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島本町水無瀬は、京都嵐山から流れる桂川(途中、鴨川と合流)・琵琶湖からの宇治川・奈良方面から流れる木津川の三つの川の合流地点です。ここから淀川となって大阪に流れます。 [[img(http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/7d/df/minaseyori/folder/1462267/img_1462267_55109248_4?1289239015)]] 島本町水無瀬については、谷崎潤一郎著小説「蘆刈(あしかり)」で結構詳細に述べられています。ここ水無瀬は、小倉百人一首を並べたら、水無瀬の情景になるという藤原定家の隠れた後鳥羽上皇思いの舞台です。 参照:「百人一首の秘密」著者林直道教授の公式サイト http://www8.plala.or.jp/naomichi/ 参照:「水無瀬絵図」小倉山荘サイト  http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin02.html (追記)小説『蘆刈』に基づく私のブログ記事 谷崎潤一郎原作・主演田中絹代 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43928675.html 愛するが故に妻との別離 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43963187.html 阪急大山崎下車の谷崎潤一郎 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/46246160.html 京都に在った諏訪湖より大きな池 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/46870978.html 十五夜お月さんと山崎の橋 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61587198.html 水無瀬野の歴史 https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61399688.html (お知らせ)09.12.06 ①公序良俗に反するコメントや、因縁コメントは直ぐにカットします。 ②コメントは、空行も含めて10行以内でお願いします。➂私の記事や私見に反論のある方は、先ず自分のブログで論証してください。

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    偶々、タイの記事に再度出会いましたので紹介します。


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    タイの人たちの93%が日本を好きと答えています。

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    アジアの10ヶ国の親日度調査 2012年11月
    韓国、中国を除く8 ヶ国では、80%が日本を「大好き」、「好き」と回答をしており、アジア全体で見ると、日本に対して友好的な傾向がみられます。

    中国では 55%が日本という国を「大好き」、「好き」と回答をしている一方、韓国では「大嫌い」、「嫌い」という回答が 64%となっており、「大好き」、「好き」を大きく上回っております。


    面白い状況になっているのは『仁川アジア大会』後、タイ人が嫌韓に転じていることです。アジア大会では韓国の劣悪民族性(最低民度)を暴露しましたからね。

    前回の『仁川小噺(インチョンこばなし) ヽ(・∀・)ノ  2014/10/6(月)』の記事中のタイ人による嫌韓ユーチューブは、今月10月1日公開以来何と286万回の閲覧を記録しています。

    前回記事

    その中で紹介した嫌韓ユーチューブ

    Mafiarecord - โอปป้าจงเจริญ Parody (with Eng/Jpn/Ch sub)

    (↑クリック)

    このタイでの豹変は、欧州の嫌韓と通じるものがありますね。
    (注)グラフの青が好韓度合い。黄土色が嫌韓度合い。(英国BBC2013年)

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    日本人は嫌韓と言われているが、好韓が36%で嫌韓は9%にすぎない。

    という事は、好韓と言われている中国(57%)やフイリピン(50%)、インドネシア(36%)、オーストラリア(35%)での嫌韓が日本の嫌韓9%どころではなく、大半が20%以上だから日本に比較したら各国では日本以上に相当な嫌韓と言える。


    下記のグラフは、欧州の嫌韓度合い。
    各国の約半数の国民が、嫌韓であると明確に答えている。
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    フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、それにブラジルなどは嫌韓国。




    さて、そのタイに関しての肝心な記事は下記の通り。

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    ビザ免除で日本へ行くタイ人観光客数が急上昇=一方、中国・韓国への訪問者は激減  配信日時:2014年4月21日 13時00分 [ ID:368]

    2014年4月19日、タイ旅行代理店協会(以下、TTAA)のスティポン会長によると、タイ人に対するビザ免除の効果もあり、今月日本を訪れたタイ人観光客の数は急増して約20万人に達したという。

     日本を訪れるタイ人観光客の数は、2012年に26万人、2013年に47万人と連続して増えており、日本はタイ人の一番お気に入りの旅行先となっている。(中略)

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    4月に海外旅行したタイ人のうち85%が日本を旅行しており、残り15%が中国、韓国、香港、その他の東南アジア諸国となっている。

     今年最初の3か月ですでに30万人が日本を訪問しており、当初、今年のタイ人訪問者数は70万人を予測していたが、タイの政情が正常になれば、100万人以上が日本を訪れるかもしれない、とTTAAのスティポン氏は語っている。



    「韓国なんていらない」 タイに広がる嫌韓ムード=韓国人の王室侮辱にタイ人は大激怒   配信日時:2014年10月16日 20時28分 [ ID:1117]

    2014年9月に開催された仁川アジア大会のインチキぶりに加えて、韓国の歩道に施行されたタイ国旗。温和なタイ人の怒りは収まらない。

    タイのネット界では、日本人の援護も参入して、さながら日タイ同盟と韓国のバトルの様相を呈している。

     アジア大会以来、タイ人の間では確実に嫌韓ムードが広がっている。しかし、もともとタイ人は韓国人に対して、良い印象は持っていなかった。

    タイ人の間では、韓流ブームで若者を中心に韓流アイドル好きが増えた時期、日本がビザを開放する以前までは、本当は日本に行きたいけどビザを取るのが大変というだけで、韓国へ旅行に行くというものだった。

     そして、アジア大会での傍若無人ぶりに、もともとの嫌いという韓国への印象が以前よりも大きく蘇ってきているようだ。

    タイの2チャンネルとも言えるパンティップドットコムでは、インチキぶりを訴えるタイ人の書き込みと韓国人によるタイ人の悪口としか取れない書き込みに対して、日本人による擁護と応援の書き込みも見られる。

     以下は、その抜粋だ。

    (注)その抜粋記事が多すぎて・・・
    是非、下記URLをクリックして、この記事をご覧下さい。


    タイ国旗を踏みにじる歩道が韓国に=タイ人が大激怒、大使も抗議
    配信日時:2014年10月11日 23時42分 [ ID:1099]
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    2014年10月10日、タイメディアが伝えたところによると、韓国の某所にタイ国旗が描かれた歩道があるのがタイ人旅行者によって発見された。

     そこでは、歩行者がタイ国旗を踏みつける形になっており、国の象徴と誇りを踏みにじられているとして、在韓国タイ大使が設置のいきさつなどを問い合わせているという。

     この地域には在住タイ人も多く住んでおり、これまで問題にならなかったのが不思議だが、塗装は最近施されたように見える。

     おりしも、タイ国内ではアジア大会での韓国のインチキぶりに対する非難が収まっていないが、タイ大使の問い合わせに対して、現地施行責任者は、これはアジア大会より以前に設置されたとしている。

    しかし、設置に際しては在住のタイ人に意見を求めることはしなかったという。(以下省略)


    脱ぐ? 脱がない? タイ式ギリギリガールズが大きな話題に=韓流を駆逐
    配信日時:2014年10月5日 11時52分 [ ID:1071]

    2014年10月1日、タイのインディーズ・レーベルMONOミュージックからデビューした5人組の女性アイドルユニットが大きな話題を呼んでいる。(中略)

    デビュー曲のタイ語のタイトルは「脱ぐ、脱がない」。敬虔な仏教国タイでは、女性の肌を露出した映像は法律的にも制限されている。その中ではかなり過激とも思われるタイトルだ。

     しかし、このユニットが目を引いたのは、際どい歌詞の曲や胸の谷間を強調した出で立ちの他に、一人一人のキャッチコピーに使われた日本語だった。

    「こんにちは。近々お会いしましょう。宜しくお願いします」

     デビュー直前にFacebookにアップされたイメージ写真には、非常に丁寧な日本語が掲載され、在住日本人ファンも急増している。

    10月1日にユーチューブにアップされたコスプレ風のコスチュームMV(http://youtu.be/L_-brZnC0-M)はあっという間に10万ページビューを超え、さらに急上昇を続けている。

    インチキアジア大会でさらに株を落とした韓流の後、美女系ユニットを引き継ぐものとして、タイ式アイドルが赤丸急上昇している。

    (余談)
    【タイ】未だに美しすぎる1965年のミス・ユニバース=年齢は現在67歳
    配信日時:2014年10月22日 9時15分 [ ID:1135]
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    http://www.globalnewsasia.com/article.php?id=1135&&country=2&&p=2

    Thailand Happiness 2014

    タイ国政府観光庁 TAT JAPAN



    (参考)
    タイ人の自国の国旗を踏みにじられて激怒するのは国民として当然ですが、多くの日本国民は日本の国旗を踏みにじられたり焼かれても馬耳東風・・・・・。
    日教組が日本国歌と日本国旗を軍国主義の象徴と教えてきた結果ですね。

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    韓国のある大学では入口に貼られた日章旗を踏んでから授業を受ける。



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    遅くなりましたが、今回の御嶽山噴火で亡くなられた57人と行方不明の6人の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。



    さて、

    江川紹子と軍事ブロガー が、御嶽山への自衛隊投入について、ツイッターで言い争っていましたね。

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    今回の江川紹子(Shoko Egawa)騒動で明らかになったことは、ジャーナリストと称する連中は何と無知でも知ったかぶりで発言しているかですね。

    或は、事実を確認せずに洗脳された左思考回路で発言していると言うことですね。

    ましてや、TVに登場するコメンテーターなどは、例え大学教授と名乗ろうが、ひどいのは芸人に発言させたりですからね。日本の視聴者の大半はTVを信じる・・・。

    以下、江川紹子(Shoko Egawa)のツイッターでのやり取り。

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    (注)スキー場にある物資を運ぶ車両はキャタピラ付きであることは常識。
    ましてや火山灰ですから、普通の車両では用立たず。

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                              つづく



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    今日の更新記事は、先ほどの記事(↓)の続編です。

    先ほどの記事
    『御嶽山噴火で暴露したジャーナリストの実態』



    さて、続編

    今回の江川紹子(Shoko Egawa)騒動で、もう一つ明らかになったことは、左脳は発達しているかもしれないが、右脳が未発達のままであるということですね。

    そして思考回路そのものが単純。だから相手の意見を冷静に聴いて判断するとか客観的思考が出来ないから答えはたった一つで『断言』の発言となる。

    自分と異なる意見、自分の思考の及ばない意見に対しては牙をむく。
    この単純単刀直入が江川紹子の視聴者に好まれる所以でしょうね。



    ツイッターでやりとりは、続きます。


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                     おそまつでした ヽ(´▽`)/



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    2008年、大阪府の教育委員会を「くそ教育委員会」と罵倒した橋下市長は、先日のヘイトスピーチとの対談で、クソガキ振りを披露した。ヽ(´▽`)/

    (在特会とは)
    在日特権を許さない市民の会の略称。在特会(ざいとくかい)。
    在日韓国・朝鮮人が所有しているとされる「在日特権」を無くし、普通の外国人と同等の待遇に戻すことを綱領として設立された団体である。会長は桜井誠。
    例えば福祉給付金や税の減免問題などに関して、在日韓国・朝鮮人が日本国民より有利な待遇を受けているとして、これらも「在日特権」(不当な逆差別)であると非難している


    (ユーチューブ)
    橋下徹vs在特会・桜井誠 【全】10/20


    このユーチューブのコメント欄より一部抜粋。

    kaspellful 成瀬たくみ  
    どっちかつーと橋下の方がガキだな。呼び出しておいて遅刻、謝罪なし。
    椅子に座るもふんぞり返る。桜井側は場面に応じて"貴方、お前、あんた"と使い分けてるけど、橋下は一貫して"お前"。
    ヘイトスピーチの質問には徹底的に答えず。 
    市長としてもゴミ以下だし、何しにこれ開いたんだってレベル

                          ☆


    大阪市役所に批判電話鳴りやまず... 在特会との「罵り合い」で橋下市長イメージダウン J-CASTニュース 10月22日(水)18時35分配信

    大阪市の橋下徹市長と「在日特権を許さない市民の会」(在特会)桜井誠会長との「面談」後、大阪市役所市民局の電話が鳴りっぱなしだ。

    面談中の言葉づかいや態度が「市長にふさわしくない」などとして、批判的な意見が相次ぎ寄せられているという。電話9台で対応するもパンク状態(以下省略)

                            ☆

    在日外国人特権とは  2012/12/24(月)

    在日中国人や韓国・北朝鮮人は、日本に帰化したら損。
    在日外国人は昭和25年からほとんど税金納めていない。

                            ☆

    <大阪市>文楽「補助金」全廃へ 15年度から
    毎日新聞 10月25日(土)12時37分配信
    日本古来の文化、イコール日本を破壊するのが橋下の目的。

                            ☆

    闇の勢力と癒着する維新の会  2013/2/4(月)

    橋下徹の最大のスポンサー(資金源)、パチンコ店経営の「マルハングループ」(マル韓 代表取締役会長 韓昌祐(ハン・チャンウ)と練り上げた大阪湾人工島・夢洲(ゆめしま)でのカジノ構想を実現するために、日本維新の会は、カジノ合法化法案を通常国会に提出予定。無論、カジノを運営するのは「マルハングループ」

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    真っ先に懲戒処分対象は橋下市長  2013/2/14(木)

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    「在特会」ら5人逮捕、打ち上げで対立団体と鉢合わせ…乱闘、2人重軽傷
    産経新聞 10月25日(土)12時41分配信




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    興味深い記事がありましたので、その一部を抜粋し紹介します。

                         ☆

    先ずは、要旨として私見を混じえて。

    中国人民は歴史をせいぜいこの100年間+α分しか知らない。
    それでは古代から現代までの歴史を何から学ぶのか?
    それは日本の著作物からである。
    換言すれば、中国人が誇りに思う『中国史』とは、日本の発明品である。

    他方、中国人は、戦後、世界が絶賛する『武士道精神&大和魂』をアメリカのプロパガンダにより、イコール、軍国主義と揶揄(やゆ)しているが、『武士道精神&大和魂』の根底に流れるのは中国から伝わってきた『儒教』であり、それが日本で独自に開花したものであることを知らない。

    中国人が日本に旅行し、賛美する日本の姿とは、『武士道精神&大和魂』(=儒教)が俗世間に根付いたものであることに気がついていない。

    中国人が日本に旅行し、日本を賞賛する際の心の中にあるのは、母国(中国)の現状との比較からである。或は、中国政府の言う悪辣日本と現実の素晴らしい日本との大きな乖離(かいり)の啓蒙である。


    (注)儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。

              ◆       ◆       ◆

    以下、本文

    中国・訪日ブームの陰で気づいた対日認識の根本的な欠陥 
    「知日」不足に悩む中国  2014年09月18日(Thu) 
    平野 聡 (東京大学大学院法学政治学研究科准教授)


    (抜粋1)
    中共の反日愛国宣伝は現実の日本と合致しない・・・・(中略)、
    彼ら(中国人旅行者)の日本に対する絶賛は、ことによると「中国こそ世界で最も親日なのではないか」と思わせるほどである

    筆者が見聞した範囲でも、彼らは深呼吸できる清潔な空気と青空を絶賛し、顧客至上のサービスに感動し、何事も平穏に秩序立っているさまに新鮮なショックを受ける。

     彼らは一応日本に到着するまでは、中国で反日暴動が吹き荒れたのと同じく、日本でも中国人であるがゆえに同じ被害を受けるのではないかと心配する。

    しかし実際にはそのようなことはないため、安心しきって日本を楽しみ、その見聞がブログや微博(ミニブログ)で事細かに語られる。

                          ☆

    (参考)私のブログ記事
    中国人民の心の微妙な変化  2014/4/17(木) 
    (参考)「涙で写真が見えない!」「日本人には1000年たっても追いつけない!」=中国ユーザーが感動した日本の施設とは  2014年10月26日 18時9分
    http://www.recordchina.co.jp/a96349.html  レコード・チャイナ 
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                              ☆

    そこで「ならば自分も、実際の日本はどうなのか。共産党のいう通りなのか見てみたい」という好奇心が加速度的に沸き起こり、日本旅行ブームが吹き荒れつつあると解釈できる(中国に限らず、急激な訪日客増加とネットの普及は切っても切り離せないだろう)。

    (抜粋2)
    去る9月11日、中国のメディアは尖閣国有化2周年を大々的に伝えることはしなかったどころか、共産主義青年団の機関紙『中国青年報』が「日本をより多く知ることは悪くない」と題する論説を掲載しサイト内アクセス数1位を記録するほど注目を集めた。
    (注)この大反響を呼んだ論説原文は、この記事の後半に掲載しております。

    曰く、両国間の緊張関係を緩和するためにもまずは日本を研究し理解しなければならず、それは歴史の原則を捨てて日本に媚びることではなく、歴史を知るにも怨みを以てするべきではない、という。約1週間後に満洲事変記念日(中国から見れば国恥記念日)を控えているタイミングとしても思い切ったものでもあろう。

    (抜粋3)
    「言論NPO」が先日明らかにした、中国に好感を持たない日本国民の割合が93%に達したという調査結果は、「正しい中国、反省する日本」という論理によって中国が利益を受ける図式が完全に終わったことを意味する。

    これこそ、戦後約70年という歴史的段階から別の歴史的段階へと移行しつつあることの表れではなかろうか。

                         ☆

    講談社『中国の歴史』が中国で大ヒット 
    日中のソフトパワーに圧倒的な差

                           ◆

    (抜粋1)
    日本を「中国の映し鏡」ではなく他者としてとらえるべきと気づき始めた一部の中国人のあいだでは、一歩踏み込んで日本研究・日本認識の一新を求める動きもある。


    (抜粋2)
    「日本は中国の期待通りには動かない」

    去る7月に発表されたこのエッセイは大反響を呼び、さっそく上海で姜氏や他の知日派「大家」執筆陣を招いた公開サロンが開催され、極めて熱い討論が展開された(http://dajia.qq.com/blog/453611123475668)。筆者(平野)のみるところ、パネラーの一人・劉檸氏の意見が光っていたので紹介したい

                          ☆
    下記は、その劉檸氏の意見

    你所知道的日本是否是这样的   大家 9月4日13:57

    宫崎峻的最新作品《风起了》就引起了激烈的争论,片中他宣扬了一个很暴力的机器,就是零式战机,但这个零式战机在宫崎峻的眼里又是很美丽的。
    (以下中国語原文は省略)

    あなたは、日本はそのようであると知っていますか

     例えば、宮崎駿氏のアニメ映画『風立ちぬ』は、中国において「尊敬するアニメの神様が何故、軍国主義の象徴=零戦を賛美する映画をつくったのか」という巨大な当惑を引き起こしたという。

    これについて劉氏は「例えば宮崎監督の場合は飛行機というモノへの思慕が第一日本は知れば知るほど、自分から遠ざかって行くように見える

    そもそも中国人が自分の期待によって日本を捉えようとしても、日本はその通りではないし、期待通りには動かないことをふまえる必要がある」と指摘する。

     そして「中国人が日本を賛美、あるいは罵倒する際、実際には心の中で中国を語っていることに気づかなければならない

    だからこそ日本を語るときに平常心を失ってしまうのだ」と喝破する

    。むしろ日本という他者を冷静に、多面的にとらえるべきであり、中国はこのような視線を獲得してはじめて、日本との関係における歴史的な悲劇・トラウマから脱することが出来る、と説く。

                            ☆

    (抜粋3)
    しかし、日清戦争=甲午戦争で日本に敗北を喫したのみならず、欧米日の圧迫の中で「天下」の帝国であることを止め、近代主権国家「中国」として生きて行かなくなければならなくなったとき、「天下の歴史」「皇帝・王朝の歴史」ではない「中国の歴史」を国民に知らしめナショナリズムを創出するためには、日本で歴史上蓄積された「中国史」を直輸入しなければならなかった(梁啓超『中国史叙論』)。

    したがって、いま中国が称揚する「中国史」とは、日本人が発明したものである

     これだけでも、実は日中両国のソフトパワーは圧倒的に差があることが分かる。これもまた、中国人が日本を知れば知るほど抱くジレンマのもう一つの正体である。

     今春、講談社100周年記念出版『中国の歴史』(2004〜2005年に全12巻が発売された) の中国語版が刊行され日本では各1・5万部程度であったものが中国で10万セット売れたという「事件」が起こった。

    (注)『中国の歴史』全12巻のうち、中国語版は1巻~10巻まで。
    10万セットが売れたという事は、何と100万部売れたということである。

    (抜粋4)
    とりわけ講談社は『中国の歴史』出版に際し、個々の巻を担当する研究者が自らの研究の視角や妙味を自由闊達に語ることを推奨した。

    その結果『中国の歴史』は、中国文明において伝統的な「中原中心史観」ではなく、北方・西方・海域との多様な交錯を通じてダイナミックに歴史が動き、多様で魅力ある文化が生起したことを明快に示した。

     中国の読者が講談社『中国の歴史』に驚き、大いに歓迎して熱烈に読みふけったのはまさに中国における諸制約とは関係なく説得力ある論旨が展開されそれによって中国人自身が中国の歴史により広い視野を持ちうるようになったからである

    (抜粋5)
    中国の代表的日本論といえば、清末の外交官・黄遵憲の『日本国志』や、蒋介石の右腕として活躍した国民党の大幹部・戴季陶の『日本論』しかなく、これらはいずれも彼らの任務上の関心に基づいて書かれたという限界がある。

     そして戦中戦後の日本については、主にルース・ベネディクトの『菊と刀』に依拠するのが習わしのようである。

    しかしこれとて日本の敗戦直後、米国・西洋からみて理解しがたい日本人の行動様式を在米日本人への聞き取りなどから定型化したものに過ぎず必ずしも内在的な日本理解とはいえない。

     こうなってしまったのは先述の通り、そもそも中国の日本認識史自体が極めて浅いこと (せいぜい100年+α)、ならびにその短い歴史も政治の荒波に翻弄され、腰を落ち着けて等身大の日本を観察する機会を欠いてきたことによる。

    (抜粋6)
    日本は現在の中国認識に漫然とするべきではない

     総じて長年来、日本は中国についていろいろ知っているこれに対し中国は、「日本の軍国主義」については何でも知っているつもりであったが実は何も知らないに等しかった。

    歴史といい現実といい、相手を説明する知識や能力が著しく低ければ、ハードパワー以前にソフトパワーで敗北している。しかもその日本は依然として「集団主義」であり「軍国主義復活中」に見える。それは恐ろしいことである以上、何としてもこの差を埋めなければならない。

    (抜粋7)
    しかもその可能性は、「新しい中国人」が大量に海外留学し、貪欲に知識や知見を吸収していることからして明らかである。

    日本への認識についても、激増した在日中国人は彼らなりに日本を知ろうと懸命であり、その成果はネットや書物を通じて中国国内に流布しはじめている。



    (注)
    今日、二回目の更新記事

    日韓併合時代に感謝する韓国教授




    (参考)

    サイトアクセス数No.1
    共産主義青年団の機関紙『中国青年報』の論評掲載記事

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    以下は、記事の原文と訳文。

    但し、訳文は自動翻訳サイト(excite)で訳されたもので読解困難ですが、言わんとすることは把握可能と思います。


    多了解一些日本不是坏事      2014年09月11日 星期四

    多くいくつか日本を理解するのは悪い事ではありません

    自日本单方面国有购钓鱼岛始,中日关系滑入冰点。加上近十年,中日两国经济发展的变化和历史等原因,造成两国人民彼此之间的隔膜和不信任。解决当下紧张的中日关系,显然需要决策者的智慧和决断。从百姓层面来看,加两国民众的了解,对于缓和与改善两国的紧张关系,也大有裨益。

     日本が一方的に釣魚島(尖閣諸島)を買って国有化から始まって、中日関係は氷点に陥ります。ここ10年足して、中日両国の経済発展の変化と歴史は原因を待って、互いに信任しない両国の国民の間に隔たりをもたらします。

    緊張する中日関係を直ぐに解決するのには、明らかに決定者の知恵と決断(力)が必要です。庶民の方面から見に来て、両国の民衆の理解を増加して、緩和がと両国の緊迫した関係を改善するについて、同じく利益があります。

    自中日1972年建交至21世纪初,中日两国基本保持着友好关系。2008年12月,中日韩还在日本的福冈签订了《三国伙伴关系联合声明》,《声明》说:“我们对三国在进政治互信、加强经贸往来、促进社会与文化交流、扩大财金合作等方面取得的成果感到满意”,而且“我们承诺,在上述成果基础上进一步推进三国合作”。中日两国关系紧张,当然是日本一方挑起的,但作为另一方,中国国内民族主义思朝的兴起也需要反思。其间,一些人对日本历史、文化以及日本的文明方式的不了解,也是诱因之一。


    中日の1972年の国交樹立から21世紀初めに至って、中日両国は基本的に友好関係を維持しています。

    2008年12月、中日韓はまた(まだ)日本の福岡で《三国のパートナー関係の共同声明》を締結して、《声明》では述べています:“私達が三国の政治を増進して経済と貿易の付き合いを互いに信じて強化する、社会と文化交流を促進する、財政金融を拡大して協力する方面で得る成果に対して満足する”、その上“私達は承諾して、上述の成果の基礎とし1歩向上して三国が協力するのを進めます”。

    中日の両国関係は緊張して、もちろん日本の一地方が引き起こしたので、しかし別の一地方として、中国国内のナショナリズムの思朝のは興っても再考が必要です。

    その間、いくつかの人は日本の歴史、文化と日本の文明的な方法の理解しないのに対して、誘因の中の一つです。


    就拿中国人痛恨的“武士道”一词来说,它就需要我们加深了解。因为众所周知,自1894年的黄海之战到1931年的九一八事变,再到1937年的卢沟桥事变,中国人民在日本侵略者的侵略下,饱受欺凌和杀戮,“武士道”如幽灵噩梦般缠绕着中国人。可以说,“武士道”一度成了日本侵略者嗜血成性的代名词。但是,在110多年前新渡户稻造所著的《武士道》一书里却写道,“武士道,如同它的象征樱花一样,是日本土地上固有的花朵。它并不是保存在我国历史的植物标本集里面的已干枯了古代美的标本。它现在仍然是我们中间的力量与美的活生生的对象。”

    中国人の痛恨する“武士道”の1語を持ちにとって、それは私達が理解に深まりが必要です。

    みんなに知れ渡っているため、1894年の黄海の戦いから1931年まで九一八事変、また1937年まで盧溝橋事変、中国人民の日本の侵略者での侵略のもとで、ひどく受けていじめ侮って殺戮して、もし“武士道”は幽霊の悪夢の類は中国人に巻き付いている。

    言うことができて、“武士道”は1度日本の侵略者になって血を見たがりました癖になる代名詞。

    しかし、110数年前新しくひとつの戸のイネを渡って書いた《武士道》の1本をつくった中に書いて、“武士道、そのシンボルの桜のように、日本土地の上で固有の花です。

    それは別に我が国で歴史の植物標本が集まる中のすでにかさかさになった古代の美徳の標本を保存しありません。それは今依然として私達の中間の力と美しい生き生きとしている対象です。”

    可见,“武士道”一词在中国词典里是日本人“罪衍”的标识,在日本词典里则是美的化身。新渡户稻造认为“武士道”渊源有三:一是从中国传入的佛教,一是孔孟之道,一是日本自身发展起来的神道。而在这三者中,孔孟之道是“武士道”的主要渊源。也就是说,“武士道”的渊源来自中华文化和中华文明。那么,对于“武士道”,中国人的理解为什么与日本人有这么大的差别呢?

    明らかに、“武士道”の1語は中国の辞書の中で日本人の“罪が広がる”のマークで、日本の辞書の中で美徳の化身です。

    新しくひとつの戸のイネを渡ってつくる“武士道”の源が3あると思います:中国から入って来た仏教と、儒学の思想と、日本自身の発展した墓道と。

    この7割引の中で、儒学の思想は“武士道”の主要な源です。つまり、“武士道”の源は中華の文化と中華文明から来ました。

    それでは、“武士道”について、中国人の理解はどうして日本人のこんなに大きい違いとですか?

     原因当然不在中国,而在日本。明治维新后的两次战争,改变了亚洲的政治和地缘格局且影响深远。一次是1894年的中日战争,一次是1904年的日俄战争。两次都在中国领海和领土上进行,而两次争都以日本大胜为结局,这让日本发现自己成了世界大国,同时也让其在20纪上半叶变得骄横和肆无忌惮。其后,1931年9月18日,入侵东三省;1937年7月7日,发动全面入侵中国的战争;1941年12月7日,偷袭珍珠港,发动太平洋战争……日本在军国主义的旗帜和“武士道”精神下越走越远,穷兵黩武,侵略扩张,背离人类的和平。本来和平宪法让日本在战后高速发展了60年,但当历史步入21世纪后,2003年日本国会却通过了“有事三法案”——《应对武力攻击事态法案》、《自卫队法修改案》和《安全保障会议设置法修改案》,2013年12月国会通过新《自卫队法》和新《防卫计划大纲》修改“和平宪法”,走向军国主义。这些,显然与新渡户稻造110多年前赞美的“武士道”精神,完全没有了关系。

     原因はもちろん中国で、日本にあります。明治の維新の後の2度の戦争、アジアの政治と地縁の構造を変えてしかも影響がはかり知れません。

    一回は1894年の中日の戦争で、一回は1904年の日露戦争です。2度はすべて中国領海と領土の上で行って、2度は争ってすべて日本が快勝するのを結末にして、これは日本に自分が世界の大国になったを発見させて、同時にそれを20紀の上で半分葉がとに横暴になってしたい放題をさせる。

    その後、1931年9月の18日、入侵東北3省;1937年7月7日、全面的に中国に侵入する戦争を始めます;

    1941年12月7日、パールハーバーを奇襲して、太平洋の戦争を始めます……日本は軍国主義の旗幟と“武士道”の精神の下で行けば行くほど遠くなって、好戦的で、侵略は拡張して、人類の平和に背離します。

    本来の平和憲法は日本に戦後に60年急速に発展させられて、しかし歴史が歩み入った21世紀以降の時に、2003年に日本の国会は“用事(事件)がある3法案”を採択しました――

    《武力に受け答えして事態の法案を攻撃する》、
    《自衛隊法が案を改正する》と
    《安全な保障の会議設置法が案を改正する》、

    2013年12月に国会は新しい《自衛隊法》と新しい《防衛する計画の大綱》を通じて(通って)“平和憲法”を改正して、軍国主義に向かいます。

    これら、明らかに新しくひとつの戸のイネを渡りと110数年前賛美する“武士道”の精神をつくって、全く関係になくなりました。

     除此之外,日本为推翻满清建立亚洲第一个共和国所“培养”的人才,日本近现代的文学艺术对于中国的新文化运动的影响,日本当代文学艺术对于中国文学艺术的影响,特别是日本的科技与现代管理方式对中国改革开放的影响等,都需要我们有全面的了解。在此基础上,才能更透彻地分析和评判中日关系。

        多读一点关于日本的书,不是媚日,而是为了加对日本的了解。多读一点关于日本的书,不是放下原则,而是在对日事务里多一些理性。重要的是:记住历史,但不要记住仇恨。从国民层面来说,极积修复两国民众的关系,对于中日两国,对于亚太地区,以至对于世界来说,都应是和平的福音。

     その外、日本はご破算になるために清朝アジア第一個共和国所の“育成”の人材を創立して、日本の近現代の文学の芸術は中国の新文化運動の影響について、日本の現代文学の芸術は中国の文学の芸術の影響について、特に日本の科学技術と近代的な管理方式は中国の改革開放の影響などに対して、すべて私達が全面的な理解がありが必要です。

    この基礎の上で、更にはっきりしていようやく中日関係を分析して判定することができます。

        多く日本の本に関して1時(点)を読んで、増加の日本に対する理解ために美しい日、ではありません。

    多く日本の本に関して1時(点)を読んで、原則をおろすのではなくて、日の事務に対して中で理性的に少し多いです。重要での:歴史をしっかり覚えて、しかし憎しみをしっかり覚えないでください。

    国民の方面から言って、きわめて両国の民衆の関係を修復するのを積んで、中日両国について、アジア・太平洋地域について、そのために世界にとって、すべて平和な福音のはず。

    (原文URL)




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    戦後の愚民化政策のGHQにより作られた日教組の指導で、自虐史観教育を受けた団塊の世代以降の日本国民は、事実を知らないし、知ろうともしない。

    60歳代の大半がネットとは無関係で、無論キーボードも叩けず、反日プロパガンダの新聞とテレビに釘付け。大半の人は朝から晩までテレビを観ているとの由。

    さて、今、改めて事実を話す韓国の教授と中国ブログを掲載します。
    反日のプロパガンダに洗脳された人々にとっては信じられないことですが。



    「日本に感謝しています」~韓国人大学教授が語る日本統治時代の真実
    【重要証言】
    (注)↑このユーチューブの画像が現れない場合は、上記URLをクリック



    2014/10/14 に公開
    THE FACTインタビュー

    国を挙げて反日を続ける韓国。
    韓国では日本統治時代を肯定することはタブーとされています。
    そんな中、韓国の大学教授に「日本統治時代の真実」を聞きました。

                            ☆
    (要約)
    もしも日本が韓国を併合しなかったら、ロシアが朝鮮半島に侵入し支配する。
    朝鮮半島人は、厳寒のシベリアに移住させられ、そのあとの朝鮮半島にはロシア人が定住する。つまり、もしも日本が併合しなかったら今の韓国は存在しなかった。

    併合した後の日本人と朝鮮半島人とは平等で人種差別はなかった。
    当時の日本人の教員は、熱意をもって朝鮮半島人を教育した。

    具体的例
    今でも同窓会を開き、当時をなつかしんでいる。 「教育がもっと優れていました。先生は日本人で、ものすごく真面目に教えてくれました。

    今でも同窓会をしています。 みんな日本統治時代をなつかしがっています。それが日本統治時代の事実なんです」 

    (全文)



    【中国ブログ】日本人の満州統治時代は「治安が最良だった時代」
        2014-10-16 12:02

    イメージ 1


    中国人の多くは歴史問題などを理由に日本に対して複雑な感情を抱いているとされる。

    中国人ブロガーの梁宝民さんも自らのブログで「日本人に接触した経験はない」としながらも、中国人であればすべての人が日本人に対して「骨の髄まで」刻まれた「感情」があると綴っている。

    筆者は、明治維新以降に起きた日中間の争いの数々を挙げたうえで、「日本は恨むべき国であり、日本人は凶悪かつ残忍」という印象は大多数の中国人に共通するものとの見方を示した。


     一方で、60代の男性と見られる筆者は

    「父親の世代から聞いた話」として、日本人が満州国で軍事や警察を含む行政の多くの部分を担当していた時代では「中国社会の治安が歴史上でもっとも良かった時代」と主張。

    中国では抗日ドラマや伝承の影響で、「バカ野郎」という日本語が「罵る言葉」であることを知っている中国人は多いが、筆者は「日本の統治時代ではバカ野郎という言葉は別に中国人だけを罵る言葉ではなかった」と紹介、子どもたちも普通に使っていた言葉だったらしいと紹介した。

    また、当時の学校は日本人の子どもも中国人の子どもも分け隔てなく教育を受けていたとし、日本人の子どもと中国人の子どもが喧嘩をしても抗日などといった政治問題に発展することもなかったらしいと紹介した。

     さらに筆者の父親は当時、満州で学校に通っていたと紹介する一方で、「日本人の教師たちは真面目で辛抱強く人に教えるという、まさに“教師の鏡”と言える人びとだったらしい」と綴った。

     続けて筆者は、中国で改革開放が行われるとさまざまな理由で日本を訪れる中国人が増えたとしながらも、「日本人と接触した中国人のうち、日本に対して悪い印象を持ったという人はほとんどいない」と指摘し、日本人を含め、世界の大多数の人びとは「善良な存在なのではないか」と主張。

     日本人に対して「骨の髄まで」刻まれた複雑な感情があると主張し、日本人とは直接の接触はないと綴った筆者だが、日本人に対しての複雑な感情が変化しつつある様子が伺えた。(編集担当:畠山栄)(イメージ写真提供:123RF)



    (今日1回目の更新記事)
    中国人民の日本旅行の価値





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    在特会の主張は筋が通っていた。

    クソガキ市長が、例の在特会桜井会長との会談で、いかんなくそのクソガキ振りを発揮したから大阪市民や府民から大ブーイング。

    このままでは来年の統一選挙で維新の党は大阪から消えるリスクが出てきた。そこでこのクソガキ市長は、一歩譲歩し、批判の矛先をかわそうとした。

    (参考)私のブログ記事
    クソガキ市長  ヽ(´▽`)/ 2014/10/26(日



    橋下徹 「在日の特別永住者制度を見直す」 これでヘイトスピーチも差別もなくなる? 2014/10/22

     在日韓国・朝鮮人らの特別永住者制度について、維新の党共同代表で大阪市長の橋下徹氏が、見直して一般永住者制度への一本化を目指す考えを示した。特別扱いしなくなれば、ヘイトスピーチも差別もなくなるのではないかというのだ。

       「在日特権を許さない市民の会」会長との罵り合いになった面談で、橋下徹氏は、「文句があるなら、国会議員に言え」との発言を繰り返した。その国会議員を抱える政党代表を意識してか、橋下氏は、面談翌日の2014年10月21日、在特会の主張を受けたかのような発言をした。(以下省略)


    (コメント欄より抜粋)

    011
    ぷーさん 2014/10/22 22:58
    橋下は、在特会会長に対してヘイトスピーチをしていたなw
    橋下完敗で、結局在特会の政策を採用したというわけだ。

    044
    原因をしっかり報道せよ 2014/10/23 12:35
    大メディアは「ヘイトスピーチ、ヘイトスピーチ」と壊れたスピーカーのように連呼しているが、在特会の発生理由には極力触れないようにばかりしている。

    パチンコ違法賭博問題、在日韓国人の異常に高い生活保護受給率、地方自治体での不当な住民税減額、通名口座、簡単すぎた通名変更、NHKや朝日新聞をはじめとするメディアの異常反日報道、など挙げれば次々と出てくる。

    こういった根本的な問題から目を逸らし、表面的にヘイトスピーチを規制しろ、などと叫び続ければ真実が軽視される歪んだ言論空間に益々なっていくばかりだ。

    在特会の表現がヘイトだというならこれまで巨大メディアや反日韓国人の行ってきた偏向報道、反日活動などヘイトスピーチどころかヘイトクライムだろう。

    しかし流れは変わった。これからはいくら反日巨大メディアや偏向組織が真実をごまかし続けても、人々の反日メディア糾弾、反韓反中の流れを止めることはできまい。



    (注)今年7月の調査では、韓国に対して悪い印象を持つ日本人が前年比17.1ポイント増の54.4%に急上昇。

                         ☆

    ● 在特会の桜井会長の主張


    【在特会・桜井誠】嫌韓世論にビビり始めた韓国メディアが「韓日友好」をごり押し!【お断り!】

    (※)説得力がある。



    ● 朝鮮人の日本人交渉術
    (注)日本人は、この朝鮮人の戦略を知っていながら、何度も騙されるお人好し。

    またまた韓国人の本音  2013/7/10(水)

    明治7年4月、日朝交渉をしていた日本側代表は、『朝鮮人が日本人をあつかうの6ヶ条の秘訣』なるものを入手している。(アジ歴資料「公文別録」の「朝鮮始末(三)」p91)

    曾テ韓人 我ヲ待ニ 六條ノ秘訣アリト聞ケリ 偶 住永友輔 左ノ文ヲ得テ出セリ 果シテ 其 聞所ノモノナラン

    朝鮮人待日本人六條
    一 遜辭  屈己接人辞氣温恭
    一 哀乞  勢窮情迫望人見憐
    一 怨言  失志慷慨激出怒膓
    一 恐喝  将加威脅先試嚇動
    一 閃弄  乗時幸會翻用機関
    一 変幻  情態無常眩惑難測

    右元禄年

                            ☆
    上記の訳文

    朝鮮人の対日本人交渉術秘訣6ヶ条

    一 謙遜する  自分を低くして接し言葉遣いも雰囲気もうやうや
              しくおだやかにする。

    一 哀れみを乞う  困りきったような情をあらわし憐憫で見られ
              るようにする。

    一 怨みを言う  精神を失ったかのように憤ってはらわたから
               激しい怒りを出す。

    一 恐喝  まさに威圧し脅しをかけておそれさせる。

    一 閃くように弄する  あらゆる機会を用い時に乗じて翻弄する

    一 変幻  同じ態度をせず眩惑し推し量ることを難しくする。




    ● 諭吉の言葉を改めて噛み締めよ  2012/12/5(水)

    下記は福沢諭吉に脱亜論の一部を抜粋したものである。
    既に明治18年、中国・朝鮮とは断絶せよと言っている諭吉の提言を改めて噛み締めるべきである。

                         ☆

    亜細亜の日本にとって、不幸なのは、中国と朝鮮の存在である。
    同じ亜細亜の政教風俗を元とするも日本とは全く異なる。
     
    この二国は似ていて、根は儒教主義・仁義礼智と称するも全て外見のみ。
    事実は、真理原則の知見が無いのみか、道徳さえも無く、思いやりなく潔く恥を知ることもない。
     
    これは全く反省の無い者と同じである。

    まともな国の体をなしていない無法律の国と疑われ、科学を知らない支那と朝鮮をまともに相手にしていたら、西洋から我が国も同類と看做される。
     
    拠って、これら悪しき二国との付き合いは拒絶する。




    ● 中国人の朝鮮人(韓国人)の扱い方

    「馬鹿に情けをかけてはいけません。」

    日本人は韓国人に対し、優しすぎます。 それは日本の為に良くないことです。 そして、韓国の為にも良くないです。

    日本在住の中国人に話を聞きました・・・・・・・・・・・・。

                          ☆ 

    韓国人は、「優しい」と「弱い」の区別が出来ません。 また、「強いと」と「悪い」と「正義」の区別も出来ないのです。 韓国人と付き合うのはとても厄介です。

    中国人も韓国人とは関わりたくありません。 しかし、我慢して付き合わなくてはいけない状況です。

    韓国人は「対等」と言う概念を知りません。 韓国人社会は個人同士、どちらが優位な位置に居るか? それが、最重要な関心事です。 個人主義の中国人から見ても、異常性を感じる社会です。

    このような社会で生きる韓国人は、他人に対する思いやりや慈愛の精神は皆無です。 したがって、日本人が普遍的に持っている「平等感」や「対等」と言う気持ちや態度は、韓国人は敗者の態度に見えてしまいます。

    中国人は韓国人の軽薄な精神性をよく理解してますが、日本人は韓国人をあまり理解していません。

    日本人は韓国人が「まともな人間」だと思い、対応しているので、問題が発生するのです。

    中国人から日本人に忠告します。
    「韓国人は犬だと思って付き合いなさい」。 それが韓国人のためでもあります。 

    謝ってはいけません。
    筋の通らない理屈を言ったら、100倍制裁をしなさい。

    感謝の気持ちは、王が家来に褒美を与える様に接しなさい。
    正論や理屈は意味がありません。強制と命令で動かしなさい。

    裏切りにたいして、温情は絶対にいけません。
    実行できない無理な命令を出して、出来ない事を責め続けなさい。

    はい・・・・・・・・・・・・・・・・そうですか・・・・・・・・・・・・・・・・
    たしかに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    ● アメリカ軍による朝鮮人の扱い方マニュアル


    1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。 
    2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。 
    3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。こちらが上と言うことを身体で解らせろ。

    (注:「犬のように扱え」は中国人と共通アドバイスだけど
    犬に失礼のような気がしないでもない・・・。彼らは裏切らない、嘘はつかない、
    恩義は知る、忠誠心がある。レイプなどしない)

    4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。 
    5.身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、後で身辺には気をつけて行動しろ。 但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。 
    6.相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。重要な仕事は任せるな。




    ● 旧ソ連による朝鮮人の扱い方マニュアル

       【 旧ソ連共産党による朝鮮の扱い方 】 

    1、頭痛の種になるだけだから関わるな 
    2、手段を選ばぬキチガイ揃いだから関わるな 
    3、関わるとこっちが痛い目に遭うから関わるな 
    4、関わってきたらウォッカ飲んで忘れようぜ 



    ● 「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達」(非公式)

    一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。 

    一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至 るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。 

    一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。 

    一、朝鮮人には裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。 

    一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意 せよ。 

    一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。
    公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。 

    一、朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。 

    一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。 

    一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。 

    一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。 

    一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、
    恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。 

    一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。 

    一、朝・鮮・人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。 

    一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 

    一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。
    証拠を挙げ大音声で論破し沈黙せしめよ。 

    一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。
    仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。



    (余談)

    異常な韓国人!!こんな奴らと日本は、係わるのはもうやめよう。 1



    アメリカが韓国を馬鹿にしたCMを放映(ユーチューブ)


    日韓世論調査:対韓感情急速に悪化 対日も依然高く
    毎日 2014.07.11

     日本の非営利団体「言論NPO」と韓国のシンクタンク「東アジア研究院」が10日発表した日韓関係に関する共同世論調査で、韓国に対して悪い印象を持つ日本人が前年比17.1ポイント増の54.4%に上り、対韓感情が急速に悪化していることが分かった。

    韓国で日本に悪い印象を持っているのは70.9%で、前年より5.7ポイント減ったが依然として高かった。(以下省略)
    http://mainichi.jp/select/news/20140711k0000m030027000c.html?inb=tw



    (参考・引用)
    「朝鮮人の扱い方」 各国マニュアル

    韓国・奴隷のいた国 凶暴なる依存心と便乗侵略



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    今回、阪神淡路大震災で、どこのメディアも報道しなかったことを彼が密かに教えてくれました。

    1995年のことですから3ヶ月後で満20年。20年目の告白ですね。



    前回の私のブログ記事。

    神戸あれこれ  2014/10/12(日)
    ある妻の行状から  2014/10/14(火) 



    前ページ「ある妻の行状から」の続編
    (※)長州藩や薩摩藩についての会話内容は後日書きます。

                          ☆

    長州藩や薩摩藩についての私の説明が終わってからの彼の言葉。

    彼 「水無瀬さんは在日や部落が嫌いなんですね」
    私 「僕の会話からはそう聞こえるかもしれないけど、そうではないんだよ

    彼 「そういわれても・・・。」
    私 「朝鮮人と始めて出会ったのが中学三年のクラスで、男女二名いたけど普通に会話していたよ。但し、男の子の方は大人しすぎていたけど。」

    更に私 「高校での親友は、在日だよ。苗字はM。自宅にもよく遊びに行ったし、僕が高校を卒業し、京都の大学に入った時にお世話になったのが、Mの兄貴の京大大学院生だったし、僕が京都から東京に行ったら宿泊する場所は、Mが帰郷や旅行で不在のMの部屋だったよ。」

    彼 「部落は?」
    私 「僕が22歳前後かな? 僕の友達の鈴木(仮称)君は、京都の屠殺場勤務で牛の殺し役だったよ。連中がバーベキューをやるっていうんで鈴木君と牛の頭一つを貰いに屠殺場の門まで行ったけど、さすが、牛は殺される前に予期して寂しげに鳴くという話を聞いて引き返したよ。」

                       ☆

    (参考)私の履歴書
    No.75 バーベキューは牛の頭一つで!  2008/5/19(月) 
    No.76 当時の究極の味・ホルモン焼き屋  2008/5/21(水) 

                       ☆

    彼 「水無瀬さんは面白い人達と付き合っていたんですね。」
    私 「基本的には差別とか区別とか蔑視とかはしないからね。無論学歴でも。飛び切りそれを表したのが全国指名手配犯が僕のお友達。」

                       ☆
    (参考)私の履歴書No.82 
    警官のピストルの弾が耳元をかすめる 《ある告白》  2008/6/22(日) 
    実は、五条楽園生れの彼は全国指名手配の強盗犯だったのです。

                       ☆

    彼 「僕の子供たちを見てどう思います?」
    私 「神戸なら普通じゃないの?」
    (注)彼の今は亡き父親は、刺青だらけのヤクザ。

    彼 「それじゃ何故朝鮮人のことをよく言わないの?」
    私 「話せば長くなるけど、簡単に言うと、日韓併合前から、アメリカの手先となって日本を半島から追い出そうとしたし、今も日本国内で日本潰しで動いている。」

    彼 「何故アメリカは朝鮮人を使うの?」
    私 「先ほど言ったように、ヘーゲル哲学であり漁夫の利狙いだね。直接手を出さないで金で雇った連中に、標的とする国や軍隊を襲わせる。蒋介石との支那事変もそうかな。今では、中東のテロの連中大半は、アメリカやフランス、イギリスから資金や武器援助を受けてその国の転覆を謀っている。今の韓国のパククネ(朴槿惠)大統領も例外なくアメリカのCIAの指示で狂ったように動いている。」

    彼 「あれは異常ですね」
    私 「例えば韓国の成人の50%弱は精神異常者の分類に入る。男子の半分は前科持ち。これは韓国紙に書いてあるからタブレットで確認してごらん。」

    彼 「どうしてそうなったのですか?」
    私 「日本の場合、中国から伝わった儒教の内、国家繁栄に必要な項目だけ選んで寺子屋で教えた。韓国の場合は、同じ儒教でも、一族のみが生き延びるための項目だけを伝えたと言った方が適切かな?だから盗みや嘘や騙しは正義と教えた。」

    続いて私 「他方、朝鮮は、中国の王朝が度々変わるにしても、凡そ700年間は中国の属国であったから、朝鮮民族は強いたげられ続けたことにより日本人には到底理解不能な恨みよりも根深い『ハン(恨)』の根性が脳幹にまで焼き付いた。これもタブレットで『朝鮮・ハン』を検索してごらん。」

    彼 「そうなんですか」
    私 「それにもう一つ。朝鮮半島人の精神異常についてだが、韓国紙でも述べているが脳に欠陥があり、それが遺伝されているということだ。700年も抑圧され、人間の尻尾のように脳が萎縮した結果なのか、それとも空腹を満たす為の激辛トウガラシを代々食べ続け、脳をやられた結果なのか、それとも、キムチなどに糞を入れる文化で代々サナダムシに脳をやられ続けた結果なのか、或は、同族・血縁結婚の繰り返しの結果なのかは分からないけど」

    彼 「そういう人に出会ったことはないね」
    私 「僕の高校時代の親友のM君の両親は日韓併合時代朝鮮半島から職を求めて渡ってきたのだよ。だから両親共に日本語があまり上手ではない。
    M君の家ではダイニングの食卓に案内される。これは普通のことだが。
    そこでM君の両親と話をするのだが、母親が突然泡を吹いてわめき出す。こうなったら誰も止められない。M君は、大声で叫ぶ母親を引っ張って別室に連れていく。
    何もこれは一度だけではない。行く都度、泡を吹く。」

    彼 「すごい体験でしたね」
    私 「あの症状は火病(かびょう)と言って、朝鮮民族特有のものなんだ。そういうことや何かが起こるという前提で付き合っているよ。日本の役所なんかは朝鮮半島人のこの火病に出くわしたら慌てふためき、その場を治めようと言いなりになる。」

    イメージ 1


    彼 「そういうことでしたか。それでよく分かりました。
    阪神大震災の時のあの出来事を何故皆が隠しているかを。」
    私 「阪神大震災のときに、報道されていない何かがあったのかい?」

    彼 「あの時、火災が起きましたね。」
    私 「TVで観ていましたよ。煙が何本も天まで上がったのを。」

    彼 「実はあの時、自宅は大丈夫でしたが煙が上がって火事だと分かり、消そうと思い近所の者と現場に走ったのです。そしたら同じように駆けつけた消防署員や街の人を消火活動をさせまいとピケを張ったあるグループがいたのです。」
    私 「そ、そんなグループがいたの? そんな報道は無かったけど?」

    彼 「警察にもマスコミにも言いましたよ。でも誰も取り合ってくれない。」
    私 「何で?」

    彼 「やっぱり報復を恐れてですね。」
    私 「ヤクザ?」

    彼 「地元のある若者グループ。△△族の。」
    そう言って彼はタブレットをなぞりました。

    私 「大正時代の関東大震災の時と同じようなことが起きていたのか!!!」

    それ以降のこれに関しての彼との会話内容は省略します。

                         つづく

                            ☆

    (※)神戸エリア毎の罹災数暫定値。
    (注)エリア毎は暫定数字しか見当らず。

    当初、長田区はバラックに近い建物が多いから家屋全焼数がとびきり高いと思ったけど、他の区と比較したら確かに長田区は異常値。

    イメージ 2


    下の図は何故か知らないけど、火元は何箇所も輪を描いたようにこのエリアを囲んでいる。
    イメージ 3




    ※ 阪神・淡路大震災について(確定報)
    平成18年5月19日 消防庁
    http://www.fdma.go.jp/data/010604191452374961.pdf

    尚、この記事に掲示してある阪神淡路大震災の画像は、借用したものです。

    (参考)
    韓国人の潜在的才能  2013/6/8(土) 
    私のブログ記事『知らない歴史・消せない歴史』 2012.06.14




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  • 10/30/14--19:50: 変貌した部落

  • さて、今回は他の件で検索していたら、たまたま興味深い説を唱える方がいましたので、それと、それに関するウィキペディアを紹介します。



    私が昭和39年(1964)春、秋田の田舎の高校を卒業し、京都の大学に入学早々、最初に驚いたのが「同和!同和!部落差別!部落差別!」と大学構内を拡声器でがなり立てている者たちの存在ですね。

    田舎では「部落」と言う言葉は普通に使うし、一般の集落を意味する。
    小学校時代は、大人も子供も部落ごとの会合やお祭りがあった。

    そういう同和とか差別とかとは無縁の幼少時代を過ごした私にとっては違和感。こんな私に「部落差別!部落差別!」と騒ぐこと自体が寧ろ差別を助長しているのではないかと思いましたね。

    では京都での部落はどこ?と言うと、鴨川の七条大橋から下流の土手沿いに連なる掘っ立て小屋でした。それも住んでいるのは在日コリアンだとか。

    大学の構内で叫んでいる連中の内容とは、ニュアンスがかなり違いましたね。

    イメージ 1

    (画像)川崎では最近まで河川敷に掘っ立て小屋があったのですね。

    京都では、観光地には相応しくないということで、その当時からコンクリート5階建ての市営住宅「隣保館」をあちこちに造って掘っ立て小屋の住民を転居させました。

    私が22歳前後の京都タワーが竣工した頃、木立に囲まれた一等地の岡崎に隣保館が建設され、内装も終わった竣工間近の建物の中に入りました。

    確かに狭いっていう感じでしたが、私が寝起きしている夏は蒸し暑く身体中南京虫にやられ、冬はしばれるうなぎの寝床と比べたら天国で羨ましかったですね。



    さて、ネットでのその興味深い説とは?


    質問
    江戸時代、えた・ひにんの人ははどうやって選ばれたのか?

    回答者
    ベストアンサー bungetsu

    こんにちは。
    私は、自称「歴史作家」です。

    まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

    (注) 穢  [音] ワイ ・アイ ・エ よごれ。けがれ。けがれる。

    で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

    確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

    年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置しましたが、士農工商で一番苦労したのは、農民でした。

    まず、「非人」(ひにん)について:

    元々は「人非人」あるいは「僧侶」の意味でした。つまり、人間界を捨てた「世捨て人」のことを指しました。

    やがて、賎民(せんみん=貧しい人)を指すようになり、中性では「穢多」(えた)と混称されるようになってきました。

    しかし、江戸時代に入ると両者は「厳密」に区別され、「非人」は良民(平民)のなり下がりとして位置づけられ、良民への復帰の道が開かれていました。

    「穢多」(えた)と違っているところは、「皮細工等の生産に従わず」卑属な遊芸や物貰いの独占権を持ち、「穢多」(えた)よりも上位に位置していました。

    「非人」にも2種類あり、「抱非人(かかえひにん)」と「野非人(のひにん)」とに分かれていました。

    「野非人」は今日で言われる「路上生活者」。つまり、ホームレスで、主に、農村部で飢饉や病気などにより年貢が納められなくなった者が「人別帳」を離れて江戸へ流入した者たちでした。

    つまり、「無宿者」と同じ考え方です。江戸でも厳しく取り締まりをし、一定の区域に住まわせたりしましたが、効果はなく、後の、「無宿狩り」などへと発展していきました。

    一方、「抱非人」は、例えば、
    (1)姉妹伯母姪と密通した者。
    (2)男女の心中(相対死)で女が生き残った場合。
    もしくは、両人とも生き残った場合。
    (3)主人と下女の心中で主人が生き残った場合の主人。
    (4)15歳未満で無宿の子どもが盗みをした時。

    などとなっていますが、非人小屋頭が江戸の各地にあり、そこの頭の支配を受けていました。この非人組頭の頂点に「弾左衛門」という人物がおり、その支配下に「頭」と呼ばれる者が4~5人いました。

    最も有名なのは、荒川土手(地名は分かってはいますが、人権に関わることなので、ここでは、あえて、荒川土手とします)に木組みと筵(むとろ)で住まいを造り、痩せた土地を開墾し、非人同士が結婚して子どもが生まれても、その子どもも非人でしかなかったのです。

    まあまあ、幅を利かしていたのが「車善七」率いる人たちでした。

    非人の生計としては痩せた土地から得るものは少ないので、主に「物乞い」でした。江戸時代、非人以外が「物乞い」をすると、逆に、罪になりました。

    また、街角の清掃、門付(かどづけ)などの清めに関わる芸能を披露。そして、街角の清掃に付随して紙くずを拾って、それを発展させて「再生紙」造りにも寄与しました。(現代のリサイクルの先駆け?)。

    さらに、町役の下役として警備や刑死者の埋葬、また、斬首の刑(首切りの刑)などでは、罪人を押さえつけたり、その後の死体処理をしたり、入牢した者が病気に罹った時の看病。少年犯罪者の世話などに従事しました。

    そして、「非人」は、上記(1)~(4)などの罪で非人になっても、家族や親類縁者が、多少の「銭」を支払うことで、平民に戻れたのです。

    そこへいくと、「穢多」(えた)は、「非人」よりも、さらに下位に置かれ、町民の住居からは、かけ離れた場所に、一箇所に集めて住まわされました。

    その条件?としては、「非人」の中でも、さらに「素行」が悪く、「非人の秩序」を乱す者などが対象でした。しかし、支配をしていたのは、やはり、「非人組頭」の弾左衛門でした。

    彼らは、例えば、死んだ牛馬を百姓から貰い受け、その肉を食い、皮は皮製品などにしました。この斃牛馬(へいぎゅうば=死んだ牛馬)の取得権は「穢多」(えた)の何よりの独占権でした。

    その他にも、藁(わら)細工、燈心細工、破魔弓矢(はまゆみや)細工等簡単な手工業的生産に携わりました。

    この「穢多」(えた)の歴史は、戦国時代に戦国大名から鎧(よろい)や鞍(くら)などの武器としての皮製品調達のために、当時は長史(ちょうし=村のまとめ役)に皮製品の上納を命じたことに始まる、と、されています。その見返りとしては、年貢を安くしてもらったり、とかの恩恵も与えられました。

    しかし、江戸時代に入ると、「穢多」(えた)は、、「士農工商・非人・穢多」と「非人」より下位に位置づけられ戦国時代と同じような職業に従事し、一生涯「平人(ひらびと、または、ひらんど)=庶民」に戻ることはできませんでした。

    こうした「非人」や「穢多」は、収入があってないようなものでしたので、租税を課せられることもなかったので、やがて、その租税免除により、幾らかでも貯えをし、土手などから、平地に土地を持つ者も出始め、大きな意味で「部落」ができました。

    そして、明治4(1871)年に制定され、明治5年に編成された、いわゆる、壬申戸籍(じんしんこせき)には、「皇族」「華族」「士族」「卒」「地士」「僧」「旧神官」「尼」「平民」「新平民」「非人」「穢多」などという「階級」が書かれており、当時は、まだまだ、身分制度が色濃く残っており、しかも、誰でもがこの戸籍を閲覧することができました。

    しかし、昭和43(1968)年に、差別部落の人を探し出す事件が発覚し、大企業での採用取り消し、部落民との結婚禁止などという事件が発生し、同年、「閲覧」および「公開」を禁止し「永久封印」とされました。

    とは言うものの、現在に至っても、「部落名」を聞いたり、そこに代々住んでいたということで、「偏見の目」が向けられ、現在、「部落開放運動」や「同和問題」が今なおクローズアップされているのが現状です。



    更にもう一つの説

    質問
    差別用語 よつ? 部落

    回答者
    ベストアンサー  oberonettitania

    四足の動物の肉や皮の加工をしていた人たちの事ですが、「穢多非人」(えたひにん)という5番目の身分です。

    動物の加工だけではなく、糞尿処理、罪人の処刑の処理、などをする身分の人たちでした。

    この、「穢多非人」身分の親玉というのがいて、これを「弾左衛門」(だんざえもん)と言います。弾左衛門は浅草を拠点として、関八州のほか伊豆、駿河,甲斐、奥州まで支配権を持っていました。

    穢多非人の身分でもすごい権力を持っていました。
    支配下の人間の裁判権を持っていたし、芝居や歌舞伎の興業も弾左衛門の許可を必要としたのです。

    初代市川団十郎が、その支配から逃れるために奉行所に願い出て後に、それが」許されたりしています。

    人の嫌がる役務をする代わりに、この権限を与えられた身分なのです。江戸時代までその支配はつづきましたが、明治以降も部落は残り差別の対象となったのです。

                            ◆

    回答者
    granzootさん

    差別用語の四つとは仏教の概念を引用したもので畜生道のことを指してるようですがつまりそうした動物を殺す職業に歴史的に従事した人を明治期に差別した時に言われた用語の一つです。

    それ以前に差別用語で使われたという記録ないし伝承はないので。
    明治政府は明治維新という西洋化政策の影でかなり深刻な農業政策の失敗をしています。

    そのため各地で農民の叛乱が相次ぎその矛先を買える政策として「開放令」というものを発布します。

    それ以前に明確に認識のなかったエタ・非人というものを注目させ学術的にも江戸時代に「士農工商」という儒学の概念から引用した階級制度をあたかもあったかのように捏造したもので何時からと言われれば明治からと言うのが真実です。

    (参考)見方によっては下記のような見解もある。
    「部落と言うのは徳川様から、履物屋、肉・毛皮屋、葬儀屋・・・等の独占権を与えられそれが250年続いた。明治の頃には皆ちょっとした旦那衆でした。」



    (※)上記とはニュアンスが違いますが下記の意見もあります。

    職場の会議で「研修」の時間がありビデオを見せられた「同和問題」

    (一部抜粋)
    部落出身ってそこが部落だって大宣伝かましているのは、当の部落民達であって
    大都市の人間なんか誰も気にして無いべ。

    だって、私なんて「部落」なんぞ研修やるまでそんなもんすら知らんかった
    大宣伝しなきゃ知らない分からない
    そして、そのままそんな存在自体消えるって事なのにね
    わざわざ大宣伝して昭和のビデオまで担ぎだしてイベントやるなんてさ
    部落が無くなると困る「同和利権」で儲けている部落民達がいるって事だべさね

    そう言えば、部落代表の三代前が朝鮮半島密入国者の子孫小和田家も雅子の素性調査が入った時も、部落解放同盟が宮内庁に抗議したっけね。

    「調べんな」って
    なんでだろねw




    (参考)
    以下はウィキペディア 「部落の起源論争」部落問題」より一部抜粋


     被差別部落の居住者は先祖代々同じ血筋で固定されたものと考えられることが多いが、これは間違いで、歴史的には被差別部落で財をなし成功した者が被差別部落の外へ流出すると同時に、

    被差別部落の外で食い詰めた犯罪人や無職者が生活費の安い被差別部落の中へ流入することが繰り返されてきた

    京都市内のある部落では、京都部落史研究所の調査の結果、半数を超える「部落民」が部落外からの流入者と判明したこともある。

    1937年に京都市社会課が市内の8箇所の部落を対象に行った「京都市における不良住宅地区調査」では、「部落民」のほぼ半数が外部からの流入者と特定された。

    また、植民地時代の朝鮮半島から内地に渡った朝鮮人が被差別部落に住み着いた例も多く、日本の総人口に在日コリアンが占める割合は1パーセントに満たないところ、

    大阪市のある同和地区では住民の13.8パーセントを在日コリアンが占めている。ただし、同和地区内に住む外国人は属地属人主義により同和事業の対象とはならない。

    また、部落解放同盟や同和会が同和予算を行政から獲得するため、同特法のいう「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域」(被差別部落)が存在しない自治体にまで無理やり同和地区を作った事例もある(このような地区は「えせ同和地区」と呼ばれる)。

    1976年7月には、もともと被差別部落が存在しない宮崎県児湯郡都農町に同和会が結成され、これに伴って同和会が都農町の一部を同和地区指定させ、支部助成金など同和予算495万円の計上を約束させた。

    宮崎県では9市9町に36カ所の同和地区が指定されることとなったが、全解連書記長の村尻勝信によると、その3分の1は「えせ同和地区」であるという。

    大分県でも同和予算目当ての「でっち上げ同和地区」「ニセ同和地区」の存在が報告されている。

    東京都では、自称部落民が部落差別と無関係の傷痕を「被差別部落に生まれたために虐められた痕跡」と偽って同和対策事業の個人給付を申請したケースも報告されている。

    また、同じ東京都では、ある団体の168人の自称部落民から生業資金貸付申請があったが、最終的に部落民と認められたのは2人だけだったこともある。


    同和事業に関わる不正・腐敗

    同和対策事業の伸展に伴い、同和地区の環境改善は画期的に進んだが、巨額の予算の執行に伴い、それに関わった行政当局者、運動団体関係者による不正・汚職行為が少なからず発生し、マスコミを賑わせることがたびたびあった。

    とりわけ1981年(昭和56年)の北九州土地転がし事件、2001年(平成13年)に表面化したモード・アバンセ事件、2006年(平成18年)に発覚した飛鳥会事件や奈良市部落解放同盟員給与不正受給事件、八尾市入札妨害恐喝事件など、運動団体の幹部と行政の癒着が報道されている。(その他事例は省略)

    また、関係者の自作自演による差別事件なども複数発覚している

    これは実際には差別事件など起こっていないにもかかわらず、さも差別事件が発生しているように見せかけた悪質なもので、滋賀県公立中学校差別落書き自作自演事件や解同高知市協「差別手紙」事件などがその一例である。

    これは、現在でも行われており、2009年(平成21年)7月7日には、福岡県で、同和地区の出身者である立花町(現・八女市)の嘱託職員の男が、自宅にカッターナイフの刃を同封した差別的な文書を、町役場にも差別的な記述があるはがきを匿名で送るという事件が発生した。

    「被害者になれば町が嘱託の雇用契約を解除しにくくなると思った」と男は話しており、県警は偽計業務妨害の疑いで逮捕した。

    2009年(平成21年)、福岡県では、2月、立花町役場に採用された被差別部落出身の男性から、県議に、「差別問題を県議会で取り上げてほしい」との電話があった。

    2003年(平成15年)からこの男性に対する44通の差別的なはがきが役場などに郵送されていた。県議は、電話を受け、県警に徹底捜査を要請した。

    しかし、3ヵ月後、逮捕されたのは「被害者」であるはずの男性だった。この男性は44通すべての関与を認めており、会合で話をして、講演料まで受け取っている。県警は町に雇用を継続させることが目的だったと見ている。



    (注)コメント欄は閉じています。
    尚、今日はもう一度記事の更新予定です。



    0 0


    私が幼少時代、体温計で熱を計った後、体温計の水銀柱を下げるために見よう見まねで誤って体温計の根元の方を掴んで振ってしまいましたから、根元からポッキリ折れて、中の水銀は畳の上に幾つも玉になって転がりました。

    母は驚き駆けつけ、目に見えない程までの水銀の玉を拾い捨てました。
    微量の水銀でも口から入ったら猛毒で死んでしまうと言っていました。

    その恐怖の猛毒の水銀を、お金を出し、喜んでインフルエンザなどのワクチン経由で直接体内に取り込むのですから、洗脳とは恐ろしいものですね。




    ワクチンの衝撃的真実~水銀・MSG・ホルムアルデヒド・アルミニウム




    この中で、水銀のチメロサールだけでも調べてみました。

    Thimerosal is a mercury-containing preservative used in some vaccines and products
    チメロサールはいくつかのワクチンおよび製品の中で使用される水銀含んでいる防腐剤です。


    (ウィキペディアより)
    チメロサール

    チメロサール (thimerosal) は有機水銀化合物のひとつ。チメロサールは商品名であり、薬品としてはエチル水銀チオサリチル酸ナトリウム(エチルすいぎんチオサリチルさんナトリウム)とも呼ばれる。CAS番号は54-64-8。

    殺菌作用が注目され、1930年代からワクチンの保存剤として利用されてきた。

    しかしアメリカ合衆国を中心に、水銀による被害と疑われる自閉症患者の事例が報告されるようになり、1990年代に入るとワクチン中のチメロサールの含有量を低減したり、他の殺菌剤への転換が進められるようになった。

    これはワクチン1本ずつに含まれる有機水銀量はわずかであっても、乳幼児期には三種混合ワクチンなどの予防接種を繰り返すことで、結果的にかなりの量の水銀が体内に入ることを危惧するようになったためである。



    《保存剤(チメロサール等)が添加されている 新型インフルエンザワクチンの使用について》
     http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu090918-04.pdf

    米国の状況(9/16 時点の情報であり、今後も変化しうる) 
     
    ○ 妊娠中の暴露に心配の声があるため、妊婦と小児用として単回接種用シリン
    ジにチメロサール非含有の季節性及び 2009 H1N1 インフルエンザワクチンを
    充填した製剤をメーカーが準備している。

    ○ 妊婦に対しては、チメロサール含有又は非含有のいずれの製剤でもワクチン
    接種をしてよいと勧告。
    出典:*1) http://www.cdc.gov/H1N1flu/vaccination/pregnant_qa.htm

    ○ 小児に対しては、チメロサール含有製剤についても使用を制限していない。
    (米国 H1N1 ワクチンの承認製剤の添付文書)

              ◆       ◆       ◆

    日本のワクチンメーカーの現状
    ※依然と水銀のチメロサールが使われている。

    ①会社名②チメロサール含有の有無 ③他の保存剤含有の有無 ④製剤別の添加剤含有量と種類
                       ☆
    ①化血研 
    ②無
    ③2-フェノキシエタノール(2-PE)
    ④10mL バイアル製剤(4.5mg/ml、2-PE)
    1mL バイアル製剤(4.5mg/ml、2-PE)

                       ☆

    ①北里 
    ②有 
    ③無 
    ④10mL バイアル製剤(0.005mg/ml、チメロサール)
    1mL バイアル製剤(0.005mg/ml、チメロサール)

    ②無 
    ③無 
    ④0.5mL シリンジ製剤(保存剤なし)

                       ☆

    ①阪大微
    ②有 
    ③無
    ④10mL バイアル製剤(0.008mg/ml、チメロサール)
    1mL バイアル製剤(0.008mg/ml、チメロサール)

                       ☆

    ①デンカ 
    ②有 
    ③無 
    ④10mL バイアル製剤(0.004mg/ml、チメロサール)
    1mL バイアル製剤(0.004mg/ml、チメロサール)

    (注)2-PE の妊娠動物等での催奇形性試験の結果には問題がないが、妊婦で
    の使用実績は確認されていない。

    (注)米国と同様、児については、季節性インフルエンザワクチンの予防接種においてチメロサール等の保存剤が使用されている

              ◆       ◆       ◆


    日本のインフルエンザワクチンの各メーカー毎、チメロサール有無表。

    ※半数のインフルエンザワクチンには水銀が入っている。

    イメージ 1





    (参考)
    ワクチンの危険 NWOの人口削減計画 から 放射能問題まで



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    『武士道精神』の記事を書いているのですが、『武士道の精神』が日本全体に浸透される前に『茶道』が秀吉の時代に構築され、その精神と作法が徳川300年の平和と繁栄を支え、日本独自の文化を開花させた一つとも言えますし、『茶道』は『武士道』との相関関係にあるとも言えますね。

    無論、徳川時代以降の明治・大正・昭和時代も然り。今の平成時代も、この精神を破壊しようとする輩がいるものの、基本的には日本を支えてきていますね。

                          ☆

    日本の食事のあいさつには、2つの素晴らしい言葉がありますね。
    これも『茶道』からきているのでしょうか。 
      
    1つは「いただきます」
     
    「頂きます」とは、「私の命のために動植物の命を頂きます」の意味から。古くから人は自然の恵みをもらって生きてきました。自然の恵みとは、言い換えれば、数々の動植物の生命をもらうこと。

    これらの行為は生きとしいけるものすべてに共通の行為。いのちがつながり合ってみな生きている(生かされている)のです。
     
    「多くの生き物を犠牲にして生きている」こと、偉大な自然への感謝の気持ちを表したものです。

    (注)「いただきます」は、子供に対して命の尊さを最初に教える大切な言葉。 
      
    もう1つは「ごちそうさま」
     
    「ご馳走様」は「馳走になりました」のことで、「馳」、「走」ともに「はしる」の意味。 昔は客人を迎えるのに走り回って獲物をとってきてもてなしましたが、そんな命がけの働きに客人が「有難う」と心からの感謝の気持ちを表したものです。

    (注) 「ごちそうさま」は、感謝の気持ちを子供達に教える為の大切な言葉。



    さて本題

    以下は、筒井教授の台湾での演題『近代日本の精神に学ぶ』の講演録から『茶道の精神』の箇所のみを抜粋したものです。

                           ◆

    筒井正夫
    Masao Tsutsui
    滋賀大学 経済学部 / 教授
    [講演日時] 2012.11.0[1 木]
    台湾国立台中科技大学 言語学部 日本研究センター


    茶道の精神
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    ここで、近世・近代を通じて日本精神の根幹を形成したものとして岡倉天心が『茶の本』に著して世界に表明した茶道の精神についても触れておきましょう。

    ここでは、天心の思想をそのまま敷衍(ふえん)するのではなく、私なりの茶道のとらえ方について述べてみたいと思います。

    茶道を考える際に重要なことは、それが江戸時代のすぐ前の戦国時代に完成されたという点にあると思われます。

    (注)敷衍(ふえん)ー 詳しく説明すること。

    戦国時代は、下剋上と言われるように前時代の支配勢力である荘園領主対新興勢力である在地領主の対立、在地領主層同士の覇権争い、さらに自治村落として力をつけてきた村落同士の争い等が複雑に絡み合って絶え間ない戦乱の世を現出しました。

    しかもそれらは鉄器の開発が農耕生産や武力の向上、築城技術の向上をもたらして、新田や鉱山の開発等による森林の乱伐が進み、自然環境が破壊されて洪水被害が頻発した時期でもありました。また戦乱によって国土・人命そして人間が作り上げてきた多くの器物も破壊されました。

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    こうした戦乱を収めるため、太閤検地と刀狩、そして「秀吉平和令」と呼ばれる平和構築策が施行されますが、親・兄弟、近隣住民が相分かれて争った人心の荒廃を修復し、狭い土地で長年にわたって良好な人間関係を維持できるように回復させ、さらに自然を復興して敬い、愛護し、器物を大事にして生活を潤いあるものとするために生み出されたものこそ日本独自の総合芸術である茶道であったと言えるでしょう。

    茶道を大成した千利休は個人的確執から秀吉によって切腹させられますが、茶道は江戸幕府によって、社会の教養・道徳・規範・儀礼を総べる基本とされ、各大名や武士が修めるべき基本的な教養として重視され、町人や商人、豪農層にも普及していきました。

    江戸時代が260年という世界に類を見ない平和な世を築き、様々な美を生み、また日常生活を豊かにする美しい日用品を特産物として数多く生み出していった根底には、茶道の精神が上は大名から下は農工商の庶民に至るまで浸透していったことに一因があると、私には思われてなりません。

    茶道は一碗の茶のもてなしという最も基本的な主客の関係を基本として、「人と人との和」「人と器物との和」「人と自然との和」を極め、戦国時代を乗り越えて平和で美しい日常生活を送るために考案されたものと思われます。


    「人と人との和」とは、日常生活において常に他者を思いやり、感謝の心を忘れず、互いの相互尊敬によって和を保つための方途を日常の立居振舞を通して身につけることです。


    「人と器物との和」とは、日常に用いる生活用具・食器、建造物等に対してそれらを単なる物質ととらえず、心をこめて作られた用の美を備えた器物ととらえ、物心一如の心でそれらを大事に用い、鑑賞することで日常の中に美を取り入れた生活を実現することです。

    さらに床の間の軸に掛けられた絵画・詩歌・書を鑑賞し、絵心と詩心を日常の中で味わえる豊かな感性を養うことを目的としています。


    「人と自然との和」とは、茶室に至る簡素で清潔な庭を愛で、花器に設えられた四季折々の野の花の命を鑑賞し、心の糧とすることで自然の美を日常生活に取り入れることを意味します。

    私たちは、どんなにGNPが増大しても、拝金主義がはびこり、貧富の差が拡大して対立が激化し、他人を競争者として蹴落とす人心の荒廃がもたらされては何にもなりません。

    また物質的生産力が上がったとしても、その製品の質が人間の感性を貶め、美しさと無縁で心の通わないものであったなら物質の増産は心の豊かさの向上にはつながらないでしょう。

    またいくら環境破壊を戒めてCO2を減らしても、自然そのものが生活から遠ざかり、自然と交わってその魅力や効用を理解し楽しむすべを失ってしまったら何のための環境保全かわからなくなります。

    幕末から明治期にかけて日本にやってきた多くの外国人たちは、本当に普通の日本人たちの暮らしが貧しくともにこやかで幸福に満ち、実に清潔で、まるで美術品のような器物に囲まれ、心根は細やかで思いやりのサービスに富んでいることに瞠目しています。

    茶道は、明治期に入り大名の庇護を失って一時衰退の危機に瀕しますが、財閥や有力実業家や政府要人、知識人たちが新たな茶道の担い手となってその発展に寄与しました。

    戦後は、西洋文化が席巻するなかで茶道は女性のたしなみのような位置に後退している感がありますが、それでも日本のメーカーが作る製品には実に細やかな利用者のための心づかいが見られ、また日本のサービス業は、旅館からデパート、新幹線や駅の小さな売店に至るまで器物と人を大事にした「おもてなしの心」に満ち溢れています。

    日本も戦後高度経済成長の過程で自然破壊が進み公害列島と化した時期がありましたが、現在では日本の高度な技術が環境汚染を制御するとともに自然の中に神を見る、人間の心を見る日本人の精神がもう一度見直されつつあります。


    今一度、茶道に込められた「人と人」、「人と器物」、「人と自然」との和を重んじる精神とそれを日常の中で感得するための素晴らしい方途を学び直す必要があるように思われます。

    以上、近代日本の精神について縷々(るる)述べてまいりましたが、最後に、日本がいわゆる植民地として統治した地域に関しても一言触れておきましょう。

    (注)縷々(るる)ー 細々と話すさま。

    日本は、基本的には上に述べたような精神をそのまま持ち込んで、日本と同じような近代社会の建設を膨大な人的・物的資源を投入して実践していったものと判断できます。

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    それは、欧米列強が、植民地の文明化や近代化をほとんど行わず、原材料や資源、作物等を一方的に搾取したやり方とは根本的に異なるもので、近代教育を初等教育から高等教育まで実施し、近代工業や農業を振興し、鉄道・道路・港湾・ダム等のインフラを整備し、病院や衛生施設を建設し、法に則った近代行政を施行して、日本と同等の近代社会の建設を推し進めたのです。

    しかし、このことは逆に特にその初期の段階において大きな軋轢を生じさせたことも想像に難くありません。

    なぜなら日本でさえ文明開化と呼ばれた急速な近代化政策の遂行は、長年親しんだ江戸時代以来の風俗・慣習・社会生活とぶつかって時にそれらを破壊し、民衆に大きな痛みを与え、全国的に抵抗運動が沸き起こったからです。

    まして異国の地で、他民族の指導のもとで近代化政策が全般的に推進された場合には、大きな抵抗や痛みが生じたことは言うまでもないことでしょう。

    らに、この近代化は、同時に日本化を伴ったことです。近代化された日本の風俗や慣習・制度がもたらされたわけですから、固有の伝統的な習慣・文化との間に大きな軋轢が生じ、それがしばしば激しい抵抗となって現れたことと思います。

    私は、そうした厳しい環境の中で、台湾では日本の為政者や指導者たちが献身的な近代化への努力を惜しまず、それに台湾の方たちが彼我の文化の違いを乗り越えてよく応え、実に立派な近代社会を建設されたことに改めて満腔の敬意を表するものであります。

                                            (以上で『茶道の精神』抜粋おわり)


    (注)掲載されている画像は借用したものです。




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    昨日(2014.11.03)のTVニュースを観て『あれっ?やはりそうか』と思いました。
    「安楽死」の薬は有り、医療関係者は入手可能なのですね。

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    私の友人は、そのご夫人が看護婦の友人から入手したというカプセルを飲まされ、「安楽死」させられたのですね。

    ご臨終となるのは、このカプセルを飲まされてから20分後でしょうか。

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    (注)私にブログ記事
    ある老人の死  2014/4/6(日)


    そう言えば、6~7年前ですかね、うちの町で噂(うわさ)になったことがあります。
    「○○病院に老人が入院したら最後、一年後にきっとり死亡する」 と。

    このような噂は、何もこの町だけではありません。
    同じ頃、私が帰郷した時、知人の年配のご婦人が耳元でささやきました。

    「駅裏の二つの老人保健施設に入居すると、ほぼ全員が約1年後に死亡する。入居待ちの老人が多いから、待機家族の要望に応えるためでしょう。」

    この二箇所の町での例では、やはり医師は安楽死の薬を入居者に飲ませたのでしょうね。

    ひょっとして、医師は入居者の家族の要望に従い飲ませたのかも。

                                 ◆       ◆       ◆

    昨日のニュース

    「安楽死宣言」の米女性死亡 「尊厳を持って死ぬことを選ぶ」(14/11/03)



                                       ◆       ◆       ◆


    唱歌「故郷を離るる歌」 




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    昨年の大河ドラマ”八重の桜”で同志社創立の新島襄の会津藩出身妻『八重』のことが賛美されていましたね。

    (参考)NHKオンデマンド『八重の桜』

    ここでは会津藩が悲劇的に描かれ過ぎていると一部の人から言われるのも、会津が隠し通してきた歴史をこのドラマでは少しも触れなかったからでしょうか。

    日本では「強きをくじき、弱きを助く」との言葉があるように、歴史を題材として敗者の会津をヒロインとして描かれたお涙頂戴のフィクション(小説)が、私たちの中学高校時代に習った会津藩の歴史すね。

    だから、今の会津史は『会津観光史学』と称され、歴史的価値は薄いものです。

    私の立場上、新島襄の妻八重が登場するお涙頂戴の小説・会津観光史学に隠された事を言うのは忍びないのですが、敢えて、プロパガンダ(政治宣伝)でいかに事実を歪曲され私たちは洗脳されているかの例として今回取り上げました。

    今回取り上げたのは下記の二点です。

    (1) 北海道をプロイセン(ドイツ)に売ろうとした会津藩
    (2) 会津藩、並びに会津藩士の蛮行の実態 (東北の嫌われ者)

    尚、世界や世間に知られたくない蛮行の歴史がある国や組織程、それを隠そうと、フィクション(小説や映画・TVドラマ)を創作し流布するのは歴史的事実ですね。



    さて本題

    (1) 北海道をプロイセン(ドイツ)に売ろうとした会津藩

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    例えばその隠し事の一つに、会津藩はプロイセン(ドイツ)に北海道を売ろうとしていたことですね。このことは明治以降、封印された過去です

    ドイツ国立軍事文書館に保存されている戊辰戦争の最中の1868年7月31日 駐日代理公使ブラントが本国のプロイセン宰相に宛てた書簡の内容とは。

    「会津、庄内両藩から北海道の領地を売却したいとの相談を受けた」「この2藩の状況を考えると、間違いなく有利な条件で得ることができる」・・・と。

    (注)会津藩は京都守護職、庄内藩は江戸市中取締を命ぜられ旧幕府の要職。

    会津藩は1859年に北方警備のために、幕府から蝦夷(北海道)の一部(根室・紋別)を、庄内藩は同じく一部(天塩・留萌)を譲渡されていた。

    会津藩と庄内藩(現、山形県酒田市)は列強の協力を取り付けんと、プロイセン(ドイツ)に蝦夷地の売却まで申し出る。

    然し、プロイセンの鉄血宰相「ビスマルク」は、この会津藩の申し入れを「却下」。

    (参考)朝日新聞 2011年2月7日
    維新期の会津・庄内藩、外交に活路 ドイツの文書館で確認 

                         ☆

    この北海道を手に入れることに対して、宰相ビスマルクの却下理由とは、

    「外国人にはきわめて危険な日本の政治状況下で、領地取得は小規模とはいえどちらの藩のものでもこの交渉を推し進めることは推薦いたしかねる。

    領地獲得は、他国の公使達にねたみ、不信感を持たれる恐れがある。
    同時に内戦に関わっている各藩に中立的立場を犯しうると考えられる。」

    (注)プロイセンは普仏戦争直前で余裕がなかった。

    (参考)幻の東北列藩・プロイセン連合                     

              ◆       ◆       ◆

    幕末の横浜に資料が残っていました。
    漫画雑誌「ジャパン・パンチ」

                       ☆

    出遅れたプロイセンが選んだ相手・・・それが会津・庄内だったのです。
    プロイセンの狙いは、海運業保護の基盤をつくることでした。

    この両者を結びつけたのが、ヘンリー・シュネル
    ・・・プロイセンの将軍(ジェネラル)で、会津に鉄砲の使い方などを教えていました。
    そして・・・ビスマルクに手紙を書いたブラントの元で働いていたのです。

    1868年戊辰戦争が始まると本国に帰ると帰国願いを出しています。
    しかし・・・本国には帰らずに。。。会津若松に。
    日本の妻を与え、”平松武兵衛”という名も与えました。

    シュネルが頻繁に通っていたのが新潟。
    ここには、東北で戦う旧幕府軍に武器弾薬が陸揚げされていたからです。
    シュネルは・・・港に近い勝楽寺で武器の販売を行っていました。

    この頃・・・アメリカでは南北戦争が終結したばかりで、世界で武器弾薬が余っていました。それが日本へ流れてきていました。その数、小銃だけで70万丁とも言われています。

    この時代、新しい武器が次々と登場しています。
    連射式銃・ミトラィユーズ、ガトリング砲・・・それらを会津に結びつけたのでした。

    日本での権益拡大を思っているブラント・・・
    「プロイセンは蝦夷地に基地の獲得を考えるべきであり、今すぐ交渉を始めるべきです。」

    駐日公使ブラントによる北海道植民地化計画とは・・・
    ブラントは、戊辰戦争が始まる前・・・2度にわたって北海道を調査しています。
    1回目は1865年9月・・・2度目は1867年8月。
    ゲルトナーなる人物と共に、伊能忠敬の地図でまわっています。

    ブラントによると、北海道の魅力は???
    「蝦夷地は気候が北ヨーロッパと酷似しており、土地は広大で水は豊か、農業牧畜に適している。蝦夷地は、5000人の海兵隊により、簡単に手に入れることができる。」

    しかし、海軍省は、ブラントの提案を却下します。
    そこで・・・土地を開拓し、実質的に支配し始めました。

    それを行ったのがゲルトナー・・・農業専門家でした。
    寒冷で稲作には向かない蝦夷地・・・

    ここを農業に適していると、西洋農法を初めて持ち込みました。北海道の農業の原点となります。
    「蝦夷地は肥沃な平地で、開墾するには容易で、農地として高い価値を持っている。」

    ゲルトナーは私財で本国から色々な種を手に入れ・・・ワインも栽培。
    ゲルトナーが特に大切にしていたのがブナ林。
    故郷のドイツを思ってのことだったのでしょうか???

    しかし、1869年函館戦争終結に伴い、榎本武揚の北海道共和国は5か月で消滅。

    新政府は、ゲルトナーに契約解除を申し入れます。
    日本の一部を99年間貸し付けるのは、受け入れがたいものだったのです。

    新政府から賠償金(ヨーロッパから農業関係のものを輸入したお金も足して)として6万2500ドル(約18億円)を引換にして・・・

    (参考)幻の東北列藩・プロイセン連合
    http://blog.livedoor.jp/chachachiako/archives/28769788.html

              ◆       ◆       ◆

    会津藩の徳川本家に対しての忠節は本物か?

    会津城下では、以下のようなざれ歌が領民に広まっていたことからも会津藩は徳川再興を謀るとの大義名分で、日本を制覇しようと企てていた可能性がある。

        「都見たくばここまでござれ  いまに会津が江戸になる」

              ◆       ◆       ◆

    (2) 会津藩、並びに会津藩士の蛮行の実態

    『10代の少年たちで結成された「白虎隊」は、会津の武士の名を汚すまいと、「自刃」して果てる。それほどに、会津の武士は誇り高く、その士風は他藩に賞賛されるほどであった。』とあるが、果たしてそうであったろうか?

    会津藩士は篭城陥落後郡山や東北各地で略奪・放火など蛮行したことは、各地の歴史書に記録がある

    (記録1) 2004 郡山市勢要覧 市制施行80周年・合併40年記念号・英国公使館員ウィリアム=ウィリスの記述の中に会津藩士の略奪・放火などの蛮行が記録されている。
    長岡市の歴史書、新発田市史でも然り。

    (記録2) 新潟市史通史編3、小千谷市史、水原町編年史、会津戊辰戦史(会津藩士著)、仙台戊辰史、などの記録にある会津藩と会津藩士の蛮行

    越後に侵攻した会津藩兵の目的は、会津藩預けとなった旧幕領の接収と統治、そしてやがて訪れる新政府軍との対決に備える事にあった。

    その為にも越後での継戦能力を得る為に、越後の民衆の支持を得るのが不可欠だった筈である。

    しかし長年の京都守護職と鳥羽伏見の敗戦による多大な出費で、半ば財政破綻した会津藩は慢性的な戦費不足から、近視眼的に進駐した各地で民衆から搾取・略奪を始めるのであった。

     旧幕領を接収した会津藩兵がまず行ったのは、戦費調達の為に各村々への御用金の名の元での搾取だった。

    この会津藩の御用金の割当は旧幕領の各地に及び、旧水原代官領での千唐仁村十八両、浮村一五七両、野田新田十八両(水原町編年史第一巻)を始め、前述の小千谷陣屋領での割り当てや、後述する新潟町での御用金の取りたて等、枚挙にいとまがない。

    またこのような組織だった徴発だけではなく、個人の会津藩士による略奪も多発した模様である

    初期においては新潟町で強盗を働いた会津藩士数人が町民によって捕らえられて処刑されたなどしたが(新潟市史通紙編3)、武器を持ち民衆を恫喝する会津藩士や衝鋒隊の兵士達に民衆は次第に手も足も出せなくなる「会津勢、妙法寺山中に篭もり居り、度々村里へ出、百姓共へ無心申し掛け、或いは乱暴等いたし候(新潟県の百年と民衆 戊辰戦争と民衆 溝口敏麿)」。

     金銭や食糧の徴発以外にも、小千谷等の戦場が近い村々では、農兵の取立てが行われた。

    半ば強制的に行われた徴募では貴重な労働力を強引に奪われただけでは済まず、農兵の食料までもが村々から取り立てられ、村々は二重の負担に苦しむ事になる。

    何より新政府軍の農兵が小銃を供与されたのに対して、正規軍にすら小銃が揃わない会津藩に徴募された農兵は、「先端に鉄の分銅が付いた鉄棒」や『竹槍』で、小銃を装備した新政府軍に挑まされ事になる。しかしこのような農兵の士気が上がる筈がなく、戦いが始まれば一目散に逃げた模様である(小千谷市史下巻)。

     会津藩兵による草莽の志士への襲撃も行われた。殆どの草莽の志士は会津藩の進駐を聞き、身の危険を感じて故郷から脱出した。

    しかし旧水原代官領に住む草莽の志士三浦杏雨は剛腹にも、会津藩兵が進駐して来ても留まっていたが、三月に会津藩兵の襲撃を受けて殺害されてしまう(水原町編年史第一巻)。

    越後の民衆に対する蛮行は会津藩正規軍だけに行われた訳ではなく会津藩指揮下の衝鋒隊や水戸脱走軍によっても搾取や略奪は行われた

    「衝鋒隊七〇〇名や水戸藩の脱走兵五七〇人余が相次いで新潟町に入り込み、会津兵と入り乱れながら、各地で金品強奪・暴行を繰り広げた。

    幕府の倒壊によって支配機能停止の状態に陥った新潟奉行所はこうした行動を停止出来なかったから、民衆の恐怖と憎悪は高まった(新潟市史通史編3)」を始めとして、新政府よりの新発田藩や与板藩の城下に乗り込み、軍資金を強要する等の蛮行を行った。

    尚、この衝鋒隊や水戸脱走軍の乱暴・略奪について「越後での略奪は会津藩士ではなく衝鋒隊が行った」との会津贔屓の主張があるが、衝鋒隊にしろ水戸脱走軍にしろ会津藩の指揮を仰ぎ、補給を受けており(もっとも殆ど現地調達だが)、会津藩士によって書かれた「会津戊辰戦史」に衝鋒隊も水戸脱走軍も会津藩兵の一部と記述されているのだから、会津藩兵と同一視するのが妥当だろう。

    何より衝鋒隊に略奪された越後の民衆が会津によって略奪されたと記録しているのだから、衝鋒隊と会津藩は無関係と主張する会津贔屓の主張は詭弁と言わざるを得ない。

    かくして会津藩兵による搾取・略奪によって、越後の民衆の心は会津藩から離れる事になる

    これを危惧した会津藩は家老梶原平馬を新潟町に派遣して「乱暴兵ヲ斬テ規律ヲ示シタ」と藩兵による略奪を禁じたものの、「人心尚之ヲ厭ヘリ」(仙台戊辰史二巻)のように一度民衆から失った信頼を取り戻す事は出来なかった。

    また年貢の減免等も行ったが(水原町編年史第一巻)、その直後に人足を徴発したりしては民衆の歓心を得る事は出来なかった。

    会津藩兵の搾取・略奪に苦しんだ越後の民衆は、自分達を救ってくれる存在を求めるようになる。

    かくして越後の民衆が助けを求めたのが、会津藩兵と戦闘を繰り広げる新政府軍であり、かつて越後を統治した米沢藩上杉家だった。

                           ☆

    「米沢藩兵は他人数だが馬は使わず、各自が荷物を背負ってきた。米沢様は別段のものだと衆人が感服した。

    それにひき比べ、会津は異形はなはだしいゆえか、衆人不服で負け戦の話をきくと婦女子までがよろこんだ(新津市史通史編下巻)」。

    また米沢藩兵が出兵した事をで、会津藩兵により乱された治安も回復した「この会津藩士がひきとったあと、九之助の分家新津町祐蔵から米沢出張所へこのことを報じた。

    するとただちに米沢藩士十八人が槍・鉄砲持参で、とりおさえのため九之助方へ出張してきた。米沢藩はくだんの会津藩士を拘留し、水原の会津藩陣屋へ照会した(新津市史通史編下巻)」

     越後の民衆が会津藩を嫌い、米沢藩を慕った一例として会津藩によって徴募された出雲崎代官領の農兵隊が会津藩の支配を嫌って米沢藩の家来になる事を懇願して許された事が挙げられる

    この農兵隊は後に米沢藩から精義隊と命名され、米沢藩の指揮下に入り最後まで米沢藩兵と共に新政府軍と戦う事になる(新潟市史通史編3)。



    (記録3) 会津戦争詳細年表より 会津藩士の蛮行
    慶応4年 
    4月28日 駒屋 守屋などで放火 
    5月10日 中山村放火 
    5月10日 中山村 竹ノ内村に放火 
    5月31日 八幡村 富岡村に放火駒野村を襲撃 
    6月1日 下守屋の民間を襲撃 金品強奪 
    10月7日 亀ケ城に放火 

    (参考)会津藩士は搾取や略奪で蛇蝎のように嫌われ、敗走時には民衆に竹槍で追われたとか。 戦の最中にも略奪とかしてたようだ。 

    (記事抜粋先)
    なぜ会津観光史学は史実を歪めて怨念を煽るのか?
    http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1321086588/204

    (注)
    白虎隊士中二番隊は落城を悟って切腹したとあるが、この件について記入すると長くなりすぎますので省略します。 

    (その他記事参考・引用先)
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1126825361
    http://blog.livedoor.jp/chachachiako/archives/28769788.html
    http://eikojuku.seesaa.net/article/213039019.html



    (私見)
    ① 私の父母の世代では、会津と聞いただけで顔を歪めた。幕末の会津藩(会津人)の蛮行は東北の農村社会の津々浦々までも口伝されていたのだ。

    ② 私の現役時代、代理店を介して会津若松のある公立組織と取引成立。メーカーとして挨拶訪問したのだが、相手は会津人特有の女性管理職。機器納品後がこれまた凄まじい。閉鎖社会の特徴を嫌と言う程体験させられた。




    次回は、今年のNHK大河ドラマ『黒田官兵衛』で表現されている秀吉とキリスト教禁止についてのプロパガンダについて



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    先日の私のブログ記事の中で、コリアンの火病(かびょう、ひびょう)の体験を述べましたが、同じように体験されたブログ友がいらっしゃいましたね。

    (私のブログ記事)
    阪神淡路大震災での隠蔽された犯罪   2014/10/29(水) 

    今回は、未体験の方の場合、火病と言ってもピンとこない人が多いと思いますので火病とはどういうものかを知ってもらう為にユーチューブを抜粋し掲載しました。

                           ☆

    この火病の特徴は、日常生活のなかで突然発狂し暴れだしたりすることです。
    そうなったら手をつけられません。鎭まるのを待つのみ。

    この現象が起きるのは、韓国紙でも述べているように、コリアン特有のもので、脳に欠陥があり、然も、これは遺伝するものなのです。

    無論、男女共に、火病の遺伝子を持っており、発狂しやすいのは女性の方ですが、男性が発狂したら警察を呼ばなければならないでしょう。

    問題はコリアンと他の国の人との間に出来た子供です。

    親であるコリアン本人は、全く発病しなくても、子供は遺伝子を引き継ぎます。
    それ故に、一種の隔世遺伝で子供が発病するリスクがあります。

    或は、遺伝していきますから何世代後に発病するリスクもあります。
    改めて下記映像で、火病の症状をお確かめ下さい。


              ◆       ◆       ◆

    以下は、韓国女性の火病で発狂した映像二つです。

    【韓国人】本気で通院をお勧めしたい韓国人の発狂【火病】




    これが火病?韓国のキチガイ女がタクシー運転手に頭突きの連打


                          ◆

    下記は、韓国男性が火病を発病した動画です。

    (ABCテレビ)
    韓国人がニューヨーク発の旅客機で大暴れ~乗客撮影の火病映像、感動のラスト


    2014/06/16 に公開
    ABC報道によると、米ラスベガスに向かっていたジェットブルー211便機内での騒ぎ­に飛行機はデトロイトに緊急着陸して大騒ぎの男を降ろし2時間後に目的地へ向かいまし­た。
    搭乗客 「寝ていた男が突然壊れ怒りだした、火病に乱暴で、とても怖かった」

    (この記事の他の詳しい内容のユーチューブ)



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    11月1日『武士道』について記事にしようと取り組み始めてから早一週間。
    便箋にしたらたった二枚程度のなのに未だ出来ていない。
    投入時間は30時間を超えているのに。

    とりあえず、『武士道』の顕著な例として、台湾統治時代に関してのユーチューブのうちの幾つかを貼っておきます。

    これらの動画全体に流れるのは、『武士道』であり『大和魂』なのです。
    表現を変えると『日本の精神』『日本人の心』でしょうか。

    尚、戦後、教師やマスメディアが言う『武士道』と『大和魂』は、平安時代から戦前まで培ってきた『武士道』や『大和魂』とは全く違う捏造されたものです。

    これらの動画の中での日本人の行動が何故『武士道』や『大和魂』なのかは、後日、説明します。

    (注)以下の動画で映像が出ないPCの方は、各URLをクリックして下さい。

              ◆       ◆       ◆

    ● 【重要証言】「日本の兵隊さんは本当に素晴らしかった」【ザ・ファクト】

    2013/09/08 に公開  
    日本統治下の台湾で生まれ育った楊素秋さん(81歳)に当時の台湾の様子を伺いました­。楊素秋さんの証言によると、自虐史観が言うように「日本の軍人は先の戦争でアジアの人­々を苦しめた」のではなく、むしろ「日本の軍人は素晴らしかった」ということが分かり­ます。
    http://youtu.be/lU1qpkVe7rA (←URLをクリック)


    ● 【重要証言】「台湾の基礎は日本人が作った」【ザ・ファクト】
    http://youtu.be/4rvuDtLiOyI (←URLをクリック)   5分15秒


    ● 日本と台湾は一心同体:Japanese and Taiwanese like each other
    (注)自虐史観に洗脳された日本の若者たちと台湾の婦人との会話
    http://youtu.be/gwPwOrmdlMs (←URLをクリック)  10分29秒



    ● 台湾で愛された日本人、八田 與一   7分41秒
    http://youtu.be/hqJsay0rXog (←URLをクリック)



    ● 八田與一(与一)と嘉南地方、嘉義農林学校  7分40秒
    http://youtu.be/WEAF4MaxoV0 (←URLをクリック)


    ● 米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より
    http://youtu.be/YG9HvrgwmaM (←URLをクリック)   7分26秒


    ● 親日国 日本の台湾統治の真実 『もう一度日本時代に戻りたいです』
    http://youtu.be/l7y34x-BVP8 (←URLをクリック) 7分41秒


    ● 新台湾と日本 10分6秒
    http://youtu.be/vlxBNCeeFjc (←URLをクリック)



    ● 1-13 忘れ去れた台湾史 日本時代編 【訳付き版】
    http://youtu.be/NGE8ZWYy8XQ (←URLをクリック)
    (注)No.2以降は、このサイトを開いてから選択して下さい。




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    この一週間、記事としてまとめ切れない『武士道』。


    『武士道』というだけで、嫌悪を抱く方が多いと思いますが、戦後、プロパガンダにより戦後の日本人の脳に打ち込まれた『悪辣武士道』という概念とは全く違うのです。

    日本民族の根底に流れる『武士道』の具体的事例が、先ほどの「フィギュアGPシリーズ第3戦・中国杯」(8日、上海)での羽生選手のアクシデント⇒演技⇒会場を去るまでの姿にありましたね。

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    『武士』とは『武士道』とは、『終わり無き局地を求める自己との戦い』とでも言いましょうか。個々其々の哲学でもあったんですね。





    今日一回目の更新記事
    台湾統治時代の日本の精神とは

    (追記)
    11月9日(日)の更新記事
    武士道と大和魂を知る序




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    『武士道』について書こうと着手してから9日目に入りました。
    何しろこの題名で何冊も本が出ていますし、1900年に10年も費やして一冊の本とした人がいたぐらいですから、調べると調べるほど混迷難解に陥ります。

    もう時間切れですので、道半ばですが、ここで記事にしておきます。

    尚、ここでは書いていませんが、私の独断と偏見によると、『大和魂』『武士道』の源流は、古代イスラエル(人)にあるのではないかと思っています。

    (参考)私のブログ記事
    古代イスラエル人と日本人 2013/4/21(日) 

              ◆       ◆       ◆

    『武士道』『大和魂』と聞いただけでイコール『軍国主義』⇒暴力・虐殺であるとし、嫌悪感を抱くのが戦後の教育を受けた我ら日本国民ですね。

    (注)戦後、GHQの『武士道』『大和魂』イコール『軍国主義』とする捏造解釈で、日教組が率先して児童・生徒を洗脳した。

    武士道を理解するには、『武』・『士』・『道』と文字を分けたら分かり易いかも。簡略に言えば、武士道とは『道徳』、或は、『いかに生きるべきか』ということでしょうか。


    考えてみて下さい。

    群雄割拠の戦国時代では大名同士が殺し合い、多くの血が流れましたね。
    然し、ご存知徳川時代に入り、戦国時代は終わりました。

    関ヶ原の戦いで日本には中央集権の徳川幕府が出来、戦乱は消えて行き、太平の世の中になって行ったことは私が改めて言うまでもありません。

    江戸幕府は武家を統制するために武家諸法度(ぶけしょはっと)という法令を定めました。戦国時代の武闘から「文武両道」への切り替えですね。

    この武家諸法度は、何度か改訂されていきますが、どの段階でも、最初の項目では「学問」と「武芸」を唱えています。

    では、ここに言う学問とは何ぞや?
    それは『朱子学』であり、江戸幕府はこれを正学としたのです。

                       ☆

    (参考)朱子学とは、

    ① 南宋の朱熹によって再構築された儒教の新しい学問体系。自己と社会、自己と宇宙は、理という普遍的原理を通して結ばれており(理一分殊)、自己修養(修己)による理の把握から社会秩序の維持(治人)に到ることができるとする、個人と社会を統合する思想。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6

    ② 朱子学は、宋以前の儒学とは違い、極端にイデオロギー学だった。
    正義体系であり、別の言葉で言えば正邪分別論の体系でもあった。
    朱子学が得意とする大義名分論というのは、何が正で何が邪と言う事を論議する事。しかし、こういう神学論争は年代を経ていくと、正の幅が狭くなり、鋭くなり、ついには針の先端の面積ほどもなくなってしまう。その面積以外は、邪なのである。
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315102158

    (参考)西郷隆盛や吉田松陰は、ともに朱子学ではなく陽明学

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E8%AB%AD%E8%A1%8D%E7%BE%A9

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    (参考)1890年(明治23年)、『教育勅語』が下賜されると六諭(りくゆ)は近代日本の道徳思想として本格的に採用された。

    (参考)六諭(りくゆ)とは、1397年に洪武帝が発布した「孝順父母、尊敬長上、和睦郷里、教訓子孫、各安生理、毋作非為

    「父母に孝順なれ。長上を尊敬せよ。郷里に和睦せよ。子孫を教訓せよ。各々生業(=職業)に安んぜよ。非為(=非行)を作(な)すなかれ」の六箇条


                       ☆
     武家諸法度改訂例

    最初の武家諸法度『元和令』
    発布 - 1615年(慶長20年)
    将軍 - 徳川秀忠
    条数 - 13ヶ条
    起草 - 崇伝
    備考 - 徳川家康の命で起草。

    『寛文令』 
    発布 - 1663年
    将軍 - 徳川家綱
    一文武弓馬之道、専可相嗜事
    (学問や武芸に熱心に取り組む事)

    『条々(寛文三諸士法度)』 
    一忠孝をはげまし、礼法をただし、常に文道武芸を心がけ義理を専にし、風俗を乱すべからざる事
    (忠孝をはげまし礼法をただし、常に文道武芸を心がけ義理を専にし、風俗を乱さぬ事)

    『天和令』
    一文武忠孝を励し可正礼儀事
    (学問武芸に励み忠孝を尽し、礼儀を正しくする事)

    http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_hatto_main.html

    (注)尚、文武両道の源流は、源頼朝の鎌倉時代にあったようです。

                           ☆

    つまり、この徳川300年弱の平和な時代に、戦わない武士の学んだことは、戦いで人を殺すことではないんです。

    『死するとはなんぞや、死するまでどう生きるか、どうあらねばならないか』の精神を、主に『仏教』、『神道』、『儒教』から、歴史的事実、格言、口伝から、学んだんです。

    そして剣道や書道・茶道は精神の育成ということでしょうか。
    代表的な言葉としては、柔道は『礼に始まり、礼に終わる』でしょうか。

    その精神が武家社会から一般大衆に文化と共に浸透して行くんです。
    ここに、日本のアイデンティティである『大和魂』と両立していくんですね。

    (注)アイデンティテ(ィidentity) 同一性。
    〔哲〕 あるものが時間・空間を異にしても同じであり続け,変化がみられないこと。

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    『大和魂』とは一言で言えば『桜花』ですね。

    (注)『大和心』や『日本の精神』と同義語。
    『根性』の意味ではない。

    もう少し長く述べると『大和魂』とは、古くは中国から、近代では西欧から、日本に伝来された知識・学問を基礎とし、日本の実生活に合わせた日本独自の新しい文化を作りましょうという概念ですね。和魂漢才)

    具体例として最もわかり易いのが今の日本の文字でしょう。
    中国伝来の漢字を基礎として平仮名・カタカナを創作してるんですね。

    (参考)漢字の意味に拘わらず、日本語の一音節の表記の為に用いた万葉仮名(男仮名)から独立した平仮名(女手)・片仮名へと変化。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E4%BB%AE%E5%90%8D

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    そして『源氏物語』という世界文学史上に燦然と輝く“偉大なる恋愛小説”が日本で生まれるのですね。

    『和歌』も中国の漢詩から日本的なものに変遷したものでしょう。
    近代では西欧から学んだ技術を取り入れ、より高度化していく。

    徳川時代は鎖国で一時停滞しましたが、明治維新以降、「追いつき追い越せ」であり、列挙したら山ほどありますね。

    敢えて述べると日本車もそうですし、極く最近では青色発光ダイオード(LED)。
    これが大和魂の為せる業ですね。

    『大和魂』と言うよりも『大和の心』と言った方が理解し易いかも。
    プロパガンダに洗脳された『大和魂』の解釈と本当の『大和魂』は全く違うでしょう。

    『大和魂』について、ウィキペディアでは以下のように述べられています。
    源氏物語から始まり、時代と共にニュアンスが変化して行くんですね。

                         ☆

    『大和魂』の語の初出は、『源氏物語』の『少女』帖とされている。

    中国などから流入してきた知識・学問をそのまま日本へ移植するのではなく、あくまで基礎的教養として採り入れ、それを日本の実情に合わせて応用的に政治や生活の場面で発揮することである。

    そのうち、大和魂は、机上の知識を現実の様々な場面で応用する判断力・能力を表すようになり、主として「実務能力」の意味で用いられるとともに、「情緒を理解する心」という意味でも用いられていた。

    江戸時代中期以降の国学の流れの中で上代文学の研究が進み大和魂の語は本居宣長が提唱した「漢意(からごころ)」と対比されるようになり、「もののあわれ」「はかりごとのないありのままの素直な心」「仏教や儒学から離れた日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」のような概念が発見・付与されていった。

    宣長は「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」と詠んだ事でも知られる。 

    江戸後期になると国学者によって、大和魂の語は、日本の独自性を主張するための政治的な用語として使われ、そうした中で、遣唐使廃止を建言した菅原道真が、大和魂の語の創始者に仮託されるようになった。 

    このような傾向は、儒学の深化と水戸学・国学などの発展やそれによる尊皇論の興隆に伴うものであり、近代化への原動力ともなった。(中略)

    日露戦争戦勝以降の帝国主義の台頭に伴い、国家への犠牲的精神とともに他国への排外的・拡張的な姿勢を含んだ語として用いられていき、「大和魂」という言葉も専ら日本精神の独自性・優位性を表現するものと解されるようになった。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E9%AD%82

                           ☆

    他方、徳川時代に『武士道』という体系的なものがあったのではありません。

    (参考)武士が自らまとめた武士道として知られるのが「葉隠」(肥前国佐賀鍋島藩藩士・山本常朝)、五輪書((宮本武蔵)、士道(山鹿素行)

    不文律(ふぶんりつ)だったのです。

    言わば武士とは局地を求める終わり無き自己との戦い』とでも言いましょうか。
    個々人の哲学でもあったんですね。

    (参考)『大和魂』に於ける道徳とは、日本建国・日本国家に対する大義名分の精神に基づく実行の動機が極めて純粋であって、利己の要素はない。ここが『武士道』に於ける人間の利己から発達した道徳と根本的に相違する。『大和魂』とは日本固有の宗教心である。

                ◆         ◆         ◆

    『武士道』を体系的なものとし、英文の書でそれを表し、そして世界に『武士道』を紹介したのが新渡戸稲造(にとべ いなぞう)氏です。

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    この方の写真は、私たちがいつも見ていましたね。
    そうです。旧五千円札です。

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                  (妻メアリ日本名・新渡戸万里子と共に)

    彼が「武士道」を著す契機となった事由を、その序文で以下のように記されております。

    PREFACE TO THE FIRST EDITION
    ABOUT ten years ago, while spending a few days under the hospitable roof of the distinguished Belgian jurist, the lamented M. de Laveleye, our conversation turned during one of our rambles, to the subject of religion. "Do you mean to say," asked the venerable professor, "that you have no religious instruction in your schools?" On my replying in the negative, he suddenly halted in astonishment, and in a voice which I shall not easily forget, he repeated "No religion! How do you impart moral education?" The question stunned me at the time. I could give no ready answer, for the moral precepts I learned in my childhood days were not given in schools;and not until I began to analyse the different elements that formed my notions of right andwrong, did I find that it was Bushido that breathed them into my nostrils   

    The direct inception of this little book is due to the frequent queries put by my wife as to the reasons why such and such ideas and customs prevail in Japan. In my attempts to give satisfactory replies to M. de Laveleye and to my wife, I found that without understanding feudalism and Bushido,  the moral ideas of present Japan are a sealed volume. (以下省略)

    上記を意訳した文がありましたのでそれを借用し以下に転記します。

                         ☆

    新渡戸稲造氏が『1889年頃、ベルギーの法学者・ラヴレー氏の家で歓待を受けている時に宗教の話題になった。ラヴレー氏に「あなたがたの学校には宗教教育というものがないのですか?」と尋ねられ、ないと答えると「宗教なしで、いったいどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか?」と繰り返された。私はその質問に愕然とし、即答できなかった。』

    その後、彼は当時の日本の道徳観念は封建制と武士道が根幹を成していることに気付き、整理したものを書物という形にして世に出すことになった。

                         ☆

    新渡戸稲造氏著の英文書『武士道』は1900(明治33)年1月、米国フィラデルフィアのリーズ・アンド・ビドル社より刊行されました。
    (注)日露戦争 明治37年(1904年)~明治38年(1905年)

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    BUSHIDO
    The Soul of Japan
    An Exposition of Japanese Thought
    by Inazo Nitobe

    (注)日本でも1908(明治41)年に訳されている

    (参考)
    "Chivalry is itself the poetry of life."
    「騎士道は人生​​の詩そのものである。」 歴史哲学者シュレーゲル、


    彼が著した「武士道」を手にした当時のルーズベルト大統領は多忙にも拘わらず徹夜で読破し、感銘し、新たに30冊を購入し、近隣者に配ったと言われています。

    他方、ルーズベルト大統領は世界の要人に是非購読するように勧めたことから、世界各地で翻訳されベストセラーになりました。(注)英語のみならずポーランド、ドイツ、ノルウェー、スペイン、ロシア、イタリアなど、多くの国の言語に翻訳。

    つまり、近代以降の世界各国が認識し絶賛した「サムライ」「武士」の姿は、新渡戸「武士道」に大きく影響された、と考えることができるわけです。


                         ◆

    改めて申しますが新渡戸稲造(にとべ いなぞう)著作の「武士道」の根底にあるものとは以下の三つです。

    1.仏教(特に禅宗)の無常観・死生観・禁欲志向。
    2.神道の先祖崇拝・清浄心。
    3.儒学(特に朱子学)の倫理観。

                         ◆

    繰り返しますが、
    日本人の民族性は昨日今日身に付いたものではありませんね。
    それは日本民族の脳幹に、DNAに、深く刻まれたものがありますね。

    それが『大和魂』と『武士道』です。

    私のブログ記事に書いていたように、大震災に遭遇した日本人の当然なる行動が『大和魂』と『武士道』によるものだと言うと反発・否定される方が多いでしょうね。 


    では逆に質問します。

    大地震の時の世界が驚愕した日本人の当たり前の行動の源泉はなんなのですか?
    この日本人の当たり前の行動は、いつ、いかなることで日本人のDNAに深く刻まれたのですか?

               ★       ☆       ★

    改めて私の過去のブログ記事をお読み下さい。儒教が生まれた発展した中国(人)とその儒教を学んだ日本(人)は、何故に全く違ったのでしょうか。

    日本人の血と遺伝子とは  2014/3/16(日)
    ベトナム中を涙させた少年の話


    日本人の脳幹に潜むもの 2014/3/17(月) 

    ① 日本人社員、20人の中国人研修生を助けて避難させた後、津波に呑み込まれて行方不明

    ② 東北大学留学の中国人学生が迫真の仙台脱出談=「日本人の優しさに感動」―中国紙 

    ③ 中国人留学生が見た東日本大震災、被災地の人々の姿に感動―中国メディア
    食料配給は日本人も中国人も平等、中国人研修生が震災時に知った日本人の暖かさ―中国紙

    ④ <中国人が見た日本>日本人の態度は称賛に値する、震災でもマナー変わらず

    ⑤ <中国人が見た日本>未曽有の震災で浮き彫りとなった日本と中国の国民性の違い

    ⑥ 「まるで無声映画」、大震災でも秩序を崩さない日本人に喝采―中国紙 

    日本人の分かち合う心  2014/3/18(火) 

    台湾統治時代の日本の精神とは  2014/11/8(土) 

    ここに掲載したユーチューブでは、大東亜戦争時代の『大和魂』について台湾の人たちが証言しています。
                                       つづく





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    先日の11月10日(月)紅葉狩りの帰路、芦津渓谷の途中にある山菜料理のみたき園に寄りました。と言っても土産物を買うために。

    売店でご婦人方が買い物している間、私はブラリブラリ。
    地鶏(?)が観光客慣れして近づいても微動だにせず。

    不思議なのはうさぎさん小屋。
    地面にダシをとった後の煮干をいっぱいばら撒いている。
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    どうやら文部科学省制作資料(獣医師会協力)に「ウサギ用飼料がない場合は煮干しも与える」と書かれているとのこと。

    そんな馬鹿な!
    私も田舎の小学校高学年の時、友達から70円で子うさぎを買い、自宅で飼ったものだが、煮干を餌としてあげるなんて聞いたことがない。

    そこで調べてみました。

                 ◆       ◆       ◆

    〔文部科学省委嘱研究〕
    「学校における望ましい動物飼育のあり方」 日本初等理科教育研究会

    この文中15ページ『エサ』の欄に『ウサギ用飼料がない場合は煮干しも与える』と確かに書いてある。

    作成委員 (五十音順)
    (職名は平成12年3月末日現在)
    大 西 秀 彦  筑波大学附属小学校教諭
    小野寺 萬亀子  東京都文京区立ちどり幼稚園長
    加 藤   稔  千葉県習志野私立秋津小学校教諭
    桜 井 富士朗  (社)東京都獣医師会理事
    澤 田 妙 子  神奈川県川崎市立宮崎小学校教諭
    白 岩   等  筑波大学附属小学校教諭
    鷲 見 辰 美  筑波大学附属小学校教諭
    一寸木   肇  神奈川県足柄上郡大井町立大井小学校教諭
    辻   弘 一  (社)東京都獣医師会会長
    露 木 和 男  筑波大学附属小学校教諭
    中 川 美穂子  日本小動物獣医師会
    学校飼育動物対策委員会副委員長
    福 島 有 子  東京都文京区立明化幼稚園長
    藤 井 千恵子  東京都千代田区教育委員会指導主事
    森 田 和 良  筑波大学附属小学校教諭       
    山 口 令 司  筑波大学附属小学校副校長
    協     力: (社)日本獣医師会

                         ★

    下記の方が上記の文科省の内容は誤りであることを詳しく述べられています。

    ウサギに煮干し?!
    文科省作成「学校における望ましい動物飼育のあり方」
    Posted on 2011年12月8日 by mogumogu

    文科省が作成した「学校における望ましい動物飼育のあり方」の中の記述に思わず目を疑ってしまいました……。



                         ★

    (参考)
    うさぎに与えてはいけない食べ物

    うさぎに人間の食べ物、刺激物,嗜好品は一切だめ。

    良く知られているように、うさぎは牧草や草原の植物を主食にしている草食性の動物です。ですから、本来草や木の芽や樹皮などを栄養源としている草食性のうさぎには、人間の食べ物のほとんどを食べることができません。

    もし食べたとしても、消化できなかったり、場合によってはそれがもとで、体調を壊したり死んでしまうこともあります。

     たとえば、お肉や魚などがそうですね。もともと草原の草を食べて生きるうさぎには、一切必要ないものですし食べても消化することができません



                 ◆       ◆       ◆

    結論を言えば、今の教師連中って何の疑問も抱かず、考える力が無いんですね。やはり暗記中心の下で育ったから幼少時代から右脳が未発達なのですね。

    それと、名前を連ねるとお金を貰えるから名前を貸した教師や、うさぎの知識の無い獣医や獣医師会も名前を貸すとお金を貰えますからね。

    こんなアホな教えで今の子供たちは育っているんですね。

    教師の教えることは全て正しいと教えられているから、恐らくこのみたき園の子供が親に『うさぎには煮干を与える』と教えたのでしょうか。

    このような問題は『うさぎに煮干』だけではないでしょう。

                       あな、恐ろしや。



    (参考)
    今日、二回目の更新記事
    『2014 晩秋の山陰路』



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  • 11/12/14--18:32: 2014晩秋の山陰路

  • 紅葉狩りで山陰路へ行きましたが、渓谷ではもう落ち葉の季節。 
    一週間遅かった。 ・゜・(ノД`)・゜・



    《最近の紅葉狩り》

    ●紅葉狩りで芦屋から有馬温泉へ   2011/11/26(土) 
    ●男を挑発する女性は高速バスにもいる   2012/10/29(月) 
    ●大江戸温泉物語きのさき  2012/12/22(土) 
    (2012/6/22(金)の城崎温泉)
    ●山陰路、里の初秋   2014/9/23(火) 



    先日11月9日(日)午後自宅発。
    途中、前回9月と同様、加西サービスエリアで休憩。
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    夕食はセコガニ(松葉ガニのメス。親ガニとも称す)

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    イメージ 3
    今回の目的は紅葉狩り。

    何しろ、脚の悪いご婦人二名ご乗車なので、歩かなくてもいい場所は芦津渓谷だという。(三滝)

    もう一つの私の目的は、松葉ガニ。
    (ズワイのオス蟹)

    解禁が三日前の11月6日。

    処が処が、ご婦人連中、カニはそんなに好きではないし、それに解禁になったばかりで値段が高いから止めようという。

    確かに今のカニ一杯の値段で12月頃だと、梅田からカニ食べ放題の山陰日帰りバスツアーに乗れる。

    トホホ・・・だね。
    セコガニでセコく我慢我慢。

    翌朝の10日(月)は曇りでも偶にお日様が顔を出す。
    鳥取から40分ほど南下し智頭から芦津渓谷(三滝)へ。

    智頭からはもう一つの渓谷があるのだが、歩かなきゃならんとか。
    それと10年前その渓谷に架かる町管理の吊り橋を外人さん家族が渡ったものの、朽ちた橋桁から子供が落ちて亡くなったとか。

    芦津渓谷の入口にトウチャコ。

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    芦津渓谷に入るも、一週間遅かった。
    枯葉舞い散るというよりも、枯葉が敷き詰められて・・・。

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    未だ赤い紅葉が残っていて日差しを浴びて輝く光景をビデオに収めようとするも、何故かメモリがいっぱいとの表示。操作を間違った。デジカメでのパチリも忘れ・・・。

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    三滝ダムに到着も、ダムは水を抜いて工事中。
    ダムを横切る道も工事業者の車両が道を塞いでいて渡れず。

    こんな調子だから例え水が満ちたダムでも、紅葉はトホホだね。

    帰路、芦津渓谷の途中にある山菜料理のみたき園に寄る。
    と言っても土産物を買うために。

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    ここでは茅葺き古民家風の離れが幾つかあって、そこで食事をとるスタイル。
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    昨年、マンマは息子夫婦とここで昼食をとったとのこと。
    山菜料理は都会育ちなら美味しいけど、田舎育ちの我らには美味しく感じられるのは早春のみだから・・・・。

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    やまめの焼き魚も味噌だから? もひとつ口に合わなかったとか・・・・。

    売店でご婦人方が買い物している間、私はブラリブラリ。
    地鶏(?)が観光客慣れして近づいても微動だにせず。

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    不思議なのはうさぎさん小屋。
    地面に餌として煮干をばら撒いている。

    このうさぎさんのことは、今日の一回目の記事に書いています。
    『うさぎに煮干』で分かる学校教育の恐ろしさ  2014/11/13(木) 

    さて、それから北上し、鳥取市街地の手前を左折し、湖山池(こやまいけ)へ。

    (参考)湖山池とは
    沿岸部の湖山砂丘(古砂丘、新砂丘)の発達により形成された潟湖。周囲18km、面積6.9km2、平均水深2.8m。池内には5島(青島、津生島、団子島、猫島、鳥ケ島)があり、6河川(福井川、長柄川、湯尻川、三山口川など)が流入し、その広さは池と名のつくものであれば日本一の面積。京都府下の埋め立て前の巨椋池(おぐらいけ)よりちょっとだけ小さい。

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    遊覧船が就航しているんですね。
    実はこの池からちょっと山手に入った所に近県から嫁いできたブログ友がいて、メルアドを教えてもらっていたけど、彼女は勤務中なので遠慮したの。

    (参考)巨椋池(おぐらいけ)とは、
    京都府の南部、現在の京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがる場所にかつて存在した池。干拓前の巨椋池は東西4キロメートル、南北3キロメートル、周囲約16キロメートル、水域面積約8平方キロメートル(約800ヘクタール)、平均水深は90センチメートル。古くは『万葉集』や谷崎潤一郎著の『蘆刈』(お遊さま)に登場する。

                          ☆

    ホテル側の指定するチェックイン時刻よりも1時間半早くホテルに入り昼風呂。
    なる程、入浴しながら湖山池(おやまいけ)と島々が眺められる。
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    朝風呂の方が視界が広がっている。
    だが夕も朝も何れもぬるい。
    朝風呂は熱めにさっと入りたかったが残念。
    但し、どうやら女性の入浴の場合は朝夕何れも熱めなようだ。
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    クチコミでは皆さん、夕食もバイキンキングの朝食も美味しいし従業員の応対もいいとのことでしたが、どうやら私、クチコミの皆さんと口が違うようだ。

                  ◆       ◆       ◆

    11日(火)は朝から快晴。
    まさに柿の秋。
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    辛うじて未だ枯れていない紅葉を発見。
    おばちゃま方がパチリぱちり。
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    鳥取自動車道では途中、智頭インターで何故かほぼ全車が降りていく。
    前を走るのは私だけ?
    その理由が分かったのは・・・・。
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    暫く走ったら工事中とかで9月と同様途中で降ろされる。
    今回は佐用インターの三つ手前の西粟倉インターで。
    ここから国道372号線を南下。

    それが問題。
    ろくな道路標識が無い。

    途中、福山通運の運ちゃんに色々聞くと、国道372号線は狭くて走りづらいから、国道429号線で美作に出た方がいいとのことだが、構わずそのまま走る。

    峠なんかは一車線しかない。
    それも狭い狭い。
    こりゃ、山道じゃ。
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    で、無事、佐用インターから中国自動車道に入って帰還。



    (参考)
    京都・滋賀の紅葉情報



    0 0
  • 11/15/14--00:15: ネクスト安倍は?

  • 色々な視点がある。
    安倍と麻生のバックは、同じ国際金融資本系。
    だからこの二人、仲が良い。

    今の共産党中国を創ったのが国際金融資本。
    国際金融資本のビジネスは麻薬。
    故に、次期大統領はヒラリー・クリントンで動いている。
    他方、日本では?



    安倍晋三首相が、習近平国家主席に「冷遇」されて「小沢一郎代表でなければ、日中・日韓外交はダメだ」の声 板垣英憲 2014年11月12日 07時06分05秒 
    http://www.asyura2.com/14/senkyo174/msg/369.html

    ◆安倍晋三首相が11月10日午後、北京市で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席する前、人民大会堂で習近平国家主席にあからさまに「冷遇」されたのを映像で目の当たりにした日本国民の多くは、「やっぱり小沢一郎代表でなければ、日中・日韓外交は、ダメだ」と声を上げ、いまさらながらに、再認識かつ再確認させられたに違いない。

     小沢一郎代表は、ゴールデン・ファミリーズ・グループ、フリーメーソン・イルミナティが「世界の指導者」として「総理大臣就任」を待望しており、いうまでもなく、日米、日中、日韓、日ロをはじめ、各国との外交を縦横無尽に展開できる国際的政治家である。

     習近平国家主席と李克強首相は、2013年3月に就任した直後から、小沢一郎代表に会いたがってきた。小沢一郎代表も同様で、直接会って「お祝い」の言葉を贈りたかった。

     しかし、野党党首の立場で、中国最高指導部「チャイナ・セブン」のトップに会えば、「二重外交になる」と首相官邸や外務省、あるいはマスメディアに厳しく批判されるのを恐れるあまり、習近平国家主席と李克強首相との面会を遠慮してきた。

     このため、習近平国家主席と李克強首相は、安倍晋三首相はじめ日本の政治家はもとより、財界・経済界のトップから面会を求められても、一切応じようとしてこなかった。

    ◆財界天皇と言われる経団連の日本経団連の米倉弘昌前会長(住友化学会長)はじめ「日中経済協会」の財界人は毎年恒例の「訪中団」を2013年5月8日~11日の日程で組み、習近平国家主席、李克強首相に面会を申し込んだものの、すぐに断られている。(中略)

    ◆また、安倍晋三首相は11月10日夜、北京市で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の夕食会で、席がアルファベット順で隣だったため、自然な形で韓国の朴槿恵大統領と会話を交わした。両首脳の会話は、3月にオランダ・ハーグで開かれた日米韓3カ国首脳会談以来、約8カ月ぶりだったが、「サシ」での日韓首脳会談は、朴槿恵大統領が嫌っているため、実現していない。

     こうした日韓関係を最も憂いているのが、小沢一郎代表である。朴槿恵大統領が2013年2月25日就任した際、その就任式に招かれている。(以下省略)



    上記と同様、フリーメンス・国際金融資本の望む次期米国大統領はヒラリー・クリントンであることは以前にも述べていましたね。
     
    国際金融資本=米国の権力の源にあるのは、中国との麻薬取引。
    ヒラリー・クリントンは中国の麻薬と密接な関係がある。

                         ☆

    (参考)前回までの私のブログ記事
    米国を脅す中国 2014/6/11(水)
    クリントン、米本土海軍港を中国に譲渡 2014/6/12(木) 
    中国無しでUSAの国体維持は不可能  2014/6/18(水)
    共産主義のヒラリー・クリントン  2014/6/20(金)
    ヒラリー・クリントンへ中国政府からの政治献金 2014/6/22(日)
    米国崩壊を拍車するヒラリー  2014/6/26(木)
    環太平洋合同演習に中国の初参加は何の前兆か?




    前記、板垣英憲氏のスレに対してのレスから一部を抜粋。
    各々意見は異なるとは思いますが、下記のスレは一考の価値があると思います。

    20. 2014年11月13日 04:58:17 : 9AxojYkm0I 
    李克強首相は北京大学の学生だった頃、度々、来日し、小沢宅に泊まり、
    一時は書生をやっていた。極めて、知日派・親日であり、小沢氏を父のごとく
    慕っているという。

    習近平国家主席は政治局常務委員だった頃から江沢民主席が次期主席と決めていた。そのことは、日本はもとより世界中に知れ渡っていた。

    2009年12月に来日し天皇陛下にお会いしようとしたら、宮内庁の羽毛田長官が屁理屈のようなことで邪魔をし、マスコミも同調した。

    民主党の幹事長だった小沢一郎氏がこれを、「国家の大損失」と剛腕でねじ伏せ、
    天皇陛下との会見に至った経緯がある。

    羽毛田の邪魔で会見できなければ、習近平氏の権力の掌握も困難に直面したで
    あろうし、その後の日中関係にも大きく影響しただろう。

    小沢氏は習近平氏にとって大恩人なのだ。

    という事で、中国のナンバー1と2が小沢氏と極めて親密な関係にあり、
    安倍氏がどんなに逆立ちしても小沢氏には及ばない。

                        ◇

    29. 2014年11月13日 11:08:28 : VPS1XfXGRM 
    中国のNO1国家主席及び NO2首相は大体10年の任期です

    欧州とアフリカを合わせた規模の中国市場を抜きにし経済がて成り立つ国は
    世界にないでしょう。数年で米国を市場規模で追い抜く訳ですから

    この中国のトップに相手にされてない日本の首相、
    オバマとは10時間も時間を共有し安倍とはたったの25分 
    米国も出がらしの日本より当然中国との友好関係を構築するでしょうね、

    日本の劣化メディアは中国のネガキャン報道ばかりしていますが
    このトップの任期はまだ殆んど残っています
    この状態がもし続けば日本は再起不能の貧困国家になるでしょう

    現にシンガポール香港台湾等の経済発展は著しいものがあります。

                      ◇

    42. 2014年11月13日 20:11:58 : Q1AShcAlNU 
    >37 中国の犬である小沢?
    小沢さんが首相になったら中国は日本の羊になるよ。

    小沢さんは毎年欠かさず、アメリカの黒人の子供たち20人と、中国からは青年団を自費で日本に招待し、日本の文化を紹介している。つまり草の根外交というやつを25年間続けている。

    その中国青年の1人がたまたま中国主席になったということで小沢さんに御恩返しをしたいと思っているでしょう。

    小沢さんは韓国大統領とも面識がある。韓国の国際大学は、小沢さんに今年の夏名誉博士号を授与している。

    外交で一番重要なのは個人の人間関係。米国の国務大臣も外国政府高官と個人的に面識がある人が抜擢されている。他の国々も同じ。

    今、日中、日韓関係を改善できるのは、小沢一郎氏しかいないということです。

    >06 <小沢さんになれば日中の問題は良い方向に向かうんですか。
    その良い方向とは、具体的にどうなることなんでしょう>

    中国の人口:13億6700万人
    米国:   3億1800万人
    日本:   1億2700万人

    日本の輸出業企業にとっては中国の市場は喉から手が出るほど欲しい。ところが、安倍政権直後2012年の日本の中国輸出は激減しています。その意味でも、小沢首相は衰退した日本経済の救世主になれる存在です。

    ここは党派を超えて、日本の国益に必ず寄与してくれる小沢さん率いる「生活の党」候補者を国会に送ろうではありませんか。

                          ◇

    59. 2014年11月14日 16:41:56 : m4Ybr2Egr6 
    2014.11.13 07:04

    【石平のChina Watch】
    首脳会談で敗者となった習主席
    http://www.sankei.com/column/news/141113/clm1411130004-n1.html

    日中首脳会談を前に握手を交わす習近平国家主席(右)と安倍首相=10日、北京の人民大会堂

     北京でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)で安倍晋三首相との初の首脳会談に臨んだ習近平国家主席の態度は異様なものだった。こわばった表情はホスト役としていかにも不自然で、笑顔の安倍首相に挨拶の言葉をかけられても反応すらしなかった。

     余裕のある安倍首相の自然体と比べれば、習主席の態度は稚拙そのものだ。国際会議の晴れ舞台で「自信満々の大国指導者」を演じていたはずの彼が何ゆえにこんな失態を犯したのか。

     政権発足以来2年間、習主席はずっと安倍政権と対決路線をとってきた。日本との首脳会談を拒否する一方、国内外においては「安倍叩(たた)き」を進め、「極右分子・危険な軍国主義者」などの汚い罵倒を安倍首相に浴びせた。そして尖閣周辺の海域と空域では日本に対する挑発行為をエスカレートさせている。

     一方の安倍首相はその間、一心不乱に中国包囲網の構築を目指すアジア外交を精力的に展開した。日米同盟を強化した上、東南アジア諸国との連携を進め、あらゆる国際会議の場を借りて「力の支配」を企(たくら)む中国に対する批判と牽制(けんせい)を行った。

    その結果、アジアで孤立を深めたのは中国の方であった。一時にはベトナムとフィリピンが反中国の急先鋒(せんぽう)となってしまい、ASEAN諸国の大半も安倍首相の中国批判に同調する方へ傾いた。気がついたら、習主席のアジア外交は袋小路に入っていた。

     習主席は何とか劣勢をはね返して外交を立て直そうとし、中国が議長国を務めるAPECが最大のチャンスとみて着々と動き出した。

    まずはベトナムとの対立を緩和させ、フィリピンとの領土紛争も一時的に休戦させた。経済援助を手段に一部のアジア諸国を手なずけた。準備万端整えた上で習主席はAPECの大舞台に立ったのである。

     しかし彼には心配事があった。安倍首相の出方だ。中国が招かなくても、安倍首相が国際会議参加のために北京にやってくる。

    そしてもし、安倍首相がこの重要会議において相変わらずの中国批判を展開していたら、中国にとっての晴れ舞台が台無しになってしまう。会議を利用してアジア外交を立て直そうとする習主席の企みは、ご破算になりかねない。

    中国は結局、安倍首相を「野放し」にするようなことはできなかった。そのためには首脳会談に応じる以外にない。もちろん中国はそう簡単に折れたくはない。「領土問題の存在を認める」「靖国は参拝しない」という2つの条件を日本側に突きつけた。

     しかし、安倍首相は最後までそれを拒否した。窮地に立たされたのは習主席の方である。

    そしてAPEC開催の3日前、日中間でようやく4項目の「合意文書」が交わされた。もちろんそこには「靖国」のやの字も入っていないし、日本が認めたとされる「異なる見解」は決して「領土問題」を指していないことは一目瞭然だ。つまり中国は、日本側に突きつけた2つの「条件」を自ら取り下げて首脳会談に応じた。

     こういうことを強く意識しているからこそ、安倍首相との会談の冒頭、習主席は自らの悔しさを覆い隠すために、条件を引き下げたことを国民の目からごまかすために、わざと無礼な態度をとって虚勢を張るしかなかった。その瞬間、習主席は文字通りの敗者となった。

    習主席にとっての問題はむしろこれからだ。「靖国不参拝」を約束しなかった安倍首相はいつでも参拝できるが、首脳会談に踏み切った習主席にしては、安倍首相に「参拝されたら」大変なことになる。

    今後、安倍首相に気を使わなければならないのは習主席の方だ。安倍首相を怒らせるようなことはそう簡単にできなくなる。首脳会談後の日中関係で優位に立つのは、結局安倍首相の方ではないか。



    「小沢一郎は朝鮮人」と西村眞悟先生 
    (↑ユーチューブ映像が出ない場合このURLをクリック)


                          ☆

    この韓国での講演全動画は、下記の記事の中にユーチューブで貼っています。
    [政治] 小沢「天皇を訪韓させることもできる」

    小沢氏の韓国での発言です。

    ・ 韓国国民が歓迎する場合は、来年 天皇を訪問させることもできる
    ・ 天皇陛下の行動は、日本政府が自由に決めることが出来ると憲法に規定されている。 
    ・ 日韓において不幸な時代があった。日本国民として謝罪しなければいけない歴史的事実である。
    ・ 韓国人が日本に移り住み、初代天皇になった。
    ・ 仁徳天皇陵を発掘したらはっきりするはずである。と著名な先生が唱えている。
    ・ これ以上言うと日本に帰れなくなるが(笑)歴史的事実であろう。
    ・ 天皇陛下も「桓武天皇の生母は百済の王女だった」と認めている。
    ・ 日本人は自立心が足りない国民だ
    ・ 母親からの教育:男の子は言い訳するな!泣くな!





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