮人兵士が死んでなかったら、もし少しでも違ったら朝鮮人兵士と生死が違っていたと思うと震えた。
    川で石鹸を使い生地を洗う。

    工場で労働者はラジオを聞いて働いていた。
    柱時計があった。
    労働者は8時から4時まで働いた。
    マスダさんが4時半に工場を閉める。
    路面電車の最終便が12:30。
    12月になり霜が更に出る。
    コウはまだオーバーコートを縫い終わってなかった。

    私は毛布を羽織り学校に行った。
    ある女学生に「ぬいぐるみ人形!恥ずかしくないの?」と言われ「何が恥ずかしいの?」と言い返す。
    私は英語の教科書を読む。
    他の女学生が「ゴミ拾いとぬいぐるみ人形は良い名前だね」と言う。

    ヨシダ先生が現れるといつ女学生が静かになる。
    私はプライドがあるから女学生の私に対する扱いは先生に言えなかった。
    私は叫びたかった。
    彼女らの愚かさを、生死について学ぶ事を。
    私は自分を抑えるのが大変だった。
    成績で見返すのが唯一の武器だった。

    そして教室は辛かったので、焼却炉が楽しみだった。
    ナイド氏は私にいろいろなものを取っておいてくれた。
    のり、鉛筆、クレヨン、インク、毛筆。
    彼は海軍に採用されなかった。
    彼は初等教育しか受けていなかった。
    でも、この仕事を得た。
    ナイド氏「なぜなら死傷したりして、学校は通常に話せる人を見つけられなかった」
    私は、父ならナイドさんを直せると思った。
    私、「父さんが帰ってきたら会う?いい人で面白いよ」
    ナイド氏「帰ってくるでしょう。帰ってこなければならない」
    私はナイドさんに感謝の仕方が分らなかったので、通知票を見せた。
    通知表は全てAプラスだった。

    カートにカンと空き瓶が全て入っているのを見た。
    ナイド氏「売るんだ。女学生は物を無駄にする。
    彼女らの父親は大部分が高名。甘やかされている」
    「もし私がカンを拾ってきたら、私のも売ってくれる?」
    ナイド氏「いつでもいいよ」
    それから私は、下を向いて歩き、カンを見つけたらザックにいれるようになった。
    物価は3倍になった。私とコウは生活が苦しい。母の金には手はつけてない。

    コウはセイアン大学で家政学専攻で頑張っている。
    裁縫が上手く、教授に気に入られ、デパートで作ったものを売った。
    着物や、特に洋服。
    デパートの売れ残りの布を入手し、コウが赤ちゃんや子供向けの服を作り、私がそれを売り歩く。学校から家まで。
    「そのお金はあなたのものだ。靴を買いな」とコウ。
    私は母の骨壷の下に売上金を置いた。
    母に見守ってもらっている気がしたから。
    コウは同級生に紙屑をとっておいてもらって、それでお手玉を作った。
    私も作り方を教えてもらい、毎晩宿題の後、作った。

    私は靴が欲しかったので、たくさん作って売った。
    駅では燃料用に新聞を拾った。
    家に戻ったらコウがすでにいた。
    お手玉を全て売ったが、コウは帰りが遅いのを心配していた。

    「靴よりヨーコの安全の方が重要」とコウ。夕食を食べる。
    コウが食べるのを中断して新聞の一面を見た。
    福岡港が閉じられ、避難民に舞鶴港が開かれるとの事。
    コウ「ここから1時間だから次の週末に、父さんとヒデヨを捜しに行きましょう」
    もうひとつの良いニュース。
    吉田首相による、避難民へ新年の布団プレゼント。
    まちきれない。マスダさんから紐を二本借りて、路面電車で市役所に行く。
    市役所で避難民証明書を見せる。
    職員「どこに3人目がいますか?」、コウ「母は来られませんでした」
    承認され、私は一組、コウは二組の布団セットをかつぐ。
    路面電車で待っている時にコウに聞くと、「母は生きてることになってる。父とヒデヨの分も必要」と。
    朝鮮のころの布団のように快適じゃないが、暖房がなかったからありがたい。

    コウと私は、夜なべして人形とお手玉を作る。
    新聞紙に大きくヒデヨの名前と住所を書く。
    コウは小麦と水でノリを作る。
    小川が凍っていたので、氷を鍋に入れ加熱。鍋を洗い、湯を飲む。
    トイレも外で寒い。コウが先に行けば少し暖かくなっている。

    舞鶴に行く。ヒデヨの名前は非難民上陸名簿には無かった。
    あちこちにヒデヨへの紙を貼る。
    作ったお手玉や人形を売る。
    いくらかの子連れ主婦は喜んで買ってくれた。
    私達の身なりで断る家もあった。
    がんばってなんとか全て売る。
    焼き芋を買って岸壁で食べる。


    家へ戻る。コウは大晦日も大学へ行き何かやっている。
    寝坊したらしく飛び起き、荷物を用意し、私に指示。
    「火焚いといて、カギ閉めて」とコウ。
    コウは横暴になってきたと思った。
    コウは全ての金を仕切っていたので、私は何も食料雑貨を買えなかった。
    学校からまっすぐ帰らないで、もっと稼ぐために営業しよう。

    いじめにコウの方法で対処していたら、余計に孤立した。
    「どのくらいの間ボロの格好でくるの?」と聞かれた。
    両親がいれば、父さんが帰ってきて抱きしめてくれれば。
    ヒデヨと父が帰ってきて普通の暮らしができてたらと思うと涙を拭いて鼻をすする。
    食事時の笑い声。
    他の少女が羨ましかった。

    ナイド氏が来て、5円くれた。カンが売れた。
    なんで泣いてるのか聞かれた。
    「ヒデヨと父が死んでない事を望む」と私。
    「戻ってくるでしょう」とナイド氏。

    今日は大晦日で多くの人が神社や街の中心に行く時期。
    大晦日で人が多い。
    私は家を回るのでなく、通りで売ろうと小さい手押し車を押した。
    私は北野神社に決めた。売るのによい場所を見つけた。
    突然コウを見つけた。
    コウは靴磨きをしていた。
    私は、コウが靴磨きで私を食べさせてくれていたと気付いた。
    そして、新年の食べ物の為に、こうやって靴磨きをしている。
    磨き終わり、男から金をもらっていた、ポケットにお金を入れた。
    コウ「靴磨き!靴磨き!」
    私は家路に戻り、コウと私の正月の食べ物を買う。
    ナイド氏の売ってくれたカンの5円で。
    店に着いた時、雪が降っていた。

    2杯の米、魚、海草の狭い細片、オレンジ、ごく小さい一袋の緑茶、急須。
    大晦日なのでコウにお茶を飲ませてやりたい。
    てこずったがなんとか火をおこせた。
    学校に行く前に汲んでおいた水は凍っていた。
    火で凍った水をとかしている間、米をとぐ。
    蛇口は凍り、小川も凍っている。
    踵で氷を割って米をとぐ。

    コウが帰ってきたとき、水は沸騰していた。
    コウ「今日は寒くて風が強い」
    私「おかえり。お湯の準備ができてるよ」
    コウ「あなたにはできると思ってたわ」
    私「もう一つコンロが必要だね」
    魚買った件、カンで稼いだ件を話す。コウも稼いだ件を話す。

    今年は、コウは17才、私は12才。コウはお湯を飲んで体を温めた。
    もうひとつのコンロを作る。魚は頭と腸を取らない。
    コウがみそ汁を作り、私は魚を焼く。
    ささやかな大晦日の食事だったが、私達には御馳走だった。

    ヒデヨと父さんは何を食べているだろうか、温かくしているだろうか、私達は満州と朝鮮の寒さを知っている。
    母の骨壷の前のミカンを見て、コウはそんな高価なものを買うんじゃないと言った。
    私「花を買ってあげられないし、ミカンなら時々私達も食べられる。」

    コウ「お湯が沸いたから行こう」「新年おめでとう」
    コウが餅をくれた。
    私はコウに用意しておいたお茶を出した。
    コウは泣きだし「靴のお金をつかうんじゃない」泣きながらお礼を行った。
    正月休みの10日間でコウが私のオーバーコートを軍服から作ってくれた。
    継ぎ接ぎだらけだが、私には素晴らしいものだった。
    私はすぐにオーバーコートを着てみた。

    大雪の日曜日、私達は舞鶴に行って、終日滞在した。
    ヒデヨの名前の紙を貼り替えて、作ったものを売った。
    雪が私の靴を打ちつけ、足指の感覚が無くなった。
    学校に再び戻ったとき、授業料が月15円に値上げになった事を知った。
    母さんが4月まで払ってくれていたが、あと45円払わなければならない。
    雪の地面で、カンも落ちていない。

    コウの小物を作るのを手伝い売るのを頑張れば月15円稼げるか。
    コウに授業料値上げを言ったら、「絶対に必要だ、母さんのお金を使う時が来た」と言った。
    100円出して、銀行で両替して、私にお金をくれた。
    コウに大学の授業料が値上げしたらどうすか聞いてみた。
    「4月に値上げする。学校終わったら、どこかで仕事する。4月までは学校生活を楽しむ」との事。

    「いじめられない?」と聞いた。
    コウ「最初はいじめられた。でも着物を色つきの糸で縫う事が出来ると知ったら、いじめはなくなった。驚いてた」
    なんで色つきの糸なの?誰かが白い糸を隠した。
    一所懸命営業しても1月はあまり売れなかった。歩くたび、靴が破れてる部分が口を開く。
    でも、母さんのお金を使う事は最小限にしたい。

    コウは靴磨きの収入と食費を理解していた。
    私は神社でコウを見かけたことを言わなかった。
    コウ「この冬食費で母さんのお金を使う必要があるかも」
    私「手をつけたくない」ホテル裏のゴミ箱ビンあさりを提案。
    コウ「あなたにもうそれはさせられない。無料で寝るところも料理する所もあるし」

    私はどうやって春までやり繰りするんだろうと思った。
    今はみなブーツを履いているので、靴磨きの客が少ない。

                            つづく



                           



    0 0



    薪にするために拾った新聞紙を見ると、「エッセーコンテスト」の案内記事。
    ゴミ箱から拾った紙の裏に400字の枠を描き400字詰め原稿用紙を作る。
    郵送する金が無いので三条まで歩いて新聞社のポストに入れる。
    さて、少女の書いたエッセイはどうなったのか。

    他方、兄ヒデヨはキム氏に助けられ、朝鮮から脱出。

    竹林はるか遠く(1)
    竹林はるか遠く(2)
    竹林はるか遠く(3)
    竹林はるか遠く(4)
    竹林はるか遠く(5)

    以下、この続編 『竹林はるか遠く(6)』 です。


              ◆       ◆       ◆

    やれる事をやろう。
    コウの手細工を売りに歩く時間を増やそう。
    ある朝、歩いて学校に行こうと線路沿いを歩いた。
    駅ごとのベンチに座る。
    同級生がいなかったのに安心。

    6個目の駅で新聞が風で散乱して、それを拾う。燃料にできる。
    新聞を整え、「エッセーコンテスト」の欄を読む。年齢制限もクリア。
    それは、朝日新聞の朝刊だった。

    学校へ行く途中読んだ。
    懸賞作文の募集要項が書いてあった。

    イメージ 1

    路面電車が通り過ぎる時「ぬいぐるみ人形!」と割れた窓から女生徒が叫んだ。
    唇をかんだ私は、その子をぶっ飛ばしたかった。
    その子を踏みつけるように、足を踏みつけた。
    だが、私は、懸賞に当選し、その賞金でコウと私の食べ物の事を考えていた。


    毎日私は、線路を歩きながら文章を考えた。
    400字詰め50枚で20000文字書く必要があった。
    ゴミ箱からの紙の裏に400字の枠を描いた。
    月の最後の日は学校に行かず、朝日新聞の京都支社に向かい三条通りを歩いていた。
    郵送するお金が無かったから懸賞エッセイを、会社の入り口の大きな箱に直接入れた。

    2週間後に結果発表。
    その時、図書館にいった。
    校長は朝刊を読んでいるとの事。
    私はがっかり、でも校長室には行けなかった。

    翌朝、私は緊張した。
    どうしても当選したい。
    教室はいつもより騒がしかった。
    私が入るとシーンとして皆私をみた。
    私は気にしないで、英語の教科書を読んだ。英語は好きだ。
    英語の吉田先生は、私によく章を読ませる、私もつっかえないように読みたい。

    女生徒が私の英語の教科書の上に新聞を投げてきた。なんというマナー。
    読むと、グループ2の受賞者に私の名前と「理解」のタイトル!。

    私は笑って、握り拳を作った。
    コウとみそ汁とご飯が食べられると思うと涙が出た。
    朝鮮時代に書いた「カナリアバード」に続き、2回目の受賞だった。

    女学生どもの態度が少し変わった。
    皮肉っぽくなり、冷たくなった。
    彼らは私のエッセーが嫌いのようだ。
    先生も誰も受賞の事は言わず、学校も喜んでないようだ。

    新聞社は受賞式を開催した。
    コウは彼女の制服にタックをつけて用意してくれた。
    男の保護者が必要だが、私はなんとしても出席したかった。
    ナイド氏(焼却炉のおじさん)に保護者として来てもらった。

    何カ月も食べた事がない位沢山食べた。
    コウのためにもってきた新聞の中に食べ物を入れた。

    1万円の賞金をもらった。
    しかし、靴は買わなかった。
    賞金で何週間も生活ができる。
    包みのお金は私達の安全保障。
    1週間後、校長室に呼ばれた。

    <10.思いがけない訪問者 >
    エッセーの事か、停学を覚悟していた。
    しかし、賞金、生活がかかっていた。

    「座ってください」校長が言った。
    「マツムラという男性を知ってますか?」と校長。
    ちょっと考えて「朝鮮でマツムラ伍長を知ってます」
    校長「この封筒は貴方宛。開けました」
    マツムラ伍長から来てた手紙だった。胸が高まった。

    父が他人の手紙を開ける事を禁じていたのを思い出した。
    「校長、あなたは本人の前に開封すべきではなかった」
    校長「私は責任を感じている。貴方はまだ若いから」
    私「私が最初に見たら、先生に見せたでしょう」
    校長は返事をせずに私に手紙を渡す。
    京都三条ホテルの紙で書かれていて、住所の紙も入っていた。

    「新聞の懸賞を見て書きました。本人かは分かりませんが、朝鮮のナナムで同じ名前の女の子がいました。本人なら返事ください。この住所に」

    読んでる途中で涙がこぼれおちた。
    戦争で生き残られたんだ。
    「校長先生、彼は家族の友人です」
    急いで帰ってコウに手紙を見せた。
    コウも信じられないとうれし泣きした。
    近況の返事を書いた。
    近所のポストに出した。
    少女が男にホテルに会いに行くのは習慣的にいけなかった。
    保護者が入ればいいのだが、コウが結婚してればと思った。
    コウ「すくなくとも伍長は生きてて元気だね。いつか会えるでしょう」電話できればいいのに。
    コウ「生きている間2度と戦争が起きなければ」
    北風が倉庫を揺らし、寒い中、コウはしき布団を倍にし、予備の布団も使って寄り添って寝た。

    郵送して2日後、最後の蚕の実験中、ナイド氏が入ってきて先生に耳打ち。
    私は校長室に呼ばれた。
    母の事を言わなかったから?授業料がなくなった?出来が悪い?懸賞の事?
    不安がよぎる。
    心臓がドキドキする中、静かに校長室に入る。

    「彼女が来ました」
    マツムラ伍長がいた。
    私はマツムラ伍長に飛び込んで泣いた。
    伍長の涙も私の頭に落ちた。

    マツムラ伍長と家に帰る事になった。
    研究室に戻り、荷物をリュックに入れる。
    路面電車に一緒に乗り、家に帰る。
    毛布を4回折って座布団として座ってもらう。
    母の骨壷にお参りしてくれた。コウが帰ってきた。
    コウは涙を見せないようにしてたが、ハンカチを出して「ようこそ」というのが精いっぱいだった。
    伍長は仕事でこの町に来ていた。
    質素な夕食後話をした。
    伍長は、新潟陸軍病院に配属になった。
    日本海を渡るときに米軍の爆撃にあい、丸太につかまり四日間漂っていた。
    日本の漁船に助けられた。
    すでに原爆が落とされ戦争が終わっていた。
    故郷の盛岡に帰った。
    そして、家業の絹織物会社を継いだ。

    私「それで私の衣装について、病院でいってたの?」
    伍長「そうだよ、私は素材の質がわかるんだ」
    伍長は結婚する事になっており、夫婦とも子供を待望している。
    女の子だった「ヨーコ」とつけるよとの事。
    私の「武運長久」の書をまだ持ってて、事務所に飾ってくれてるとの事。
    「濡れてしまったが、幸運を運んでくれる」

    伍長は私に靴を買ってくれようとしたが、店は閉まっていた。
    伍長は生活費をくれようとしたが、私達はとりあえず十分なお金はあると言った。
    伍長は住所を書いてくれて、何かあったらいつでも連絡して、こちらからも連絡するからとの事。
    伍長は深夜特急の切符をとっていた。コウと見送りに行った。

    母とも駅で別れ、今伍長とも別れる。
    孤独ですすり泣いた。
    伍長は「兄弟が戻ってきたら、歓迎の印として渡して」と腕時計をくれた。
    「泣かないで、がんばって勉強を続けてね」
    発車のベルが鳴り、伍長は飛び乗る。
    伍長は着席して手を振る。私達は深くお辞儀をした。
    私は時計を握りしめ、列車が見えなくなるまで見ていた。


    <11.ヒデヨの帰国 >
                    ☆
    (注)ヒデヨ(当時13才~16才と思われる)・・・著者の兄
    ここの記事は、兄ヒデヨの朝鮮人家族に助けられての朝鮮脱出編です。
    まさに北朝鮮からの脱出劇そのものです。

                    ☆

    キム夫妻と16才、14才の男の子の住む家。

    玄関でドサッと音がした時食事をしていた。
    「風だろう、ヒーチョ見てきて」
    ドアがあかない「なにかがドアを押している」「たぶんイノシシだろう」
    土間から大きなマサカリと紐を持ってゆく。
    イノシシが納屋の周りをまわっていると思った。


    戸を持ち上げて外すと、ヒデヨが倒れていた。意識なし。
    ヒデヨの服に触れると凍っている。ヒデヨを中に運んだ。
    土間にわらをひいてヒデヨを寝かせる。
    キム氏がザックを外す、夫人が朝鮮の服を脱がすと日本の学生服が現れた。
    ヒーウォンが「日本人なの?」と父に聞く。

    「リュックサックと桜の制服ボタンから彼は日本人だろう」ズボン、靴、靴下は4枚履いていて半分凍っていた。
    夫人は体を拭いて胸をマッサージした。ヒーウォン「見て!腹巻とノート」
    ノートは貯金通帳だった。
    通帳から名前もわかった。
    共産軍に見つからないようにザックと通帳を隠した。

    キム氏は暖炉の木を増やして温かくした。
    夫人は足と体をマッサージし、乾いた靴下に砕いた唐辛子を入れ履かせた。
    唐辛子でマッサージも続けた。
    ヒデヨに寝巻を着せ毛布でくるみ、回りをワラで覆った。
    キム氏「食事の間に彼は回復するだろう」

    「もし彼が死んだり、日本人の少年を助けたと誰かにバレたら、賞金目当てで裏切られやられる。彼は私の甥で日本人に殺された。で、私達と生活している。こうすれば危なくない」

    彼らは早く食べ終わり、砕いたニンニクのお湯を作り、ヒデヨに飲ませた。
    ヒデヨは少し飲み、足は少し温かくなった。
    手はまだ冷たいので、二股手袋に砕いた唐辛子を入れ履かせる。
    二人の息子が寝てだいぶたっても、夫人はヒデヨの体をマッサージし、ニンニク水と砕いた唐辛子をヒデヨに与えた。
    蒸気の為、水を沸騰させた。
    「あなた」夫人が呼ぶ。キム氏がヒデヨの頬を叩く。
    ヒデヨは生き返った。あまりの疲労で動けなかった。
    ヒデヨはどこにいるのか、ここの人は誰なのか分からなかった。
    そして、彼のものはどこにあるのか?
    ヒデヨは夫人が与えるもので毒殺を恐れる、夫人は自分で食べて安全を見せる。
    それは胃に良かった。ヒデヨは自分が誰か、どこから来たかを伝える。

    ヒーチョが学校から帰ってきたら「君は僕達のいとこになるんだよ」と言った。
    もちろんヒデヨはソウルに行きたかったが、体調が悪い。
    キム氏はさらに「非難民が南へ逃げているが共産軍に殺されている。君は親類。体調が回復するまでここにいなさい」と言った。

    立てるようになったらすぐ、ヒデヨは農家の手伝いをした。
    わらつむぎ、小屋修理。たまに町へキム氏と行き、むしろを売る。
    夕食後にバケツ二つの水を台所に置いておく。
    ヒデヨはヒーウォンの算数を手伝い、政治の話し合いをした。政治の単語を覚えた。
    春が来て、ヒデヨはリンゴの木の保護わらを外すのを手伝った。

    花から花へハチが飛んでいるのを見て、故郷青森のたくさんのリンゴ畑を思い出した。
    そして両親を思い出した。両親も青森出身だ。
    両親と姉妹への思いが募った。

    ある夜、夕食時にキム家族に出発しなければならないとヒデヨは言った。
    「いてくれ、私達の子供になってくれ」とキム氏、「どうか残って」ヒーチョとヒーウォンも乞うた。
    夫人も泣いた。「でも行かないといけません」ヒデヨは言う。

    春の仕事が終わり、月が出てない夜なら見つからないで出発できるでしょう。
    最後の夕食後、ヒデヨは荷物を詰めた。
    家族の写真、通帳、毛皮、服をザックに入れる。
    夫人は大きな米櫃を竹の箱に入れてくれた。

    キム氏はいくらかの金をくれた。
    ヒデヨは拒否しようとした。ほとんどの金を政府に払わないといけない貧しい農民だから。
    しかし、キム氏は金をもってゆけと朝鮮の金を渡した。
    ヒデヨは感謝の言葉をたくさん伝えようとしたが、涙で胸が締め付けられ声にできなかった。
    夫人も泣いた。キム氏と握手する。
    キム氏は頷く「なにも言わなくてもいい。わかってる」と言うかのように。

    リュックサック姿は日本人とわかるので、紐と黄麻袋で包んで朝鮮スタイルに夫人がしてくれた。
    ヒーチョは遠く川まで一緒に来てくれた。
    イムジン川は朝鮮で4番目の大きい川。38度線と平行に流れている。
    アメリカ兵が支配している南朝鮮、ヒデヨはこの境界を越えるとより安全だと知っていた。
    川はキム家から4マイル(約6.4km)。

    日が暮れてからキム家を出た。
    深い森に入る前に、再度タオルで3回手を振る。
    川は共産軍にくまなく監視されていた
    監視塔からのサーチライトが川面を照らしていた。
    黄麻袋をほどき、服も足袋も脱いだ。
    それらを全部ザックに入れ、もし、荷物が頭上から落ちても荷物が流れないように、頭の上に置きロープで縛った。
    暗い川面を見た。もしスポットが当てられたら、殺されて川が深紅に染まるだろう。
    ヒーチョと握手「気をつけて」「ありがとう。親切を忘れない」ヒーチョ「いまだ!」
    サーチライトが通り過ぎた後、ヒデヨは川に入って行った。
                               つづく

    続編 『竹林はるか遠く(7)』完結編へ


    0 0


    兄ヒデの北朝鮮脱出劇の続編に続き、マツムラ伍長の温情、更にはナイド氏の優しさと続き、最終章は兄ヒデヨとの再会です。

    後半、貧困の局地にありながらも、数歳年上の姉と二人で生き生きとした十数歳の少女時代を描いた体験談はここで終わっています。

    竹林はるか遠く(1)
    竹林はるか遠く(2)
    竹林はるか遠く(3)
    竹林はるか遠く(4)
    竹林はるか遠く(5)
    竹林はるか遠く(6)


    改めて、
     ●ヨーコ(当時11才-12才)・・・著者本人
     ●ヒデヨ(当時13才~16才と思われる)・・・著者の兄
     ●コウ (当時16才-17才)・・・著者の姉

    以下、この続編 『竹林はるか遠く(7)』 です。

              ◆       ◆       ◆

    思った以上に水は冷たく流れが速い。
    ライトが来るたびに潜り、ザックだけが流木のように出るように。
    何度も何度も潜らなければならなかった。
    銃撃音が聞こえた、ヒデヨに撃ったのか、他の者か、野生動物へかは分からない。
    ヒデヨにライトが来て、深く潜った。再び銃撃音。
    銃弾はヒデヨのバックに当たり、水面に入っていく。
    水中を銃弾を貫く音があちこちする。ヒデヨは更に深く潜る。流れが彼を運ぶ。

    南岸についたとき光が当てられたが、疲れ果てて死んだように横たわる。
    茂みを這って行く。
    彼は危険な38度線を脱出した。
    自由の深呼吸をした。
    神とキム家に感謝し、彼らが夢で私が越えられたとみられればと思った。
    朝鮮服、毛布、家族写真、は毛皮コートで守られてて湿っただけだった。
    川にかなり流されて、方向が分からない。濡れた毛布を広げ眠る。

    起きた時、まだ明るかった。
    おにぎりとキムチを食べる。
    ニンニクの漬物を食べると、吹雪のキム家を思い出した。

    ヒデヨは死の淵から危うく助かった。
    捕まることも恐れる事も、撃たれる事もなくなった。
    喜んで歩いた。道路を探して藪を通る。
    農家でソウルまでの方向を聞き、早歩きで向かう。
    40マイル(約64km)黄麻袋で歩いた。
    日本人のリュックサックはある理由から彼は使いたくないと思ったのだろう。
    たぶんキム家への感謝の念だろう。

    ソウルについてすぐ駅に行く。
    メモにソウル駅で待っていると書いてあった。
    姿が見えないので駅の職員に聞くが余りに沢山の日本人の母子が来てたので分からなかった。
    七夜彼は駅の隅に寝泊まりし探した。
    家族は死んでるんじゃないかと思いだした。

    赤十字に行って調べると、川島の名前は無かった。
    たぶん家族は運よく帰国できてるのだろう。

    避難民証明書をもらい、釜山へ向かい船で帰国の方向へ。
    ナナムをでて8カ月で初めて列車に乗る。貨物のフラットカーに乗る。
    非難民でかなり混んでいるが狭いスペースに座る。
    歩かなくていいのが彼にとってとても幸せだった。

    姉妹の「釜山で待つ」という柱のメッセージは気がつかなかった。
    釜山港は定期便で避難民は日本に帰国していた。

    イメージ 1
    ヒデヨは舞鶴に上陸した。
    新聞で名前が書かれてないか調べた。
    「妹が書いてる!」ヒデヨは叫んだ。

    <12.再会 >
    寒い冬はコウと私にとって辛かったがマツムラ伍長との再会で何とか耐えられる。
    伍長さんと奥さんは、たまに残り物、糸、干物、漬物、米を送ってくれる。
    伍長は注文をとって着物生地でコウに服を作るよう求めた。
    遠くに住んでいるけれど、荷物や手紙が来るたび、近くにいるように感じた。
    毎回、切手を同封して、私達がどうしてるか、勉強の進み具合を聞いてきた。


    ある日、伍長は「人捜し」のラジオ番組に、父とヒデヨの名前を出してもらうと書いていた。
    週末の10時か、平日の6時。
    私達はマツダさんの許可を得て、平日の6時にラジオの前にたった。
    伍長が話しているかのようにラジオの棚を見上げた。番組が始まった。
    「川島ヨシオ、その息子ヒデヨ、について何か知っている人、盛岡の絹織物会社へご連絡を」

                          ☆
    (参考)
    散り散りになった親子兄妹、親族、親しい知人の互いに探し求める声が、「尋ね人の時間」に寄せられた。引揚げ者のほかにも、大空襲で四散した家族などの探し求め合う声でつづられたラジオ番組は、昭和20年から昭和36年まで15年以上も続き、人々に戦争が未だ終わっていないことを印象付けた。

                          ☆

    私達は、商品を作り続けた、週末は舞鶴へ新しい名前の紙をもって行った。
    空いた時間でコウは私に、伍長から戴いた生地でブラウスとスカートの作り方を教えた。
    生活は少し楽になった。今必要なのは父とヒデヨだけだった。     

    イメージ 2

    何にそんなに時間がかかてるのか?妙心寺の森に鳥が歌い、桜も咲いているのに。
    鳥はまもなく巣を作り、家族ができるでしょう。
    死んでいる?死んでいると知ったてたら希望を捨てる、でも知らないのが苛立たせる。

    学期が終わり、成績はオールA。
    でも、授業料使い果たしたので、もう学校に行けない。
    償却炉に行き、ナイド氏に通知票を見せた。
    「やったね」笑顔になった。
    カンの売上3円にお祝いの2円を足してくれた。
    彼は誠実な友人、彼は他に話す人がいない。
    私はやめる事を言えなかった。

    アサダさんは午後に花見に行くと知らせた。
    みな興奮していた。彼らは荷物をカバンに詰めていた。
    私は花見がそんなに大したことか?と思った。
    私の心はそんな遊びの余地は無かった。
    もっと重要なやる事があった。

    そして、私は新たな心配があった。
    黒板の字が見えなく、先生の声が聞こえづらくなった。
    コウの大学のスタイルショーを見に行くのを理由に花見に行くのを免除してもらうようお願いした。
    しかし、スタイルショーには行かず、飛び込み営業でコウの服を売り歩く。
    売れる度、お金をコウの作った小さなバックに入れ、ズボンのポケットにも入れた。

    コウの夕食の準備の為に急いで帰った。
    天気が良いのでコウは靴磨きをしている。
    また、私達が6時のラジオを聞くために。

    しかし、今夜は何か良い物を食べたかった。
    魚。カンの売上、服の売上、ナイド氏の褒美がある。
    雑貨店で魚を買い、残りの1円でティーバックを買った。
    私の通知票のお祝いとして...。
    小川で魚の鱗を落とす。土の上にはタンポポが生えている。

    竹の葉で魚を包み、バケツと包丁を持ってきた。コンロを作るのには慣れていた。
    火の中にバケツの水とタンポポの葉を入れる。
    タンポポの葉が縮むので魚を取りだしてまたバケツの水汲みに戻る。
    コンロに戻った時、工場のガラスドア越しに一人の男が見えた。

    彼は黄麻袋を腰につけた朝鮮式の服だった。
    朝鮮時代、李夫妻がつけていたのを覚えている、何も運ばないときは頭につける。
    しばらく私は幸せだった過ぎし日を思い出していた。
    また、タンポポを取りに戻るとき、男は雑貨店に向かっていた。
    おそらく彼は朝鮮人でここら辺を知らないのだと思った。
    彼は朝鮮人で日本ができなく、道に迷ったんだと思った。
    おそらく、私は彼を助けられる。
    しかし魚の串を探してコンロに置いて、草を絞らねばならなかった。

    それから私は倉庫の前に出て行った。
    彼は振り返り戻ってきた。
    彼はこっちに向かってきた。
    「今晩は」完璧な日本語だった。

    私は彼が近くに来るまで待って、よく見えるようになった。
    「おお!ヨーコ!おお!ヨーコ!」走ってきた。

    私は一瞬何が起こっているのか分からなかった、そして叫んで兄の腕の中に飛び込んだ。
    「おかえり!兄さん!」

    その夜、私は3つの寝床を作った。
    一つは兄によく眠れるように。
    星が輝いていた。
    ナナムを出てから最も美しく見えた。
    再会の喜びの為の花火のようだった。

    -完-

    ※父は6年のシベリア抑留後、帰国した。

               ◆        ◆        ◆

    長文をお読みいただき、有難うございました。
    読後感としてはいかがでしょうか。
    米国の中学の副読本でしたが、日本の中学生にも読ませたいものですね。

               ◆        ◆        ◆

    (お詫び)
    本記事を書くにつき、多方面の記事や画像を借用しております。
    お詫び申し上げます。


    (文字起こし原本)
    http://www.twitlonger.com/show/n_1rjhdeh

    (改めて出版の本の紹介)


    イメージ 3



    竹林はるか遠く
    日本人少女ヨーコの戦争体験記

    ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ 著 
    監訳 都竹 恵子 訳 2013.07.11発行
    定価 1575円(本体 1500円)












    0 0


    韓国は国を挙げて国家予算で益々日本叩きを世界的に展開していますね。

    朴槿恵(パククネ)韓国大統領なんかは、どこかの国のトップと会うと必ず日本は歴史を正しく見ていないとか騒いでいますね。

                          ☆

    もう韓国人特有の火病が発病してコントロールが効かないようですね。

    イメージ 2

    韓国の慰安婦企画展に600人 仏漫画祭、「ひどい」「初めて知った」主張浸透の恐れも
    http://sankei.jp.msn.com/world/news/140131/erp14013110270002-n1.htm

    フランス南西部アングレームで30日に始まった「アングレーム国際漫画祭」で、韓国政府が実施している慰安婦をテーマとする企画展に約600人が訪れ、韓国側の主張に沿った展示内容をすっかり信じ込むケースも目立った。(以下省略)

    イメージ 3

    「慰安婦漫画」韓国OK、日本ダメ 仏国際展 主催者「政治的な宣伝」
    2014.1.30 21:03 
    http://sankei.jp.msn.com/world/news/140130/erp14013021050006-n1.htm

    【アングレーム(フランス南西部)=内藤泰朗】欧州最大級の漫画フェスティバル、フランスのアングレーム国際漫画祭が30日、開幕した。漫画祭には、慰安婦問題をめぐる日本と韓国の作品が出展されたが、主催者側は、「強制連行はなかった」とする日本側の漫画を「政治的」として撤去するよう要請した。韓国政府が持ち込んだ「元慰安婦被害者」の作品は展示を許可した。「韓国側主張の誤りを正し、真実を伝えたい」と、漫画作成に意気込んできた日本側関係者は納得せず、波紋が広がっている。(以下省略)

    【魔都見聞録】フランスの漫画祭に慰安婦の漫画を出展する、韓国の恥さらしな活動[桜H25/12/23](ユーチューブ)


                          ☆


    朴槿恵(パククネ)韓国大統領、嘘八百を叫ぶと、自分の親父の蛮行から目をそらすためにもなるし、日本からの借入金を返済しない理由にもできますからね。

    それに、朝鮮戦争時代、韓国が国家として運営した売春婦宿の慰安婦に韓国が賠償することから逃れられるかもしれませんからね。


    彼女の親父の蛮行というと・・・

    ‘기지촌 여성 관리’ 박정희 친필 서명 문건 공개

    ‘基地の村女性管理’朴正煕(パク・チョンヒ)の署名文書公開

    등록 : 2013.11.06 17:08

    유승희 의원 “국가가 성매매 용인·관리했다는 증거”

    ユ・スンヒ議員“国家(韓国政府)が売春容認・管理したという証拠”
    イメージ 7


     6日、国会で開かれた女性家族委員会国政監査で、朴正熙前大統領の直筆サインがされた‘基 地村女性浄化対策’文書が公開された。(写真参照)

    当時、淪落行為防止法によって厳格に禁止さ れていた性売買を国家が容認し管理したという証拠だが、女性部は実体把握もできていないことが 明らかになった。 

    基地村被害女性は国家政策のために被害を被ったとし、国家を相手に損害賠 償訴訟を準備していることが明らかになった。 .(中略)


     この日、基地村被害女性の支援団体であるセウムト シン・ヨンスク代表は<ハンギョレ>と の通話で

    政府が米軍を相手に事実上慰安婦を運営したという証拠が続々とあらわれている。 やい時期に被害事例と証拠を集めて民主社会のための弁護士会と共に被害を賠償せよとの集団 訴訟を起こす計画だ」 

    と明らかにした。 イ・ジョングク記者 
    http://japan.hani.co.kr/arti/politics/15985.html

                          ☆

    朝鮮戦争時、外貨獲得のために国営の性的奴隷慰安所の総責任者が朴槿恵(パククネ)韓国大統領の父親である元大統領朴正煕(パク・チョンヒ、박정희、日本名 高木正雄)ですからね。 


    イメージ 4



    ソース:韓国日報
    【韓国】 基地村の女性たちに名誉回復と被害補償を~米軍相手に売春させられた百万人以上の女性たちの実態調査求める[12/16]

    米軍基地村で働いていたキム某(70)ハルモニは京畿(キョンギ)平沢市(ピョンテクシ)彭城邑(ペ ンソンウプ)アンジョン里のみな壊されて行く平屋の部屋一間が唯一の安息所だ。

    米軍基地キャン プ・ハンフリーズ向い側の路地には行く場所がなく離れられない同じ境遇のハルモニ数十人が居住する。 

    ところが最近、平沢米軍基地拡張でこの一帯が開発され家が一軒二軒壊されている。'産業の担 い手'と呼ばれ国家統制の下、米軍に若さを捧げたが相変らず冷遇を受けている'基地村の女性' に対する支援法案制定の動きが初めて本格化している。 

    キム・グァンジン民主党議員室と基地村女性人権連帯は16日、国会で'基地村女性支援などに関する特別法'(仮称)公聴会を開催すると15日明らかにした。

    米軍が韓国に駐留した1945年9月以 後、100万人を越える女性たちが基地の村で米軍らを対象に売春したことが分かったが、国家次元の実態調査は一度もなかった。 

    特別法は基地村の女性がどれほどいるのか、どのように暮らしているのか、彼女たちの子供の社会・経済的状態はどうかなどを調査して名誉回復と共に被害者に対する実質的補償をしようという ものだ。

    キム議員は「日本軍慰安婦問題に先立ち、自国民保護責任があるわが政府も過去のこと についてちゃんと反省し、対策を用意しなければならない」と強調した。 

    基地村の女性たちは1年に100ドルを稼ぐのも難しかった時期、1カ月に100ドル稼いで産業発展の軸になった

    公娼制が廃止された後も政府は強制的に基地村女性たちに性病検査を受けさせたし、性病にかかれば法的手続きなしに診療所に強制拘留するほど執拗に統制した。性病が 米軍の戦闘力を落とせば韓半島安保が危うくなるという論理だった。 

    1960年代までも政府は基地村の女性たちに日帝残滓の慰安婦'という名称を使い、1961年、堕落防止法が施行された後も売春を事実上黙認する特定地域104カ所を運営した

    このように自国民を保護できない間にも数多くの基地村女性たちが米軍の暴力の前に凄惨にさらされた。 

    基地村女性人権連帯共同代表のウ・スンドク日差し社会福祉会院長は「米軍を相手にした基地村女性たちは国家間の利害関係の隙間で徹底した管理の対象だっただけに歴史のスケープゴートとみるべきだ」と話した。 

    キム・ジャンフン記者 

                ◆       ◆       ◆

    イメージ 5


    "기지촌 여성들에게 명예회복과 피해 보상을"
    16일 특별법 공청회 개최

    "基地の村女性たちに名誉回復と被害補償を"16日特別法公聴会開催

    김창훈기자 chkim@hk.co.kr
    입력시간 : 2013.12.16 03:32:19


    (一部抜粋 일부발췌)
    '산업역군'으로 불리며 국가의 통제 아래 미군에게 젊음을 바쳤지만 여전히 푸대접을 받고 있는 '기지촌 여성'에 대한 지원법안 제정 움직임이 처음으로 본격화하고 있다. 김광진 민주당 의원실과 기지촌여성인권연대는 16일 국회에서 '기지촌 여성 지원 등에 관한 특별법'(가칭) 공청회를 개최한다고 15일 밝혔다.

    미군이 한국에 주둔한 1945년 9월 이후 100만명이 넘는 여성들이 기지촌에서 미군들을 대상으로 성매매를 한 것으로 알려졌지만 국가 차원의 실태조사는 전무했다. 특별법은 기지촌 여성이 얼마나 되는지, 어떻게 살고 있는지, 이들 자녀들의 사회ㆍ경제적 상태는 어떤지 등을 조사해 명예회복과 함께 피해자에 대한 실질적 보상을 하자는 것이다. 김 의원은 "일본군 위안부 문제에 앞서 자국민 보호책임이 있는 우리 정부도 과거의 일에 대해 제대로 반성하고 대책을 마련해야 한다"고 강조했다.
    http://news.hankooki.com/lpage/society/201312/h2013121603321921950.htm

                          ☆

    イメージ 6

    Korean military sex slaves from 1946 to 1953 systemized by Korean Army for US Army and UN Army, numbers were 300,000 war bitch. Childred born were 1 million mostly immigrated to USA as Korean-American who make brutal crimes in US cities, make domestic voilence, human trafficking.



                ◆       ◆       ◆

    朝鮮戦争(1950~1953)当時、米軍や韓国軍相手に売春していた女性たちが、大東亜戦争(1941~1945太平洋戦争)時代に、日本軍により強制的に従軍慰安婦にされたと騒いでいる。

    フランスまで出かけて街頭で訴えたが、案の定、ボロが出ましたね。

    イメージ 11

    これらの画像は画像右下に記入されているように韓国の聯合ニュース社(YONHAPNEWS)のもの。場所はフランス・エッフェル塔広場。

    http://japanese.yonhapnews.co.kr/

    イメージ 12

    ここで慰安婦を代表して、キム・ポクトン(88)が挨拶。

    朝鮮戦争当時、日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをされた」と言っている。

    イメージ 15


    朝鮮戦争(1950~1953)の時って、1945年8月日本が大東亜戦争(太平洋戦争)に破れ、日本の軍隊は解体されていたから、存在しない日本軍が朝鮮半島に出兵するはずはない。


    この記事原文で、確かに朝鮮戦争の時と書いてある。
    イメージ 13


    更に、「クリスマスの時は大繁盛で大変だった」って言うけど、戦時中に日本軍の誰かががクリスマスを祝うなんてことをしたら、スパイと看做され営倉行き。

    イメージ 16
    ましてやジープで売春婦を運んだら銃殺物。

    確か、朝鮮戦争時に米軍がヘリコプターに慰安婦を乗せようとしている写真を観た事があったので探したが見つからない。後日、見つかったら掲載します。

                           ☆

    大東亜戦争(太平洋戦争)当時、日本が慰安婦を運ぶならトラックですよ。

    イメージ 10

    画像は、兵士の後から河を渡る慰安婦。
    イメージ 1


    イメージ 8

    日本の場合の慰安婦たちは自由でした。
    米国の記録によると、慰安婦は客を選べる自由があったと記されています。
    無論、親の借金を返すと、自由に帰国できたとも書かれています。

    イメージ 9


                           ☆



    イメージ 14




    既に皆さんはご覧になっていると思いますが、改めて

    韓国・安秉直ソウル大教授が神発言 

    「慰安婦連行が強制的でないのは歴史的事実」

    http://www.youtube.com/watch?v=OYtvpspoevc#t=21



    (参考)
    http://www.youtube.com/watch?v=rR23h-NdGIM
    http://www.youtube.com/watch?v=0XHKT8hKTpY
    http://www.youtube.com/watch?v=fGkbJHieVCU
    http://www.youtube.com/watch?v=szbeSvxjme4
    http://www.youtube.com/watch?v=1vpXdNOFdcM
    http://www.youtube.com/watch?v=R8PbYpvvgeI
    http://blog.livedoor.jp/aokichanyon444/archives/54725757.html



    0 0


    いよいよソチ五輪のフィギュアスケート団体戦が始まりましたね。
    下記は、ゲンダイネットの浅田真央さんについてのものです。

    これを読んでから真央さんの演技や表現を見ると、恐らくこれまでとは違った感覚と理解が深まるものと思われます。

    尚、ここには全文の半分(NO.1~NO.3)しか掲載しておりません。
    残りのNo.4~No.6は、URLを下段に表示してあります。

    以下、本文

              ◆       ◆       ◆

    家族、稼ぎ、男…メディアが報じない浅田真央の“私生活”
    2013年12月29日 掲載
    NO.1~NO.3

    イメージ 1

    名古屋市内の通称「女子大小路」と呼ばれる一角で、真央の父・敏治(55)は売れっ子ホストとして知られた存在だった。

     小学生の頃に父親が死去。
    繁華街で働いて家計を支えてきた苦労人だ。

    11年12月に早世した真央の母・匡子(享年48)も若くして両親を失っている。
    姉と2人、それこそ身を削るような努力で生計を立ててきた女性だ。

    ■破産寸前まで娘に投資
     青春を犠牲にして働いた男女は夜の街で出会い、やがて結ばれた。
    後の天才少女が生まれたのは、1990年9月25日。
    宝塚ファンの父はトップスター大地真央にちなんで「真央」と命名した。

     母には家庭の事情で諦めた夢があった。プロのバレエダンサーになる。
    その夢を託すように真央には3歳からバレエを習わせた。

    「真央ちゃんが初めてリンクに立ったのは、5歳のとき。足首が鍛えられてバレエが上達する。そう考えて匡子さんはフィギュアを学ばせたのです」(浅田家の知人)

    あくまで「バレエのためのフィギュア」で、真央はメキメキと頭角を現していく。
    小3で全日本の新人発掘合宿に招集。
    小6で最難度のトリプルアクセルを跳んだ。

     この子を金メダリストに育てる――。両親も腹をくくった。バレエ教室をやめ、放課後は母の車で大須のリンクに移動し、連日5時間の猛練習。
    スケート優先の生活で学校を休む日も増え、同級生と遊ぶ時間もなくなった。

    ノーブラ

    「真央はブラジャーしていないから、楽でいいわね。舞の(おっぱいを)半分もらいなさい」。週刊誌が報じた安藤美姫の発言。

    確かにお世辞にも巨乳とは言えないサイズだ。姉は〈舞のおっぱいEカップ〉というメッセージ付きプリクラ画像がネット上に流出している。 

     フィギュアは金のかかるスポーツだ。
    コーチの指導料、有名クラブの登録料、衣装代、遠征費……。
    1年で大手企業の会社員の年収分が軽く吹き飛ぶ。
    しかも姉の舞も国内トップ級のスケーターだ。

    独立した父の経営店は大繁盛だったが、姉妹の育成費を捻出するのは至難のワザだった。

    名古屋市名東区の住宅地にある浅田家の登記簿を見ると、資金繰りの厳しさがうかがえる。

    真央誕生の翌年に3階建ての住居を新築。父はそのローンを抱えながら、05年8月に土地建物を担保に差し出し、大手消費者金融からカネを借りた。極度額は1300万円に上った。

    ■ひっそりと街から消えた父

    「あの頃が一番苦しかった。一家が破産してもおかしくなかった」
     母が生前、知人に当時を振り返った言葉だ。

    05年12月に15歳でGPファイナルを制して以降、真央は年4~7社とCM契約を結び、出演料は1本4000万~6000万円とされる。年間1億円以上を稼ぐ、国民的アイドルとなった頃、父は密かに夜の商売から離れた。

    「娘の体面を気にしたんだろう。最近はだいぶ減ったけど、まだ世間に誤解を受ける職業でもある。自分の因果を、かわいい娘に背負わせたくない。そう考えたのでしょう」

     とは、父を知る女子大小路の老経営者。

    (続きは下記URLをクリック)
    No.4
    No.5
    No.6



    0 0


    これから関東に出かけるけど、雪は大丈夫かな?
    さて、時間がないけど独断と偏見の結論から言いましょう。

    (参考)前回記事
    茶番劇・東京都知事選(舛添編)  2014/2/2(日)

              ◇       ◇       ◇

    と言っても、またまた脱線

    そもそも今回の都知事選は、東京が2020年のオリンピック開催に決まったことに由来する。森喜朗元首相は東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会評議会議長であるが、森を煙たがったのが猪瀬直樹都知事。猪瀬は自分で主導権を握りたかった。

    その猪瀬を潰すために、森が検察に指示した結果、検察が隠し玉の猪瀬の徳洲会からの5000万円を暴露。

              ◇       ◇       ◇

    森が警察に圧力を加えた例はいくつもあるが、その中の一つ、2010年8月7日午前10時10分頃、自民党の森喜朗元首相の長男で当時石川県議会議員の森祐喜氏が小松市のコンビニのポプラに車で突っ込んだ時の薬物もみ消しである。

    この事故を植草一秀氏は酒気帯び運転ではなく薬物によるものではないかとブログに書いていたが、私が聴いたあの事故のNHKラジオでの第一報報道は簡単に言えば以下の通りである。

    「森元首相の長男森祐喜氏がコンビニに車で突っ込んで事故を起こした。
    ろれつが回らずふらふらの酩酊状態なので警察署員が飲酒検知をしたがアルコールは検知されなかった」

    それが夕方の報道では飲酒運転に変わった。
    つまり、薬物による酩酊状態を森元首相の鶴の一声で隠蔽されたのである。
    無論、この隠蔽をしたのは石川県警であり、マスメディアである。


    (注)植草一秀氏のブログ『警察は元首相長男森祐喜氏薬物検査を行うか』
    http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-60c0.html

              ◇       ◇       ◇

    (注)2009年の「押尾学事件」でも森元首相は長男佑喜の犯罪を隠蔽。

    都内六本木ヒルズレジデンスB棟2307号室で、合成麻薬MDMAを服用していた銀座クラブ「ジュリア」の元ホステス・田中香織さん(当時30歳)が死亡した事件。

    イメージ 1
    然も田中香織さんの顔はパンパンに腫れて殴られた跡(DV)。
    その時の田中香織さんの相手は森祐喜。

    無論、森元首相も彼女と懇意の仲。

    森祐喜の元妻美樹さんは、祐喜の常日頃からのDVに耐えかねてその何年か前に離婚していることでも明白。

    隣室にいた押尾学が身代わりに麻薬譲渡、保護責任者遺棄致死罪で逮捕される。

    押尾本人も、「自分は無罪で、事件は警察・検察による冤罪だ」と主張し続けていた。
    尚、そこには水泳の北島康介もいたのは皆さんご存知。


              ◇       ◇       ◇


    余談が先行していまいましたが、さて本題。

    何が狂ったのか細川護煕(もりひろ)元首相
    あの世にぐっと近づいているのに、何を今更。

    都知事選などには出る気はさらさら無かったから選挙公約は出馬宣言してから何日たっても出来なかったのはご承知の通り。

    まあ、本人が訳も分からず他人が作った付け焼刃の公約を掲げるから、原発反対は念仏で済むが都政がどうのこうのと言えるはずはない。

              ◇       ◇       ◇

    下記は、細川の2009年の言葉。


    政治は遠い昔のこと。
    「勇気」や「希望」とは無縁の晴耕雨読の毎日です

    俗事に煩わされることなく、自分の時間を、自分のしたいことをして静かに過ごす――これが私の暮らしの基本となっています

    新聞はとっていませんし、テレビも見ないし、パソコンも使いません。

    週に二回、目白にある永青文庫(細川美術館)に行く以外、東京にもできるだけ行かないようにしている。

    http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2009/20090302/9659/9667/

              ◇       ◇       ◇

    そんな男が急遽都知事選に出馬するなんて、『殿、ご乱心』である。

    それに都議会127議席は舛添を支援する自民と公明が過半数を占める。
    細川支援の民主は、宇都宮を推薦する共産に次ぐ第4会派にすぎない。

    更に細川氏が選対に呼び込んだこの民主党議員や労働組合関係者が東電本社前での街頭演説に猛反対したそうだから開いた口が塞がらない。

    例へ細川が当選しても、都政は混乱してしまう。

              ◇       ◇       ◇

    も一つ『殿、ご乱心』を述べると

    細川 「いま北極海とかいろんなところでシロクマ、アザラシ、その他の生物の大量死が続出していると、これはまさにその福島の影響である」

    あのね、そんなに大量死したら、オホーツク海にアザラシの死体が流れているはずだが、北海道の北見枝幸からそんな情報はない。

    更に 細川 「オリンピック返上」 ですからね。
    オリンピックを返上したら、日本の国際的立場はどうなるか分かっているの?

              ◇       ◇       ◇


    この細川を推して街頭で騒いでいるのが小泉純一郎。
    ここまできたらお分かりですね。

    細川氏は当選するために立候補したのではない。
    反原発を掲げる元日弁連会長の宇都宮健児氏(67)への票を割る意図。

    ひょっとして、反原発の大合唱が起こる可能性も無きにしも非ずでしたからね。

    このように万が一の為に細川を引っ張り出すシナリオを描いたのが、国際金融資本のアジト・ハーバード大学の心理学者グループ。

    無論、細川と小泉に指示したのがCIA。
    どうやらこの戦略は成功しそうですね。

              ◇       ◇       ◇

    改めて言う。

    日本の原発の安全装置を取り外させ、然も、日本の原発の管理をイスラエル国営企業に委任したのは小泉純一郎。


    『茶番の小泉ゼロ発言①』  2013.10.04
    『茶番の小泉ゼロ発言②』   2013/10/16(水)

    その日本全土焦土作戦の小泉が、原発即時廃止などと訴えているが、左脳のみ発達していて簡単に洗脳され、それを正論と思う人がいるから困ったものである。

              ◇       ◇       ◇


    イメージ 2


    『脱原発派』の吉永小百合は、細川の公式ホームページに「私たち、応援します」のコーナーに顔写真付きで登場。

    〈細川さんの今回の決断を、私は深く受け止めました。今私達は、未来のことをしっかり考えなければいけない時です。みんなで応援しましょう!〉

    吉永小百合は劇団員や俳優に多い左系なのは分かるが、無思慮に細川・小泉の唱える反原発に乗るとはいかがなものか。もっと賢いと思っていましたのに。


    細川の応援演説をする瀬戸内寂聴などは、自分が言っていることを分かっているのかと疑問に思う。

    http://www.youtube.com/watch?v=TkyB7T4EzPM#t=21





    以下は、参考記事

    都知事選世論調査 脱原発票割れる 舛添・細川・宇都宮氏に 
     東京新聞  2014年2月6日 朝刊
    九日投開票の東京都知事選を前に、本紙は都民を対象に三回目の世論調査を実施した。原発再稼働に反対する有権者は半数を超えているが、投票しようと思う候補者は、元厚生労働相の舛添(ますぞえ)要一氏(65)、元首相の細川護熙(もりひろ)氏(76)、前日本弁護士連合会長の宇都宮健児氏(67)の三人に割れた。

    逆に、原発再稼働を求める層は舛添氏に集中。原発ゼロ層の足並みの乱れが浮かび上がった。(中略)

     しかし、再稼働反対派の投票先は、安倍政権の原発政策に沿う舛添氏と、原発即時ゼロを訴える細川氏と宇都宮氏に三分した。逆に「賛成」の半数以上は舛添氏に集中。主な候補で唯一、原発推進を訴える元航空幕僚長の田母神(たもがみ)俊雄氏(65)を引き離していた。(以下省略)

    http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014020602000121.html

    猪瀬氏の434万票、半数以上が舛添氏か 世論調査分析
    mns産経 2014.2.2 23:03

    前回の東京都知事選で、国内選挙の個人得票としては史上最多の約434万票を獲得した前知事の猪瀬直樹氏(67)。その票が誰に流れるかを終盤の世論調査結果から分析した。投票予定先と前回選の投票先を比べると、前回、猪瀬氏に投票したと答えた人のうち、55・8%が今回は舛添要一氏に投票すると回答、細川護煕氏には13・7%、田母神俊雄氏には6・5%、宇都宮健児氏には4・7%だった。序盤調査では猪瀬氏に投票した人のうち、舛添氏に投票すると答えたのが46・2%だったことから、舛添氏が猪瀬氏の支持層に浸透しているといえる。

    一方、宇都宮氏は前回選にも立候補したが、前回宇都宮氏に入れた人のうち、今回も投票するとしたのは55・7%。18・2%が細川氏、14・8%が舛添氏に投票すると答えており、脱原発を掲げた細川氏に支持が流れたかたちだ。

    http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140202/elc14020223040013-n1.htm


    小泉元首相は民主の広告塔!? 党機関紙に登場
    産経新聞2月7日(金)22時45分

    7日発行の民主党の機関紙「プレス民主」に、自民党の小泉純一郎元首相が写真入りで登場した。東京都知事選で、「原発即時ゼロ」を主張する小泉氏に同調した細川護煕(もりひろ)元首相を、党が支援しているためで、1月29日に行った街頭演説が紹介されている。(以下省略)



    『今度の津波は大津波①②』   2013.05.24 25



    国際金融資本の代理人竹中平蔵氏が当時の小泉純一郎首相と図って、どのようにして日本の富をヘッジファンドに渡したか

    『日本郵政社長人事で郵貯の危機再来か』 2013.05.11


    小泉純一郎が首相時代、国際金融資本ロックフェラーの代理人竹中平蔵を登用し、徹底的に日本潰しを図った。
    「自民党をぶっ壊す!」 は表面(おもてずら)。
    実態は 「日本をぶっ潰す!」 であった。

    ○ 竹中の推し進めてきた政策を振り返るとあることに気づく。それは、すべて日本の企業を倒産させて、米国の企業に買い取らせるという結果になっている政策ばかりであり、しかも竹中はこれを「すばらしい」と表現している。





    0 0
  • 02/11/14--16:11: 島本町の朝火事

  • 実は、私、9日の朝、JR島本駅に急いで歩いていると駅前信号の近くで煙が。
    でも、消防車のサイレンがしない。
    火事ではないのか。
    (注)画面左端の青い看板がJR島本駅前のローソン。その向こうが駅舎。
    イメージ 3


    そのまま歩いていると消防車のサイレンがして8時23分消防車がやってきた。
    やはり火事。
    イメージ 4

    ブロガーとしては、いつもならここで現場に近づくのだが、何しろ電車の乗る時刻が迫っている。で、現場の写真は撮れず。残念。




    今日、確認したら、この朝火事は以下の通り。

    2月9日朝、三島郡島本町の集合住宅において、火災が発生し、1人が死亡。
    遺体は田中健一さん(66)。

    イメージ 2


    イメージ 1





    0 0


    昨夜、新幹線の車内のテロップで「米軍ヘリ墜落:現場の土壌にヒ素」というのを見て、今朝、その内容を確認してみました。

    最も分かり易いのが下記の沖縄タイムスの社説ですので全文掲載します。

    この墜落で不思議なのは、何故に米軍の自称救難ヘリが、土壌を除去しなければならない程の大量の鉛やヒ素、カドミウムなどの有害物質を搭載していたかです。

    救助ヘリが常時そのような救助に必要が無い大量の有害物質を積み、使用する目的は何か? 考えられるのは、空中からの散布!

    ジェット機による散布のケムトレイルと同様、ヘリでもアルミやウイルスやヒ素を散布していることを意味します。

    ジェット機との大きな違いは、テンポイントで狙った場所に確実に散布できること。
    特に、飲料水となる水源に集中して散布出来る。

    と言うことは、オスプレイにも大量のアルミやウイルス、有害物質を積んで、日本全土の水源を狙って散布しているということです。

    尚、墜落したヘリは飲料水の水源地である大川ダムにヒ素などの有害物質を散布中に操作を誤ったものと思われます。

    (参考)オスプレイの日本全土飛行地図
    オスプレイの別な危険性   2012/7/27(金) 


              ◆       ◆       ◆
    以下、沖縄タイムスの全文

    社説[墜落跡に有害物質]疑念募る米軍の調査だ
    沖縄タイムス 2014年2月12日 05:12

     環境調査は米軍内部で完結し、外部の目を一切通していない。県や宜野座村の墜落現場での調査を受け入れず、調査方法は説得力に欠けるというほかない。米軍の結論を検証することができない一方的な調査なのである。そんなやり方で地元を納得させようとするのは無理だ。

     嘉手納基地所属のHH60救難ヘリが昨年8月、宜野座村のキャンプ・ハンセン内の山中に墜落、炎上した事故で、現場周辺の土壌から鉛やヒ素、カドミウムなどの有害物質が検出されたことが分かった。ヒ素などは環境基準値を超えているという。

     県によると、米軍は汚染の度合いは深刻ではないと説明したという。だが、日本側が直接調査できない現状では、実態は不明だ。

     米軍は1月下旬から墜落現場周辺の表土を除去する作業を進めている。除去しなければならないレベルの土壌汚染ということではないのか。

     米軍だけの調査であることを考えれば、「不都合な真実」を隠しているのではないかとの疑念が拭えない。

     墜落事故から半年以上もたっているのも問題である。米軍は土壌汚染が判明した段階ですぐ地元に連絡すべきだ。

     墜落現場は大川ダムに隣接している。同ダムは村民の飲料用水を賄っていたが、墜落事故以来、村は現場の汚染土壌が水源に流出していないか最終的に確認することができないため、取水を停止。現在は、漢那ダムからの取水量を増やして対応している。

        ■    ■

     県や宜野座村が求めている墜落現場の環境調査について、米軍は汚染土壌を除去してから認める見通しという。順序が逆転している。

     「安全」という結論だけを見せて、県と村から「お墨付き」を得るようなものである。米軍が環境に与える影響を過小評価しようとする狙いを持っているとしか思えない。調査経過が不透明であり、とても納得できない。

     県や宜野座村の立ち入り調査を制限しているのは日米地位協定である。地位協定は米軍の排他的管理権を認めているからだ。

     當眞淳村長らは事故から3カ月たった昨年12月、立ち入ったが、土壌採取などは許可されず、目視による調査で終わった。

     県も昨年9月、米軍の事故調査が終わっていないという理由で、墜落現場の土壌採取は認められず、離れた地点で採取せざるを得なかった。このため、県は調査地点の「水質、土壌への影響はなかった」と結論づけていた。

        ■    ■

     米軍基地の環境汚染は深刻だ。返還後にさまざまな有害物質が検出される例は後を絶たない。跡地利用にスムーズに移行するための大きな障害になっている。

     最近では嘉手納基地の返還跡地に建設された沖縄市のサッカー場から多数のドラム缶がみつかり、環境基準値を超えるダイオキシン類やPCB(ポリ塩化ビフェニール)が検出されている。

     環境調査の透明性を確保するには、県や当該自治体が加わった合同調査が必要不可欠だ。やはり、不平等な日米地位協定の改定しかない。

    http://www.okinawatimes.co.jp/article.php/?id=62496



    0 0


    2月9日(日曜日)関東で大雪が降った翌日、関東に出かけたの。

    新幹線から見える立派な雪山。
    御嶽山(おんたけさん)かな?
    イメージ 1


    名古屋を過ぎる。
    晴天なのに西方には雪のアルプス遠景のような雲。
    北陸とか長野の雰囲気。
    イメージ 2

    ぐっと近づく。雰囲気はなかなか良し。
    ここが気圧の境目?
    イメージ 11

    あの雲の下は雪なのかな?
    イメージ 12


    さてさて富士山は見えるかな?
    橋の向こうに見えるは富士の裾野。
    イメージ 13

    富士山の頂上が見えないと新幹線に乗ったのに損した気分になりますからね。
    イメージ 14

    三島近くまで来てようやく白い頂上がポカリと見えて帳尻が合った気持ち。
    イメージ 15


    乗り換えの小田原駅西口の北条早雲の銅像も雪で寒そう。
    イメージ 16


    大船駅は完全に雪国。
    イメージ 17

    大船の駅舎から路地をパチリ。
    私の皮の靴底じゃ、まともに歩けない。
    イメージ 18

    住宅街の路地の道の交差点には雪の塊。
    イメージ 3



    大船→藤沢→辻堂駅下車
    イメージ 10


    辻堂駅舎より東の街並み。
    いかにも静かな街。
    イメージ 9


    左の島が江ノ島。右端に霞むのは三浦半島。
    イメージ 5

    江ノ島をズームアップ。右端にポチッツと三角に見えるのが姥島(烏帽子岩)
    イメージ 8


    夜の江ノ島の灯台の光。
    イメージ 6

    東南方向の光景だが、多分、向こうに霞むのは伊豆半島。
    イメージ 4

    同じく夕暮れ。
    イメージ 7


    移動の9日はお日様が出たが、10日、11日は曇で然も寒い。
    特に11日なんかは風が強くて寒くてどこかに行く雰囲気ではない。

    で、結局、江ノ電にも乗らずに終わる・・・・・・ 
    これではいかんので、大船から湘南モノレールに乗っただけ。 ゚(゚´Д`゚)゚

    これ、今日、三度目のつまらん更新記事。


    0 0


    ブログ記事、8割程出来ていたのに、Windowsの突然の更新で消えた!
    確認画面だけ復帰したけど、画像貼り付け作業は一から。
    文章も書いていたけど、確認画面で出していなかった。
    何を書いたっけ。トホホ・・・

         ・゜・(ノД`)・゜・  ・゜・(ノД`)・゜・  ・゜・(ノД`)・゜・

    再度、画像を貼り付けて

    さて、藤沢駅の隣駅辻堂の夜の街ってどんなんかな? 
    駅前を徘徊していたら、飲食ビルのある店の電飾看板の張り紙に目が停る。
    イメージ 1


    イメージ 2
    今時、忘年会の予約承るだって???
    関東では、年度末も忘年会をしたっけ???
    計9年弱、東京勤務もそんな記憶は一切ない。

    剥がし忘れたのか?
    単なるズボラなだけか?

    こりゃ、チェーン本部に怒られるからひとこと言ってあげようとEVに乗るがドアがなかなか閉まらない。

    ここで気が変わる。

    この張り紙、私のようなお節介者を釣る小道具?
    そんなに簡単には引っかかりませんよと別の店に入る。あまのじゃく!!!ヽ(´▽`)/

    入店したのは海鮮居酒屋の方。
    雰囲気は悪くはない。

    イメージ 9

    注文取りに来たのがアルバイトらしき可愛い娘さん。
    「大学生?」
    「えぇ、そうです。今春卒業です。就職先も決まっています」
    「それはそれはオメデトウ」

    イメージ 8


    きょうび、化粧の進化で皆可愛いも、高校生か大学生かちっとも分からん。
    つい先日、「大学生?」と聞いたら
    「わぁ、嬉しい! 大学生に見えるのですか、私」 
    「可愛い娘(こ)は、ちょっと上に見えるものだよ」 と取り繕う。


    イメージ 10

    他方、この日の昼食は、時間が無かったから、大船駅舎の7Fルミネの築地玉寿司で生ビールに寿司。

    この時もアルバイトは上品な顔立ちの娘さん。
    「可愛いお嬢さんは高校生?」 と聞いたら 「いえ、大学生です」
    こりゃ、失敬。


    イメージ 11

    オーダーしたのは、寒ブリの刺身、たこわさび、ナスの浅漬、はなの舞サラダ。
    生中1杯、熱燗2合。
    イメージ 12

    処が、このサラダ、野菜がふんわりと思ったがそうではない。
    「量が多過ぎるわ」 と、お嬢さんに言うと、「皆さん、そう仰います」 ヽ(´▽`)/

    それに中にはマグロのぶつ切り。
    わさびを別途もらい、刺身にしていただく。
    飲み物が足りないので、生中追加。

              ■       ■       ■

    翌日(10日)の夕刻は、大船駅の近くの繁華街へ。
    こちらに来て初日(9日)と翌日の二度の昼食は何れも握り寿司。
    更に前夜(9日)は海鮮だったから、無性に串カツか天ぷらを食べたい。

    ANA787さんの行った観音食堂の場所は半年前、頭の中に入れてある。
    処が駅から東に一筋のはずだが行くも見当たらず。ボケたか。

    イメージ 13

    東西の筋を一つ間違ったと思い、そのまま一筋目(一丁目)を北上。
    さすが大船。繁栄の歴史が違う。
    と言っても、人出は栄華を極めていた頃の三分の一ほどだとか。

    (注)資生堂鎌倉工場は2014年12月に生産を停止し、2015年3月に閉鎖の予定とか。更にここ数年内に他の企業も鎌倉から撤退するとか。


    イメージ 7

    松竹通り(バス通り)との交差点にどうやら串カツを食べれそうな居酒屋がある。
    今回はここで妥協する。

    イメージ 14

    ここでもアルバイトの娘さんに「大学生?」と聞いたら「高校生」だって。
    当たらん・・・・・

    イメージ 5

    客の平均年齢は50歳代。女性2割。但し、若い男女がひと組。

    そういえば21歳の時、渋谷の忠犬ハチ公で待ち合わせをし、彼女が私を連れていったのがこんな居酒屋のカウンターだった。、
    サラリーマン連中のボヤキがこだまするが如く騒がしいけど、不思議と和やかに二人きりになれるのが居酒屋デートの特徴だね。

                          ☆

    「(串物)選ぶのが面倒だから適当に5本持ってきて」
    「私の好きなものを選んでいいですか」
    「YES、YES。あなたの選んだものだったら何でも美味しく食べますよ」

    イメージ 15
    で、持ってきたのがこれ。
    ハツ、ハラミ、かしら、バラ肉ねぎま、鶏モモ

    イメージ 3
    無論、念願の串カツもオーダー。

    然し、ここの高校生のバイトの女の子たち、ハキハキ、シャキシャキ。
    指導次第では実社会でも結構使い物になるかも。

    イメージ 4
    レバニラ炒めも。
    これで身体の魚介と肉のバランスがとれた。


    イメージ 6

    あの娘さん、混んで忙しいのに、わざわざ入口から出て外で見送ってくれた!
    居酒屋では珍しい。感激だね。

    またまたとりとめもないお話でした。

                         ★
    (参考)
    店名『大船1丁目やきとん』
    (住所)鎌倉市大船1丁目26ー33 片岡ビル1F




    0 0


    羽生選手、金メダルおめでとう!
    彼の演技が終わって時点で金は駄目かと思いましたね。

    選手の皆さんの演技を見ているだけでハラハラドキドキ。
    こけるからね。
    疲れる・・・ ヽ(´▽`)/

    やはりオリンピック。
    皆、いつもと違う特別な緊張なのでしょうね。





older | 1 | .... | 3 | 4 | (Page 5) | 6 | 7 | .... | 74 | newer