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島本町水無瀬は、京都嵐山から流れる桂川(途中、鴨川と合流)・琵琶湖からの宇治川・奈良方面から流れる木津川の三つの川の合流地点です。ここから淀川となって大阪に流れます。 [[img(http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/7d/df/minaseyori/folder/1462267/img_1462267_55109248_4?1289239015)]] 島本町水無瀬については、谷崎潤一郎著小説「蘆刈(あしかり)」で結構詳細に述べられています。ここ水無瀬は、小倉百人一首を並べたら、水無瀬の情景になるという藤原定家の隠れた後鳥羽上皇思いの舞台です。 参照:「百人一首の秘密」著者林直道教授の公式サイト http://www8.plala.or.jp/naomichi/ 参照:「水無瀬絵図」小倉山荘サイト  http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin02.html (追記)小説『蘆刈』に基づく私のブログ記事 谷崎潤一郎原作・主演田中絹代 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43928675.html 愛するが故に妻との別離 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/43963187.html 阪急大山崎下車の谷崎潤一郎 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/46246160.html 京都に在った諏訪湖より大きな池 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/46870978.html 十五夜お月さんと山崎の橋 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61587198.html 水無瀬野の歴史 https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61399688.html (お知らせ)09.12.06 ①公序良俗に反するコメントや、因縁コメントは直ぐにカットします。 ②コメントは、空行も含めて10行以内でお願いします。➂私の記事や私見に反論のある方は、先ず自分のブログで論証してください。

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    ブログ友Bさんへ

    お問い合わせの秋田での墓参並びに観光の件
    ゲスブには書ききれないので、ここに記します。

                         記

    空港で航空会社の斡旋するレンタカーを借りるのが一番いいのですが、レンタカーを借りるのが不可となると観光先は限定されます。

    先ず、墓参りの件ですが、菩提寺がお分かりでしたら、そこに電話をして、墓の場所、墓石の場所を聞いておいた方がいいでしょう。無論、供花を購入できる店も。
    或は、返信切手を同封し、墓の場所、墓の配置図、バス停などを書いてもらう方法もあります。

    墓所の場所が判るが墓石が分からない場合は、かなり苦戦するかも。
    同性の墓がある可能性があります。

    墓石の色は何か、何と書いてあるのか、誰が何時建立したかを知っている人から確認しておきましょう。

    ここでのポイントは、空港から秋田駅のリムジンに乗って秋田駅へいくのですが、駅からホテルへ直行し、荷物を預けて再度秋田駅に戻り、お墓のある駅に行きましょう。真っ先に今回の用件を済ましてしまうことです。

    尚、秋田のJRは本数が少ないから、路線バスに乗車の方法もあります。
    ひょっとして、ホテルの近所にバス停があり、然も、お墓の近くにバス停があるかもしれません。その場合は、供花購入をお忘れなく。

                 ☆       ☆       ☆

    秋田市内に二泊でしたね。

    ホテルの近くは昔の繁華街『川反(かわばた)』ですから、郷土料理を満喫できるかも。ホテルでご確認下さい。

    秋田駅からの日帰り観光バスは以下の一本のみのようです。


    新幹線こまちを利用する手もあります。

    田沢湖の場合。
    新幹線こまち秋田⇔田沢湖は1時間おきに出ています。
    所要時間は1時間。片道2,840円(乗車券1,660円 特別料金1,180円)

    途中、角館に寄る場合
    小京都『角館』 武家屋敷

    新幹線こまち 秋田⇔角館 所要時間は47分
    片道2,500円(乗車券1,320円 特別料金1,180円)

    新幹線こまち 角館⇔田沢湖 所要時間は13分
    片道1,070円(乗車券320円 特別料金750円)

    田沢湖駅からは、羽後交通の周遊バスが走っています。
    田沢湖一周バス 各バス停時刻表
    田沢湖遊覧船時刻表

    尚、乳頭温泉に田沢湖駅(所要時間47分)、又は田沢湖畔(所要時間35分)から行く手もありますが、時間的には難しそうです。料金670~820円。
    各バス停時刻表
    料金表

                 ☆       ☆       ☆

    秋田に二泊せずに一泊にし、もう一泊を乳頭温泉にしたらいかがでしょうか。

    9月2日(宿泊人数1名)

    頭温泉郷 鶴の湯 (9/2空室状況不明)
    (注)インアターネット予約はしていなく、電話予約のみ
    TEL 0187-46-2139

    頭温泉 大釜温泉  (9/2空室あり)

    乳頭温泉郷 妙乃湯(たえのゆ) (9/2空室あり)

    田沢湖から乳頭温泉に行く途中にある温泉宿
    休暇村乳頭温泉郷 (9/2空室あり)


                 ☆       ☆       ☆

    帰路の秋田空港に行くのには、

    乳頭温泉から直接秋田空港ですと、時間が余りすぎます。
    2日は、十和田湖・乳頭温泉。
    3日は、角館観光をして、角館から『秋田エアポートライナー』に乗って空港に行くコースでしたら、ゆっくり出来るでしょう。

    『秋田エアポートライナー』時刻表と運賃表



    各乗降物の時間や料金などは、お確かめ下さい。

                       以上、参考まで。


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    皆さんご存知、ビルゲイツが講演していましたね。
    『世界人口は多すぎる。ワクチンで人口の15%は減らせる』・・・と。

    ワクチンと同様、世界人口削減のためにケムトレイルは世界で散布されているのです。その主体は、国際金融資本が支配する国連(the United)です。


    イメージ 1

    (2014.07.02 5:57 ケムトレイル。水無瀬から観る南の空。左は京阪樟葉駅)


    元FBI長官のテッド·L·ガンダーソンは、そのことを公表しましたが、彼らの手で毒殺されました。

    下記は、その記事です。

    尚、放射能高濃度の野菜を日本国民に食べさせるのも、彼らの意図する人口削減の一環であることはお気づきでしょう。

    The must be stopped. 

    イメージ 2

    ( 2014.07.02 11:56 ケムトレイル。水無瀬から観る南の空。左は京阪樟葉駅)


    イメージ 3

    ( 同日 19:11 ケムトレイル。高槻市上牧上空。この日の空は終日ケムトレイルだらけ)




    Monday, February 17, 2014
    2014年2月17日(月曜日)

    Former FBI Chief poisoned for saying Chemtrails Are Rea
    元FBI長官は、ケミトレイルはエアレーアであると言った為、毒殺された

    Symptoms indicate that Ted L. Gunderson was poisoned
    症状は、元FBI長官テッド·L·ガンダーソンが毒殺されたことを示しています。

                        ☆
    Former FBI Chief Admits Chemtrails Are Real - And Then He Is Poisoned And Dies
                       (英語版)


    Former FBI Chief, Ted L. Gunderson made a statement regarding chemtrails on January 12, 2011. Ted said the following:

    元FBIのチーフ、テッドL.ガンダーソンは2011年1月12日にケムトレイルに関する発表をしました。テッドは次のように言いました:。

    “The death dumps, otherwise known as chemical trails, are being dropped and sprayed throughout the United States and England, Scotland, Ireland, and Northern Europe.

    「化学の航跡(ケムトレイル)として名高い死をもたらす集積されたものは、アメリカおよびイングランド、スコットランド、アイルランドおよび北ヨーロッパの至る所で落とされ噴霧されつつあります。

    I have personally seen them not only in the United States, but in Mexico and in Canada.
    私はアメリカだけでなくメキシコやカナダで個人的にそれらを見ました。

    イメージ 4
    ( 2014.07.18 18:27 ケムトレイル。水無瀬から観る南の空。中央の小山は生駒山)

    Birds are dying around the world
    Fish are dying by the hundreds of thousands around the world.

    鳥は世界中で死んでいます。
    魚は世界中で何十万回の散布により死んでいます。

    This is genocide.
    This is poison.
    This is murder by the United 

    これは大量虐殺です。
    これは毒殺です。
    これは国連による殺人です。

    This element within our society that is doing this must be stopped. 
    私たちの社会で起きている大量虐殺を止められるに違いありません。

    I happen to know of two of the locations where the airplanes are that dump this crap on us. 
    私は、私たちの上に排便の如き撒き注ぐ飛行機の所在地の二箇所を偶々知りました。

    Four of the planes are out of the Air National Guard in Lincoln, Nebraska. 
    And, the other planes are out of Fort Sill, Oklahoma. 

    航空機のうちの4機はリンカーン(ネブラスカ)で国家航空警備隊の外にあります。
    また、他の航空機はフォートシル(オクラホマ)の外にあります。

    I personally have observed the planes that were standing still in Nebraska – Lincoln, Nebraska – at the Air National Guard. They have no markings on them.

    私は、まだネブラスカ、リンカーンの国家航空警備隊で駐機している航空機を個人的に観察しました。それらの航空機は機体に何の印もつけていません。

    They are huge, bomber-like airplanes with no markings. 

    それらは所属を表すマークのない巨大な、爆撃機のような飛行機です。

    This is a crime: a crime against humanity, 
    a crime against America, 
    a crime against the citizens of this great country. 
    The must be stopped. 

    これは犯罪です:。非人道的犯罪です。
    アメリカ合衆国に対する犯罪です。
    この偉大な国のアメリカ市民に対する犯罪です。
    そのカビ(非人道的犯罪)は止めなければなりません

    (以下、日本語訳省略)
    What is wrong with congress? 
    This has an affect on their population, and their people, and their friends, and their relatives, and themselves. What's wrong with them? What's wrong with the pilots who are flying these airplanes and dumping this crap, this poison, on their own families? Somebody has to do something about it. Somebody in Congress has to step forward and stop it now. Thank you. I'm Ted Gunderson.”

    イメージ 5
    イメージ 6

    ( 画像左 2014.06.25 18:41 ケムトレイル。水無瀬の山)
    ( 画像右 2014.07.15 15:03 ケムトレイル。高槻市 阪急上牧駅上空)

              ◆       ◆       ◆

    According to Wikipedia: 
    ウィキペディアより:

    Theodore L. Gunderson (November 7, 1928 – July 31, 2011 was an American Federal Bureau of Investigation Special Agent In Charge and head of the Los Angeles FBI.
    シアドアL.ガンダーソン(1928年11月7日ー2011年7月31日)は、アメリカの米連邦捜査局の特別捜査官であり、ロサンジェルスFBIの長官でした。

     He was most famous for handling the Marilyn Monroe and the John F. Kennedy cases. He was the author of the best selling book How to Locate Anyone Anywhere . 

    彼はマリリン・モンローとジョン・F.ケネディとの関係の捜査の指揮をとったことで最も有名です。彼はベストセラー『How to Locate Anyone Anywhere』の著者でした。

    After retiring from the FBI, Gunderson set up a private investigation firm, Ted L. Gunderson and Associates, in Santa Monica .

    ガンダーソンはFBIを辞任した後に、サンタモニカで、個人の調査会社『Ted L. Gunderson and Associates』を設立しました。(以下、日本語訳省略)

     In 1980, he became a defense investigator for Green Beret Doctor Jeffrey R. MacDonald , who had been convicted of the 1970 murders of his pregnant wife and two daughters. 

    Gunderson obtained affidavits from Helena Stoeckley confessing to her involvement in the murders.

     He also investigated a child molestation trial in Manhattan Beach California. In a 1995 conference in Dallas , Gunderson warned about the proliferation of secret Satanic groups, and the danger posed by the New World Order , a shadow government that would be controlling the US government. 

    He also claimed that a “slave auction” in which children were sold to men in turbans had been held in Las Vegas , that four thousand ritual human sacrifices are performed in New York City every year, and that the 1995 bombing of the Alfred P. Murrah Federal Building in Oklahoma City was carried out by the US government. Gunderson believed that in the US there is a secret widespread network of groups who kidnap children and infants, and subject them to Satanic ritual abuse and subsequent human sacrifice. 

    Gunderson had an association with Anthony J. Hilder , and had been interviewed him on various occasions as well as having done numerous conferences together. They both said that the 1993 World Trade Center Bombing were a result of FBI agent provocateurs. 

    Gunderson was a member of the Constitution Party .
    Some speculate he may have been poisoned.





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    がん予防の食品を摂取しているからと言って、食材出所不明の外食や放射能汚染野菜・魚介類を食べても大丈夫と仰るあなたへ。

    確かに、生ニンニクのスライスを毎日食べ、更に乳酸菌を摂取していたらガンの予防にはなります。

    但し、これはあくまでもガン予防で、放射線による遺伝子(DNA)破壊の予防にはなりません。この場合は、破壊された遺伝子がガン化するのを防ぐだけです。

    体内に取り込まれた放射能を血液が脳などに運びます。
    脳に入ってしまった放射能はなかなか排出されません。

    そこで起きるのが放射線による脳の中枢神経等の破壊です。
    神経をやられると、身体のあらゆる機能に何等かの障害が発生します。
    そしてこれらの神経は再生が効かないのです。


    最近、物覚えが悪くなり、疲れ易く無気力になっているあなたへ。
    ひょっとして、歳のせいとか夏バテとお考えではないでしょうか。

    このような症状は、チェルノブイリで被爆した人、広島・長崎で被曝した人、大気圏核実験で被ばくした米兵に多くいました。

    『ぶらぶら病』という低線量放射線障害で、爆心地からの距離には反比例せず、近くても遠くてもほぼ万遍に発症しているのです。

    風邪を引きやすい、疲れやすい、無理ができない、だるい、根気が続かない、といった症状は放射能の濃いエリアも薄いエリアもほぼ同じ割合なのです。

    北海道や沖縄でも、放射能汚染野菜や魚介類を継続的に摂取したら同じく低線量放射線障害になるということです。


    尚、東京のレストランでのコーヒーや水1杯は0・5ミリベクレルですぞ。念の為。




    (参考)先日の私のブログ記事
    再確認:放射能は脳を破壊する 2014/7/17(木) 
    健康な人に比べ、脳全体が萎縮している。(脳細胞が少なくなっている)
    神経細胞が死滅したことを示している。

    放射能対策を習慣にしなきゃ  2013/5/22(水) 



    さて、本題。

    << 放射能汚染による脳障害について >>   2013年10月31日

    福島原発事故から二年半以上が過ぎましたが、放射能汚染に関する報道規制は、オリンピックに向けてますます厳しくなるばかりのようです。

    現在流通している一般食品の放射能汚染基準値は100ベクレル/kgですが、事故前にはこれは黄色いドラムカンに入れられて、厳重管理されていた汚染数値でした。

    因みにチェルノブイリで放射能汚染の被害に遭ったドイツの基準では、大人でもこの10分の一以下ですが、それでも様々な健康被害が報告されています。

    ここで今、「ベクレル」についておさらいしましょう。

    ご存知の通り、1ベクレルとは、放射性物質から1秒間に1本の放射線ビームが発せられる単位です。

    強力なガンマ線を例にとると、この線は人体を突き抜けますから、たった1ビームでもその過程で、相当数の細胞・DNAが傷付くことになるのは、容易に想像出来ますよね。

    例えば10ベクレルのセシウムが含まれた食品を食べるとすると、一日では864000本の放射線ビームが体を貫くことになります

    約70日というセシウム137の生物学的半減期を考慮しても、500日後には1400ベクレル残存していますから、そうなれば1日で120960000本、約1億2千万ビームが体に穴を開けている状態です


    脳は心臓等と共に、放射能が蓄積されやすい部位の一つですが、怖いことに中枢神経系は再生されませんし、ベラルーシの人々が集中出来ないのは、放射能汚染による脳障害だという研究結果もあります。

    チェルノブイリの原発作業員達の脳スキャンでは、彼らの脳は脳細胞が死滅して空洞になっていたそうです。

    一度こういったダメージがあると、残念ながら取り返しがつきません。放射能汚染による障害で最も多いのは、実は癌や白血病ではなく、知能障害なのです。 

    放射性物質は長期にわたり摂取すると、体内に蓄積されて行くという特徴があります。例えば一度に1000ベクレル摂取しても、約2年後には僅かしか体内に残らないのに比べ、1ベクレルを毎日摂取すれば、2年後には約200ベクレルも残存するそうです。

    200ベクレルでしたら、一日に1728000000本もの放射線、つまり17億本以上の放射線ビームが体を貫いている計算になります

    人間の体細胞数は確か約60兆位だったと思いますが、一日に17億ビームで傷付く細胞の数は一体どれ位の数に上るのでしょうか。

    何れにしろ、細胞の修復には限界があるのも事実です。にも拘らず、政府の食品汚染基準値はあくまでセシウムのみでの換算ですし、食品の検査体制も本当にお粗末です。

    また、ガンマ線に比べてずっと短距離しか飛ばないアルファ線やベータ線による内部被曝のダメージは、細胞の直近から遥かに強烈な放射能を浴びせる為、比べ物にならない位危険です。 

    よく「自然界では放射能は身近なものである」とし、カリウム40等が食品や人体にも普通に含まれていることを引き合いに出す科学者がいますが、自然の放射能と人工放射能には明確な違いがあります。

    前者は長い間に人体が適応するようになったのか、体外へと排泄されるのに対して、後者は体内に蓄積されて行きます。

    放射線量の強さも、後者は比べ物にならないほど強いのだそうです。

    「世界には遥かに放射線量の強い国がある」とも言いますが、そういった国にはダウン症が多い等の研究結果がありますし、概ね短命です。

    また、先祖代々放射線量が弱い日本で生活して来た私達の体に、代々放射線量が強い地域で生きて来た彼等と同等の適応力が期待出来るとも思えません。

    「放射能に勝つには免疫力を高めること」というのも、よく耳にする言葉ですがこれは再生力の無い中枢神経等には、全く当てはまらないので注意しましょう。

    先ずは体内に放射能を入れないことが一番大事です。そして外部被曝でのダメージを出来るだけ少なくするしかありません。免疫力を高める云々は、あくまでもその後に来るべき対処方法です。

    放射能によるダメージを回復するのは睡眠中だそうですから、よく眠ることも大切です。

    福島の学校で、成長期の子供達が全く成長しないという現象も見られるそうですが、身体の成長に回される筈の分を、被曝からのダメージ回復に奪われてしまっているのかも知れません。

    中学受験でせっかく頭を良くしようと頑張っているのに、放射能汚染で脳に恒久的なダメージを受けるのではたまりません。

    お子さんの放射能摂取量は、可能な限り低くしてあげましょう。そしてお子さんにも、何故放射能汚染からの防御が大切なのかを説明し、自分で気を付けられるようにしてあげましょう。

    今の日本で子供を放射能汚染から守れるのは、親と子供自身だけなのですから。



    (参考)ある投稿コメより

    放射能の影響について

    私は埼玉在住ですが、最近、線量計を買って、自宅の周りを計測しています。やはり文部科学省が発表している値(0,05マイクロシーベルト・毎時)より高く、およそ、その3倍、場合によっては8倍ほど高い数字が出ます。
     
    それをもとに計算してみると、私自身は、3月に浴びた被爆量を考えてみても、年間1ミリシーベルトという、法律で定められた基準値は越えてしまうのではないかと思います。





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    そもそも危ない航路をマレーシア航空機MH-17が飛ぶこと自体が怪しいのです。
    マレーシア航空では、先日行方不明になった飛行機探しで大騒ぎだったはず。
    他の航空会社よりも一層注意すべきなのです。

    それなのに操縦士の懸念を無視して危険なルートを意識的に会社側が飛ばしたとなると、MH-17は撃ち落とされることを目的にした可能性が強いですね。


    撃墜機の2乗務員、ルート危険と勤務拒否
      msn産経 2014.7.20 22:54

    20日付の英紙メール・オン・サンデーによると、ウクライナ上空で撃墜されたマレーシア航空機で勤務する予定だった客室乗務員2人が、飛行ルートが危険だとして搭乗を拒否していたことが分かった。 
    同航空のベテラン操縦士らも安全性への懸念を示していたが、会社側はルート見直しをしなかったという。 (中略)

    米航空各社や英ブリティッシュ・エアウェイズ、ドイツのルフトハンザ航空などはルートを変更、飛行時間の延長は約20分にすぎなかった。(共同)



    では、マレーシア航空が単独でそのシナリオを描いて飛んだとなると、管制塔がMH-17の撃墜される直前、何故に降下せよとMH-17に命じたのかが疑問となります。

    (注)
    MH-17 was ordered by Kies Air traffic control to reduce height just before it was shot down.
    マレーシア航空機MH-17は、Kies航空交通管制塔によって撃墜される直前、高度を下げるように命じられた。

    と言う事は、マレーシア航空(=マレーシア政府)単独ではなく、管制塔の所属するウクライナ政府もこの墜落に関与していたということになります。

    イコール、米国と英国がウクライナ政府とマレーシア政府に指示したということになります。故に、ウクライナ空軍機がマレーシア航空機MH-17を撃墜したんですね。

    第三次世界大戦を起こそうとする国際金融資本が、9・11で旅客機ではなく貨物機を衝突させたり、或は映像の捏造で飛んでもいない飛行機を飛んでいることにしたりで保険金詐欺とテロとの戦いと称してイラク侵攻を果たしましたね。



    《さて、簡単に言えば、次の通りです》

    ①以前マレーシア航空の行方不明機MH-370 (9M-MRO)は、実はハイジャックされ、どこかに着陸させられた。

    ②今回撃墜されたとするマレーシア航空機MH-17 (9M-MRD)と似せるために一部改造と塗装をした。

    ③改造機に死体を積んでウクライナ上空でこの二機は入れ替わり、改造された方のMH-370が撃墜された。

    死体は、以前の行方不明のマレーシア航空機の乗客か、それとも9・11の時の乗客かは分かりませんが、墜落現場に直ぐに駆けつけた人々の証言では、死臭がしたとのことですから、情報では冷凍していて死体を飛ぶ前に解凍し積んだようです。

    では一体、飛行場から飛び立ったマレーシア航空機MH-17の乗客は?
    どこかの飛行場に降りて拘束されているか、又は即座に全員殺されているでしょう。

    尚、国際金融資本はいつでも離発着できる無印のジェット旅客機を数百機持っていますから、数百人の乗客の移動はお手の物です。

    では目的は何か?
    第三次世界大戦を始めるためです。



    その決定的な証拠は以下の通りです。

    下の画像(左)は、墜落した飛行機の残骸。
    国旗の下の窓は塞がっているでしょう。

    画像(右上)は、今回墜落したとされるMH-17。
    窓は塞がっていない。

    画像(右下)は、行方不明機MH-370 
    窓が塞がっている。

    イメージ 1
    イメージ 2

    イメージ 3


    この比較画像だけでも、墜落したのは、墜落されたと称するMH-17ではなく、行方不明機だったMH-370であることは明白ですね。

    『タイタニック号』と姉妹船の『オリンピア号』沈没の二番煎じのようなものです。

    詳細は
    マレー機乗客は解凍された死体だった!




    (注)下記の訳文は途中半ばですので、後ほど、改めて訳します。

    Rebel Leader Gives Bizarre Account of Plane Crash
    反乱勢力の指導者は、航空機の墜落の信じられない記事を提供します。

    A top pro-Russia rebel commander in eastern Ukraine has given a bizarre version of events surrounding the Malaysian jetliner crash ― suggesting many of the victims may have died days before the plane took off.

    東ウクライナのトップのロシア支持反逆者側の指揮者は、マレーシアのジェット旅客機の墜落に関しての奇妙な意見を持っていました。
    飛行機が離陸する数日前に、犠牲者の多くは既に死んでいたかもしれません。

    The pro-rebel website Russkaya Vesna on Friday quoted Igor Girkin as saying he was told by people at the crash site that "a significant number of the bodies weren't fresh," adding that he was told they were drained of blood and reeked of decomposition.

    プロ反乱サイトルースカヤヴェスナは、金曜日に彼は死体が血液を排出およびreekedたと言われたと付け加え、「死体のかなりの数が新鮮ではなかった」との墜落現場での人々によって言われた話として、イゴールGirkinを引用分解。



    Wrong Aircraft Identified As Malaysia Flt MH-17 Fuels Doubts
    EXHIBIT A: The aircraft allegedly shot down over Shaktarsk is a Boeing 777-200, (Tail number, 9M-MRD) – the identical model aircraft that remains missing in the mysterious disappearance on Flt.MH-370 with tail number , 9M-MRO ).


    Recent, “near conclusive” evidence reports that MH-370 (9M-MRO) was actually hijacked raising the possibility that aircraft parts from 9M-MRO could have been salvaged, altered, re-painted and used to create the crash scene for MH-17 (9M-MRD).

    行方不明のマレーシア航空機MH-370 (9M-MRO)はハイジャックされ、9M-MROの航空機部品は引き揚げ改造され、再塗装され、今回のマレーシア航空機MH-17 (9M-MRD).の墜落シーンを作るために使用された可能性があるということについて、最近、「ほぼ決定的な」証拠があることを報告しています。

    Curious initial reports claim the smell of decaying corpses was evident by witnesses on initial encounter with the crash site.On July 18, ABC News reported:

    奇妙な最初の報告では、目撃者の墜落現場での最初の出会いは腐敗死体の臭いであったと明白な証言があったと主張している。と、7月18日 ABCニュースはレポートしています。





    英国でのブラックボックスの解析の信憑性は無い。

    「爆発物の破片で破壊、減圧」ブラックボックス解析結果、ミサイル裏付け
      msn産経 2014.7.29 08:07



    ウクライナのスホイ25のパイロット マレーシア機撃墜を認める

    ドイツ紙Wahrheit f?r Deutschlandは、マレーシア航空のボーイング777型機を撃墜したとみられるウクライナのスホイ25のパイロットから話を聞くことに成功したとする記事を掲載した。

      Wahrheit f?r Deutschlandはドイツの主要紙ではないが、同紙は、スホイ25のパイロットが、マレーシア機を撃墜するために、同機に搭載されている砲を使用したと主張している。

       Wahrheit f?r Deutschlandによると、スホイ25は、ロシア参謀本部が提出した画像に写っていたという。

       パイロットの名前は明らかにされていないが、このパイロットは、自身が操縦していたスホイ25に搭載されている砲で、マレーシア機が撃墜されたことを認めたという。

       なお、パイロットがマレーシア機の撃墜を認めたのと同時に、明確な穴があいているマレーシア機の破片の写真が公開された。

    複数の専門家たちはこの穴について、地対空ミサイルシステム「ブーク」では、このような穴はできないとの見方を示している。




    (ドイツ語版)

    Ukrainischer Pilot gibt Abschuss von M H17 zu
    ウクライナ軍のパイロットは、マレーシア航空のボーイングM H17を撃墜したことを認めている。

    Letztendlich war der Druck doch zu gro?.
    Der Pilot der ukrainischen Su-25, die in der Pr?sentation des russischen Generalstabs gezeigt wurde, gab gestern zu, das Flugzeug mit seiner Bordkanone flugunf?hig geschossen zu haben.
     
    ウクライナのSu-25のパイロットは飛行機を撃墜したことを昨日認めた。
    ロシアの参謀のプレゼンテーションが示されている。

    ?bereinstimmend wurden dazu Fotos der abgest?rzten Boing gezeigt, die klare Einschlagl?cher von Maschinengewehrkugeln enthielt, die ?bereinstimmend einen frontalen Winkel zeigten und kaum von einer Buk-Rakete herr?hren konnten.

    墜落したボーイングの写真によると、機体の穴は地対空ミサイルシステム「ブーク」によるものである可能性はなく、明らかに機関銃の弾丸による弾痕であることを示した。

    Bei vielen Pro-Russland Schreiberlingen in den Foren und Kommentarspalten des Internets stie?en diese Beichte auf Erleichterung.
    Bei vielen Pro-Russland Schreiberlingen in den Foren und Kommentarspalten des Internets stie?en diese Beichte auf Erleichterung.
    Ein kleiner Sieg f?r die Putinversteher, die bisher erfolglos versuchten das Internet mit ihren Fakten zu ?berschwemmen.
    (Die folgenden S?tze lassen aus.) 




    (英語版)

    Ukrainian pilot admits shooting at Malaysian Boeing
    ウクライナ軍のパイロットが、マレーシア航空のボーイング機を撃墜したことを認める。

    Wahrheit fuer Deutschland posted on their site a scandalous article in which a pilot of Ukrainian Air Force Su-25 fighter plane tells what happened in the sky over the Donbass in the day of the crash of the Malaysian Airlines flight MH17.
    German newspaper wrote that the pilot admitted that the fighter plane fired the gun at the Boeing 777 of Malaysian Airlines.
    It was his plane in images taken by satellites and presented at a briefing of the General Staff of Russia.
    The crashed Boeing photos also showed clearly multiple bullet holes from machine gun bullets, which consistently showed a frontal angle and hardly could result from a ground-air missile.
    In many Internet forums and comment columns this confession brought relief to the endless arguments.
    A small victory for those that so far unsuccessfully tried to win over the Internet with their facts.
    Earlier OSCE experts studied the wreckage of the airliner in the disaster area and made their initial conclusions, once again confirming the above mentioned facts.
    Fuselage damage of the crashed “Boeing” can reveal which weapons were used when the Malaysian airliner was shot down.
    The representative of the OSCE in Ukraine Michael Bochurkiv came out with an important statement on the subject.
    “Perhaps even for the layman it is obvious that the holes were really like those that remain after being hit with a machine gun.
    And if we speculate further in this spirit, then such kind of damage on the metal of the crashed planes we have not seen anywhere else,” – Bochurkiv was quoted as saying by the press secretary of the OSCE mission in Ukraine.
    Ukrainian Su-25, which, according to the Russian Defense Ministry was seen next to the “Boeing”, is equipped with both the missiles and a double-barreled 30-mm machine gun with 250 rounds of ammunition.



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    大阪府警に犯罪の件数を過少報告せよと命じた者がいる。

    大阪府警のトップは知事。
    ワーストワンを返上した2010年当時の知事って橋下氏じゃなかったかな?

    尚、これからの大阪の母親は子供にこう諭す(さとす)。

             『嘘は警察の始まり』  ヽ(´▽`)/



    大阪府警、犯罪8万件ごまかし 「ワースト返上」 うそ
    2014年7月31日 朝日

    大阪府警の全65署が過去5年間の街頭犯罪などの認知件数約8万1千件を計上せず、過少報告していたことがわかった。府警が30日に発表した。街頭犯罪ワースト1の返上に取り組むなか、件数を不正に操作していた。2010年にワースト1を返上したと発表していたが、実態は違った。処分対象は97人にのぼった。(中略)

     発表によると、街頭犯罪を含む全刑法犯の認知件数の未計上は、08~12年に計8万1307件あった。昨年、全国で最も認知件数が少なかった秋田県の20年分を上回る。最も多かった11年は2万2042件。毎年、認知件数の4~13%が未計上だった。
    http://www.asahi.com/articles/ASG7Z41TJG7ZPTIL00V.html



    以下は、何年か前の古いスレへの投稿を抜粋したものです。

    スレ【反郷】東京マスコミの偏向報道41


    警察庁発表(平成20年上半期) 

    ★重要犯罪(殺人、放火、強盗、強姦、誘拐等)件数 

    1位  東京都<1120件(人口比でもワースト1)> 
    2位  大阪府<798件> 
    3位  埼玉県<513件> 
    4位  神奈川県<477件> 
    5位  愛知県<471件> 

    ★殺人件数 

    1位  東京都<94件(人口比でもワースト1)> 
    2位  大阪府<53件> 
    3位  神奈川県<47件> 
    4位  千葉県<43件> 
    5位  愛知県<36件> 



    924 :文責・名無しさん:2006/01/21(土) 10:10:05 ID:l9E/KrN5>>918 

    以前大阪府警の警視正が講演ではっきり言ってたよ。 
    「何をもって犯罪と認知されるか。たとえば盗難届けがあっただけでは、本人 
    の勘違いの可能性も有り、ただちに犯罪とは認識しにくいのだが5年前に警察 
    庁から犯罪性が実証されていないものでも届出があったものは全てカウントす 
    るよう指示があった。

    大阪府警は、元からその姿勢でカウントしてきたが未だ 
    東京の警視庁はこの指示に従っていない。実際に東京の犯罪数や発生率が大阪 
    や愛知より少ないなんてことは有り得ないですよ。」 

    警察関係者の間では常識らしい。これが嘘だと思うなら警察庁に聞いてみろ。 
    また東京マスコミの警察専門の記者はこの事実を知っているのに隠して記事を 
    書いている。何故だかわかるよね。 
    http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1134052469/924



    ~東京がでっち上げる偽りの大阪像~ (産経新聞2008/8/19夕刊コラム) 

     「大阪はね、ゴミゴミした街だと決まっているんだよ。映像をかえなさい」 
     上司であるプロデューサーの I さんが眼鏡の奥の鋭い目を光らせて言いました。 
    私は、開いた口がふさがりませんでした。平成元年の出来事です。 

     その当時、私は東京の報道局で、ディレクターとして短いドキュメンタリー番組の制作をまかされていました。 大阪で「花の万博」が開かれるということを紹介する企画で、総合テレビの全国ネットの番組です。 

    私は、大阪の良さを全国にアピールする良い機会だと思い、大阪の美しい映像をふんだんに使いました。 中ノ島から大阪ビジネスパーク、ベイエリアまで、それはまさに「水の都大阪」をイメージした渾身の力作でした。 

     その映像に、NHKの中枢たる東京報道局の上司が、いきなりクレームをつけたのです。 

    大阪のイメージに合わないから、通天閣や道頓堀といったもっとわかりやすい映像にしろという、まるで情報操作まがいの命令です。 

    私はこの瞬間、東京のマスコミの大阪に対する偏見と、ある種のコンプレックスを感じずにはいられませんでした。 

     そうです東京は大阪が嫌いなのです。
    逆もまた真ですが前者の方がタチが悪い。 

    情報のほとんどが東京から発信されているからです。大阪といえば通天閣とタコ焼き、いつからそんな偏った大阪像が定着したのでしょうか。 

    もちろん通天閣もタコ焼きも大阪の大切な文化ですがごく一部に過ぎません。 
    そればかりを強調して伝えるのは誤りです。 

     とりわけテレビの影響力は絶大です。
    関西以外の人が大阪に抱くイメージは 一昔前の 外国人が、日本をフジヤマ、ゲイシャの国だと勘違いしていた状況に似ています。 
    あえてそういう「幻想」を作り上げているのです。 

     歴史的にも、文化的にも、都市機能という点でも、大阪や関西の実力は相当のものです。 その全体像を伝えず、ただ闇雲に東京を賛美する。そんな一部のテレビメディアこそが、日本の一極集中の元凶ではないでしょうか。 



    テレビ朝日「スーパーモーニング」  2006年11月21日 

    大阪の放置自転車について 
    大阪市の放置自転車は日本一 
    画面右上には「放置自転車ワースト1 大阪市が強制撤去へ」とのテロップ

    鳥越 「大阪は電車で並ばず割り込むでしょ」「大阪は順法精神ない」 
    事実 
    政令指定都市と東京23区における放置自転車数  
    東京23区 85,640台 
    大阪市   45,722台 

    自転車の都道府県別放置状況 
    東京都 103,760台
    大阪府  61,794台 



    椿事件(つばきじけん)とは、

    1993年に起きた、全国朝日放送(愛称および現社名:テレビ朝日)による放送法違反が疑われた事件である。当時テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良の日本民間放送連盟(民放連)会合での発言に端を発したことからこの名で呼ばれる。
    日本の放送史上で初めて、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討された事件であったとも言われる。

    1993年6月の衆議院解散(嘘つき解散)後、7月18日に第40回衆議院議員総選挙が行われ、与党自由民主党が解散前の議席数を維持したものの過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権が誕生。自民党は結党以来初めて野党に転落した。

    9月21日、日本民間放送連盟の第6回放送番組調査会の会合が開かれ、その中でテレビ朝日報道局長の椿貞良

    「『ニュースステーション』に圧力をかけ続けてきた自民党守旧派は許せない」と語り、選挙時の局の報道姿勢に関して、「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。

    今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか

    「日本共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」
    との方針で局内をまとめた、という趣旨の発言を行った。(中略)

    10月13日、産経新聞が朝刊一面で椿発言を報道(スクープ)。(以後省略)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6



    130 :文責・名無しさん:2009/01/28(水) 13:00:30 ID:zvV7GOSq0

    大阪の子供は小学生の頃は勉強しない子が多い 
    そういう風土なんだろ 
    それならいくら言うても仕方ない 
    それが嫌ならお笑い番組を放送中止させればいい 
    山口県が社長をたくさん輩出し、大阪は芸人を多く輩出する 
    知能を必要としない芸人を多く輩出するってことはまさにそういうことだろ 
    吉本興業がいかに大阪にとって身近であり、大阪の癌であるかよく証明している 
    大阪には大阪特異のアホがいて、そういうアホが大阪の足を引っ張りまくってる 


    131 :文責・名無しさん:2009/01/28(水) 13:11:05 ID:cXxJpjV10
    大阪の大人が教育は不必要って考えてる人間が多いんじゃないかな。 
    おもろければなんでもいい、損しなければどんなことしてもいい、って価値観が 
    大阪の子どもにも反映されてんだと思う。 

    余談だが、学校でたいていは「言い訳はするな」って教わるが、大阪だけは違うらしい。 どれだけ言い訳がうまいかってので評価されるって聞いて、ゾッとしたよ。 


    132 :文責・名無しさん:2009/01/28(水) 13:29:06 ID:zvV7GOSq0
    >>131 
    子供が勉強をしたくないと思うのは仕方のない事だと思うが、大阪の場合そんな子供たちを支援するかのごとくテレビ番組が低脳吉本軍団の番組ばっかりだし、ローカルタレントに幼稚なのが多い 
    言いたいことを言う事が正義という風潮がある。これが屁理屈をごねた子供を生み出す直接的原因。 
    黙って従うという風潮がないに等しい 
    言論の自由だの何にでも自由自由と言ってきた事への併害だな 

    135 :文責・名無しさん:2009/01/28(水) 15:22:54 ID:DcUdQeGN0
    >>132 
    言いたいことをいう=言ったもん勝ちみたいな風潮は大阪から確実に生まれた。 
    10年前はこんな風潮は「恥」「女々しい」「言い訳がましい」など、侮蔑の対象だった。 
    モンペやクレーマーなんかも、大阪人の言いがかりとも思える文言を真似した結果じゃないかな。 
    言いたいことをいうのは、一面良い効果もあるが、それが度を越えると大阪人のようになってしまう。 

    黙って従う=悪、と決め付ける大阪人の論理がそもそもおかしい。 
    「従う」の概念は日本では「服従」ではなく、「素直になる」って意味だったんだが、まったく捻じ曲げられてしまった。 

    黙って何かを成し遂げるのは、恥ずかしいことじゃないし、むしろカッコイイ。 
    その概念が大阪人には欠落してしまってるのが、あちこちでトラブルを起す原因なんじゃないかな。 

    言論の自由にも責任が伴うってことも、大阪人には存在しない。 
    このスレと結びつけて話すと、「マスコミが偏向したるから、こっちもネットで偏向したるわ!」って大阪人の論理。 
    言ったもん勝ちがすべてだと思っている大阪人からすると、言論界で頂点にいるマスコミには驚くほど敏感なんだと思う。悪い意味で。 




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    佐世保猟奇女子高校生殺人事件について、下記のブログ記事が核心を突いているようですので一部を転載しておきます。



    獣道を歩き始めた「佐世保・女子高生」怒りの理由?

    けものみち。松本清張の作品タイトルにもある。人の道でないところへ迷い込んでしまう人たちの残念な人生が語られる。

    長崎県から発進されるネット情報は混沌としたものだがそれでもおぼろげながら事件の背景が垣間見えてくる。(中略)

    「女子高生」はそんな家で、5歳上の兄の次の子供として生まれ、育つ。二番目の子供に関心はない?。直ぐに愛情飢餓に襲われていただろう。親の関心は仕事と社会。子供と家庭にはない。親が学校に行くのは子供への愛情でなく自分たちの面子のために行く。

    「女子高生」の愛情飢餓が癒されることはない。
    返ってクラスの中では孤立して行っただろう。

    前後関係は定かではないが2つの大きな事件があったようだ。(中略)

    もう1つは、「女子高生」の弟の突然死~事故死?。
    経緯は分からないが腹違いの弟を父親が認知し家に入れたと噂されている。
    この子の死亡には不審なものがあるようだとも噂されている。
    この件も、普通の病死のように処理が終わっている。

    浮気をして子供まで作って家に入れる父親。
    家に居ないあるいは居たくない母親。
    娘は母親の悲しみを感じ取っただろうか。

    代理殺人?。
    不慮の事故?。
    兎に角、障害物は取り除いた。

    兄は東京へ追いやられ、その後に母が急死する。
    「女子高生」は悲しみを胸に抱きながらも、父親と2人だけの家になど耐え難かったに違いない。1秒も同じ屋根の下には居たくなかっただろう。

    母親の死因はガンとされているようだが、今の時代にガンで急死することは考え難い。しかし、今回も佐世保警察には何も残っていないのではないだろうか。

    直後に父親は再婚している。
    待っていたかのように。娘を追い出して、母親をあの世に送って、晴れ晴れと再婚しているのだ。この人が異母兄弟(既に死亡)の母親なのか、全く別の人なのか。(以下省略)

    (全文は下記URLをクリック)



    高1殺害容疑者 父の再婚で変化も近隣では「やっぱり」の声
    NEWS ポストセブン 7月31日(木)16時6分配信

     長崎県佐世保市で発生した、高1女子生徒殺害事件で逮捕された県立高校1年生のA子(16才)は、家賃6万円のマンションでひとり暮らしをしていた。実母は2013年10月に亡くなっており、その後2014年4月に高校進学を機にひとり暮らしを開始。また、実父は同5月に再婚している。

    小学校の頃には、給食に薬剤を入れるなど問題行動もあったA子。不安定な部分もあったようだが、母親が大きな支えとなっていた。

     しかし、突然の母の死という深い悲しみの中で精神的に追いつめられていくA子。にも関わらず、父は彼女を思わぬ形で裏切った。母が亡くなってわずか5か月後の今年3月、父は後に結婚することとなる、20才年下の女性・B美さんに出会ったのだ。

     当時A子の父は、妻を亡くした悲しみに浸ることもできず、仕事に追われる一方で、何を考えているかわからないA子に戸惑っていたという。

    「彼とA子をつなぎ止めていた妻が突然いなくなって、娘にどう接したらいいのかわからないといった感じでした。だからといって家族のことをすべてさらけ出して相談する相手もいない。そんな時に出会ったB美さんは彼にとって心の拠り所となったんでしょう。出会ってすぐに恋に落ちて、再婚を決意。

     A子にも紹介していました。彼はいつも冷静沈着で理論的に物事を考えるタイプですから、普通なら周りの目や、自分の立場、子供たちへの影響を考えると思うんです。でもそれ以上にB美さんと一緒になることを選んだ」(A子の父を知る人)

     そして5月3日、A子の父とB美さんは入籍後、B美さんの地元で両家の顔合わせを行った。しかしこの席に、A子もA子の兄も出席しなかったという。

    「みんなお母さんとか友達がいていいな。うらやましい。お父さんはお母さんが死んじゃってすぐに他の人を連れてきた。お母さんのこと、もうどうでもいいのかな」

     この頃A子は、幼なじみの女性に、そんな切ない胸の内を吐露していたという。

    「思春期のA子でなくても、その父の早業は到底理解しえるものではないですよね…。彼女はこの4月高校に進学するのを機にひとり暮らしを始めました。

    9月から海外留学を予定していて、そのための“準備”ということらしいです。父親も“A子はしっかりしているからひとり暮らしをさせている”と話していたそうです。

    でも高校は実家のすぐ近くで、いくらお金があるとはいえわざわざ遠く離れたマンションでひとり暮らしを始めるのは納得がいきませんよね。

    A子が通う高校では、“校内で唯一のひとり暮らし”で、留学準備のためと学校も欠席しがちでした。担任やカウンセラーが、週に1~2回、生活状況の聞き取りを行っていたんですよ」(全国紙記者)

     A子のひとり暮らしマンションは、市街地の大通り沿いにあり、立地もいいため、地元では高級マンションと見られている。そこでは彼女のこんな姿が目撃されていた。

    「平日昼間から自転車でぶらついていることがあった」
    「制服姿は見たことない。高校生には見えなかった」

     A子にはショッキングな父親の変節だったかもしれないが、地元住民らにしてみれば、「やっぱりね…」の展開だったという。

    「父親は夜の街じゃ有名なんですよ。羽振りがいいってね。地元一の高級クラブの常連だから、飲み代が月数百万円なんて聞いたこともあります。あくまで噂ですよ。前の奥さんの生前も女性関係でいろいろあったって」(あるクラブ関係者)

    ※女性セブン2014年8月14日号



    高1殺害容疑者に「過去の事件やアニメなどの影響の可能性」
    NEWS ポストセブン 8月1日(金)7時6分配信
    ※女性セブン2014年8月14日号

    少女の部屋から人体図の医学書押収 佐世保高1女子殺害
    朝日新聞デジタル 8月1日(金)11時24分配信

    <高1同級生殺害>6月、医師が「人を殺しかねない」
    毎日新聞 8月1日(金)6時0分配信

    「父親再婚には賛成」=逮捕の少女、弁護人に―高1殺害
    時事通信 7月31日(木)23時13分配信






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    Kazakh teen volleyball player is turned on by her own teammates because she is so attractive nobody watches the sport anymore

    カザフスタン代表のティーンエージャーの女子バレーボール選手は非常に魅力的故に観客は彼女目当てに来るが、誰もバレーボールの試合を見ないので、彼女のチームメイトから不満の声があがっている。

                          ☆


    美人は嫉妬に見舞われるのは宿命ですね。ヽ(´▽`)/
    それにしても、私が惚れ惚れするのはサビーナ選手の脚の長さ。
    何と1mもあるのだ!

    名前 Sabina Altynbekova (Сабина Алтынбекова) サビーナ
    1996年11月5日生まれ (現在17歳) バレー歴3年
    身長 182cm
    脚の長さ 100cm? 120cm?
    体重 59kg
    10等身? 12等身?

    イメージ 5

    Sabina Altynbekova ( Kazakh : Сабина Алтынбекова ; born 5 November 1996) is a member of Kazakhstan women's national volleyball team .


    イメージ 1

    (大画面) ↓ クリック


    なが~~~~い脚。
    顔立ちから日本人って言われても不思議じゃないですね。
    イメージ 2



    Sabina Altynbekova, Beautiful Asian Women Volleyball Player Kazakhstan U19



                          ☆
    彼女の色々な写真をスライドしたユーチューブ

    Sabina Altynbekova Hot


    イメージ 4



    イメージ 3





    Kazakh teen volleyball player is turned on by her own teammates because she is so attractive nobody watches the sport anymore

    カザフのティーンエージャーのバレーボール選手は非常に魅力的故に観客は彼女目当てに来るが、誰もバレーボールの試合を見ないので、彼女のチームメイトから不満の声があがっている。

    Even her coach on Kazakhstan's Under-19 national team has complained about it
    Nurlan Sadikov told Tengrin News: 'It is impossible to work like this.
    'The crowd behaves like there is only one player at the championship.'
    Their complaints have had absolutely no effect on South East Asia's obsession with Miss Altynbekova.
    Every photo of her attracts huge numbers of comments and Facebook pages claiming to represent her are attracting tens of thousands followers, mostly from China, Vietnam, Taiwan, Japan, South Korea, Malaysia and the Philippines.
    She has said she is very flattered by the attention, but she appealed for fans to stop setting up social media pages in her honour and instead focus on the volleyball..
    'I was flattered at first but it's all getting a little bit much,' she said
    'I want to concentrate on playing volleyball and to be famous for that, not anything else.'



    http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.dailymail.co.uk/news/article-2704625/Kazakh-teen-volleyball-player-turned-teammates-attractive-watches-sport-anymore.html&prev=/search%3Fq%3DDaily%2BMail%2BWomen%2527s%2Bvolleyball%2BThe%2Brepresentative%2Bof%2BKazakhstan%26rls%3Dcom.microsoft:ja:%257Breferrer:source%253F%257D%26rlz%3D1I7ADRA_jaJP483



    http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/390313/
    http://www.wallpaperseries.com/sports/sabina-altynbekova-wallpaper.html



    (参考)
    今日、一回目の更新記事
    佐世保女子高校生殺人事件、問題は父親






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    ガイドライン違反のため、Yahoo! JAPANによって記事が削除されました。

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    以下の英国人ヘンリー・S・ストークス氏の文を読んで、この文を異常と思える方は戦後CIAが創った日教組から自虐史観の教育を受け、更にCIAのプロパガンダに毒されたままの人。

    この文を成る程と思える方の歴史観は正常と言えます。 



    ZAKZAK 夕刊フジより転載

    【目覚めよ日本】公正な判決など期待できなかった東京裁判は復讐劇 根底に白人優位の思想  ヘンリー・S・ストークス 

    イメージ 1


    東京裁判(極東国際軍事裁判、1946年5月~48年11月)の実態は「マッカーサーの裁判」と言っていいだろう。本来なら、民主主義の原則の下で、きちんとした裁判が行われるべきだったが、戦勝国による敗戦国への憎悪に満ちた判決になってしまった。

     重要なことは、教育を受けた当時の知識階級の米国人がそれを理解していなかったことだ。

    彼らはアジア人に関心がなかった。
    日本人を自分たちと同じ人間とみていなかったわけだ

     戦争に負けた日本は東京裁判を受け入れたと解されている。
    しかし、それは間違いだ。

     「戦犯」として裁かれた東條英機らは犯罪者ではない
     戦勝国による「判決」を押し付けられたにすぎない。

    それは、東條の主任弁護人を務めた清瀬一郎が裁判冒頭、ウェッブ裁判長に「裁判の管轄権」を尋ねたことでも明らかだ。

    清瀬は、東京裁判が正当な裁判ではないと訴えたのだが、ウェッブ裁判長は回答を避けて裁判を続けた。

     ドイツに対してはニュルンべルグ裁判(45年11月~46年10月)が行われたが、日本よりはるかに短期間で終わっている。欧米人同士で妥協を図ったわけだ。

    東京裁判は悲劇だった。裁判を傍聴した人から聞いた話だが、法廷の雰囲気はとても暗かったという。建前の「公正な法により裁かれる」は到底期待できなかった。

     そもそも、正義というのなら、広島や長崎への原爆投下が必要なく単なる報復だった事実をどう解するのか日本の主要都市を空爆して非戦闘員である多数の一般市民の人命を奪ったことは犯罪ではないのか

    (注)広島や長崎への原爆投下に協力した日本のある高貴なお方がいる。
    ご存知ですか?

     連合国は、ただ日本を辱め、徹底的に打ちのめしたかったのではないかそこには、正義のかけらもあるはずがなかった。東京裁判はただの復讐劇にすぎない。

     唯一、インドのパール判事だけが、意見書で「日本は国際法に違反していない」「被告人は全員無罪」と述べている

    パール判事の顕彰碑が靖国神社に設置されているので、ぜひ見てほしい。
    たった1人で正義を語ったその顔は、厳粛さと崇高さにあふれている。

     問題は、パール判事の意見書が法廷では公表されなかったことだ。他の判事たちが、パール判事の意見を入れようとしなかった。彼らには都合が悪かったのである。

     東京裁判では、本来裁かれるべき「侵略戦争をしたのはどちらなのか」は取り上げられなかった。

    根底には、白人が有色人種を侵略するのは「文明化」であり有色人種が白人を侵略するのは「神への冒涜(ぼうとく)」「犯罪」という白人優位の思想がある

    (参考)昔も今も世界最大の大虐殺国は米国  2014/5/22(木)
    It's been well documented that the killing of Indigenous people in the Western Hemisphere since the beginning of colonization has been estimated at 120 million.
    School children are still being taught that large areas of North America are uninhabited as if this land belongs to no one and never did.


     日本人はこうした歴史的事実を認識して、東京裁判の意味を見直す必要がある。

    いつまでも、その呪縛にとらわれたまま自国の歴史を他者につくられることを許してはならない。 (構成・安積明子)



    ■ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。著書に「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)、共著に「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」(同)など。









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  • 08/04/14--02:09: 自虐史観からの脱却

  • 昨日の私のブログ記事『自己の歴史観は正常ですか?』の続編です。


    60年弱前の私が下川大内村小学校六年の時です。
    社会で日本の戦後の歴史を学んでいる時に確か斎藤君が先生に質問しました。

    「どうしてアメリカと戦争をしたのですか?」
    先生はワシントン会議の「海軍軍備制限条約」での戦艦や空母の保有数が米英の保有数と比較してどんなに少ないものかを船の図と数字(5:5:3:1.75:1.75)を黒板に書いて教えてくれました。

    その他石油などの輸入制限なども含め、僅か30分ほどの説明だったと思いますが、小学校時代にこのような教えを受けたことは、いかに貴重なものであったかを改めて思うのです。

    今回の記事は、以前に書いていたことの更新版にあたります。
    以前の私のブログ記事歪められた日本をただすべき』 2013/8/6(火)




    元NY・タイムズ東京支局長:

    日本はアジアの希望だった
    アメリカはいかに日本を追い込んだか(前編)
    http://blog.livedoor.jp/kita3777/archives/37952391.html

              ◇       ◇       ◇

    (注)日本の資源輸入を遮断したのはフランクリン・ルーズヴェルト大統領でした。
    この大統領が、各国に対して一連の経済制裁をそそのかしました。
    無論、日本を窮地に追い込む為に。そして、日本を爆撃するために。

    1941年7月23日、(日本の真珠湾攻撃の5か月前)、ルーズベルト大統領は合同委員会計画JB-355を承認しサインしました。

    その計画とは、日本への宣戦布告なき先制攻撃で、東京や大阪などの都市を無差別に爆撃するというものでした。

    つまり、日本が真珠湾を攻撃しなかったら、アメリカが日本に奇襲をかけていたわけです。

              ◇       ◇       ◇
    さて本文へ

    • 1921 ワシントン会議の「海軍軍備制限条約」で、日本の戦艦保有数は対米英わずか6割に制限される。

    • 1922 9カ国会議をきっかけに、日本は中国山東省の租借地と山東鉄道を返還させられる。

    • 1924 「絶対的排日移民法」で日本人は事実上アメリカに移住できなくなり、反米意識が高まる。

    • 1930 中華民国政府に排日活動のための経済支援を続ける。37年のシナ事変以降は、軍事支援を公然と行った。

    • 1940 
    8月 航空機用燃料を禁輸。
    9月 くず鉄を禁輸。
    12月 鉄鉱石、鉄鋼、スチール製品などが禁輸される 。

    • 1941 
    7月 日本の在米資産を凍結。日本は貿易決済が不可能となり、食糧を始めとする生活必需品さえアメリカから輸入できなくなった。イギリスやオランダも追随して、日本資産を凍結。

    8月 石油を全面禁輸。ヨーロッパ各国も追随し、「ABCD包囲網」が完成。日本の貿易量が3分の1まで激減。(注)アメリカ、イギリス、中国、オランダの4カ国が、日本に対してかけた貿易制限などの経済封鎖。

    11月 ハルノートを突きつけ、「日独伊三国同盟からの離脱」「満州・インドシナからの即時撤退」などを要求。

    12月 真珠湾攻撃。



    このユーチューブは以前掲載したことがありますが、改めて。
    まだ太平洋戦争と呼びますか?【大東亜戦争に込められた想い】(9分55秒)




    以下は昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われたGHQの最高司令官だったダグラス・マッカーサーとの質疑応答の一部です。

    第二次世界大戦における対日戦略(和訳)

    (全議事録 画像)

    (議事録の一部抜粋記事)
    https://www.facebook.com/notes/kiyofumi-ushio/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%91%8A%E7%99%BD/292864274188759?ref=nf


              ◆       ◆       ◆

    以下、本文

    (質問事項削除)

    マッカーサー 

    日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。
    日本はなにも悪くありません。自衛戦争をしたのです。

    イメージ 1

      イギリスのチャーチルに頼まれて、ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。
     
      アメリカは日本を戦争に誘い込むためイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突きつけました。

    中国大陸から出ていけだの、石油を輸入させないなど、アメリカになんの権利があったというのでしょう。

      当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人は良くて、日本人は許さなかったのです。

      ハルノートのことは私もアメリカの国民も知りませんでした。
    あんなものを突きつけられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。 

    戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画をたてました。
     
      アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。(注)GHQは日教組・マスメディア・共産党・社会党を手先とする。
     
      まず、日本の指導者は間違った軍国主義をとってアジアを侵略していったと嘘の宣伝工作をしました

    日本がアジアを白人の植民地から解放したという本当の理由を隠すため「大東亜戦争」という名称を禁止し代わりに「太平洋戦争」という名称を使わせました
     

      東京裁判はお芝居だったのです。
    アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。

    公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などを要職にばら撒きました

    その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。
     
      徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった。戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。
     
      これらの政策が功を奏し、今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。

      私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなく、アメリカなのです

      戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。

      最後に私が生きていたときの証言を記して、謝罪の言葉としたいと思います。

    (質問事項削除)

    マッカーサー 

    私は日本を誤解していました。日本の戦争目的は侵略でなく自衛のためだったのです。 太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国によって強大させたことでした。東京裁判は誤りだったのです。

    (質問事項削除)
    尚、以下の英字原文は、この訳文の後にあります。

    マッカーサー 

    その通りです。太平洋において我々は彼らの現状を無視しました。我々は封じ込めたのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

     潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。

    歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。

     これほど巨大な労働能力を持つてゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。

     日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

     もしこれらの原料の供給を断ち切られたら一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました

    したがつて彼らが戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです


    (以下、原文の一部)
    Strategy against Japan in world war II
    MILITARY SITUATION IN THE FAR EAST p55, 
    the Armed Services and Foreign Relations Committees of the United States Senate – 82nd Congress, Thursday May 3, 1951

    Senator HICKENLOOPER. Question No.5:Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?

    General MACARTHUR. Yes,sir.In the Pasific we bypassed them.We closed in.You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people,crowded into 4 islands.It was about half a farm population.The other half was engaged in industry.

    Potentially the labor pool in Japan,both in quantity and quality,is as good as anything that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.

    This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.They built the factories, they had the labor,but they didn't have the basic materials.

    There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.

    They lack cotton,they lack wool,they lack petoroleum products,they lack tin, they lack rubber,they lack a great many other things, all which was in the Asiatic basin.

    They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.




                        あなたの感想をお聞かせ下さい。


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    そもそも従軍慰安婦強制連行問題は、共産主義の吉田清治氏が朝日新聞と共謀して捏造したことから始まり、本人が捏造であると認めた以降も朝日新聞は執拗に日本軍が強制連行したと主張してきた。

    然し、朝日新聞はついにこれは虚偽であったことを白状!

    思うに、ネットがなければこのように朝日が自白することもなかったでしょう。
    ネットの力ですね。ヽ(´▽`)/
                         ★

    朝日新聞:慰安婦報道を検証 「強制連行」証言取り消す
    毎日新聞 2014年08月05日 11時29分

    イメージ 1


    朝日新聞は5日付の朝刊で、従軍慰安婦の問題を巡る同紙の報道内容を検証する特集記事を掲載した。「『慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)』との指摘はいわれなき批判」としつつ、特に1990年代初めに、証言や少ない資料をもとに記事を書き続けたと振り返り、「一部に事実関係の誤りがあった」と認めた。

    「韓国・済州島で強制連行した」との証言について、「虚偽だと判断し、記事を取り消す」としている。

     同紙は1面で、元慰安婦の記事を書いた同紙の元記者が名指しで中傷されている事態などについて、説明責任を果たすため、5~6日付の紙面で特集を組むとした。

     誤りを認めた一部の記事については「裏付け取材が不十分だった点は反省する」と記述。一方で「戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできない」と強調した。

     さらに特集面で五つの論点で読者の疑問に対する回答を掲載。韓国メディアより先に元慰安婦の証言を報じたとする元記者の記事に「慰安婦と挺身(ていしん)隊の混同」があったと認めたが、「韓国でも当時混同が見られ、元記者も誤用した」と釈明した。

     また、「済州島で慰安婦狩りをした」と証言した吉田清治氏(故人)を16回にわたって記事に取り上げた点も検証。同紙が済州島で再取材した結果、証言を裏付ける話が得られなかったことなどから、証言は虚偽と判断した。【伊藤一郎】

                         ★

    往生際の悪い朝日新聞

    (疑問1)この期に及んでも尚且つ「日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実」と弁明している。

    その意味とは朝日新聞では朝鮮人売春婦の売春行為を強制させられたと解釈するのか?

    (疑問2)事実にねじまげはないとするならば、「キーセン売春婦」を「日本軍に強制連行された従軍慰安婦」とした事実はねじまげではなく何なんだろう? 虚偽ですね。



    《朝日新聞の渦中の記事》


    「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない
    2014年8月5日05時00分
    朝日新聞記者植村氏によると、8月の記事が掲載される約半年前、「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部梁順任(ヤンスニム)氏の娘と結婚した。

    「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
    2014年8月5日05時00分

    (注)とうの昔、韓国の教授やNHKが現地調査をし、裏付けなしとしたもの。
    今まで調査しなかったと言うのかい?
    事実も確認せずに報道したと言うのかい?

    朝日新聞が拠り所とした著者の吉田氏は、「済州島の200人の女子の強制連行話しは作り話(フィクション)」と言っていたのを知っているはず。

    慰安婦問題の本質 直視を
    2014年8月5日05時00分

    (注)朝日新聞では「従軍慰安婦」と「日本軍により強制連行された従軍慰安婦」との区別ができていない同一視して自己弁護の手段としている
    これは論理のすり替えである

    朝日新聞 従軍慰安婦問題目次




    『元朝日新聞常務が朝日の実態を暴露』
     
    社内には共産主義(マルクス経済)がはびこる。 
    朝日の幹部(広岡)は 中国にぞっこい惚れ込む。
    極左分子の集団が朝日新聞の主流を占める。
    朝日とNHKの一部、共同通信が組んで極左グループを創っている。



    下記の地方議会は緊急に招集し臨時議会を開催し、かっての意見書取り消しを議決せよ。

    そうしないと、下記の地方議会には韓国からの金が流れていたのか、それとも脅しをかけられていたのか警察は調べる必要がある。

    宮津市議会意見書
    城陽市議会意見書
    島根県議会意見書
    京都府議会意見書
    広陵町議会意見書
    宇治市議会意見書
    宮代町議会意見書
    大阪市会意見書
    木津川市議会意見書
    函館市議会意見書
    八幡市議会意見書
    北栄町議会意見書
    士別市議会意見書
    高槻市議会意見書
    一関市議会意見書
    多良間村議会意見書
    豊見城市議会意見書
    読谷村議会意見書
    南城市議会意見書
    西東京市議会意見書
    小樽市議会意見書
    堺市議会意見書
    吹田市議会意見書
    今帰仁村議会意見書
    向日市議会意見書
    我孫子市議会意見書
    岡山市議会決議
    ふじみ野市議会意見書
    田川市議会意見書
    国立市議会意見書
    船橋市議会意見書
    長岡京市議会意見書
    国分寺市議会意見書
    泉南市議会意見書
    生駒市議会意見書
    京田辺市議会意見書
    小金井市議会意見書
    三鷹市議会意見書
    箕面市議会意見書
    福岡市議会意見書
    札幌市議会意見書
    清瀬市議会意見書
    宝塚市議会意見書



    《慰安婦問題に関しての私のブログ記事》

     『慰安婦問題とは?』       2011.12.15
    私は韓国で生まれて二十六歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲が強制的に連行したといった話はいっさい耳にしたことがありません。 


    『騒ぐほどにかっての日本の正しさが証明されていく』   2011.12.18
    強制連行したなら、朝鮮半島全土で大暴動が起きたはず


    『情報戦争とは、声をあげなければ認めたことになる』   2011.12.20
    平成8年(1996年)吉田清治氏へのインタビュー(5月29日週刊新潮) 
    「本に真実を書いても何の利益もない。 事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか!」


    『自国の歴史を正しく知ろう!』    2012.01.12
    当時の朝鮮紙が報道していた極悪「朝鮮人業者」強制連行の動かぬ証拠


    『沈黙は美徳??時代が違います!』   2013.06.09
    中国・韓国政府による世界に展開している反日プロパガンダ。


    『日本女性を名乗る韓国売春婦でいいの?』   2013.06.04
    日本で現在もあれだけの相当数の韓国人女性が好き勝手に売春をなさっているのに、その日本に来られる従軍慰安婦との名の元韓国人女性売春婦の方は、現在の日本での韓国人女性売春婦方の為には何のご活動もなさらない。
     
    私には同じ女性として理解できません。どうして、鶯谷(山手線うぐいす谷駅周辺)等にご訪問なさり、現在の韓国人女性の売春婦を諭(さと)すご活動はなさらないのでしょうか?


    『河野洋平氏と朝日新聞を喚問すべき』 2013/11/7(木)
    元慰安婦報告書、ずさん調査浮き彫り 慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧 河野談話の根拠崩れる

    『自虐史観の瞳のあなたへ』 2014/1/23(木) 
    위안부의 거짓말에 관한 한국의 교수 인터뷰 
    Korean professor interview about lie of comfort women
    慰安婦の嘘に関する韓国の教授インタビュー
    its important to know that the fact that the comfort women are not sex slaves,comfort women were simply prostitutes owned by traders,half of these traders were koreans,therefore why would comfort women would have been forced to be prostitutes?
    慰安婦が性的奴隷ではないという事実を知ることは重要なことです。

    慰安婦は単に慰安婦業者によって所有された売春婦でした。
    これらの慰安婦業者の半分以上は朝鮮人でした。

    従って、何のために強制でやる必要がありますか?
    (朝鮮半島では売春婦はごろごろいたから強制的に集める必要はなかった)

    사실은, 위안부가 성교 노예가 아닙니다.   
    위안부는 단지 매춘 업자에 의해 소유된 매춘 여성이었습니다.

    『実は朝鮮戦争時代の慰安婦』 2014/2/7(金) 
    ‘기지촌 여성 관리’ 박정희 친필 서명 문건 공개
    ‘基地の村女性管理’朴正煕(パク・チョンヒ)の署名文書公開

    등록 : 2013.11.06 17:08
    유승희 의원 “국가가 성매매 용인·관리했다는 증거”
    ユ・スンヒ議員“国家(韓国政府)が売春容認・管理したという証拠”

    ソース:韓国日報
    【韓国】 基地村の女性たちに名誉回復と被害補償を~米軍相手に売春させられた百万人以上の女性たちの実態調査求める[12/16]


    『A "Korean comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower"』  2014/4/15(火) 
    1994年8月の米軍心理作戦チームの報告書によると、韓国従軍慰安婦は、日本軍による強制連行ではなく、単なる売春婦、又は日本軍についてまわる従軍慰安売春婦以外の何者でもないと述べています。そのレポートの原文を列記。



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    ランドクルーザーの凄さって初めて知りました。
    まさに、『ランド狂うザー』ですね

    Arabian Offroad Academy - Land Cruiser rescues Hummer H2
    (注)白く小さい車の方がTOYOTA 
    アクセス数、1,254,589 




     NISSAN Y60 37" FULL POWER!
    アクセス数、4,892,016



    Land Cruiser FZJ80 Rock Climb (TOYOTA Land Cruiser FZJ80)
    アクセス数、1,363,931



    下記の映像は、調子に乗り過ぎたら・・・・・ ヽ(´▽`)/
    hundimientosamurai. toyota only one submarino,noes playa paraiso, noes la cangrejera
    アクセス数、2,374,481


    Samurai en un rio en la cual se esta hundiendo, pero luego de muchas horas de limpieza prendio, por lo tanto toyota alias samurai dio la talla despues de tragar tanta agua..

    もっと見たい方は、下記のURLをクリック

    これはアクセス数、6,212,156 
    Moab - Devils Highway Hot Tub - AJ - Rhino



    上記の記事は、今日、二回目の更新記事。
    尚、今日は、少なくてももう二回、更新予定です。

    今日、一回目の更新記事は↓こちら。




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    今日の記事は、下記の記事の続編です。

    自己の歴史観は正常ですか? 2014/8/3(日) 
    自虐史観からの脱却  2014/8/4(月) 



    戦後、GHQの金で創立した日教組は、昨今、自虐史観の教育を批判されると、今度は日本の子供たちに日本の建国の歴史も教えていないようだ。

    教えたのは、日本は残虐悪辣であったという感覚的な自虐史観。
    私も、女子高校生への下記のアンケート結果をみて、愕然としました。



    《女子高校生へのアンケート結果》

    自国の建国の歴史について知っていたのは、18歳の女子高校生100人のうち2人。半分以上は回答がなかった。連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官、マッカーサーが建国したと答えた者が5人いた。(山本みずき「18歳の宣戦布告 国家観なき若者に告ぐ」=平成25年5月号)。
    http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/140211/lif14021110550001-n1.html



    《戦前の日本がどういう国だったのかは外国人の方がよく知っている》

    駐日フランス大使ポール・クローデルの讃える日本

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    太平洋戦争のまっただ中の昭和18年(1943年)の秋、日本が敗戦濃厚だった頃に、フランスのパリで晩餐会が開かれました。ここに出席した方に、もと駐日フランス大使のポール・クローデルさんという方がいました。彼はそこでこうスピーチしました。

    私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。

    あれほど古い文明をその ままに今に伝えている民族は他にありません。
    日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではありません。

    日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格があるのです。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。」

    そして、最後にこう付け加えた。
    「彼らは貧しい。しかし、高貴である」

    http://blogs.yahoo.co.jp/sachidai1018/52055238.html



    1549年、キリスト教布教の期待をもって来日したフランシスコ・ザビエルは、日本人について次のような報告をローマへ書き送った。

    「まず第1にいうべきことは、今までの交際によって知り得た限りにおいて、この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。

    ‥‥日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉にまさるものはない。

    日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特質がある。(以下省略)




    私のブログ記事
    『アムステルダムの光芒』

    オランダ・アムステルダム市長・エドゥアルト・ヴァン・ティン(Edvard van Thijn)氏の歓迎の挨拶。

    「あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。

    あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救いだす、人類最高の良いことをしたのです。





    私のブログ記事
    日本国民よ目覚めよ!とアジア諸国は言う  2013/12/3(火) 
    戦前・戦中・戦後を通じて欧米のプロパガンダにより、洗脳されている欧米人。
    それに同じく洗脳されている自虐史観の日本人。
    近隣二国を除くアジア諸国は、日本人は自虐史観から脱せよと呼びかける。



    私のブログ記事
    大東亜戦争での米豪軍の実態を知ろう  2013/12/8(日)
    『戦陣訓』の中の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」の件(くだり)に議論がある。

    但し、大東亜戦争での南方の島々で捕虜になった日本兵や民間人は、米軍により皆殺しにされており、そのことが日本にも伝わっていた。まさに「鬼畜米獣」だった。
    沖縄での集団自決は、そのような事実も根底にあった。



    さて、本題

    イメージ 7



    アメリカ人が語る
    「日本の戦争は正しかった」
    欧米こそ歴史の見直しが必要だ

    インタビュー:ヘンリー・S・ストークス

     第二次大戦の頃、世界には国の発展モデルが2つ存在しました。1つは、帝国主義によって他国を侵略し、植民地として支配して富やち資源を搾取していくモデル。もう1つは、白人による支配から解放され、独立国家として発展していくモデルです。
     
     日本は当時、2つ目のモデルを体現していました。日露戦争で勝利した日本は、欧米の植民地だったアジア諸国に希望を与え、1941年の真珠湾攻撃の数週間後には、500年に渡る欧米の植民地支配にピリオドが打たれるという期待がアジア中に高まりました。
     
     日本は、白人による世界支配を終わらせ、人種平等の実現を目指していました。これは先の大戦の重要なポイントですが、欧米人にはほとんど理解されていません。私はオックスフォード大学で政治学を学びましたが、日本が19年に国際連盟で、人種差別撤廃案を提出していた事実を教わりませんでした。

    アジア独立の狼煙

     日本は当初からアジア解放の理念を掲げ、43年、東京で大東亜会議を開きます。アジア諸国の代表者が集まり、欧米諸国に対して、植民地主義の終焉と国の独立を宣言したのです。この時、基調演説をしたのが東條英機でした。
     
     私と同じ世代の欧米人は、「東條は自分の思想がない、単なる兵器のような人間だ」と考えていました。ところが、彼の演説は情熱的で、かつ当時の国際社会でも、トップクラスと思わせるほどの知性を感じさせる内容でした。

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     私は歴史を学ぶ中で、なぜこの時期に集中して、アジアの国々が次々と独立を求めて立ち上がったのか分かりませんでしたが、大東亜会議の内容を知った時、それが理解できました。日本はアジア諸国に希望を与えたのです。
     
     参加者の1人だったインド代表のチャンドラ・ボースも「日本はアジアの希望の光だ。とうとうインドからイギリス人を追い出すチャンスが来た」と演説し、その後インドを独立に導きました。

    数百年に渡って続いた欧米植民地の崩壊は、驚異的なスピードで進みました。インドネシアでは、現地のオランダ軍が日本軍の前にわずか7~8日で降伏。イギリス植民地の香港も、数時間で瞬く間に降伏しました。そして、あの大英帝国までもが、インドの独立を認めたのです。
     
     こうして、アジアから欧米の植民地が次々と姿を消しました。結局、国家の発展モデルのうち、勝利を収めたのは日本が目指した2番目のモデルでした。
     
    アメリカが忘れたい原爆投下と東京裁判
     先の大戦は、広島と長崎への原爆投下で終わりましたが、私たち欧米人はこの結末にいい思いを抱いていません。残忍なクライマックスを迎えたと考えています。
     
     アメリカの大統領で、在任中に広島、長崎を訪れた人はいません。アジア人も欧米人もこの戦争はまだ終わっていない面があると感じています。アメリカ側はあの戦争の現実を無視し、忘れ、隠したいのです。

    (注)最近、米国も日本も、大東亜戦争の歴史を児童に教えていない。

    東京裁判は、「一般市民の大量虐殺や原爆投下など、アメリカの残虐な行為を隠すために行われた」という議論には説得力があります。

    東京裁判の法廷の雰囲気は、非常に重く、暗く、悲痛なものだったそうです。アメリカ軍幹部たちもこの裁判を嫌悪していました。なぜなら、「法」に基づいてではなく、「戦勝国の論理」によって行われたからです。
     
     かたや唯一の国際法学者で、日本の無罪を主張したインドのパル判事の証言や調査結果は無視されました。事実が公平に反映されていません。あの裁判こそ「再審」する必要があります。
     
     大空襲や原爆投下という破壊行為に比べたら、日本軍がなしたと言われる戦争犯罪は、大した問題ではないとさえ言えます。

    欧米では、原爆投下について議論を深めることはせず、東京裁判にいたっては、その存在を忘れかけています。

    しかしアメリカ人は、そうした歴史から目を背けてはいけません。
    歴史は、正しく書き直されなければいけないのです。(談)

    http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140418/dms1404181140005-n2.htm


    ヘンリー・S・ストークス:
    1938年英国生まれ。61年オックスフォード大学修士課程修了後、62年フィナンシャル・タイムズ社入社。64年東京支局初代支局長、67年ザ・タイムズ東京支局長、78年ニューヨーク・タイムズ東京支局長などを歴任。



    ●すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。

    1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)

    1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。

    その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁) ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)

    ●東京裁判では、本来裁かれるべき「侵略戦争をしたのはどちらなのか」は取り上げられなかった。 ヘンリー・S・ストークス


    ●ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。 ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))


    実はハミルトン・フィッシュの言うように、そもそも日本の領土への侵略戦争を始めたのはアメリカなのです。

    下記の地図は、日露戦争後の日本の勢力図。
    大東亜戦争が始まる前からアメリカは、満州・朝鮮半島・台湾を狙い、中国を使って満州に侵略していました。
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    アメリカの対日先制爆撃計画①  2013/8/13(火) 


    大東亜戦争の始まる前年の1940年、ルーズベルトは大量の爆撃機とパイロット

    を中国に送って、中国から日本本土の都市部を焼夷弾で爆撃し、焼けの原にしよ

    うとするJB-355と呼ばれた計画を立てました。これは一般市民への無差別爆撃で

    あり、重大な戦争犯罪でした。


    アメリカの対日先制爆撃計画②  2013/8/13(火)
    http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/62093436.html

    1941年7月23日、ルーズベルト大統領は日本本土の都市部を焼夷弾で爆撃する

    JB-355計画にサイン。アメリカの戦闘機や爆撃機を中国軍に貸与。

    中国空軍の中国人パイロットは腕が悪く、日本空軍に撃墜されたため、アメリカの

    空軍パイロットを一時的に退役させ、中国に送り込みました。

    アメリカから中国に供与された第一陣、戦闘機100機の要員として、100名のパイ

    ロットと200余名のサポート要員が1941年6月初旬、サンフランシスコから船で出航

    しました。



    アメリカの対日先制爆撃計画
    http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/62093473.html

    しかし、爆撃機が中国に送られる前、12月8日に日本の真珠湾攻撃が敢行
    され、アメリカの「特別航空戦隊」は、戦闘機のみの戦隊として日本軍に戦い
    を挑みました。

    日本政府・軍部は、アメリカの先制爆撃計画の情報をつかんでおり、真珠湾と
    フィリピンの米軍基地、それに中国内陸部への攻撃によって、米爆撃機の中国
    移送を不可能にさせました。 (以下省略)

                           ☆

    アメリカの狙いの概要地図は下記の通り。
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    アメリカは、南方諸島を植民地化し、更に植民地を拡大しようとすると日本が邪魔故に、アメリカにはどうしても日本と戦争をする必要がありました。
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    と言っても、ルーズベルトはこの1940年(真珠湾攻撃の前年)に3選を果たしたのだが、その時の公約は、欧州で生じていた第2次大戦に米国は 決して参加しないというものでした。当時、参戦に賛成する米国民は3%しかいなかったのです。

    どうしても第二次対戦のヨーロッパ戦線に参戦したいルーズベルトは先ず日本と交戦し、日独伊三国同盟を理由に欧州にも出兵するという策略を描き、そのとおり実行しました。

    大東亜戦争(太平洋戦争)が終わり、更に続く朝鮮戦争が終わってみると、共産主義国家が勢力を拡大する結果となりました。

    当然と言えば当然の結果と言えます。
    ルーズベルト大統領は共産主義者であり、ソ連のスパイとの見解もあるのです。
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    他方、日本は戦争に破れはしましたが、日本陸軍が協力し育成した各国の人々は独立戦争を勝ち抜いていきました。そしてそれまでの米国・英国・仏国・オランダ・独国の植民地は悉く独立していきました



    今日、二回目の更新記事
    『大東亜戦争(太平洋戦争)の世界からの日本の評価(1)』

    (注)

    日本人なら思わず涙する日本はすごい国・日本人のすごいところ(ユーチューブ)

    https://www.youtube.com/watch?v=hCN9inLlbL4



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    世界が大東亜戦争並びに大和魂・武士道精神を高評価しているのに、日教組やマスメディアに毒された肝心の日本人は、それらの事柄は全て悪と脳幹まで叩き込まれている。

    このお盆に、知人や自分の子供や孫たちに、かっての日本と日本人、並びにその心は素晴らしかったと話してあげませんか?



    今日二回目の更新記事も、下記の記事の続編です。

    自己の歴史観は正常ですか? 2014/8/3(日) 
    自虐史観からの脱却  2014/8/4(月) 
    大東亜戦争:侵略したのは米国  2014/8/7(木) 

    (注)この記事は今日二回目の投稿です。



    さて本題

    大東亜戦争(太平洋戦争)の世界の評価(1)

    (原文)


    但し、下記のような意見もあることを念頭に置く必要があります。

                         ☆
    田中宏巳『BC級戦犯』より 

     多くの現地人にとって日本軍の到来は、日常生活を大きく変える転機になった。

     日本軍はアメリカ軍と違い、必要な食糧や日用品を現地調達でまかなった。このためインフレーションが恒常化し、現地人の生活に少なからぬ負担をかけた。

     いわば日本軍は居候軍隊であり、現地人には迷惑至極であった。独立への道につながる期待感と、長い歴史の中で得た現地人の知恵とによって、かろうじて駐屯が許されたに過ぎない。

     占領が長期化すれば支持を失い、抗日運動につながるかもしれなかった。日本軍が入って以来、生活環境は悪化する一方で、よくなる兆候はなかった。

     十九世紀から二〇世紀の歴史は、外国に支配されるよりも、自分たちがつくる国家の方がよいという、民族自立が世界的潮流になったことに特色がある。この流れに従えば、武力による日本軍の侵攻は歴史に逆行していた。

     日本軍の侵攻が民族自立の契機になったとして評価する声が現地にはあるが、そういう者も、日本軍の長期的軍政を認めない。

    欧米の植民地支配に打撃を与えた日本軍が、敗北して帰還するという条件の中で、はじめて評価されたことを忘れてはならない。(P217)

    http://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/asianokoe.html


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    以下、本文

    H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

    「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


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    アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

      第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。

    その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。

    日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

     英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。

    なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。

    1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)



    ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )
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    「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。

    今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。

    十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )


     

      バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)

     約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。

    英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。

    ・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い

    ・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。

    ・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答 日下公人 PHP研究所)



     ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
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    大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

     日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。

     今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。

    民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。

    そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略)  

    さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。

    東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。(「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256~7ページ)


     

     ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)

     すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。

    1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)

    1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁)



    ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)

     日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略)  

    インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。

    日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。


     

      ラグ・クリシュナン(インド、大統領)

     インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。(昭和44年「日本経済新聞」)


     

     ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)

      要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。

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    ・・・・私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。

    その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。

    それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。

    満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。

    日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。

    あやまられた歴史は書き変えなければならない。(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)



      グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)

     このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。

    私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。  
    インドは程なく独立する。
    その独立の契機を与えたのは日本である。
    インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。

    これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。 

    インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。(1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶)


     

      ジャワハルラル・ネルー(インド、独立後の初代インド首相)
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     チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍《INA》の裁判で、弁護士として法廷に立ち「これら立派な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった

    ・・・・彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段であった。余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を疑わない」と述べた。(貝塚茂樹編『民族解放の星』講談社、253~4頁)



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    (参考)

    インド、オールドデリー市街のチャンドラ・ボース公園に立つインド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像。

    この像は、独立記念碑ですが、その構成は、ニューデリーを指差すボース、インド国民軍兵士、それを銃後で支えたインド女性、そして共にインドに進撃した日本兵で構成されています。




     

     アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

      日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。

    日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。

    この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。

    日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。

    その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。

    (中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(「魂を失った日本」未央社、57~65ページ)

    (参考)
    インドネシア独立宣言書に書かれた皇紀(神武紀元) 「2605年8月17日」は、日本への感謝の表れに他なりません。

    インドネシア独立の為に戦死した日本兵1000名は、インドネシアの国立英雄墓地ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ、各地の英雄墓地)に祀られています。

    下記の画像は夫々インドネシアバリ島での日本と共に独立のために戦ったという記念碑です。

    (画像左)“松井”氏と“荒木”氏の記念碑
    小学校の敷地内に建てられた10メートル程の高さの記念碑はここの村の方達における寄付金にて建てられています。

    (画像右)敬礼している像は “大舘”氏
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      ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

      我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。

    インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

    我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。

    日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。


     

      ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)

     日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。

    マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」

     さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。 「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。

    現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。

    『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。

    かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。

    日本はかつてアジアに対して責任を感じ、そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」(昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル)
     


     
    朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)

    「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」
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    「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。

    平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。

    最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。

    それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。

    それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

    「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。

    彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。

    日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。

    二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」


     

     朱 耀翰 {韓国 元国会議員 ゴーマニズム宣言第六巻p232}

     「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようとしたときこれに反対し削除したのはどこの国だ?

    黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」



      
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    ニミッツ元帥(アメリカ 太平洋艦隊司令長官)

    この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!


    (参考)
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    ニミッツ提督が師と仰いでいたのは東郷平八郎元帥でした。

    画像はペリリュー島ペリリュー神社(南興神社)の境内に建つニミッツの碑。

    碑文

    諸国から訪れる旅人達よ
    この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ   米太平洋艦隊司令長官  C.W.ニミッツ


     

      スリム中将(イギリス第十四軍司令官)

     たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。(「敗北から勝利へ」)

     かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。(同書)


                                   つづく


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    昨日8月15日は大東亜(太平洋)戦争の終戦記念日でしたね。

    この戦争には幾多の不審点があります。

    この記事の序段ではそのうちの一つのみを記載しておきます。



    イギリス人スターリング・シーグレツプは『The Yamato Dynasty』の「第十章、汚れた手」の中で、

    「敗戦直前、昭和天皇の側近たちがひそかにスイス銀行に財産を隠匿した」
    と述べている。じじつ、 横浜正金銀行の株式の二二%はヒロヒトの名義であった。 

    かれはいう。 

    「膨大な戦利品の一部は潜水艦によって南米に運ばれ、スイス銀行ブエノスアイレス支店から入金された…… 

    マッカーサーはこのことを知っていたが敢えて知らないふりをした。計算するとその財産は四千億ドルであった」と。 

    マッカーサーが承知して知らないふりをしたというのは汚職である。 
    ヒロヒトがマッカーサーを買収したという.



    1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容は書いた。
    「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は37億2000万円。」

    木下道雄(元侍従次長)の『側近日記』が昭和天皇の死去の翌年の1990年に出版された。この本の解説は伊藤隆(当時東大教授)であった。
    彼は次のように書いている。

    「ところで終戦直後の天皇家の財産は37億5000万円だった。日銀物価価格統計により現在の貨幣価値の311倍で換算すると7912億円である。」

    この数字の十数倍近くをスイス銀行に送り込んで終戦工作に天皇は入ったのである。(注)昭和天皇は米国から2発の原爆投下の日程を7月には既に知らされており、その投下が終わった1945年(昭和20年)8月15日正午た玉音放送をした。


    天皇は国際決済銀行とスイス国立銀行に今日でも世界トップクラスの秘密資金を持っている。ポール・マニングの『米従軍記者の見た昭和天皇』にも、シーグレーヴ夫妻の『ゴールド・ウオリアーズ』にもそのことが詳しく明記されている。

    横浜正金銀行(管理人注:天皇の銀行)が一九四四年九月にスイス国立銀行に開設した「第一特別勘定」と「第二特別勘定」も、天皇の資産隠しのために使われたとみる。しかし天皇は、自らの秘密口座と、皇后名義の秘密口座をスイス国立銀行に持っていた。

                           ☆

    戦後一千万スイスフランの数十倍か数百倍の金が天皇と皇后の秘密口座の中にあり、凍結されかかっているので赤十字国際委員会(ICRC)に依頼し、凍結を解除し、他の銀行の秘密口座に移そうとする天皇の壮絶なる闘いである。(管理人注:現在では兆の単位ではなく京の単位であろう)

    (注)戦後、天皇が押収を免れるためにスイスの銀行口座の名義を日本赤十字社に確か37億ドル(33億ドル?)を払って変更したことを書いた英国の公式記録文書が4~5年前に発見されたことは、日本の新聞に写真付きで小さく報道されていた。但しいま検索してもこの記事をまだ発見できていない。




    さて、本題

    吉本 貞昭 (著)『世界が語る神風特別攻撃隊―カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか』より一部抜粋。

    白人不敗の神話を崩壊させた日本軍は、わずか半年余りで、東南アジア全域を西欧列強の植民地支配から解放した後、東南アジアの各地に独立義勇軍を結成して軍事訓練を施し、敗戦後に展開された「第二次大東亜戦争」とも言うべきアジア諸国の民族解放戦争と民族独立運動に契機を与えていくのである。

    だが、開戦以来、武運に恵まれていた日本軍も、やがて米軍の反撃の前に次第に守戦に立たされるようになっていった。
    この時、劣勢な戦局を挽回するために、敵艦船に対する熾烈な特攻攻撃が展開された。

    戦後の日本では、「特攻を最大の罪悪の一つと見立てて、絶対服従を強要する上司の命令のために、いやいやながら死んでいった若い将兵たち」という誤った見方が生まれ、彼らを哀れな戦争被害者とする風潮があったことは、実に残念なことである。

    特攻の真相は決して、そのようなものではなく、戦没海軍飛行予備学生の遺族会理事長、杉暁夫氏も、

    「私達の常識ではとても想像もつかないような完全な“滅私"を神風特攻隊員の一人一人が実践してみせたのである」

    「ただ一途に、祖国の危機の前に敢然と立ち向かった若い特攻隊員達の悠久の偉功を決してないがしろにしてはならない」

    と述べているように、特攻こそは、欧米諸国の植民地化を恐れた、殉国の血潮に燃えた青年たちが劣勢な戦局を挽回するために行った愛国心の発露であり、また実際の戦果も戦後、米軍が公表したものよりも、遥かに大きなものだったのである。

    米・英・仏などでも、神風特攻隊に関する書物が数多く刊行され、特攻に対して高い評価を与えているにもかかわらず、「かつて味方であった日本人が味方であった日本人を愚弄したり、揶揄したり、嘲笑している」のが、戦後の日本の特徴であると言ってもいいだろう。

    (注)神風は米海軍に甚大な損害を与え恐怖に陥れたが、戦後、米国は意識的に過小評価のプロパガンダで今日に至る。
    The Kamikazes made their first appearance during the Battle of Leyte Gulf in October 1944. By 1945, they were a terrifying threat, "the only weapon I feared in war," declared Admiral Halsey.
    By war's end, kamikazes had sunk or damaged more than 300 US ships, with 15,000 casualties.




    アメリカからみた【神風特攻隊(kamikazetokko)】第二次世界大戦



     ベルナール・ミロー(フランス ジャーナリスト)

     これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。(著書『神風』)



    バー・モウ(ビルマ初代首相)

    「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。今後数千年の長期にわたって語り継がれるに違いない」



      アンドレ・マルローの言葉

    アンドレ・マルロー(Andr? Malraux, 1901年11月3日 - 1976年11月23日)はフランスの作家、冒険家、政治家。ド・ゴール政権で長く文化相を務めた。代表作に『王道』や『人間の条件』がある。

    「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。

    ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。

    日本の特別特攻隊員たちはファナチックだったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかっ た。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。

    代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。

     戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。

      フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を 抱く者もいる。

    そういう人たちに、私はいつもいってやる。《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》と。

    私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」

      二十世紀の思想を代表するフランスの文人アンドレ・マルローは、こういうと床に視線を落としたまましばし瞑黙した。まさに百の頌詞にまさる言葉であろう。私はこれ をつつしんで特別特攻隊の英霊に捧げたい。

    (会報「特攻」第8号より引用)



    ビルマ(現:ミャンマー)独立の英雄のバー・モウ

    彼も神風特攻隊に激しく感動した一人である。タイの王室主催の晩餐会でスピーチを求められたバー・モウは、流暢な英語で特攻隊について語っているうちに涙で声が詰まり、それを聞く晩餐会出席者もまた感涙に堪えなかったという(深田祐介『大東亜会議の真実』)。



     フランス文学者、歴史学者で東京大学客員教授・モーリス・パンゲ

    主著『自死の日本史』第12章において特にアメリカ人や西洋人一般にみられた嘲笑や中傷を否定し、『きけ わだつみのこえ』を基に特攻隊員が軍閥の言いなりではなく「正しいものにはたとえ敵であっても、誤りにはたとえ味方であっても反対する』という崇高な念に殉じたと彼らに称賛の意を示している

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A



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    『ベラスコの告白 広島原爆はナチス製だった』 ── 高橋レポート ──
    このレポートを理解するためには、シオニスト(シオニズム)を理解する必要があります。先ずはそれに関することから書いていこうと思います。

    シオニストとは世界各地に散らばったユダヤ系の人々が「約束の地」(今のイスラエル)に帰還、及びユダヤ国家を再建しようとする運動する人達の事。



    (※)生前、ハビブ・シーバーは次のように語ったという。

    「反ユダヤなどというものは、この世界のどこにもない。反ユダヤはシオニストたちが自分たちの都合のためにつくり出す騒ぎなのである。」

    「私たち民族の弱点は調子に乗ってやりすぎることである。自分の力を過信する。
    そして振り返ったとき、すでに味方する者はなく敵ばかりとなる。やりすぎることが滅びの前兆なのである。いつも私はこのことを心配している。」



    (※)私のかってのブログ記事

    戯曲『ヴェニスの商人』とTPP  2013/3/22(金) 
    不思議なことに、当初、この戯曲をユダヤ人を狡猾と看做し卑下した差別的なものと思っていましたが、そう考えると、何故に継続して上演されてきたのか?

    彼等の富と政治力からすると、この戯曲の上演を禁止することぐらい朝飯前ではないか? それが映画にもなっている。では一体何故?

    捏造された歴史を叫び続ける醜態  2012/1/18(水)
    第二次世界大戦はユダヤ人国家『イスラエル』(1948年独立宣言)を創るための茶番劇だったので、それを隠すために歴史が捏造された。
     改めて言いますと「ナチスによるユダヤ人600万人大虐殺はなかった!」が正解。

    「アンネの日記」はおっちゃんが書いた小説  2012/1/20(金) 
    「アンネの日記」は少女アンネ・フランクが書いたものではなく、ユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン(男性)がアンネ、又はアメリカの少女の誰かの日記を参考にし、捏造して創作した小説。
     
    依頼者は、アンネの父、ユダヤ系ドイツ人、オットー・ハインリヒ・フランク。
    小説だから当然内容もフィクションで実際には無かったのです。

    ガス室の多くは戦後にわざわざ公に見せるために建設されたものでポーランド政府もこの事を認めています。



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    ヒトラーがドイツの権力の座についた理由、そして第二次世界大戦の本当の目的は、ユダヤ人が彼らの祖国であるパレスチナに帰るように追放し、ユダヤ国家(イスラエル)の建設(シオニズム運動)にありましたね。


    (※)1919年 ドイツでナチ党が結成される。
    ナチスは、アヴェレル・ハリマン、プレスコット・ブッシュ、J・P・モルガン、ウォーバーグ兄弟、シュローダー兄弟など、ウォール街とシティの国際銀行家達から莫大な資金を受け取っていた。また国際決済銀行もナチスの財源確保に加担した。


    その目的のために、700万人以上のドイツ人が殺されました。
    この数はユダヤ人やポーランド人の死亡数どころではありません。

    ヒトラーはユダヤ人絶滅命令を一回として出してはいないのです。
    彼が部下に命じたのは追放することのみでありました。

    ヒトラーはユダヤ問題解決のため、アメリカやイギリスと極秘のうちに話し合いを進めていました。

    その時の連絡係を果たしたのがアイヒマン。役目上彼は国際ユダヤ組織のトップたちと何度となく話し合っている。そして彼らの考えを克明に記録に残した。

    ワイツマンはユダヤ人たちが迫害され、あるいは殺されることによってそれがイスラエル建国のバネとなり、また戦争後のユダヤ人たちが世界にアピールしていくときのバネになると、彼ははっきり答えています。

    ヒトラーの犠牲になったユダヤ人のほとんどはシオニストではありませんでした。特にポーランドのユダヤ人の場合、大多数がシオニズムと縁を切っていました。

    このシオニストではないポーランドのユダヤ人は、ユダヤ人の悲劇を演じるために殺されたのです。

    多くのユダヤ人が殺されれば殺されるほど、全世界の同情はユダヤ人に集まり、シオニストによるユダヤ国家建設が正当化されたのです。自分たちの目的達成のためには同胞さえも見捨てる。それがシオニスト・ユダヤ人たちの本性だったのです。
     
    (※)『アンネの日記』は世界の同情をかうために、事実を歪曲して創作されたものです。
     

    イスラエルの国の建国を目指すユダヤ人(シオニスト)は、むしろ積極的にナチスに協力しました。

    シオニストの目的は、あくまで「シオンの地」パレスチナでの国家建設にあり(「シオニズムはすべてに優先する」)、結果として彼らは、1878年以来、ロスチャイルド家が土地買収を続けてきたパレスチナに、ユダヤ国家を建設することに成功したのです。


    1939年 第二次世界大戦勃発。
    ナチスドイツはソ連と不可侵条約、翌年にはドイツ・ソ連通商協定を結び、ヒトラーは「賎しいユダヤ人」「呪うべき共産主義者」と攻撃していたはずの共産主義ソ連と手を組んで、石油・貴金属・穀物の供給を受けた。

    ドイツは日本と同じで石油が出ないので、ドイツに戦争をやめさせたければ石油の供給を止めればよいのである。しかし、ドイツにソ連のバクー油田から石油を供給して戦争を継続させたのは、ロスチャイルド=ノーベル財閥の石油会社シェル(敵国である英国籍)であった。

    ユダヤ人定義
    ナチス時代は簡単に言えば、祖父母のうち一人でもユダヤ人ならユダヤ人。
    イスラエルの現在採用しているユダヤ人定義は『母親がユダヤ人か、あるいはユダヤ教徒』。



    以下、本文です。

    ベラスコの告白
    広島原爆はナチス製だった

    ■■パート1

    イメージ 2
    ヒトラーから厚い信頼を得ていたトップスパイのベラスコによると、ナチス製原爆の完成はアプヴェール(ドイツ国防軍情報部)長官のカナリスと、SS情報部(RSHA)長官のシューレンベルグから直接耳打ちされた情報だったという。

    そして、ベラスコによれば、これまで歴史家が伝えるロンメル自殺の原因は、ヒトラー暗殺未遂事件の過度でとされているが、実際は「ナチス製原爆横流し」の罪だったという。

    ベラスコからの報告書「原爆ノート」によれば、ベルギーに保管中の原爆の管理責任者はロンメル将軍で、彼がアイゼンハワー連合軍最高司令長官に原爆を渡した、とある。その裏切り行為が発覚してロンメルは処罰されたという。

    ベラスコが語る「ナチス製原爆」の真相を大雑把にまとめると次のようになる。

        ───────────────────────────

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    1938年12月、ナチス・ドイツの「カイザー・ウィルヘルム研究所」の科学者オットー・ハーン(右の画像)とシュラウスマンは、世界に先駆けて「原子核分裂」を発見した。

    1940年3月には、世界最初の「実験原子炉」がベルリン・ダーレムに設置された。

    このように、ナチスの原子核研究は、アメリカを遥かにしのいでいた。

    1940年6月、ドイツ軍のパリ入城。この時にジョリオ・キューリー博士の「原子核研究装置」を没収し、ドイツによる原爆の完成は不動のものとなった。

    更にドイツ軍は、ベルギー・オランダ・ルクセンブルグを攻撃し、地球上のウラン産出地域を占領したので、ウラン資源がアメリカ側に渡ることもなく原爆の製造条件は、全てドイツの手に独占されたのである。

    ナチス製原爆のエレメント、すなわち爆弾の個々の部分と素材は、チェコのボヘミア地方の原生林に移送されて組み立てられ、1942年4月21日に段階的実験を大成功させた。

    この実験グループの統括責任者はハベルムール氏で、彼は当時最も革新的な兵器の開発研究者らで構成されたグループの統括責任者だった。

    バルト海沿岸の「ペーネミュンデ基地」でナチス製原爆は最終的完成にいたり、その後ベルギーのリハエ郊外にある基地に移送保管された。

    「ゾンデルブーロー第13号」と称される極秘の爆撃機でロンドン、リバプールの上空で投下する予定だったが至らなかった。未投下の理由は、ヒトラーが「死体はもうご免だ」と言って、中止を命じたためだった。

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    ナチス製原爆は、ドイツの英雄ロンメル将軍麾下のシュパイデル参謀長が管理した。

    アフリカ戦線から撤退したロンメル将軍は、反ヒトラーグループ「黒いオーケストラ」と内通し、ベルギーに根を張る国際金融資本のコネクションを通じて、ナチス製原爆を1944年11月にアメリカのアイゼンハワー連合軍最高司令長官に引き渡した。

    ロンメル将軍は、原爆の持つ政治的価値を全く理解していなかった。

    シューレンベルグ指揮下のV1-C-13のエージェントが、このロンメル将軍の裏切り行為をキャッチし、その事実はヒトラーに伝えられ、ロンメル将軍を処置するようヒトラーから命令が下った。

    ロンメル将軍はゲシュタポに検挙され、ヒトラー暗殺未遂犯らと一緒に適正処分された。しかし時はすでに遅く、原爆横流しの対応策は得られなかった。

    ベラスコはアメリカの原爆の完成日と日本投下日までの微妙なズレなど、様々な状況証拠をもとに、ナチス製原爆はその後、日本投下に使用されたと断定する。

    戦後、ナチス製原爆のいきさつを知る何人かのドイツ人が完成までの責任者の証言や、ベルギー移送後の極秘の事実を記録すべく調査に着手したものの、CIAはそれらを迅速な方法で妨害し、秘密は消滅したと見られている。

    不幸なことに、統括責任者ハベルムール氏はソ連軍によってブレスラウのミテ工場に留置されたのち、モスクワに移送され消息不明になっている。

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    ■■パート2

    ●以上がベラスコが語る「ナチス製原爆」の真相の全体像である。

    ベラスコは、ナチス製原爆完成を信じ切っており、その原爆を日本に投下したアメリカを頭から疑ってかかっていた。

    ベラスコは言った。「広島に投下された爆弾が、即、ナチス製の完成品そのものとは思えない。多分そのナチス製の原爆にアメリカ国内で更に工夫をこらして仕上げ、そして広島に投下したのだと思う。」

    私(高橋)は質問した。
    「ナチス製の原爆は間違いなくアメリカに渡ったと断言できるのですね?」

    「まったく事実だ。しかしアメリカ側はこの事実を無視または否定するだろう。ナチス製の原爆がアメリカ国内に運びこまれるまでに、アメリカ国内で原爆は完成していなかったのだ。

    多分、この事実を知ったら日本人は、相当驚くだろう。しかもこの事実はビッグニュースになるだろう。それにこの事実が世界に知られたら、アメリカが作ってきた神話が崩壊するだろう。」

    ベラスコによれば、原爆投下は、戦後世界の覇権根拠に決定的役割を見据えての決定だったというが、それはさておき、なぜ他国の製品(ドイツ製)をわざわざ使用したのか。

    ドイツ爆弾の完成根拠、アメリカの転用投下の理由をめぐって、ベラスコとの論争は堂々めぐりになっていった。そして袋小路に入ってしまったのであった。

    (ベラスコと初対面の時から数えて約2年目まで、毎月1回程度、彼と会い続けた。1回あたりが15分間以内の場合もあれば、延々3時間にも及ぶ時もあった)。(中略)



    ■■パート3

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    興味深いことに、大戦終了後に設立されたNATO(北大西洋条約機講)の初代事務総長は、なんと敗戦国ドイツの西部方面司令官ロンメル将軍の参謀長ハンス・シュパイデルである。

    ナチスの原爆の管理担当者が、戦争終了直後に、それまでの敵軍つまり連合軍側の形を変えた総合責任者になれたのは何故だろう。シュパイデルは連合軍にどんな貢献をしたのだろうか。

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    シュパイデルはナチス製原爆をどうやってアイゼンハワーに渡したのだろうか。

    ベラスコの「ノート」にはなかった別情報によれば、ナチス製原爆はイスラエル独立運動家(シオニスト指導者)が仲介して英国へ持ち出した可能性があるという。そしてこのイスラエル独立運動家を支援したのが、英国特殊部隊(SOE)だったという。

    大戦中に民間人と軍人が共同で作戦を実行した例は山ほどある。例えば、1944年のノルウェー人の抵抗運動家らと共同で作戦を成功させた。この話はドイツが原爆開発の夢を断たれた作戦として、戦後、本や映画でよく知られている。

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    ナチス製原爆の英国への極秘搬入作戦が事実とすれば、チャーチルをして神に祈らせた事だろう。というのは、チャーチルはヒトラーを最初、「ヨーロッパのジョージ・ワシントン」と呼んで絶賛した男だった。

    なのに、ニューヨークで自動車事故にあってからは、回れ右をしてヒトラー罵倒を始めた、つまり「賢くなった」男でもある。

    従って、戦争終結間際にヒトラーの原爆を極秘に運び出す為に、イスラエル独立運動家に自国の特殊部隊員を協力させる動機は充分にあった。つまり、シュパイデルとアイゼンハワーの間にはプロとアマの「仲介人」がいたとしても不思議ではない。



    ■■パート4

    ヒトラーは原爆を持っていた──ベラスコのこんな突飛な発言を裏付ける人物と出会った。その中国人亡命者とマドリードで会ったのは、ベラスコの発言から7年も後の1991年の事だった。(中略)

    汪一族は親日家だったが故に、毛沢東の共産軍に全員処刑されたといった。
    汪は父親が北京政府の重要な人物で、自分は少年時代からフランスに疎開させられ、そこで教育を受けて終戦まで殆ど欧州に住み続け、欧州に居たために、こうして生き延びた。終戦まで北京政府の駐ベルリン総領事を勤めたといった。

    ベルリン駐在日本大使の大島浩とも駐スペイン須磨公使とも親しくしていたと言いながら、汪はアルバムの中の2人の写真を探し始めた。兄は駐スペイン大使のまま終戦を迎えたが、マドリッドの路上でフィリピン人青年に殺害された。それで最後の身内を失ったのだ、と言った。

    その用談が終わってから、ふとナチス製原爆を思い出して、汪に問いかけてみた。
    すると汪はあっさりとナチス製原爆の存在を肯定した。

    ベルリン陥落直前にヒトラーがナチス製原爆を所持していたという噂があるが? 
    「スィー、スィー」 汪は表情も変えずに質問を認めた。

    ならば、その原爆をドイツはなぜ使わなかったのだろうか。
    「当時のベルリンの空気は暗黒で、誰もが浮き足立っていて、それどころではなかったのだろう」と言った。

    それは、ヒトラーが原爆使用を云々する状態ではなかったという意味か。 
    「その通りだと思う」、と汪。

    では、あなたは誰からナチス製原爆の存在を聞いたのか。 
    「ベルリンの枢軸国外交官なら誰でも知っていたのではなかろうか」 
    汪は当然のように、そう答えた。



    ■■パート5

    我々は一口に原爆というが、広島と長崎では別タイプ(威力も含めて)のものであることを忘れがちになる。

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    広島に投下された原爆はウラン型だった。次の長崎は性格の違うプルトニウム型で、しかもこのプルトニウム型原爆は、長崎の次の目標地にも準備された型であった。

    広島投下1ヶ月前の1945年7月16日、アメリカは、ニューメキシコ州アラモゴードで初の原爆実験に成功する。この時の原爆もプルトニウム型であった。

    ここで重要なことは、ウラン型原爆は現在でも開発されていないということである。つまり広島に投下された原爆(ウラン型)は実験済みの原爆ではなくて、人類に対する最初にして最後の原爆だったのだ。

    なにゆえに、日本に2つのタイプの原爆が投下されたのだろうか。

    今でもアメリカの原爆の開発計画と日本への投下計画は最高機密であるが、ベラスコの証言の信憑性が高いことは、次の一端だけでも理解できよう。

    広島に投下されたウラン型原爆は、テスト実験もなく、いきなり本番の兵器として使用され、現在まで幾多の核実験を含めて一度も使用されていない。

    長崎に投下されたプルトニウム型原爆は科学者主導で研究開発され、記者や科学者を爆撃機に搭乗させて大々的にアピールされた。

    しかし広島行きのエノラ・ゲイ号の「リトル・ボーイ」は一部軍人以外、科学者の目には触れさせないようにして投下されたのだ。

    当時、ローレンスという名の記者がいたが、この男は世界でただ1人、アメリカ政府によって原爆計画の取材を許可されたジャーナリストであった。

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    しかし、ローレンス記者はエノラ・ゲイ号に世界初の目撃者として搭乗させてもらえなかったばかりか、搭乗員との接触、そして原爆の搭載にも立ち合わせてもらえなかった。

    しかし2番機の長崎爆撃の際には、ローレンス記者は搭乗し、しかも出発前の原爆搭載風景、パイロットの心境その他、多くの場面を目撃させられている。

    それはなぜなのか。なぜ1番機のエノラ・ゲイ号には一切触れさせてもらえなかったのか。20億ドルの巨費を使ったプロジェクトにたった一人の目撃者作りという、慎重な検討を感じさせる当局側の意図によって前線記者として狩り出された意味は一体何なのか。彼は何に対して目をふさがれたのか。

    また、1978年に「オークリッジ国立研究所」が放射能の影響を調査するため、国防総省核防衛局に広島型(ウラン型)の核実験を要請するも「広島型原爆は1個も存在しない。作るのは危険であり同じものはない」との返答だった。

    ところが、1981年5月になってHNK取材班がロスアラモス研究所付近の倉庫に3個の「リトル・ボーイ」(ウラン235型)が保管されていることを発見したのである。

    この事実を知る者はアメリカ原子力機密法に触れるため、誰にも喋れなかったというが「ない」はずのウラン235型が「あった」のだ。その理由について正式な回答は今もってない。

    これらの謎は、「リトル・ボーイ」がナチス製原爆だったとすれば全て納得できることである。

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    ■■パート6

    原爆に関して、更にもう1つ大きな謎が残されている。

    1943年5月5日、原爆投下目標地点を決定するアメリカ政府の暫定委員会は、自国の原爆がまだ未完成でしかもヒトラー・ドイツと戦っているにもかかわらず、なぜか早々と最初の原爆投下目標地点を決定した。

    戦後になってその投下目標地点名を記入した議事録が、「アメリカ国立公文書館」で戦史公開資料として一般公開された。

    それによると、最初の原爆投下目標地点は太平洋のトラック諸島、つまり「日本軍」と記されていた。奇妙な決定だ。この決定に、当時の原爆開発者から怒りの声が上がるという経緯があった。なぜ日本軍に対して原爆を使うのか?というわけだ。

    ドイツから命がけでアメリカに駆けつけて原爆開発に粉骨砕身したのは、ヒトラーのナチズムをつぶして、一日も早く祖国欧州の危機を救うためだった。

    なのにこの決定はなにごとか。原爆開発に専念してきた物理学者らは、政府に断固抗議した。だが政府は、抗議を無視した。

    戦後、アメリカ政府はこの「投下目標地点決定議事録」を一般公開した。戦史研究家らはその公開資料から、原爆の最初の投下目標先をトラック諸島の「日本軍」に設定していた事実と学者らの非難事実をあわせて知った。

    奇妙な出来事はさらに続く。なんとアメリカ政府は、いったん公開したその資料を回収、ふたたび非公開にしてしまったのだ。むろん現在もその状態が続いている。これはどうしたわけか?

    「回収は当然だ」 ベラスコの感想はただそれだけだった。
    そして別の日、ベラスコは次のように語った。

    「ほぼ完成したナチス製の原爆を広島に投下させたニューヨークの商人連中は、戦後、ソビエト・ロシアにも原子力発電所を売りさばいた。

    その裏取引の実態は、はしなくもチェルノブイリ原発事故で明らかになった。事故が発生するや、ソビエトの専門家より先にアメリカの原発専門家が現地に到着して、ソ連の原発行政の裏をのぞかせてしまったのである。」



    ■■パート7

    ベラスコによれば、「原爆投下」の謎解きのカギは第一次世界大戦あたりまで戻って考える必要があるという。また彼によれば、「原爆投下」は、戦後世界の覇権根拠に決定的役割を見据えての決定だったという。

    ベラスコは言う。
    「アメリカ側に原爆が渡ったために、イギリスはアメリカに依存せざるを得なくなったのだ。アメリカにとっては商売になったが、イギリスは商売にならなかった。この第二次世界大戦で真の意味の敗戦国はイギリスだろう。帝国を失ったではないか。」

    私はベラスコに質問した。
    「あなたはナチス・ドイツの反ヒトラーの動きの中で、反ヒトラーの人々との接触もあったのですか?」

    「いや、接触はなかった。最初、そんな反ヒトラーの動きを知らなかった。もしも知っていたら、抵抗して動きを抑えにかかったと思う。しかし軍部内での反ヒトラー気運は1941年の末には始まっていた。

    それはソ連をドイツ軍が攻撃した時点では既に勝ち越せるほどの軍事力をドイツ軍が備えてはいないのに、対ソ連攻撃をしてしまったという見当違いへの批判が背景になって、反ヒトラーの流れになっていたと思う。」

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    ソ連西部の都市「スターリングラード」の戦いで、ソ連軍はドイツ軍に決定的な打撃を与え、以後の戦局に大きな影響を及ぼした。(この戦いは、第二次世界大戦の決定的な転機となった)

    9万1000人のドイツ軍捕虜のうち、戦後シベリアの収容所から生きてドイツに帰った者は、わずか6000人だった。

    ベラスコは話を続けた。

    「実は、ナチ(NAZI)という語は、ヘブライ語でユダヤ人らの言葉であり、ドイツ語ではないのだ。民族主義の気運をドイツ国内に作り出したのはユダヤ人らであった。

    現在私と共同執筆中のロマノネス・コンデ伯爵夫人(本名ラテボーロ妃)は、イギリス側とコンタクトのあったアメリカのスパイだったが、彼女は2つの情報機関に属していた。

    その1つはドイツの国防軍情報部に。他の1つは日本の憲兵隊にであった。で、実際に私は東京宛に反ヒトラー、反ナチズムの動きを知らせておいた。」

    「結局、その反ナチズム、反ヒトラーの気運が連合国側に原爆を渡す理由になったと解釈すべきなのですか?」

    「その通りだ」



    ※ 

    「ナチ党」の正式名称は、「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」である。

    一般に、「ナチ(NAZI)」という呼称は、当時の政敵、後には連合軍が使った蔑称であると説明されている。

    しかし、別の裏情報によると、「ナチ(NAZI)」の本当の意味は、
    「国際シオニスト連盟 (National Association of Zionist International)」だという。
    「Zionist(シオニスト)」とは、イスラエル回帰を求めるユダヤ人の原理主義者の集まりである。


                                   つづく
    (本記事転載元)
    http://blogs.yahoo.co.jp/mizuguchiaiko/1292376.html?newwindow%3Dtrue
    https://sites.google.com/site/uranenpyou/nsdap

    ベラスコが語るユーチューブ
    【大東亜戦争】日本の諜報組織「東」とは・・(01。02)



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    以前はずっとCDに、次はUSBメモリに、その次は外付けHDDに画像を貯め込んでいたけど変な操作をしてしまい、何れも画像再現は不可能になったので、今度はDVDをUSBメモリ代りに画像を溜め込みましたがこれも変な操作をしてしまいおじゃんで再生不可。
     
    処が、偶然変な操作をしたら、DVDの画像が再現できました。
                         ヽ(´▽`)/
     
    以下はその中のポポの画像。
     
    我が家の食卓で焼き魚を食べると毎度のことポポがやってきてついばみます。
     
    イメージ 1
     
    それをくわえて5mほど先の状差しの自分の巣に運びます。
     
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    ここが彼女ポポの巣。
    ここで突っつき回したら、やがては下に落ちてきます。
    落ちた場所はいつものこと、私の机の上。
     
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    焼き魚の他にだし昆布も運びますね。
     
    一番大きなものは、まな板の上にあった25cm程のサバの頭。
    この時は、くわえて低空で飛ぶのでやはり自分の体重よりも重いだろうから無理と思いましたが、状差しの前でグーンと上昇。
     
    脚の力は弱いが羽の力は相当なものです。
    このサバの頭の画像は壊れたHDDに入っているので再現不可能。
     


     
    処で、今年5月のJR神戸駅地下街のペコちゃん。
    元気でしたよ。
     
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    復元したDVDの画像を選んで一枚一枚USBメモリに移し替えている途中、休憩でPCをスリーブにしておいたら、またまたDVDが再生不可になってしまった・・・・・・。トホホ ( ;∀;) 涙・・・
     
     

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    お盆の14日、秋田県大仙市のある役所を訪問。
    何人かの役所の方が出勤していました。

    お相手してくれた窓口の人は40歳代後半の女性。
    ある書類を申請するのに書き方を教えてもらいました。

    私 「あなたのような素敵な女性とお話すると手が震えてうまく字を書けないのです」

    と言いながら、私の住所「大阪府~」と書き始めたら、彼女は溢れんばかりの笑顔で言いました。

    「やはり大阪の人でしたか」 ヽ(´▽`)/

    そこで彼女に聞きました。
    「飛行機に搭乗するまで時間があるのでひと風呂浴びたい。神宮寺の温泉の名前と場所を教えて下さい」

                            

    彼女の説明を受け、それから書類を受け取って次は大曲駅近くの親戚の家を訪問。
    処が取り込み中。

    警官かたる電話、大仙で1千万被害 70代女性2人、特殊詐欺か
     大仙署は13日、大仙市の70代の女性2人が警察官を名乗る男などに890万円と約170万円をそれぞれだまし取られたと発表した。同署は詐欺容疑で捜査している。(以下省略) 秋田魁(2014/08/13 19:30 更新

    親戚の知人が詐欺被害に遭ったそうで、警察に届けるかどうかで悩んでいるとの由。届けたらテレビや新聞で名前を公表されるので・・・・・。

    どうやら被害者は新聞発表の二人の女性だけではなさそうだ。

    私 「あれ程電話での詐欺に注意するようにと言われているのにどうして詐欺に引っかかるのでしょうね」と言ったら、

    叔母さん 「都会の人と違って田舎の人は人を信用するから」 との仰せ。

    実は、最初のオレオレ詐欺に引っかかったのは東京のおばさん連中。
    大阪のおばちゃんはがめついから引っかからないのだと言われたけど、次は大阪のおばちゃんがやられた。

    つまり都会のご婦人であろうが田舎のご婦人であろうが、簡単に詐欺に引っかかる素地を持っていることになる。

    そう言いたかったのだが、言うのを控えた。私はこの引っかかる元は戦後育ちの日本人の脳構造にあると思うのだが、この話をしても理解しないだろうと思いやめとく。

                             


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    そこのお宅をおいとまし、向かうは役所のご婦人に教わった神宮寺の嶽の湯(たけのゆ)。

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    嶽の湯(たけのゆ)の入口から右方(東方)を眺めると確かあれが神宮寺岳。
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    (※)神宮寺岳(じんぐうじだけ、嶽六所神社)の説明
    県内に三座しかないとされる、平安時代の「延喜式」に記載された式内社の副川神社が山頂にあった。いわゆる神奈備(かんなび)の山で、三角形の美しい山である。

    現在、山頂には嶽六所神社が置かれ、毎年3月の第3日曜日に伝統行事の梵天奉納が行われる。登山口:嶽下登山口。所要時間:50分

    神宮寺岳(嶽六所神社)概要



    館内の様子。左が出入り口。向こうが受付。
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    露天風呂。
    浴場は入浴客がそこそこいたのでパチリせず。
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    入浴料金は400円。
    ここの休憩広間を使うと追加200円。
    ここにはレストランから食事を運んでくれる。
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    生ビールが欲しかったが運転するので無念。

                                       

    嶽の湯(たけのゆ)を出てそれから秋田空港に向かうのだが、途中、刈和野(かりわの)の浮島神社に寄り参拝。

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    浮島神社概要: 古来の浮島神社は沼地の中で浮いている島のような為名づけられたそうですが、江戸時代ではすでに沼は埋めたてられ田んぼになっていたようです。

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    《浮島神社 説明①》
    現在では神社よりも「刈和野大綱引き(国重要無形民俗文化財)」の方が有名になってしまいました。

    元々大綱引きは市神様のお祭りで、その市神様が昭和41年に浮島神社と合祀されたことで多少縁が薄いのかも知れません。境内には「出羽三山」に関係する石碑や、綱引きが終わった後の大綱が奉納されています。

                          ☆
    《浮島神社 説明②》
     綱引きは後漢の明帝の永平14年(71)に仏教と道教との優劣を試みるために行った行事がわが国に伝来し、正月の飾 り物を焼く左義長(さぎちょう)の大綱引きがその起源であるといわれています。

                          ☆
    《浮島神社 説明③》
     刈和野の綱引きは、平将門が天慶2年(939)乱をおこして敗れ、その一族は落ちのびて福島の在にひそみ、やがてそ の子孫は、各地に散ったが、一族の長山氏はいつのころからか刈和野に土着しました。

    その奉ずる氏神が「市神」であ り、市神の祭事が綱引きであって町を上、下に分けて勝負を決し、勝者がその年の市場開設権を獲得したことから因を 発したといわれています。

                          ☆
    《浮島神社 説明④》
    上町(二日町)、下町(五日町)と町を二分し、太さ2.2mの大きさの綱を引き合う伝統行事です。

    引き合いに使われる大綱は、長さが雄綱64m(42尋)雌綱約50m(33尋)重さ各々10トンにもなり国内最大級です。室町時代から500年以上の歴史をもっており、上町が勝つと米の値段が上がり、下町が勝つと豊作になると伝えられています。

    刈和野の大綱引きの由来

    刈和野の大綱引き 2012 (1)綱のばし
    本番より、先ずは綱を伸ばすのが大変。

                           

    秋田空港に向かうも、空にはケムトレイル。お盆はユダヤ系の人には関係ないから遠慮なしにアルミやウイルスをばら撒いている。

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    背景は秋田空港。車は私が借りたレンタカー トヨタ ヴィッツ

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    トヨタレンタカー秋田の各営業所に配置している整備士の技術力に格差がある。
    今回のエンジンは吹かない。
    その点、過去、北海道の各営業所の整備士は皆優秀であった。

                               つまらん話はおしまい


    (参考)
    大曲の花火 8月第4土曜日/2014.8.23(土)





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    広島・長崎に投下された原爆の秘密②

    2014/8/18(月) 「広島・長崎に投下された原爆の秘密①」の続編です。

                          ☆

    東京裁判では下記の私のブログ記事の通り、巣鴨プリズン刑場にて絞首刑になった中に海軍は何故か誰もいないのです。

    問われるとしたなら真っ先に追求されのは真珠湾攻撃をした海軍のはずです。
    それは何故か?

    先ずはそこから書いていきます。
    前半はイスラエル建国の役目を果たしたヒトラー、後半はルーズベルト大統領と共謀し日本海軍壊滅を謀った(はかった)山本五十六です。それから本文に移ります。



    ●今日こそ改めて見直さなければならないこと  2011/12/23(金)
    昭和23年12月23日は東京裁判で処刑された巣鴨プリズン刑場にて絞首刑になった7名のうち、東条英機を初めとする陸軍が6名で、残る1名が政治家であった。

    自己の歴史観は正常ですか? 2014/8/3(日) 
    英国人ヘンリー・S・ストークス氏の文を読んで、この文を異常と思える方は戦後CIAが創った日教組から自虐史観の教育を受け、更にCIAのプロパガンダに毒されたままの人。この文を成る程と思える方の歴史観は正常と言えます。



    ヒトラーは生きていた  2013/8/2(金)

    ナチス政権とは、ユダヤ人ロスチャイルド等のユダヤの国際金融資本が、ヒットラーというロスチャイルド男爵の直系の孫を使って作り上げたもので、その目的は、ユダヤ人国家イスラエルを創る為にあった。

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    ユダヤ・ロスチャイルド卿の孫、アヅルフ・ヒットラーは、イスラエル建国の使命を果たした後、南米で余生を送り20年前まで生きていた?


    Hitler a-t-il v?cu jusqu'en 1964?
    ヒトラーは、彼が1964年まで住んでいた?

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    例えば、FBIの文書では1945年の晩夏から ヒトラーは西部のアルゼンチンのアンデス山脈のふもとにある牧場に住んでいたことが示唆された。

    別のFBI文書では1955年、数年前に南米でヒトラーを見ていたと主張した目撃者に言及している。

    実際に、FBIはヒトラーが本当に1945年に自殺していた場合は、このアルゼンチンでのFBIの活動を説明することができない。

    尚、FBIは1970年まで、ヒトラー生存に関する700ページに及ぶファイルを閉じていなかった。

    他方、アルゼンチン政府は、アドルフ·ヒトラーに関する独自のファイルを機密解除していない。もしもヒトラーがドイツで自殺していたなら、このファイルの存在はありえない。

    第二次世界大戦終了から二ヶ月後、アルゼンチン沖のドイツの潜水艦2隻とヒトラー目撃情報は幾つもある。

    例え2隻の小さな潜水艦といえどもヨーロッパから大西洋を越えてアルゼンチンまでの9週間、無傷であったのは奇跡であり、このことはワシントンの権限を持つ誰かの黙認、又は指示により米海軍が意識的に攻撃しなかったのであり、然も、途中、米海軍は潜水艦に燃料の補給までしてやったことを意味する。

                           ☆
    Hitler and Eva Braun fled Berlin and died (divorced) of old age in Argentina
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    Adolf Hitler faked his own suicide and fled to Argentina where he lived until a ripe old age, according to extraordinary new claims.

    Authors of the new book 'Grey Wolf: The Escape Of Adolf' believe evidence of the tyrant's suicide is flawed -- and that he actually escaped in 1945 to begin a new life with his wife, Eva Braun.

    But the claims have been ridiculed by leading historian Guy Walters who today branded them '2,000 per cent rubbish.'




    大東亜戦争のおさらい10分  2014/3/19(水) 

    歴史の黒幕  2014/2/18(火)

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    大東亜戦争の仕掛け人は共産主義者近衛文麿。

    近衛文麿首相による戦争の準備は着々と進んで、1941年10月、戦争開始の二か月前に近衛文麿は戦争責任を逃れるために突然退陣し、後戻りの出来ない状況で東条英機は急遽首相に任命される。


    【太平洋戦争シリーズ-2】
    ・連合艦隊司令長官山本五十六大将の執念
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    開戦前、山本司令長官は近衛首相に戦争に突入した場合の見通しを質問されてこう答えた。

    「それは是非やれと言われれば初めの半年や一年の間はずいぶんに暴れてご覧にいれる。しかしながら二年、三年となればまったく確信はもてぬ」

    真珠湾攻撃は遠方故にリスクが高すぎるとの考えより当時の海軍首脳で支持する者は一人もいなかったが、

    山本長官の「この作戦(真珠湾攻撃)の実施なくば、職を辞する」との信念に軍令部も従った。


    ・世界を驚愕させた真珠湾奇襲攻撃
    画期的だった世界初の機動部隊の編制

    「大艦巨砲主義」:飛行機ではなく戦艦こそが攻撃の中心であるという考え方が常識であった当時に、空母・航空攻撃の革新的な用法を編み出した日本であるが、その後、戦艦も空母の護衛にまわすという大胆な戦術をすぐに採用したのはアメリカ海軍であった。

    ・なぜ南雲司令部は第二次攻撃を行わなかったのか

    真珠湾攻撃は1941年(昭和十六年)十二月八日、0755から始まり、0945に終わった。停泊していた戦艦8隻のうち、4隻を撃沈し、3隻を大破させた。

    南雲司令部は2隻の空母が見当たらず、撃ちもらしたことを残念がったが、ただちに帰途についた。航空隊総指揮官の淵田や「飛龍」「蒼龍」の指揮官山口多聞少将などは、第二次攻撃を行い、基地周辺の石油タンクなども破壊すべきだと主張したが、受け入れらなかった。

    「南雲はやるまい…」との山本長官の発言もあり、第二次攻撃は発令されなかった。

                         ☆

    もう一度、真珠湾攻撃を振り返る。

    真珠湾に集結していた米太平洋艦隊は、主なもので戦艦が8隻、重巡1隻、軽巡3隻、そして駆逐艦5隻で、総計17隻であった。

      不思議なことに空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。

      被害を受けた戦艦はいずれも1910~1920年代に就役した旧式艦であり、しかも攻撃し易いようにわざわざ真珠湾に沿って一列に並べて停泊してあった。

    戦艦アリゾナは撃沈、他の艦は転覆、海底沈座、大破、中破、小破などの被害を受けたが、真珠湾は海底が浅く、海底に沈座した戦艦等はいずれも引き上げが容易で、短期間のうちに修理、再就役し、太平洋戦争中期からは攻撃力を発揮したのである。

    更に付加すれば、

    また陸上施設については南雲第一航空艦隊司令長官による第1次、第2次攻撃隊は全く手を触れておらず、第3次攻撃隊を出すことも中止している。

    第3次攻撃に関してはほとんどの艦隊幕僚が実行の提案をし、現に第11航空艦隊司令長官の山口多聞少将は第3波攻撃準備を完了していたが、南雲中将や草鹿第一航空艦隊参謀長や源田参謀はおろか、はるか後方の旗艦「長門」で高見の見物をしていた山本五十六連合艦隊司令長官までがその必要性を認めていないのである。

      もし、この時第3次攻撃を敢行し、艦隊に対するもっと徹底した攻撃と、陸上のハワイ空軍基地の格納庫、補給庫、給油施設、武器弾薬貯蔵庫、さらにはアメリカ海軍基地の補給、修理施設、工場群、燃料タソク群を破壊しておれば、太平洋の戦局は大いに変わったものとなったであろう。

      ハワイがアメリカの太平洋艦隊の最も重要な海軍基地であったことを考えるならば、この攻撃不徹底はいかにも奇異なものであると言わなければならない。

    ハワイの燃料タンクに貯蔵されていた重油450万バレルを爆撃しておれば、アメリカ本土からの補給は数カ月間にわたって不可能となり、アメリカの太平洋艦隊は身動きがとれなかったのである。

      さらにもうひとつつけ加えるならば、ハワイ攻撃の日がなぜ12月8日であったかということだ。

    もちろん日米交渉の行き詰まり、最後通牒の日程上この日になったというのはひとつの説明であるが、山本長官が、この日は真珠湾にアメリカ空母がいないことをあらかじめ知っていたからであろう。

      山本五十六はハワイを徹底攻撃する気は最初からなかった。日本がアメリカを奇襲攻撃し、「卑怯な日本」という既成事実をつくればそれでよかったのである。

    真珠湾攻撃にはいくつかの不可解なことが起こっている。ひとつは宣戦布告の通知が遅れたこと、そしてもうひとつは攻撃の不徹底さである。通知が遅れた件に関しては、これは最初からそう仕組まれたものであったと言うほかはない。

     戦後ポルトガル駐在公使だった森島守人が、帰国するなり吉田茂外相にこの最後通牒手交遅延の責任を明らかにするよう進言したが、吉田は結局この件をうやむやに葬り去ってしまった。

    吉田茂こそ日本を敗北に導いた元凶のひとりフリーメーソンであった。当時の日本大使館員たちは戦後いずれも「功労者」として外務次官や駐米、国連大使となり栄進した。

      日米開戦の最後通牒が遅れ、真珠湾攻撃が卑怯な騙し討ちになったことで、アメリカ人の世論は開戦派が以前の3%から90%にはね上がっている。

    (※)これから見ても、山本五十六や吉田茂のみならず、日本外務省と大使館が米国と通じて日本国の弱体化・崩壊を図ったことが理解できる。


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    写真(左):日本の空襲をうけた戦艦「カリフォルニア」;真珠湾に停泊していた米海軍の戦艦5隻は撃沈された。

    しかし,撃沈された戦艦のうち3隻は,引揚げられ,戦列に復帰している。つまり,真珠湾攻撃による戦艦損失は2隻である。

    修理施設も爆撃しておれば、復帰は相当遅れたはずである。


                           
    日本帝国海軍絶滅のためにルーズベルト大統領と共謀した山本五十六は、周囲の反対を押し切りミッドウェー海戦を挙行。

    日本帝国海軍山本五十六提督は戦略的に大して意味のないミッドウェー海戦の暴挙に出る。然も、空母4隻には護衛無しにである。

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     真珠湾攻撃のときもそうであったが、ミッドウェー攻略作戦もまた山本長官の強引な主張によって計画されたものであった。

    山本長官の主張とは「昭和17年(1941年)中に米太平洋艦隊をおびき出してこれを撃滅する。そのためのエサとしてはミッドウェーが最適であり、ここを占領してハワイに脅威を与えればアメリカの戦意は著しく衰え、それによって和平交渉への道が開かれる」というものであった。

      だがこの計画に対して東京の海軍軍令部は強い反対論を唱えた。その第一の理由は「占領後のミッドウェーの戦略的価値が疑わしい」というものである。

    ミッドウェーはハワイからわずか1800キロしか離れていないため、ハワイの陸上基地から攻撃機が殺到し、すぐに奪還されるに違いないし、ミッドウェーを占領しても、日本の奇襲以来ハワイの基地を強化し続けてきた米軍にとって脅威にはならず、米国民の士気に影響を与えることはなく、従ってアメリカが和平交渉を提案することはあり得ない、というのである。

      また日本の偵察機の行動半径は20キロにすぎないので、広大な太平洋のまんなかで有効なる偵察任務は果たせない、と反論した。

    だが山本長官はその反対にはまったく耳を貨そうとしなかった。最後は山本長官とは腐れ縁であった永野修身軍令部総長の決裁でミッドウェー作戦は認可された。

      いくら連合艦隊司令長官が特殊な立場であり強い権限を持っていたからと言っても、大本営軍令部にこれほどまで楯つくことは異常であった。

    フリーメーソン山本長官はルーズヴェルト大統領(フリーメーソン33位階)やチャーチル英首相(フリーメーソン)との約束を死守したのである。

    そして山本は当初の計画では4月1日攻撃予定を米軍が日本の暗号を解析するまで2度待ち、結果、5月28日に攻撃したが、日本の暗号を解析した米軍は当然待ち構えていた。

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    米空母部隊は日本艦隊を迎撃し空母全部(4隻)を撃沈する。
    日本は300機の航空機と熟練搭乗員も失ってしまった。

    【日本軍の損害】
    空母 4、重巡洋艦 1、飛行機 253 を損失
    また、重巡洋艦 1、駆逐艦 2 を損傷

    【アメリカ軍の損害】
    空母 1、駆逐艦 1、飛行機 150 を損失



    実際に,司令長官が旗艦に乗艦したミッドウェー海戦では,後方に大部隊を擁して出撃したが,砲撃や空母部隊の護衛はしていない。

    (※)これは日本の護衛なしの無防備な空母を敵が撃沈して下さいといわんばかりの陣形であった。

    ミッドウェー海戦で首尾よく日本の空母部隊を壊滅させた山本長官は、次のガダルカナル、ソロモン海戦で日本軍敗北の総仕上げを行ない、自らはアメリカ側と通謀の上、逃亡計画を実行する。ブーゲンビル上空での戦死狂言である。

    http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/YamamotoIsoroku03.html

                           


    山本五十六はヒトラーと同じく死んではいない。戦後も生きていた。

    こうして昭和18年4月18日、ブーゲンビル島ブインの航空基地視察のためと称して山本長官は午前6時ラバウル東飛行場を一式陸攻で離陸した。
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    宇垣参謀長らを乗せた二番機もほぼ同時に離陸したが、これを護衛するのは第204航空隊の零戦わずか6機だけであった。

      この日、山本長官はなぜか正式な連合艦隊司令長官の軍服ではなく、生まれて初めて着る草色の略装である第三種軍装を身にまとい、護衛機の数を増やすことにも強く反対したという。

      山本長官の前線基地視察スケジュールの情報は事前に暗号電報で前線基地に予報された。連合艦隊司令長官の詳細な行動予定が、視察の5日も前に前線基地に伝えられるのは異例のことだった。

    米軍はこの暗号を解読して山本長官搭載機撃墜計画を練ったとされるが、むしろ山本長官自身ないしはその側近が、事前に何らかの方法で米軍に詳細な行動予定を知らせていたというのが真相だろう。

    山本長官はすべての役目を終了し、ルーズヴェルト大統領との約束に基づいて姿を消すことにしたのである。

     山本長官を乗せた一式陸攻は高度2500メートルでゆっくりと飛行、6機の護衛戦闘機はその500メートル上空を飛行していたが、ブーゲンビル島南端のブイン基地上空にさしかかったところ、ガダルカナル島ヘンダーソン基地を飛び立ったミッチェル少佐の指揮するP-38米攻撃機28機が午前7時33分、正確に山本長官機と出合った。

    ミッチェル隊はP-38の航続距離からしてわずか10分間という許容時間で攻撃を開始、山本長官機を撃墜したのであった。

                           ☆

    山本が搭乗していた一式陸上攻撃機を銃撃したP-38ライトニング戦闘機の武装はイスパノ・スイザ HS.404(口径20 mm)と ブローニングM2重機関銃(口径12.7mm)であり、

    『小指頭大ノ射入口、右外眥ニ拇指圧痕大ノ射出口ヲ認ム』という検案記録通りであれば頭半分は吹き飛ぶはずである。

    また田渕軍医は後方で検死を行っただけで現場を見ておらず、蜷川から引き継ぎも行っていない。田渕自身も不審に思ったが深く追求できず、戦後、粗雑な書類で単なる形式処理であったことを認めている。

    実際に、田渕が山本の軍服を記念に保管しようとしたところ、渡辺安次参謀が遺体から衣服を脱がすことを強い口調で禁止した。

    公式には機上で即死したと記録されているが異論もある。熱帯地方では死体に猛烈な蛆がわくが、浜砂や中村は19日午後の段階で山本の遺体にウジ虫を認めていない。

    この事から、山本は機上での戦死ではなく死亡時刻は19日午前6時ごろと推測する見解もある。

    20日午前8時に浜砂と海軍陸戦隊が再び現場に到着すると、山本の遺体顔面は形相が判別できないほど腫れ上がり、遺体全体にウジが猛烈に発生していた。

    繰り返して述べると

    大本営発表の「死体検案書」(死亡診断書)と「死体検案記録」(死亡明細書)によれば、死亡日時は「昭和18年4月18日午前7時40分」である。

    傷病名は「顔面貫通機銃創及び背部盲貫機銃創」であり、末尾には「右証明ス 昭和18年4月20日 海軍軍医 少佐 田淵義三郎」として署名捺印がある。

    (※)先ほど述べたように、もしも機銃で顔面をやられたら、顔半分は吹き飛んでいたはずである。

      ところが墜落現場を最初に発見した浜砂陸軍少尉は次のように証言している。

    「長官はあたかもついさっきまで生きていたかのような風貌で、機外に抛出された座席上に端然として死亡していた……その顔面には創はなかったし、出血の痕もなかった。その発見は墜落後実に30時間前後も経った頃である」

      同様の証言は陸軍軍医・蜷川親博中尉も行なっている。蜷川中尉は長官機遭難現場近くの歩兵第23連隊の次級軍医として勤務していた。このため、中尉は救難捜索行動に参加し、長官死体の検視も行なっている。

      にもかかわらず、山本長官の秘蔵っ子と言われた渡辺中佐参謀は、事故のあと19日、ラバウルより現地に急行、20日夕刻掃海艇上に運び込まれた長官の遺骸を検死して大本営と全く同一内容の証言をしている。

    渡辺参謀の証言内容とは「20日夕の時点で顔面貫通機銃創と背部盲貫機銃創は共にあった。4月18日、機上での戦死は間違いない」というものである。

      前出の田淵軍医は「私が検死した時点では顔面に創はあった」「姐(うじ)の侵蝕とは考えられぬ」とし、さらに重要な証言「死後の作為が加えられたかどうか判らない」と言いながらもその可能性を強く示唆している。

    山本長官の「死」は明らかに狂言であろう。
    その穏された真相は次の如くであると推測される。

    1.山本長官は太平洋戦争前半における帝国海軍崩壊のためのすべての役割を完了した。

    2.そのため急遽姿を隠す必要が生じ、側近の宇垣纏中将(連合艦隊参謀長)や渡辺中佐(参煤)と共謀し、あらかじめ暗号をアメリカ側に漏洩した上で長官機撃墜の一大ペテン劇を演出した。

    3.当日、山本長官はわざわざ草色の第三種軍装を身にまとい、ジャングルを逃亡の際目立たぬよう略装にした。

    4.米軍機攻撃の際、いち早くパラシュートで脱出、地上よりかねて打合せの場所からガダルカナル島米軍基地へと逃亡した。

    5.捜索班が事故機を発見したとき、長官の身替りとされた男(恐らくは風貌の似た人物)を座席に縛りつけ毒殺した。

    6.従って発見時には顔面の創も背部盲貫機銃創も存在しなかった。

    7.その後、山本長官を「機上死」であると捏造するため、遺体に拳銃か鋭利な刀物で人工的な死後損傷を加えた。

    事実、田淵軍医が検死をしている最中に長官のワイシャツを脱がせようとしたが、渡辺参謀から突然大声一喝され、「脱がすな、これ以上触れてはならぬ!」と怒鳴られ制止されているのである。

    人工的な死後損傷であったとする証言も数多く存在するが、これらのすべては黙殺され、渡辺中佐の命令下、虚偽の「死体検案書」と「死体検案記録」は作成され、「機上壮烈なる戦死」という大本営発表となるのである。

    (詳細は転載元の下記URLで)

                           ☆  

    「山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史の真相を歪曲したか」 (絶版)
    著者:ヤコブ モルガン 、忍野 昭太郎 (翻訳) 第一企画出版 (1994/12) ISBN 
    http://angohon.web.fc2.com/sensi/ya-morugan-yamamotohaikiteita.htm
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    BLOG:ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報にこの本の書評を兼ねた下記の記事があります。

    日本を「戦争ができない親英米国家」にするために太平洋戦争で日本は「わざと負けた」

    <海軍トリオが日本をわざと敗北に導いた>

    一言でこの本の主張を要約すると

    太平洋戦争は、日本国内にいた、海軍の山本五十六、米内光政、井上成美、陸軍参謀の辻政信、瀬島龍三、服部卓四郎らが戦後の日本をアメリカの属国にするために、わざと拙劣な戦い方をした戦争であった」

    ということである。

    山本五十六が「米英の手先」ではなかったか、という議論は昔からあった。戦時中からあったのである。

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    その根拠として、戦後、フリーメーソンに買収された海軍の士官の高級倶楽部「水交社(すいこうしゃ、現港区麻布台2丁目本部」の建物に山本や米内、さらには英米の士官たちも頻繁に出入りしていた事実が挙げられる。(右の画像)横須賀の水交社支社の建物。


    米内内閣の組閣も対米開戦の真珠湾作戦の採用もこの倶楽部で決定されたと言われている。(以下省略)


    (※)海軍士官の高級倶楽部「水交社(すいこうしゃ)本部」の跡地には、現在「東京メソニックビル」が建ち、内には、日本のフリーメイソンの中枢が集まっており、「日本グランド・ロッジ」の他、いくつかのブルーロッジ、リサーチ・ロッジやアメリカ管轄のロッジも含め、事務所が割当てられており、秘書業務・財務業務が行われている。

    尚、水交社の水交会には横須賀水交会・舞鶴水交会・呉水交会の他北海道・大湊・下総・湘南・関西・香川・佐世保の10支部がある。




    前書きが長かった!
    以後、ようやく本題に入ります。

    ■■パート8

    ベラスコは語る、

    「日本はアメリカに完勝していた」と。

    ベラスコによれば、太平洋戦争は日本海軍の大勝利のはずだったという。

    日本海軍がアメリカ海軍を徹底壊滅させて戦勝国になる機会が少なくとも4回あったという。広い太平洋海戦の勝利は間違いなかったと断言する。

    たとえ情報が敵側から完璧にキャッチされていたにせよ、物量、装備、士気などが英米海軍以上に優れていた初期の日本海軍機動部隊は、普通の参謀が指揮しても開戦初期から一挙に敵をつぶせたというのだ。

    その理由の1つは、「TO諜報機関」(ベラスコが創設した対英米スパイ機関)の情報が連合軍側の情報機関と同質の軍事情報を日本政府に届けていたからだという。

    だが、日本は、日本民族固有の思考と価値観でTO情報を分析解釈してしまったとベラスコは悔しがる。つまり戦争準備も整わないのに戦争を開始した発想もその一例だが、そうであったとしても、日本海軍は初期の作戦で一気にアメリカ軍をつぶせたと繰り返し断定していたのである。


    では、ベラスコのいう日本海軍4回勝利説の戦場はどこか?
    彼は語る。

    「ミッドウェー、ガダルカナルは完全勝利の場だった。『TO諜報機関』は事前にその戦場と戦闘規模を日本政府に打電した。

    たとえ、その暗号電文が解読(盗聴)されていたとしても、文面の裏を読み取れば敵の作戦目的がつかめる情報に整理して日本側に渡した。」

    また大戦中、熱心に原爆情報の収集に取り組んでいたベラスコは、『巨大な絶滅兵器をアメリカ軍が日本に落とそうとしている』と暗号無線で日本に知らせたが、精神主義と官僚主義でコリ固まっていた日本の政・軍の上層部はそれを無視し続けたという。

    ところで、ベラスコにとって、山本五十六海軍大将は尊敬に値する人物だったが、「謎」の多い人物でもあったようだ。

    一部の研究家の間では、山本五十六はアメリカに通じる「国際組織(メーソン系?)」に所属していたという説が唱えられているが、ベラスコはどう考えているのだろうか。

    ホテルのベッドの上に両足を投げ出したベラスコの足先をもみほぐしながらたずねてみた。

    「おそらく……」

    そう肯定しかけて、ベラスコは目と口を閉じてしまった。



    ■■パート9

    日本に落とされた2つの原爆は、それぞれ、扱われ方に明確な違いがあった。

    広島型の投下は完全に軍人主導の作戦であったが、長崎型は科学者主導であった。広島に、たった一回きりしか使わない爆弾をなぜ最初に使ったのか?

    この疑問こそ、私(高橋)が上の本を書く動機の大きな要素であった。テストなしのぶっつけ本番の投下が何を意味したのか、その答えこそ、私が400余枚を費やしてきたその意味の中にある。

    「広島に投下された爆弾がなぜウラン型だったのか」ではなくて「ウラン型爆弾がなぜ広島に投下されたのか」なのである。この答えはこの本の中で明らかにしているつもりであるが、それを実証すべきものはベラスコ証言と私の推理以外には、いま世界の何処にもない。





    《ナチスが核実験》


    独歴史家が新説
    【ベルリン=熊倉逸男】

    ナチス・ドイツが核兵器開発を実用化直前まで進め、核実験も実施していた──との新説を紹介した本『ヒトラーの爆弾』が14日、ドイツで出版され、信憑性をめぐり論議を呼んでいる。

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    著者のベルリン・フンボルト大学講師の歴史家ライナー・カールシュ氏によると、ナチスは1944年から45年にかけてベルリン近郊に原子炉を設置し、濃縮ウランを使った小型核兵器を開発。1945年3月3日、ドイツ東部テューリンゲンで核実験を行なった。被害は半径約500mにわたり、近くの強制収容所の収容者ら約500人が犠牲になった。

    開発は、ヒトラーらナチス指導層も承知していたという。新たに発見された旧ソ連軍の史料や証言記録、実験場所とされる土壌から放射能が検出されたことなどを「核実験説」の根拠としている。

    ドイツでは1930年代から核開発が進められたが、ナチスは兵器化に熱心ではなく、ナチスの核兵器保有を懸念した科学者らの訴えを聞いた米国が先んじて、原爆を開発した──というのがこれまでの定説だった。独メディアは新史料発見を評価する一方、「核実験説」の説得力不足を指摘している。



    (その他、記事・画像抜粋先)
    http://www.geocities.jp/torikai007/war/1943/yamamoto.html
    http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/MYBLOG/write.html
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD
    http://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/story/18.html
    http://www.ingeniouspress.com/2014/06/22/did-hitler-escape-to-south-america/
    http://www.taringa.net/posts/info/2308439/Adolf-Hitler-En-Argentina-Videos.html

    「ミッドウェー海戦の悲劇 - 日本空母 壊滅の時」 そのとき歴史が動いた(1/4)
    https://www.youtube.com/watch?v=N8UKVYcy9nc

    アジア歴史資料館
    http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/MetaOutServlet



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    カメラ付きノートパソコンを開いたままにしておくと、電源のON/OFに無関係で、カメラが作動しており、いわば盗撮されているので都度ケーブルを外し、ノートパソコンのカメラにはシールを貼って目隠ししておくようにマンマに言っていますが、時々忘れるようです。

    (参考)私のブログ記事
    気づく前に手を打とう  2014/5/8(木)
    今や携帯電話のみならずモバイル系は全て盗聴盗撮されていますね。



    その携帯のことをsamuraiさんのブログ記事の中で色々なことを分かり易く書かれていますので一読の価値はあると思います。
     samuraiさんのブログ記事クリック )


    その中で貼られていた動画だけ、私も貼りました。
    これは2008年のことですから、それから6年後の現在では私たちの予想もつかないことが起きているでしょう。

    携帯電話が、GPS、盗聴器になる?!

    2008/01/10 にアップロード
    集団ストーカー参考映像。携帯電話の Bluetooth の機能を、ONにすると、携帯電話が、GPS、盗聴器になります。Bluetooth が無くても、電話会社、警察は、やれるでしょう。



    (私見)
    思うに、オレオレ詐欺とか振り込め詐欺とかの犯人の電話発信場所は無論のこと、電源を切っても持参して移動している場所まで確定できるのですから、警察は何故に犯人を捕まえないか不思議ですね。

    ひょっとして、犯人グループを陰で操っているのは、警察関係を抑えることのできる相当の大物?



    もっと詳しく知りたい方は、下記URLをクリック。





    (注)今日二日目の投稿記事は下記URLです。
    「いらんことゆうてしもうた」



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